CONCERT Review
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
第381回定期演奏会
ヴェルディ:歌劇「ドン・カルロ」(演奏会形式・字幕付)
指揮:高関 健
フィリッポ2世:妻屋 秀和
ドン・カルロ:小原 啓楼
ロドリーゴ:上江 隼人
宗教裁判長:大塚 博章
エリザベッタ:木下 美穂子
エボリ公女:加藤 のぞみ
修道士:清水 宏樹
テバルド:牧野 元美
レルマ伯爵:新海 康仁
合唱:東京シティ・フィル・コーア
合唱指揮:藤丸 崇浩
副指揮:松川 智哉
コンサートマスター:荒井 英治
2025年9月6日 東京オペラシティ コンサートホール
高関健と東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団による演奏会形式のオペラの上演は、2023年11月のプッチーニ「トスカ」以来である。今回の「ドン・カルロ」は1884年イタリア語版の全4幕が演奏されたが、第2幕第2場は割愛された。
第1幕の冒頭、東京シティ・フィル・コーアの男声による修道士たちの合唱と神の偉大さと天の救済を独白する1人の修道士(清水宏樹)の声が交互に重なり合い、神秘的だがどこか不気味な雰囲気を醸し出し、この物語の結末を暗示しているかのようであった。カルロが登場して政略によりエリザベッタが父王の妻になることを嘆く「私は彼女を失ってしまった」を歌う。カルロ役の小原啓楼は、この役を単なる二枚目役としてだけでなく、その苦悩や弱さといった内面も掘り下げて表現していたのは好印象だった。そこに友人のロドリーゴが来て歌う二重唱「共に生き、共に死ぬ」は、小原のメリハリのあるテノールとロドリーゴ役の上江隼人の豊かなバリトンの響きのやり取りが力強く輝かしい旋律を聴かせてくれた。次いでエボリ公女が「美しいサラセンの宮殿の庭で=ヴェールの歌」を歌う。エボリ公女役の加藤のぞみは、この装飾的なアリアを高い技術力と表現力、華麗で豊かな声で聴衆を惹きつけていた。東京シティ・フィル・コーアの女声合唱も躍動感のある合唱で華を添えていた。カルロとエリザベッタが二人だけで会うことになり歌う二重唱「お願いがあって参りました」は、許されぬ恋心をいだくカルロとその愛を感じつつも立場ゆえに拒むエリザベッタとの激しい感情の交錯を小原とエリザベッタ役の木下美穂子が見事に描いていた。王妃を1人にしたことで王の怒りにふれ、母国フランスに帰ることになった女官に対し、エリザベッタが歌う「お泣きにならないで、友よ」は、彼女を慰めつつも、自身の中に秘められた望郷の念、孤独感を吐露する内容だが、木下は丁寧にしっとりと歌い上げていたのが印象的だった。1幕の最後は、フィリッポ王がロドリーゴに信頼を寄せる過程を描く二重唱「フランドルから参りました」だ。フィリッポ2世役の妻屋秀和と上江がそれぞれ王の苦悩とロドリーゴの気高さの対比をよく表現していたし、低声二人の重厚なアンサンブルは聴きごたえがあった。
第2幕の始まりは、行き違いからカルロがエリザベッタと勘違いしてエボリを口説いてしまう二重唱「君こそ美しく愛しい人」だ。前半のカルロの情熱とエボリの恍惚、後半のカルロの動揺とエボリの怒りの感情がうまく表現されないと面白味に欠けてしまうが、加藤のこの2つの感情の対比が特に秀逸であった。そこにロドリーゴが加わり、緊迫感あふれる三重唱「自分を恐れよ、えせ息子」になるが、ここでもエボリの激しさを描写した加藤の存在感が目立っていた。第2場の異端者たちの火刑の場は今回は割愛された。高関のプレトークによると、経済的な理由が大きいという。オーケストラとは別にバンダが20人以上、フランドルからの使者の合唱等、この場面のためだけに大人数が必要であり、やむなく断念したとのことだ。またこの第2場はオペラの本筋との関係が薄く、カットしてもそれほど問題はないとの判断からだという。上記の理由からカットはやむを得ないのだろうが、フランドルをめぐり決定的に対立する父と子、旧教と新教の対立、カルロの拘束、魂の救済を歌う「天からの声」等、聴きどころも満載なだけに、残念であった。
第3幕の幕開け。フィリッポ王の「彼女は私を愛したことがない」から始まるソロは、為政者の孤独と妻に愛されていない無情を嘆く独白だが、妻屋は、幅広い音域を長いブレスと丁寧なフレージングで、前半は抑制気味に後半は情念を爆発させるように歌い上げていた。続く、王と宗教裁判長(大塚博章)の二重唱「わしは王の前にいるのか」は、聖俗の権力の対立し、王権が敗北する内容だけに劇的な歌唱を期待したが、フィリッポ王の迫力に対し、宗教裁判長にはもう少し威厳さが欲しいところ。エボリが嫉妬心からエリザベッタの宝石箱を盗み、さらに王と不倫関係にあることを告白し、エリザベッタから宮廷を去るように命じられた際に歌われる「むごい運命よ」で、加藤は後悔からカルロを救うという希望へと変わる激しい感情をドラマティックに歌い上げた。特に後半の連続する高音域の歌唱は圧巻。ロドリーゴが投獄中のカルロを訪ね、友情とフランドルへの思いを語る「わたしの最後の日」では上江は悲痛だがさわやかに、そして後半部分「私は死にます」では抑制が効いた中にも気高さと情熱を秘めた素晴らし熱唱を披露した。
第4幕はエリザベッタの長大なアリア「世のむなしさを知る神」から始まる。木下はカルロの行く末を見守ること、望郷の念、愛の虚しさ等の複雑な胸中をエボリのような激しさとは対照的に、心におさめるように穏やかに歌い込んでいた。そこにカルロが現れ、現世での愛を諦め天上で再会することを誓い、永遠の別れを告げる二重唱「彼女だ」では、小原と木下による「天上の音楽」が響いていた。
高関はドン・カルロの指揮は初めてだと語っていたが、歌手とオーケストラのバランスに細心の注意を払いながら、歌手の呼吸と間合いを巧みにはかりオーケストラを緩急自在に動かしていた。東京シティ・フィルのメンバーもそれによく答えていた。また高関はこのオペラをややスマートに開始したが、幕を追うごとに重厚さを増してゆき、素晴らしい歌手陣とともに壮麗なドン・カルロを聴かせてくれた。歌手陣では、妻屋と上江、加藤の低声勢がソロ、重唱ともに核をなしていたのは明らかだが、高声勢の小原、木下も渾身の歌唱で立ち向かい、全体のバランスがうまく取れていた。今年、楽団創立50周年を迎えた東京シティ・フィルにふさわしい演目であったと言えるだろう。(玉川友則)
写真:ⓒYukiko Koshima
