ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
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Classic Review

- 最新号 -

CONCERT Review - オーケストラ

ピエタリ・インキネン 日本フィル ワーグナー
「言葉のない《指環》」

2018年4月28日 サントリーホール

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 ロリン・マゼール編曲によるワーグナー「言葉のない《指環》」 がメインプログラム。 ベルリン・フィルの依頼により、1987年にこの管弦楽曲を編むにあたり、マゼールは、ワーグナーの意図をできうる限り尊重した。具体的には以下のポリシーを貫いている。

・全体は自然に切れ目なく続くこと。物語のまま《ラインの黄金》の最初の音に始まり、《神々のたそがれ》の最後の音で終わること。
・曲のつなぎは自然になるように。
・オリジナルでオーケストラのみで書かれた音楽はそのほとんどを使う。歌がある部分をやむを得ず使うときは、歌の旋律が楽器で重ねて演奏されているか、楽器で置き換えられる部分とする。
・すべての音符は、ワーグナー自身が書いたものだけに限る。

 こうした厳格なポリシーを自分に科しながらワーグナーの《指輪》を、ストーリーに沿って管弦楽で描くのは難しい仕事だったと思う。その結果一部物語のつなぎに無理があるところもある。例えば《ラインの黄金》で、雷神ドンナーが槌を振り下ろした直後に《ワルキューレ》のジークムントがジークリンデに水を求める場面になり、そのあとに《ワルキューレ》前奏曲の一部が奏されるという部分がそれにあたる。しかし、これ以降はほぼ物語の順序通りに、しかも音楽的に違和感なく進んで行った。
 奇しくもインキネンと日本フィルの演奏も、このあたりから、すなわち辻本玲の素晴らしいソロによる《ワルキューレ》から「ジークムントの愛の眼差」が出てから、アンサンブルが飛躍的に良くなっていった。それまでは《ラインの黄金》の冒頭のホルンの出だしから8本のホルンのハーモニーがかなり厳しく、正直このまま大丈夫かと気をもんでいたところだった。
 《神々の黄昏》はこの日のインキネンと日本フィルの演奏の頂点となった。「ジークフリートとジークリンデの情熱を包む朝焼け」「ジークフリートのラインの旅」「家臣を招集するハーゲン」としり上がりに演奏の密度が濃くなり、「ジークフリートの葬送行進曲」と、「ブリュンヒルデの自己犠牲」は、金管、木管、弦の各セクションの演奏も充実しており、最も素晴らしい演奏となっていた。
 前半の歌劇《タンホイザー》序曲と、歌劇《ローエングリン》より第1幕、第3幕への前奏曲は、可もなく不可もなくといった出来。(長谷川京介)

CONCERT Review -

美しい五月に バリトンとピアノの調べ
田代和久&田代優奈 ジョイント・リサイタル

2018年5月3日 汐留べ日シュタインサロン・SSザール

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 田代和久はドイツ・日本歌曲を中心に幅広くコンサート活動を行っており、第10回日本声楽コンクールで第一位。従来の日本の声楽家によく見られた、虐げられた訓練の形跡のない暖かくのびやかな歌い方に好感が持てた。柔らかく豊かな美声と、情緒の明暗を自在にのびのびと表現してゆく。
 プログラムの前半は、シューマンの歌曲集『詩人の恋』。田代和久は、東京オペラ・プロデュースを中心に多数のオペラに主要な役で出演しているとの事だが、オペラを歌いこんだ歌手がよく見せる、若干芝居風な仕草は全くない。全16曲、すべての1曲1曲が美しい表現であった。特に第1曲の「すばらしく美しい五月に」と第16曲の「昔のいやな歌」が印象に残り、強い声よりも中音域を弱声から中強位までうたうとき、感動のこもった美しい表情が表われる。そのことも、この歌手の特徴の一つではないだろうか。
 プログラムの後半は、林望の作詩、そして二宮玲子が作曲した組歌曲『旅のソネット』である。この作品は、日本の美しい風景を重ねて、様々な叙情が映し出され、2017年11月に初演された。林望の旅の記録であり、彼は日本の自然に身をゆだねる詩人である。謙虚な目と柔軟な頭、観察の努力、そして感性があれば日本の自然は答えてくれるのである。ここでは一曲一曲の紹介は字数の関係でできない。第5曲の花火がよく、花火が終わった後の切ない気分が漂う。ここでの田代和久は、前半のシューマンで感じたことだが、神経質にならず、のびやかに歌わせるときの自然な美しさが、この曲を魅力あるものにしていた。この作品は、今後、多くの歌手によって歌われてゆくのではないだろうか。ピアノ伴奏は堀越夕子。 (藤村貴彦)  

