AUDIO REVIEW
「ふたつのウィーンフィル・ニューイヤー・コンサート」
「ニューイヤー・コンサート2026」
ヤニック・ネゼ=セガン、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
2CD SICC-2394~5 (CD)SONY CLASSICAL

「ニューイヤー・コンサート ライヴ1987」(SACDリマスター)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、キャスリーン・バトル(ソプラノ)、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
ESSG90314(SACDハイブリッド)ESOTERIC
ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートは、第一回以来長く、クレメンス・クラウスやヨーゼフ・クリップス、ヴィリー・ボスコフスキーといった、オーストリア音楽が血の中にあるご当地指揮者あるいはウィーン出身指揮者がタクトを振る〈音楽のウィーン訛り〉を味わうローカルイベントだった。それが1980年代後半になると国際衛星生放送によってカラヤン、クライバー、イタリアのアバド、インドのメータ、日本の小澤征爾ら世界のカリスマ指揮者が次々に登壇、クラシック音楽のグローバル化を象徴するイベント、あるいは世界のクラシック音楽界新春事始めとなる。その後、誰もが名を知っている巨匠指揮者が音楽界から姿を消したこともあり、現在は各国第一線の実力派指揮者にタクトが委ねられている。
2026年は、カナダ出身で米メトロポリタン歌劇場音楽監督ヤニック・ネゼ=セガンが登壇した。注目すべきは、18曲中5曲が初めて演奏される曲で、ジェンダーフリーのセガンの音楽観を反映して、うち2曲が女性作曲家の作品であることだ。その音楽の響きは、お馴染みのシュトラウス家の楽曲に比較して優しくしなやかな息遣いに富む。ウィーンフィルも変わった。つい最近まで男性社会であったウィーンフィルからこの響きを引き出したセガンの棒と読み込みに敬意を払わねばならないだろう。
二枚組CD、配信、3枚組LPレコード(EU輸入盤)の全フォーマットで発売された。音質は素晴しく、ローエンドまで伸びた広大なFレンジと歪みのない自然な響きによって、試聴室の空気が清々しく澄み渡った新春のムジークフェラインザールのそれに変わる。
ニューイヤーコンサートの転換点となったのが、1987年のヘルベルト・フォン・カラヤンの登壇だった。衛星放送でリアルタイムでご覧になった方は多いと思われる。当時CDからレーザーディスクまで各種の形式で発売されたが、40年後の2025年12月、当日の演奏の完全版がSACDとしてリマスターされ、Master Sound Worksシリーズの新作としてエソテリック(ティアック株式会社)から発売された。ニューイヤー・コンサートで演奏されるのは、シュトラウス家を始めとするワルツやポルカ等親しみやすいウィーン音楽ばかりだが、カラヤンの流麗なタクトさばきにかかると華麗な音のタピストリーに変わる。
もうひとつ、1987年のこの年は、キャスリーン・バトルが「春の声」を歌ったことでも忘れることができない。ニューイヤー・コンサートの長い歴史の中でソリストが登場して歌ったのはそれ以前も以後もこれ一回きり。バトルがカラヤンのお気に入りで、ヨーロッパの音楽界に空前の権力をふるったカラヤンだから通すことができた演出だが、真っ赤なドレスに身を包んだキャスリーン・バトルが、楽友協会大ホールの花々で飾られたステージに現われたときの驚きを今も忘れることができない。
すでにこの時点でバトルはメトロポリタン歌劇場のスター歌手で、日本でもウィスキー会社のテレビCFで注目を集めていたが、ニューイヤー・コンサート出演で一躍全世界にその名を知られるようになる。軽やかな美声と舞台映えする美貌は世界の耳と目を魅了し、世界中の歌劇場とコンサートホールを股にかける活躍が始まったが、次第に人気を鼻にかけた増長と身勝手な振る舞いが目立つようになる。
オペラ共演者とのいざこざ、リハーサルへの欠席、遅刻があいつぎ、ふだんからのわがままと横暴な態度にうんざりしていた歌劇場のスタッフや共演者に味方は誰もいなくなり、メトロポリタン歌劇場の支配人ジョセフ・ウォルビーは、「歌劇場の秩序と結束、尊厳を守るため」決断を下す。1993年暮れ、キャスリーン・バトルを解雇し、彼女がもう二度とメトの舞台に立つことがないことをマスコミに宣言した。メトロポリタン歌劇場はいわば彼女の「故郷」だったのに、である。
キャスリーン・バトル事件のてんまつは、ウォルビーの著書『世界最強のオペラ』(株式会社インプレザリオ刊)に詳しいが、それによると険悪になる端緒となったのが、1988年5月のメトロポリタン歌劇場来日公演での「フィガロの結婚」での出来事だったようである。楽屋の使用順位をめぐって伯爵夫人役のソプラノ、キャロル・ヴァネスと衝突したのである。筆者はこの公演を東京文化会館で聴衆の一人として聴いて(観て)いるが、キャスト同士の関係が舞台裏で紛糾していることをみじんも気付かせない素晴しいものだった。その点、いがみあっていた当事者のキャロル・ヴァネスとキャスリーン・バトル(スザンナ)まで含めた歌劇場のステージパフォーマーとしてのプロフェッショナリズムは褒めなければならない。
バトル回顧の発表は世界中に衝撃を呼び、メトロポリタン歌劇場だけでなく、世界中のオペラハウスがキャスリーン・バトルの起用を差し控えるようになる。人気の頂点にあったディーヴァが一瞬にして失墜したのである。この時、キャスリーン・バトルは46歳の「歌い盛り」だった。
21世紀になり、キャスリーン・バトルは2024年、30年ぶりに和解の末メトの舞台に立つが、声楽家として円熟のときである50代、60代を棒に振ったことは否定でない。美しく軽やかな歌声、ミュージカルの経験を活かした演技力、芸術性と大衆的人気の両方を兼ね備えた「本物のディーヴァ」だっただけに音楽以外のつまらない失敗で失墜したことが残念でならない。
1987年カラヤンのウィーンフィルのニューイヤーコンサートを40年後の今、SACDの高音質で聴くと、赤いドレスで颯爽と現われたキャスリーン・バトルのあで姿が目に浮かぶのである。
(大橋伸太郎)
