ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
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Classic Review

- 最新号 -

CONCERT Review

岩下智子フルートリサイタル
~ヘンデル フルート・ソナタの夕べ~
ソナタ ホ短調、ト長調、ロ短調、
ハレンザー・ソナタ ホ短調、イ短調
バロック・チェロ:懸田貴嗣、チェンバロ:廣澤麻美

10月9日 東京オペラシティ 近江楽堂

 透明感のある、艶やかな音だった。これはモダン・フルートならではだろう。ヘンデルのソナタだけで一夜のプログラムを構成するのは勇気がいるかもしれない。バロック時代のこのようなソナタはもともと公衆の前で演奏するために作曲されてはいない。しかし、小さな音楽堂で、時々トークを交え、聴衆との一体感をはかると、聴衆の満足度は高まる。演奏家と聴衆の心の繋がりが持て、本来の貴族などの館で内輪の中で演奏されていたスタイルに近づく。現代のリサイタルではこれが重要なのではなかろうか。
 演奏は品の良さを感じさせた。演奏そのものもそうだが、息を吹き込む音やブレスの音がほとんど気にならなかった。タンギングが控えめだったことも演奏全体に綺麗な流れを作る要因だっただろう。そして即興的な装飾音がステキだった。楽譜にない音をどう付け加えるか、その面白さを岩下が語っていたが、その通りの演奏だった。技巧を前面にひけらかし、グイグイ聴衆に迫ってくるのではなく、自然な流れの中での即興だった。非常に好感が持てた。共演した懸田と廣澤の息がぴったり合っていたのも快かった。ただ、モダン・フルートとの音の相性という点では、やはり少し違和感をぬぐえなかった。(石多正男)

CONCERT Review - オーケストラ

ヘルベルト・ブロムシュテット N響 ブルックナー
「交響曲第9番」(コールス校訂版)

10月14日、NHKホール

アーティスト写真

 高潔なブルックナー。精神的に清らかで品格がある。雑味は全て濾過され、核となるもので構成される。下世話に言えば脂身をすべて取り去ったブルックナーだ。全身を震撼させ足元から響いてくるようなブルックナーとは異なる。演奏時間57分。フレーズは粘らずあっさりとした歌い口。N響は16型対向配置。ライナー・キュッヒルをコンサートマスターに迎え、集中力のある演奏を展開した。
 第1楽章は威圧感がなく、しなやかで筋肉質な響き。展開部のクライマックス(練習番号N、ノヴァーク版による。以下同様)もコントロールされ崩れない。厳格なベジタリアンであるブロムシュテットらしい淡泊な演奏という印象を受けた。
 ところが、第2楽章スケルツォでそのイメージは吹き飛ばされた。何と若々しいのだろう。強靭な瞬発力とリズム、勢いがある。N響の弦の強くしなやかな響き、切れの良さは爽快だった。
 第3楽章は透明感があり、そこに悲痛な感情が入り込む余地はない。展開部Lの後光が差すようなフレーズも感情に訴えない。再現部(M)が始まり最後の頂上への歩みが始まる。この作品の最高のクライマックスであり、魂が震えるような衝撃を期待するが、ブロムシュテットはバランスを保ち、最頂点のRに到達した。コーダは実に淡々としている。清透を極めた最後はインテンポ、スコア通りのデュナーミク。ホルンの合奏が確実に決まる。
 N響は知る限り最上の演奏だったが、もしゲヴァントハウス管、あるいはウィーン・フィルであれば、さらなる色彩感と陰影をもたらしたかもしれない。
 前半はモーツァルト「交響曲第38番《プラハ》」が演奏された。繰り返しを全て行い、演奏時間は38分。どこか哀しみが感じられた。それは短調への転調を繰り返すこの作品が持つ性格かもしれないが、ブロムシュテット自身がこの世に別れを告げているようでもあり、重い気持ちになった。もちろん元気な足取りのマエストロを見れば杞憂に過ぎないのだが。
(長谷川京介)

写真:ヘルベルト・ブロムシュテット(c)Martin U.K. Lengemann

CONCERT Review - 器楽(ピアノ)