CONCERT Review -

住友郁治 ピアノリサイタル

2018年5月6日 東京文化会館小ホール

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 住友郁治は、1992年第5回国際リストコンクール入選(イタリア)、第11回朝日新聞社主催新人コンクールで大賞受章。初めて聴くピアニストである。プログラムは、リスト/巡礼の年 第2年「イタリア」であったが、住友はリストを重要なレパートリーにし、今後もこの方向でいくのではないだろうか。
 基礎のしっかりできた安定した弾き方、人を驚かせるような現代好みの麗々しい技術などは寄せつけない風格が住友の音楽の中に感じられた。コンサートでリストの作品のみを演奏することは非常に大変な事だと思われるが、表現は実に細やかなところまで念入りに表情が与えられ、全七曲を最後まで集中して聴くことができた。
 プログラムの中で特に印象に残ったのは、第2曲の「物思いに沈む人」である。住友はプログラムノートの中で記しているが、確かに第1曲の「婚礼」が喜びの光であるならば第2曲目は闇、悩み、迷いである。静かな叙情的な旋律を、住友は哀感を込めてほの暗く歌い、第1曲との対比を巧みに表現していた。
 第7曲の「ダンテを読んでーソナタ風幻想曲」は、前の6曲とは比べることが出来ないようなスケールの大きな曲である。住友のリストは、前の6曲でも感じられたが、超絶的なバリバリの技術を誇示するような単調な弾き方ではない。リストはこの曲をソナタ風幻想曲と記しているように、まさにソナタのように、住友は起伏明暗の変化をしっかりと引き締めてつかみ出した表現をしたことは云うまでもない。次回のコンサートも楽しみである。 (藤村貴彦)

CONCERT Review - オペラ

ベートーヴェン:歌劇『フィデリオ』(演奏会形式)
チョン・ミョンフン東京フィル他

2018年5月8日 サントリーホール

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指揮:チョン・ミョンフン
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:近藤 薫
フロレスタン (テノール):ペーター・ザイフェルト
レオノーレ (ソプラノ):マヌエラ・ウール
ドン・フェルナンド(バリトン):小森輝彦
ドン・ピツァロ (バス):ルカ・ピサローニ
ロッコ(バス):フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ
マルツェリーネ(ソプラノ):シルヴィア・シュヴァルツ
ヤッキーノ(テノール):大槻孝志
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:田中祐子
お話:篠井英介
字幕:小宮正安

 プログラム冒頭にチョン・ミョンフンの歌劇『フィデリオ』についての見解が「ベートーヴェン『フィデリオ』によせて」として掲載。要点は以下の5つ。
1.『フィデリオ』は演奏会形式で上演した方がよい。
2.『第九』と似たメッセージがある。
3.『フィデリオ』の深遠な音楽の魂はすべて『レオノーレ』序曲第3番に集約されている。通常の『フィデリオ』序曲はとりあげない。
4. 『レオノーレ』序曲から軽いドラマ、そして本当のドラマに入っていき、第2幕フロレスタンのアリアで『レオノーレ』序曲に込められていたものがわかる。
5.ベートーヴェンを語ることは人間の真実を語ること。演奏からスピリットを感じてほしい。

 このチョン・ミョンフンの意図は、演奏に充分反映された。『レオノーレ』序曲第3番は、崇高さとともに、祈り・敬虔の心情が込められており、その深い表現は通常の演奏会や、歌劇『フィデリオ』の第2幕で演奏される輝かしさが強調されたものとは、ひと味違う。コーダの高揚は、抑圧に対する闘いと勝利という意味がはっきり伝わってきた。
 第2幕フィナーレの合唱が加わっての歓喜の爆発は、『苦悩から歓喜へ』のベートーヴェンのメッセージが強く込められており、『第九』のフィナーレをまざまざと想起させると同時に、『レオノーレ』序曲第3番で提示された重い課題が、フィナーレの歓喜で解決されるという充足感を与えてくれた。
 今日の『フィデリオ』の主役は、歌手陣ももちろんだが、どちらかと言えば、チョン・ミョンフン指揮の東京フィルがその座にふさわしいと言える。それほどオーケストラが雄弁で、音楽の主導権を担っていた。東京フィルの集中と熟達は、2015年7月のプッチーニ歌劇『蝶々夫人』(演奏会形式)での破格の名演を思い出させた。
 歌手陣は主役のフロレスタン役ペーター・ザイフェルトと、レオノーレ役マヌエラ・ウールが好調で、公演の成功に大きく貢献した。ザイフェルトの登場の一声“Gott”(神よ)に込められた気合は凄まじく、音程の僅かな瑕は霧消、ホールは震撼した。
 ウールの第1幕の長大なレチタティーヴォとアリア『人でなし!どこへ行く気?』もまた凛としたレオノーレにふさわしい歌唱。ここで特筆したいのは、東京フィルのホルンの三重奏。完璧と言いたいハーモニーで、ウールのバックを見事に務めた。
 ピツァロ役ルカ・ピサローニは声があまり出ておらず、悪役としては少し存在感が薄い。ロッコ役フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒが味わいのある歌唱。彼とウールそしてマルツェリーネ役シルヴィア・シュヴァルツとヤッキーノ役大槻孝志が加わった第1幕の四重唱『ああ、とってもうれしいわ』は、非常に美しかった。
 チョン・ミョンフンと東京フィルと並び、合唱の東京オペラシンガーズが、素晴らしかったことが印象的。指揮の田中祐子の力もあるのだろうか、時として新国立劇場合唱団に一歩譲ることがあった東京オペラシンガーズが、今回は見違えるような緊密なハーモニーを聞かせた。
 素晴らしい公演だったが、ひとつ残念だったのは、開演に先立ち語りの篠井英介が歌劇『フィデリオ』をわかりやすく紹介し始めたところで、最前列の男性客が舞台を叩きながら、『とっとと演奏しろよ!』と暴言を吐いたこと。『すぐ終わりますので』と返した篠井の応対は立派だった。
 言葉による暴力は決して許されるものではない。彼の暴言は篠井英介や、袖で控えるマエストロ、チョン・ミョンフンと東京フィルに対する侮辱であり、会場の聴衆に対する暴言でもある。この「事件」に対する対処については、今後論議されると思うが、個人的には係員が退場を促してもよかったと思う。(長谷川京介)

