ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
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Popular Review

- 最新号 -

ALBUM Review

Judy Wexler
BACK TO THE GARDEN

Jewel City Jazz JCJ1214

 ジュデイ・ウエックスラーは、ロスアンジェルスをベースに活躍するジャズ・シンガー。彼女の6枚目のアルバムになる本作は、前作までと少し趣が違う。これまでは、ジャズ・ナンバーを中心に歌ってきたが、今回は、ベトナム戦争やプロテスト・ムーブメントで混沌とした世の中だった60年代に歌われたポップやロック・ナンバーを彼女流に歌っている。彼女は、2010年に60年代の歌をテーマにした「Back To The Garden」というショウを行った。それをアップデートしたショウを2020年4月に予定していたが、コロナ禍で中止になり、代替として制作されたのが本アルバムだという。コロナ禍の今の世の中と通ずるメッセージ性の有るボブ・ディランの「The Times They Are A-Changin’」と「Forever Young」、ポール・サイモンの「American Tune」、ジョニ・ミッチェルの「Big Yellow Taxi」、ハリー・ニルソンが歌ったフレッド・ニールの「Everybody’s Talkin’」等10曲をジェフ・コレーラとジョシュ・ネルソン(2曲担当)の曲によりストリングスやバックコーラスも交えた重厚なアレンジによる西海岸の精鋭を集めたバンドの素晴らしい演奏をバックにしなやかな説得力のある表現で自分のものとして歌っている。(高田敬三)

ALBUM Review

Sarah Vaughan
LIVE AT THE BERLIN PHILHARMONIE1969

THE LOST RECORDINGS TLR 2004037

 サラ・ヴォーンは、1969年9月に初来日している。それから約一月半後の11月9日にドイツの第7回Berliner Jazztageに出演、昼夜2回公演を行った。その時の様子は、TVでも放映され、2016年にDelta Musicからその一部がCDでも発売された。その部分は、今回の2枚組CDの2枚目に収録されている。今回のCDは、「完全盤」とうたわれているが、必ずしもそうではない様だで、以前のCDにあった「Just One Of Those Things」、「Love Finds a Way」、「Zing Zing Zing Went The Strings of My Heart」は、省かれている。1967年にマーキュリーを離れた彼女は、レーベル契約もなくピアノのトリオの伴奏でコンサート・ツアーをよくやっていた。この時のトリオは、Johnny Veith (p)Gus Mancuso(b)Eddy Pucci (ds)で彼女に寄り添うように控え目な伴奏でソロは、一切ない。時はロックの時代に入りメインストリームのジャズの人気は下降気味だった。ベトナム戦争は、泥沼化して世情は混とんとして当時のベルリンではロマンチックなバラードを楽しもうという雰囲気ではなく、サラにとって良好な舞台環境ではなかったので、彼女は、毎日がブルーで悲しく、寂しかったと後述している。然しながら、軽快にスイングするアップ・テンポ・ナンバーからオペラ歌手の様に広い声域を使ってビブラートを利かせて歌い上げるバラードまで、そんな気配は、全く感じさせない堂々としたステージだ。レパートリーは、「Misty」、「Fly Me To The Moon」、「Tenderly」等お得意のスタンダードを中心に、ビートルズの「And I Love Him」,バカラックの「Alfie」,グレン・キャンベルのヒット「By The Time I Get To Phoenix」など当時のコンテンポラリー・ナンバーを交えて歌う。当時45歳、脂の乗り切ったサラのステージが楽しめるアルバムだ。(高田敬三)

SINGLE Review

米津玄師「Pale Blue」

 米津玄師の歌は、楽曲の世界観が独特でその音楽性に引っ張られる為、彼の歌声そのものの印象を薄くする。しかし、今回は、楽曲の音楽観そのものよりも彼のボーカリストとしての特徴が前面に出ている。
 冒頭の歌い出しからの高音部は、ファルセットから転換したヘッドボイス。元々、この人の歌声はハイトーンボイスだ。ストレートボイスだが、艶のある色彩感を持つ。特にこの曲に関しては、非常に綺麗な響きで歌っているのが印象的。
 彼の楽曲といえば、音楽の中に歌声が溶け込んでしまって、歌声も音楽を構成する一つの器楽的なもののように音楽の中に収まりきっているものが多い。その為、ボーカリストとしての印象が薄く、プロデューサーとしての存在感の方が増している。だが、今回の曲は、歌声が前面に出てきており、彼の歌声の音色が印象的である。
 彼の歌声は高音部から中・低音部までのボイスチェンジが滑らかである。特にサビに使われているヘッドボイスの音色は、それまでのミックスボイスの艶感と同じ色調で歌声が展開される為、非常に濃厚で優しい歌声だ。優しい音色の中に彼独特の甘さと切なさが混在し、そよ風のように多くのものを受け入れ、伸びやかで艶やかで非常に綺麗な響きで全体が統一されて行く。
 今までになくインパクトのある歌声がいつまでも耳の中で鳴り響いている。そんな1枚だ。(松島耒仁子)

