ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
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クロスレビュー

最新号

追悼 八代亜紀

「天性の声」を天に還した歌謡曲のディーヴァ、八代亜紀さん
池田卓夫(クラシック会員)

 ふだんクラシック音楽を取材しているが、八代亜紀さんとは一度だけ、お仕事をご一緒したことがある。2015年3月11日、サントリーホール。東日本大震災被災者への支援を目指してMPCJの先輩の湯川れい子さん、作曲家の三枝成彰さん、作家の林真理子さん、デザイナーのコシノジュンコさん、ぴあ創業者の矢内廣さん、不肖・私らが発起人となって企画したジャンル横断のチャリティコンサート「全音楽界による音楽会」の第4回に八代さんが出演した時だった。私は無料で出演してくださった皆さんの楽屋を回り、さらなるご寄付をお願いする微妙な担当で、「タダで出ているのに、まだお金を取る気?」と不機嫌になった有名歌手もいた。

 たまたま八代さんがホール入りするタイミングで楽屋までご案内することになり「ジャンル違いの大物に失礼があったらどうしよう」と気を揉んで立っていたら、少女のようないでたち、あの彫りの深い顔のスッピンで現れ「よろしくお願いします」とハキハキした声で逆にご挨拶された。「あなた、クラシック音楽の記者さんですってね。私、このホールで歌い慣れていないから、ゲネプロを客席で聴き、バランスをチェックしていただけないかしら?」。あまりに恐れ多かったが、求められるままに歌を聴き「大丈夫です」とお伝えしたら「ありがとう! サントリーホールで歌えるの、本当に嬉しい」と再び少女の笑みが返ってきた。八代さんはかつてBSテレ東でレギュラー番組を持っていて、武蔵小山で私が行きつけのピッツェリア、「ラ・トリプレッタ」でピザ作りに挑戦した。国立大学を中退してナポリへピザ修業に出た大田賢二社長の説明を真剣に聞き、ピザがうまく焼き上がると大喜び、とびきりの歌をプレゼントした。「とっても素敵な方で思い出深い撮影をさせていただいたので、非常に寂しく思います」(太田社長)

 イタリア語のディーヴァ。「歌姫」と簡単に訳されがちだが、より正確に言えば「歌の女神」。ただ上手なだけではなく、人の心の奥深いところに届き魂を震わせる唯一無二の存在に与えられるトロフィーだ。全身全霊を捧げて世のため人のために歌い続けた結果、自身はそれほど幸せでなかったり、あまり長く生きられなかったりする。私が尊敬するディーヴァたちの没年を振り返ってみよう。ビリー・ホリデー44歳、ジャニス・ジョプリン27歳、美空ひばり52歳、本田美奈子38歳、マリア・カラス53歳、ルチア・ポップ54歳、佐藤しのぶ61歳。八代さんの73歳を「早い」とみるか「まあまあ」とみるかは人それぞれだが、最後までデビュー当時のイメージと力量を保ち、自身のアートを極め昇天した点ではピアニスト中村紘子さんの72歳に近い最期だろう。

 1970年.小学校6年生の私は同じ日本テレビ系列でもアイドル発掘の「スター誕生」よりも下積み歌手のサバイバルゲームの「全日本歌謡選手権」に興味を持つ、歌謡曲大好きのマセガキだった。とりわけ印象に残っているのが八代さん、五木ひろしさんが競り合うように10週を勝ち進んだ時だ。もう1人、やはりクラブ歌手の飛柿マチカさんが10週を勝ち抜いたが、その後、八代さんは大スターの道を歩み、飛柿さんは夜の巷にとどまった。飛柿さんのパンチとヴォリュームのある美声はクラシックでも通用しそうな雰囲気があり、絶えずくすんだ響きでミステリアスな八代さんとは対照的といえた。

 いくつかの追悼記事に目を通すと、八代さんのハスキーヴォイスは極めて特殊な構造の声帯からくる天性のもので、少女時代すでに耳鼻科医が指摘していたという。同じ熊本県出身の演歌歌手でも水前寺清子、石川さゆりの2人はベルカント的にピーンと張った美声だから、八代さんの〝雑音成分〟(失礼!)の多い声は、ひときわ個性的な印象を与えた。しかも和服ではなくドレス姿がデフォルト、女歌ではなく男歌、どんな悲しい歌詞でも明るく元気一杯に表現して人々の耳目を惹きつけ、鼓舞した。「演歌」という狭い枠のステレオタイプには最初から属さず、広い意味での「昭和歌謡曲」、さらには後年のジャズやポップスにまで広がる歌の大海原を自由に泳ぎ、絵画を通じたヴィジュアル面でも表現者であり続けた。改めて、唯一無二のディーヴァだったのだと思い知る。

「八代亜紀さんの歌うスタンダード」
中川ヨウ(ポピュラー会員、洗足学園音楽大学名誉教授、ジャズ研究@慶應義塾アート・センター)

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東京JAZZ 2013 の楽屋で。八代亜紀さんと筆者

 八代亜紀さんの訃報を、悲しみと共に聞きました。享年73。

 八代さんの事務所によると、「2023年9月に膠原病の一種であり、指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎を発症し、療養を続けていた」そうですが、2023年12月30日に旅立たれたといいます。早すぎるその逝去に、日本中が悲しみにくれました。

