ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
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Classic Review

- 最新号 -

CONCERT Review -

ハイドン・フィルハーモニー演奏会
ハイドン:交響曲第92番「オクスフォード」
同:チェロ協奏曲第1番
同:交響曲第94番「驚愕」
指揮&チェロ独奏:ニコラ・アルトシュテット

6月30日 サントリーホール

 ハイドン・フィルハーモニーはハイドンゆかりの地オーストリアのアイゼンシュタットを本拠地に活動している。1987年にウィーン・フィルとハンガリー国立フィルのメンバーによって設立されたオーケストラである。
 この日は、まずオケの雰囲気がよかった。18世紀末のイギリスやヨーロッパの聴衆はこのような演奏を、このような気持ちで楽しんだのだろうと感じた。ハイドンは聴衆を楽しませる方法を知り尽くしていた。オーケストラで表現可能なあらゆることを工夫していた。響きの移ろい、強弱の変化、楽器の使い方、ソナタ形式など曲の構成に工夫を凝らすなどなど。ハイドンの本来の姿を聴かせてもらえた。ハイドン・フィルが当時の演奏習慣に倣っているのは、まずオケの編成。弦は第1ヴァイオリンが6人、第2が5人、ビオラ4人、チェロ3人、バス2人。「オクスフォード」の冒頭の弦による弱音(ピアノ)ですでにその良さを感じさせてくれた。室内楽を聴くようで、聴衆との距離が近いと感じさせるオケに親近感を抱いた。そして、チェロとコントラバス、そしてティンパニ以外は全員立って演奏していた。これは当時の演奏に倣っているわけではない。しかし、団員それぞれがソリストという意識は当時の方が強かったはずなので、その精神によっていると言えるだろう。また、ビブラートを付けない18世紀的な演奏スタイルが音の透明感を生みだしストレートな表現を可能にしていた。フルート(見事!)やオーボエはモダン楽器だったので、オリジナル楽器に拘っているわけではないようだが、それらから生み出される音楽は溌剌としていた。明快なクレッシェンド、ティンパニやトランペットの打撃音は刺激的だった。
 アルトシュテットは指揮台上を動き回り、飛び跳ね、時折、演台を踏み鳴らし足音さえ大きく響かせていた。元気はつらつ、自由奔放に駆け回る演奏に聴衆はみな心躍らせたに違いない。チェロ協奏曲では、1760年頃のジュリオ・チェーザレ・ジーリによる楽器の特性をいかんなく発揮し、大きく響かせるよりも、速いテンポで縦横無尽に走り回る爽快感を生み出していた。第1楽章のカデンツァは冒頭現代音楽かと思わせるほど面白かった。
 ハイドンが演奏される機会は近年かなり少なくなったようだ。しかし、このような演奏を聴かせてくれると聴衆は演奏者と一体感を感じる。まさに生演奏の素晴らしさだった。
(石多正男)

CONCERT Review - オーケストラ

シモーネ・ヤング 新日本フィル ブルックナー
「交響曲第4番《ロマンティック》
(1874年初稿・ノヴァーク版)」

7月13日、すみだトリフォニーホール

アーティスト写真
シモーネ・ヤング
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木嶋真優

 最近の新日本フィルの中でも傑出した演奏だった。シモーネ・ヤングと新日本フィルは初共演だが、ヤングの力強い中にも女性らしい柔軟な指揮と、新日本フィルの特長である優美さ繊細さがうまくかみ合っている。
 ヤングの指揮は、音があるべきところに収まっており、どれほど強奏してもバランスが崩れ、演奏が崩壊するということがない。パワフルだが、無理押しするところは皆無。きちんとした音楽の構成と流れができており、その帰結として最強音が作られる。どこまでも音楽が自然であり、聴いていて疲れることがない。
 ブルックナー「交響曲第4番《ロマンティック》」は1874年初稿・ノヴァーク版が演奏された。この版を実演では初めて聴くが、普段耳にする第2稿(1878/80年・ノヴァーク版)とは、別の作品に聞こえるくらい違いが大きい。最も顕著な差異は第3楽章で、これは音楽自体が別物と言っていいほどだ。「狩りのスケルツォ」とは全く異なる暗い旋律が何度もホルンで独奏される。それはワーグナーの楽劇の動機のようでもあり、儀式の開始か独裁的な領主の登場を告げるようでもある。
 その主題が何度吹奏されたことだろう。見事なソロを吹いたのは、濱字宗(はまじかなめ)。群馬交響楽団の首席ホルン奏者。ヤングが真っ先に絶賛して立たせていた。そのほか、第1楽章は展開部、コーダが全く違う。第2楽章は第2主題の後半や、展開発展していく過程が異なる。第4楽章は強烈な6連符の行進曲の第3主題が登場せず、暗めの短い金管の吹奏の主題になっている。各主題の展開も、そしてコーダに向かう過程も、別の曲に感じられる。
 全体の印象として、ソナタ形式で整然とまとめられた第2稿にくらべ、素朴で荒々しく、野性的、戦闘的で男っぽいブルックナーが前面に出ている。異様だが、同時にブルックナーの本音が赤裸々に出ているようで、抗しがたい魅力にあふれている。
 これだけ充実したブルックナーになったのは、ヤングと新日本フィルの名演があったればこそ。両者には信頼関係がしっかりとできており、演奏後ヤングはコンサートマスター崔(チェ)文洙を抱擁して讃えていた。新日本フィルの楽員のヤングへの拍手からも心から称賛していることがうかがえる。
 前半は2016年第1回アイザック・スターン国際ヴァイオリン・コンクール優勝の木嶋真優によるブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」。第2楽章が素晴らしかった。フレーズを長くとり、優美で甘美なこの楽章を情緒たっぷりに歌い上げた。ヤングの指揮もスケールが大きく堂々としており、ダイナミックかつ優美さを失わない素晴らしいものだった。ヤングにはぜひとも新日本フィルの首席客演指揮者になってほしい。(長谷川京介)