CONCERT Review - オーケストラ

沼尻竜典 神奈川フィル マーラー「交響曲第9番」

2018年5月19日 横浜みなとみらい 大ホール

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 第4楽章が素晴らしかった。張りのあるヴァイオリン群の強靭な響き。厚みと重みのあるチェロとコントラバスが充実した響きを創り出す。コーダの「死に絶えるような」最弱音に至る経過でも弦楽器セクションは集中を切らさず、最後まで緊張感が維持された。
 第1楽章から第2楽章は、14型の規模のためか、沼尻竜典の指揮のためなのか、粘りがないあっさりとした響きで、厚みも少ない。室内楽的なマーラーを目指しているのかと思ったが、金管はしっかり鳴らすので、その方向性でもない。第3楽章ロンド・ブルレスケでの盛り上げ方と第4楽章の充実とは対照的であり、沼尻がプレトークで語った「第1楽章と第4楽章が長く左右対称の構造になっている」という解説とは違う印象を受けた。
 コンサートマスターは石田泰尚。神奈川フィルは楽員が入場すると拍手が起こる。「自分たちの街のオーケストラ」という聴衆の気持ちがこもっていて、温かい雰囲気が醸し出される。石田が登場するときの拍手の大きさに、彼の人気を実感した。(長谷川京介)

CONCERT Review -

川口静華&橘高昌男デュオリサイタル
モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ
 ト長調 K.379
プーランク:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
フランク:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ イ長調

2018年5月19日 JTアートホール・アフィニス

 リサイタルに足を運ぶと、たいていまず会場の音響に耳が慣れるまでに時間がかかる。冒頭がモーツァルトだったためか、よく響くホールとの間に違和感を覚えた。近年のオリジナル楽器の普及から、木の香りのする素朴な、音の力感も控えめな音に慣れている聴衆は戸惑ったかもしれない。とはいえ、演奏はきわめて繊細で丁寧、細部のすみずみにまで気を配る川口の人柄を物語るようだった。開幕曲を演奏する緊張感が伝わり、心地よかった。アンダンティーノ楽章のピチカートの可愛らしさに心を惹かれた。プーランクになるともちろん音の違和感はなくなり、ヴァイオリンの音色も落ち着いてきた。ここでも、いわば正確な演奏に徹しようとしていたのか、むしろもっと表情がほしいと思ったが、曲が進むにつれ、楽譜に無駄な解釈を入れず、ひたすら楽譜に忠実に演奏する姿勢が次第に説得力を増してきた。意図的な表現や個性をむしろ排除しているように感じられたが、これには非常に好感を持てた。後半のフランクでも同じ印象を持った。全曲を聴き終わった時の、不思議な説得力を感じさせられると、川口の表現力の基本はあくまで楽譜そのものにあるのだろうと思わせられた。
 デュオと銘打たれたリサイタルだったが、デュオとしての面白みはあまり感じなかった。橘高のピアノそのものは豊かな表情を持ち、ヴァイオリンにうまく寄り添おうとしていた。しかし、二人がぶつかり合うわけでもなく、完全に調和するわけでもなく、ちょっと中途半端だったかもしれない。この点は残念だった。アンコールでフォーレの子守唄が演奏された。これには驚いた、ヴァイオリンの音色がそれまでにない柔らかいものになっていて、本当に優しい子守唄だった。プログラムのプーランクやフランクでもこの響きをどこかで聴かせてくれればよかったのに、と勝手なことを考えた。(石多正男)