 “演歌の女王”八代さんと筆者に接点ができたのは、2008年に“椿山音楽祭“に出演、元々好きだったというジャズ・スタンダードを歌った頃からでした。そこから、ジャズ・ミュージシャンである村上”ポンタ“ 秀一と共演、小西廉陽をプロデューサーに迎え、アルバム『夜のアルバム』(2012年ユニバーサル・ミュージック)発表と、彼女のジャズ路線が始まったのでした。

 亜紀さんが、あの可愛らしい喋り方で、次のように話してくれました。

 「あのね、小学5年生のときに、父親がジュリー・ロンドンのレコードを買ってきたのね。ハスキーで、とても素敵な歌声でしょう?私は自分の低い声が嫌いだったのだけれど、ジュリー・ロンドンのような歌手がいるなら、私も歌手になれるかもしれないと夢をもったの。それからは、クラブでジャズ・シンガーになるんだって、夢が膨らんで。

 ジャズ・クラブで歌いたいと東京に出てきたんだけれど、そこはお姉さん達がいる“クラブ”だったのね。

 でも、19歳の私が知っているスタンダードを歌うと、お姉さん達が泣いてくれたのね。あぁ、私、歌っていいんだな。歌っていこうって、そこで思ったの」

 彼女は演歌の道で認められ、スタンダードを歌うには長い間待たなくてはなりませんでしたが、彼女の歌には演歌にしろ、スタンダードにしろ、心を揺さぶる何かがありました。それは、全てのポピュラー・ミュージックのルーツであるブルースにつながる、「哀しみとそれの浄化作用」をもつものでした。

 「私は自分が明るいでしょ。だから反対に、悲しい曲が好きなのよ」

 そう微笑む亜紀さんは、謙虚な方でしたが、自身の歌がもたらすカタルシスは知っていたと思います。

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東京JAZZ 2013でカナダ出身のジャズシンガー、
マット・デニスとデュエットする八代亜紀さん 

 こんなことがありました。2012年葉山マリーナで行われた“真夏の夜のJAZZ in HAYAMA 2012”でのこと。彼女が”Fly Me to the Moon”を歌い上げ、自身のオリジナル“舟唄”をジャズ・ヴァージョンで歌い始めた時のことです。

 時報が鳴ったのです。

 通常なら邪魔になるはずの時報に、にっこりと耳を傾け、亜紀さんは時報の音をとって即興を続けたのでした。

 その“舟唄”は、ジャズと演歌が見事に融合した、彼女にしか歌えない独自性に貫かれていました。

 実は当時、八代さんのジャズがあまりに評判になったので、プロのジャズ・ミュージシャンから「あれはジャズではない」といった批判が出たのです。しかし、ジャズはその歴史の中で周辺の音楽を取り込み、拡張してきた音楽です。その批判は当たらないと、筆者は残念に思いました。

 八代亜紀さんはどんなジャンルの歌を歌っても、自分自身の歌にしてしまう力量をもったシンガーでした。
 歌って下さり、ありがとうございました、亜紀さん。どうぞ安らかにお休みください。

「追悼、八代亜紀」
潮 晴男(一般社団法人ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会長、ウルトラアートレコード代表)

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 オーディオファンの中には結構演歌の好きの人がいる。最近でこそカミングアウトしても揶揄されることはないが、一昔前なら、そんなものを聴いているのかと、見下されることもあった。音楽に貴賤はないのに、それでもクラシックやジャズの方が高尚な音楽のようにとらえられる風潮がオーディオの世界にはあったのである。

 確かに演歌はレコーディングにも多くの時間を割かないことから、オーディオ的にも満足のゆく結果が得られないように考えられがちだが、実際はその逆のケースが多い。演歌歌手は歌が上手でなくては第一線を張ることが出来ないから、収録時間は少なくて済む。加えてコンプレッションやダビングなどの加工も必要としないしリバーブも最小限だ。演出でたっぷりと響きをかける場合もあるが、演歌のアルバムは意外とストレートな音作りの作品が多いのである。

 八代亜紀が12月30日に亡くなったとの訃報は年が明けてから聞いた。直接お会いしたことはないが、12月のTV番組でもあんなに元気だったのに、とても驚いた。もっとも膠原病を患っていたことからの急変だったようだ。

 1979年の「舟歌」、翌80年の「雨の慕情」で演歌の頂点を極めた突出した存在だったが、ぼくが八代亜紀を別な意味で意識するようになったのは、ウルトラアートレコードというレーベルを設立してからである。歌謡曲の有名な歌手も時勢に併せてジャズのアルバムをリリースする時代だが、そんな中で見つけたのが八代亜紀の『夜のアルバム』というLPレコードだった。

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 八代亜紀の詳しくを知らないぼくは、その意外性に続編の『夜のつづき』のLPを手にした。折しもその中のバックミュージシャンとしてギターの田辺充邦がクレジットされているのを見て嬉しくも思った。ウルトラアートレコードはジャズを主体とする作品を手掛けるレーベルだが、その第二作目となる小川理子の『バリューション』に田辺にも参加してもらったからだ。麗しくもあり泣きを感じさせるギターの音色は八代の歌にもぴったりとマッチしている。なるほどこの人はバックミュージシャンに対しても鋭い嗅覚を持っているのだなと、その時に感じた。

 『夜のつづき』は、レコーディングも丁寧で上質感に満ちた作品だが、そこで聴くことの出来る凛としながらも艶やかさあふれる歌声は、演歌とは別なイメージを抱かせる。訃報に接しもう一度アルバムを聴き直してみた。この先もっといろんな音楽に挑戦したかっただろう彼女の無念さが浮かんできて余計に切なくなった。演歌の女王に心から哀悼の意を捧げたい。