写真:シモーネ・ヤング(c)Klaus Lefebvre

CONCERT Review - オーケストラ(合唱)

ジョナサン・ノット 東京交響楽団 東響コーラス
エルガー「オラトリオ《ゲロンティアスの夢》」

7月14日、サントリーホール

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ジョナサン・ノット
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サーシャ・クック
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クリストファー・
モルトマン
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マクシミリアン・シュミット

 ノットと東響コーラスの共演はこれまで何度も聴いてきたが、2年前の感動的なブラームス《ドイツ・レクイエム》と並ぶ、否、もしかしてそれを超えたかもしれない合唱が今回の《ゲロンティアスの夢》の成功の大きな要因であることは間違いないだろう。東響コーラスは今回も全曲暗譜で歌ったが、《ゲロンティアスの夢》は合唱が最も大きな役割を持つと言ってもいいのではないだろうか。友人(従者)たち、悪魔たち、天上の合唱、煉獄の合唱とさまざまな役割をこなさなければならず、その表情も多岐にわたるが、そうした表現を巧みに使い分けた。
 この作品は弱音が要求される場面も多い。最後の「天上の合唱」場面では、弱音に張りがあり、100名を超える合唱団は4人の重唱のようにピタリと合わせてくる。そうした完璧さの追求は、静かな感動を呼び込むことになった。合唱指揮は冨平恭平。
 加えて、今回のソリストが3人とも素晴らしい歌唱で、これもまた名演の大きな要因だ。ゲロンティアス役のマクシミリアン・シュミット(テノール)は出番が最も多いが、とても良く響く美声。ただドイツ人のシュミットの英語の子音(sやth)の発音がソフトすぎて聞き取れない。今回は字幕がないため、プログラムの小さな書体の対訳は照明を落とした客席では読むことが困難なため聞き取りでと思ったが難しいものがあった。
 その点、司祭・苦悩の天使役のクリストファー・モルトマン(バリトン)はイギリス人でもあり、その格調高い英語はとても聞きやすい。ただ、出番は多くない。
 天使役のサーシャ・クック(メゾソプラノ)の声は天使にふさわしい透明感と、高いところから降りてくる天国的な雰囲気があった。アメリカ人だが、レガートで歌われるとやはり歌詞は聞き取れない。シュミットもレガート気味に歌う。そういう旋律、フレーズでできた音楽なので、やはり聞き取りにくいのだろう。
 東京交響楽団も、いつにも増して繊細さと強靭さを要求するノットの指揮によく応えていた。コンサートマスターはグレブ・ニキティン。
 意外だが、プログラムのオヤマダアツシ氏のノットへのインタビューを読むと、ドイツで活動していたころノットはイギリス音楽を避けていたとは言わないまでも、ほとんど指揮しなかったという。その理由は、すぐれたドイツ音楽に魅力を感じたことと、当時イギリス社会を嫌っていたからだ(具体的な話はない)と言う。ただ少年合唱団のメンバーだったころから、《ゲロンティアスの夢》には惹かれていたとのこと。東響コーラスと東京交響楽団という優れた共演者を得て、今や機が熟し、今回の公演に結びついた。
 《ゲロンティアスの夢》は初演当時R.シュトラウスに絶賛され、エルガーの国際的名声を一躍高めたと言われる。満を持してのノットの指揮は、隅々まで作品を検討・追求したと思われる肌理の細かさと、作品への共感があった。ノットの意図実現を可能にした東響コーラスと東京交響楽団の努力も讃えられるべきだろう。
 最後に、主催者には今後は「日本語字幕付き」でこうした名演をより味わえるようにしてほしいとお願いしておきたい。(長谷川京介)