マウリツィオ・ポリーニ ピアノ・リサイタル

10月18日、サントリーホール

アーティスト写真

 ニ度目の曲目変更がホール前に貼りだされていた。ベートーヴェンとシェーンベルクがショパンの2つのノクターンとピアノ・ソナタ第3番に変更になったばかり。それが当日また変わった。
 前半はオール・ショパン。しかし、これがまったく心に響かない。もとからポリーニは情感を出すピアニストではないが、一体彼は何のために、誰のために弾いているのか問いたくなる。失礼ながら、枯れ木がピアノを弾いているようだと思った。特にマズルカ3曲が色あせた音楽だった。
 ただ右手の高音は時折異常なまでに美しい響きを奏でる。「ノクターン 変ニ長調op.27-2」がそれだ。「子守歌 変ニ長調」は恐ろしいまでの美音による右手のトリルとアルペッジョで最も良かったが、果たしてそれが音楽と言えるかどうか疑問だった。
 25分という長い休憩の後、ドビュッシー「前奏曲集」第1巻が始まった。それはポリーニの面目躍如、最もポリーニらしい演奏となった。ポリーニにとって、音楽とはいかに完璧な響きを創るのか、磨き上げるのかが重要であり、いわば「究極の職人技」の追求が興味の全てではないか。
 「雪の上の足あと」は冷え切った温度を感じさせる。「亜麻色の髪の乙女」は、これまで聴いたことのない荘厳な響きを創り出した。上行する旋律は天へ向かって昇っていくような印象を与える。圧巻は「沈める寺」で、この夜最も激しい強音、ダイナミックな和音がホールに響き渡り、壮大な幻想の寺院が聳え立った。
 前半のショパンとは打って変った聴衆の爆発的な拍手もむべなるかな。アンコールはさらに驚くべき精妙さでドビュッシー「前奏曲集第2巻より《花火》」が披露された。技術的にこれ以上不可能ではと思わせる急速アルペッジョ。スタンディングオベーションが起こり、ポリーニは何度もステージまで往復した。帰り道自分は果たして「音楽」を聴いたのだろうかと自問していた。もう一度ポリーニを聴きたいと思うかと尋ねられたら、答えは「いいえ」だろう。(長谷川京介)

写真:マウリツィオ・ポリーニ(c)Cosimo Filippini

CONCERT Review

東京シティ・フィル第319回定期演奏会
ハイドン:交響曲第102番
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番
プッチーニ:交響的前奏曲
レスピーギ:交響詩「ローマの松」
指揮:トンチェ・ツァン ヴァイオリン:三浦文彰

10月19日 東京オペラシティ・コンサートホール

 指揮者のツァンは2015年ニコライ・マルコ国際指揮者コンクール優勝、東京シティ・フィル待望の登場だった。まず、プログラムが多彩で、彼の得意な国や時代はどっち?と考えてしまった。オーストリア古典派とイタリア近代。でも、まずハイドンでしっかりとした古典の演奏を聴かせてくれた。第4楽章のユーモアを感じさせるセンスも聴衆によく伝わった。モーツァルトは三浦のヴァイオリンの美しい世界に魅了された。とにかく音が美しい。やわらかで瑞々しく、伸びやか、深みもある。カデンツァなどでの重音だけでも聴衆の心を掴んでしまう。モーツァルトのせいか、それほど気負った感じのない演奏だったが、オケの中から浮き上がるような存在感はすでに巨匠のものではなかろうか。後半のプッチーニは初期の珍しい曲とはいえ、後年のオペラ大家を想起させるきれいなメロディーが聴衆の心を打った。そして、何と言っても当夜の圧巻はレスピーギだった。これほど、生演奏の素晴らしさを味わったコンサートはそれほど多くない。大オーケストラによる長いクレッシェンドの醍醐味は家のスピーカーや、ましてイヤホンでは絶対に味わえない。しかも弦の静かな伴奏の中で遠くに、また近くに浮かび上がるトランペットやクラリネットのソロ、そしてそこで生み出される緊張感に我を忘れる快感は文章ではなんとも伝え難い。このような表現を可能にするために、例えばハープとチェレスタを舞台の左右に配置するなど、繊細な心配りがあったことを忘れてはならない。いろんな配慮が、大ホールで大音響を大聴衆の心と一つにしてくれていた。なんという幸せを味わったことか。(石多正男)

CONCERT Review

小林響率いるA.レブランク弦楽四重奏団
Anniversary 30 演奏会
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」
モラヴェッツ:弦楽四重奏曲第5番「W.A.モーツァルトへの礼賛」
フランク:ピアノ五重奏曲へ短調
ピアノ:植田克己

10月20日 東京文化会館小ホール

 18世紀半ばから徐々に育った弦楽四重奏曲はベートーヴェンの時代にはすでに独自のジャンルとして高く評価されていた。オーケストラやピアノでは表現できない独自の世界が認められていたのだ。交響曲やオペラが大ホールで大聴衆に向かって大きな表現で演奏されたのに対し、貴族の館など小さなサークルの中でレベルの高い聴衆に向けて内輪で演奏されたものだった。だから、演奏者4人が自分たちだけの閉じられた社会で、高尚な知的な会話を楽しむという曲想が似合う。レブランク弦楽四重奏団はそんな精神を保持していると言える。ベートーヴェンにしろモラヴェッツにしろ、4人の世界には我々聴衆は近寄りがたい印象を受けた。それは小林がリーダーであるとはいえ、4人がおそらくほぼ対等な立場で意見を出し合い、和やかな雰囲気の中で演奏を作り上げているからだろう。不自然に聴衆を意識していないところがいい。
 後半、そこに外から植田が加わった。すると非常に面白い化学反応が起きた。彼らの世界が外に大きく広がったのである。4人とピアノの競演も面白いが、時にはチェロだけが4人から抜け出てピアノと会話する。次に第2ヴァイオリンが。植田のアンサンブルのセンスは抜群で、音楽を引っ張るだけでなく、アンサンブルを楽しんでいる様子が聴衆にも伝わってきた。聴衆に気持ちが向かったと言って許されるだろう。非常に快いひと時を体験できた。
(石多正男)