POPULAR Review

追悼 寺内タケシ
「日本のエレキギターサウンドの父」

 ギタリストの寺内タケシさんが亡くなった。享年82歳。2021年春に誤嚥性肺炎を起こし、入院。6月18日に容体が急変し、その日に亡くなった。
 「ギターの神様」との異名を取り、永年にわたって日本一のギタリストの称号を受け続けた。茨城県土浦市の出身で、父は土浦市の市議会議長を務めた地元の有名人。母は小唄と三味線の家元で、タケシは出征中の兄のギターを内緒で弾き、その魅力に取り付かれたそうだ。ギターを改造して自作のエレキギターを作ったりという子供時代を過ごし、大学は関東学院大学に進学。その学生時代にプロとしての活動を開始した。
 当初はウエスタンが中心だったが、時代の流行であったロカビリーに移行。更にエレキのブームが来ると読み、バンドをエレキ仕様に変え、メンバーを集めて「寺内タケシとブルージーンズ」を結成したのが1962年のこと。すぐに実力派バンドとしての評価を確定させ、レコードを多数発表。この時期の大ヒットに、母の影響もあっての津軽三味線に着想を得た「津軽じょんがら節」がある。当時から民謡など日本のメロディをレパートリーに加えることに積極的であった。
 だが、1966年に体調不良を起こし、バンドを抜けて療養に徹する。退院後は横浜で新メンバーを集めて「寺内タケシとバニーズ」を結成。折からのグループサウンズのブームに乗ってヒット曲を連発した。この時期の最大のヒットは、レコード大賞編曲賞を受賞した「レッツゴー運命」だろう(1967年)。これは、ベートーヴェンの交響曲「運命」をエレキ化させたもので、同タイトルのアルバムはクラシックの名曲を題材とした内容であった。
 だが、後にこのバニーズも脱退し、新たに(第二期)「寺内タケシとブルージーンズ」を結成する。更に1970年にはメンバーを一新させた(第三期)ブルージーンズを結成、メンバーを様々に変えながら現在に至っていた。
 日本のロックに詳しいアメリカ人ジャーナリストに拠る日本のロック研究本に面白い個所があった。「日本最高のロック・バンドを結成するとしたらメンバーは誰になる?」といった部分の記述なのだが、様々なヴォーカリストやドラマーなどの名前が挙がる中、「リード・ギタリストだけは、誰からも異論の出ない名前が挙がるであろう。そう、寺内タケシだ」、というもの。実際、早くも60年代中頃には、アメリカの音楽雑誌で「世界三大ギタリスト」として、チェット・アトキンス、レス・ポールと共に名前が挙がったことがある。
 とは言え、毀誉褒貶が激しかった人としても知られる。ビッグ・バンド・ジャズ界に於けるバディ・リッチと同じく、バンド・メンバー達には軍隊調で指導。思想的には完璧に「右」。コンサートの舞台の後ろに日の丸を掲げることも多かった。また、欧米型のロックとは全く違う「日本型エレキ(いわゆる「ロック」とは、少々趣を異にする)」を創造したとも言え、多くのミュージシャンを輩出した経緯もある。
 エレキ~GSブームの火付け役の一つとなった加山雄三主演の映画「エレキの若大将」(65年)での名(迷?)演技をご記憶の人も多いであろう。コンサートでのMCの面白さにも定評があった。「ギターは弾かなきゃ音が出ない」は、座右の銘。そりゃそうだ。(櫻井隆章)

POPULAR Review

「リアルジャズから歌謡曲まで。ビッグバンドの巨星墜つ。
原信夫さんを悼む」

 日本ジャズのビッグバンド・シーンを牽引してきた原信夫さんが6月21日亡くなった。肺炎のため都内の病院で死去、94歳でした。1951年に「原信夫とシャープス・アンド・フラッツ」を結成して以来58年にわたり、サックス奏者としてまたバンドのリーダーとして常に指導的な立場であり続けました。その活動範囲はジャズにとどまることなく歌謡曲の世界にも及んだことはよく知られるところです。1967年都山流尺八奏者の故山本邦山氏を伴って、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演したことは、当時の混沌とした世相に新鮮な驚きと勇気を与えてくれましたし、昭和30-40年代、NHK紅白歌合戦での伴奏や「真赤な太陽」のヒットで活躍して国民的な親しみも醸し出してくれました。
 2008年(平成20年)原さんが高齢を理由に引退を表明したその年、それまでの功労をたたえて当会は満場一致で第21回ミュージック・ペンクラブ音楽賞特別賞を贈呈しました。
 2009年3月30日に東京芸術劇場で行われた音楽賞授賞式に出席した原信夫さんは「この度《ミュージック・ペンクラブ音楽賞 特別賞》を頂くことになり、先ず驚き、そしてじっくりと嬉しさがこみ上げてきました。58年間シャープス&フラッツのリーダーを務めてきた締めくくりにあたって、このような立派な賞を頂くとは実に感激です。今までにも国から、またほかからもいくつかの賞を頂いてきましたが、今回の受賞は別格この上ない名誉なことと感謝しております」と語っていました。御冥福をお祈りします。(三塚 博)