写真:ジョナサン・ノット(c)東京交響楽団、サーシャ・クック(c)Vero Kherian、
クリストファー・モルトマン(c)Pia Clodi

CONCERT Review - オーケストラ

アラン・ギルバート 東京都交響楽団 マーラー
「交響曲第1番《巨人》(クービク新校訂全集版/2014年)」

7月16日、サントリーホール

アーティスト写真
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 何と若々しい《巨人》だろう!これまで数えきれないくらい聴いた曲だが、こんなにフレッシュで瑞々しい《巨人》は初めてだ。若きマーラー(作曲当時28歳)の覇気、野心、失恋の痛み、郷愁、感傷、純粋さを、まるでマーラーが目の前に現れたように生々しく上質な音楽として描き出すギルバートの手腕に感嘆した。ギルバートに応える都響の全力を傾注した演奏も相まって文字通り感動的だった。コンサートマスターは矢部達哉。
 前半のシューベルト「交響曲第2番」も若きシューベルト(当時18歳)のはちきれそうな若さと躍動感がよく出ていたが、ウィーン情緒や優美さの点でやや粗削りだった。しかし、《巨人》はギルバートとマーラーが同化したような世界を感じることができた。
 何がそう感じさせたのか。
 第一に、ギルバートのつくる音楽が聞き慣れた《巨人》の表面の皮を一枚剥いだように響きが磨き上げられ、響きが新鮮であること。第1楽章冒頭のヴァイオリンのpppのフラジオレットは無音に近いくらいの弱音、そこに木管の音が驚くほど生々しく響く。
 第二に緩急のダイナミックな変化。第1楽章再現部から結尾までの頂点でテンポを速め一気呵成に締める部分は圧巻。また、今回はクービク新校訂全集版/2014年を使用したことから、当初「花の章」と言う名の付いた第2楽章がこの激しい楽章の後に続くことで、一息入れることができた。トランペットの伸びやかな主題も美しいが、途中で一瞬不安な旋律が生まれるところもマーラーの揺れ動く気分を感じさせた。
 第三に繊細な弱音とその響きの美しさ。曲の冒頭もそうだったが、第3楽章トリオを奏でる弦の透明感ある繊細な響きは特に美しかった。
 第四に第5楽章の起伏に富んだドラマを徹底的に描き出したこと。ジェットコースターに乗るように緩急を自在に動かしながら、都響から磨き上げられた響きを引き出し、最後の輝かしいクライマックスの勝利の場面で、楽員も聴衆もギルバートの示す一点に向け、強烈な竜巻に巻き込まれていくように吸い寄せられて行った。マーラーの苦闘と勝利に全員が同化した瞬間だった。
 都響の演奏はギルバートの指揮への共感に満ちており、知る限り最上の内容だったのではないだろうか。ギルバートの提案で、都響全員がサントリーホールの四方八方の客席を向いて一礼をしたこともあって、ホールは和やかな雰囲気に包まれた。
 ギルバートへのソロ・カーテンコールでは、矢部達哉を同行して現れ、立役者は矢部だと指さし聴衆にアピールしていた。
 アラン・ギルバートの都響首席客演指揮者就任披露にふさわしい、素晴らしい演奏であり、内容と出演者と聴衆の心温まる交流を感じさせたコンサートだった。(長谷川京介)

写真:(c)Rikimaru Hotta

CONCERT Review -

東京シティ・フィル第317回定期演奏会
ブラームス:ネーニエ(悲歌)
ブルックナー:ミサ曲第3番 へ短調
指揮:飯守泰次郎、S:橋爪ゆか、MS:増田弥生、T: 与儀巧、
B: 清水那由太、合唱:東京シティ・フィル・コーア
(合唱指揮:藤丸崇浩)

 大合唱の魅力を堪能した。人の声というのは、楽器では絶対出せない聴衆の心に直接訴えかける独特の力がある。小学生や中学生の合唱ですら、我々の心に強く響く。東京シティ・フィル・コーアはすでに歴史を重ねた合唱団で、評価が高い。この日も十分な練習を重ねた成果が出ていたように思う。冒頭の<ネーニエ>では、さすがに緊張があったのかオケとのバランスが悪く、オケとのリハーサル不足を感じた。ドイツ語で「シュッ」という子音が重要なのは分かるが、何度も強く発音されると少々耳についた。しかし、ブルックナーではそんな印象は払拭された。まず、飯守の指揮に非常に敏感に反応していた。特に、第3曲の「クレド」では、作品のドラマチックな構成に合唱はテノールの独唱、そしてオケと見事に解け合い、一つの世界を示してくれた。信仰告白としての「クレド」の切なる熱い想いが伝わってきた。バス独唱も声はよく出ていて、響きが美しく声の魅力を感じさせてくれた。しかし、独唱4人に多かれ少なかれ言えることだが、特にソプラノとメゾ・ソプラノはオケとのリハーサルをもう少し重ねてほしかった。それぞれ歌唱力は素晴らしかったが、時に合唱の中に埋もれ、時に浮き足立った印象を与えた。アンサンブルとしては楽しめなかった。オケはさすがにいつもの気心知れたメンバーによる伝統をも感じさせる充実した響きを聞かせていた。全体の統一感、説得力は秀逸だった。これはもちろん飯守の力だろう。管楽器の独奏、特にトロンボーン(ミサ曲では常に重要だが)の存在感は抜群だった。
 合唱をもっと聴きたい、年末の第九が待ち遠しい、そんな気持ちで帰路に着いた。
(石多正男)