ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
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エッセイ

最新号

日韓を歌で繋ぐ「歌心りえ」という存在

久道りょう

人生というものは、いつどこで何が待ち受けているのか、全く予想出来ない。
ここのところ、韓国で人気を博している歌手、「歌心りえ」という人もきっとそうなのだろうと思う。

「歌心りえ」
日本人の私達は、全くと言っていいほど知らない存在に近い彼女が、今、韓国で大ブレイクしている。
今年の4〜5月にかけて放送された韓国MBN TV番組「韓日歌王戦」という番組。
これは、日韓それぞれで選抜された歌手7人ずつが歌を競い合うという番組なのだが、歌番組としては異例の高視聴率を記録したというのである。
この番組の特徴は単に両国の歌手が歌を競い合うというだけでなく、日本の歌手が歌う日本語の歌詞が韓国語と共に表記されるという画期的なところにある。
なぜ、これが画期的なのか、と言えば、少し話は長くなる。

実は、日本では当たり前のように市中を流れるK-POPだが、韓国の市中でJ-POPを聞く機会はほぼない。なぜなら、韓国では日本語の歌をメディアで放送することを制限しているからである。
これの経緯については、ずいぶん、話が遡ることになる。
日本と韓国は、1998年に当時の小渕首相と金大中大統領の間で締結された「日韓パートナーシップ」によって、両国の文化やスポーツの交流が解禁された。
当時、韓国では既にK-POPというコンテンツを使って韓国のイメージアップを図り、世界中から観光客を呼び込もうとする動きが見られていた。
そういう状況の中、パートナーシップ締結によって、本格的に韓国のドラマや音楽が大量に日本に入って来たのが2000年前後である。
この動きによって「冬ソナブーム」と呼ばれる第1期韓流ブームが始まるのである。
あれから20年余り、この日本では、すっかりK-POPというものが定着し、最近では、メンバー全員が日本人であるにも関わらず、J-POPではなくK-POPを歌うというグループも数多く誕生している。即ち、この日本では、K-POPというものは、音楽のカテゴリーの1つとして立派に存在感を示しているということになるだろう。

一方、日本の音楽は韓国でこの20年余りの間、どのような扱いを受けて来ただろうか、と言えば、それは皆無に等しい。
パートナーシップが締結される前となんら状況は変わらなかった、と言えるだろう。
なぜ、韓国では日本の音楽の流入を制限していたかと言えば、やはり、それは前の大戦時の日本に対する記憶から、日本語や日本の音楽によって自国民が影響を受けることを非常に恐れたという背景があったのではないかと考えられる。その為、パートナーシップが締結された後も、メディアで日本の音楽が流れることは皆無だったのである。
これは、政府が禁止したわけではなく、放送界が暗黙のルールを作っていたという。
日本語の歌を流すと必ず苦情があちこちから入るという状況があるとのこと。おそらく反日感情のもと、日本の影響を極端に嫌がる一部の市民による苦情なのだと思われるが、そういうことを嫌がった放送界は、日本の音楽を使う場合は、歌詞を抜いて音楽だけにしたり、収録放送にして生放送はしない、というような暗黙のルールを作っていたと言うのだ。
その為、日本の音楽を韓国の人が耳にする機会はほぼ皆無だったと言える。また、日本の業界も国内需要に重きを置いた活動が多く、K-POPのように世界に打ち出していくという戦略を積極的には取らなかったということが、さらにそういう状態に拍車をかけていたかもしれない。
しかし、コロナを経て、日本でもデジタルコンテンツを使った動画配信というものを戦略的に取り入れるようになったことで、J-POPが世界に発信されるようになり、アーティスト達もワールドツアーを積極的に行い始めた。
そのような動きの中、昨年のアメリカの最大野外音楽フェスティバルであるコーチェラに出演し、ホワイトハウスの公式晩餐会に招待されたYOASOBIの活躍がある。
彼らはアニメ映画「推しの子」の世界的ヒットにより、主題歌『アイドル』が大きくクローズアップされ、一躍、存在感を世界にアピールした。
この世界的ヒットにより、彼らは、韓国でも若者を中心に大人気になり、代表的な音楽番組のケーブルテレビ「Mnet Countdown」に昨年8月に出演。生放送で日本語の歌が流れる、という画期的な出来事になったのである。
さらにその後、開催されたライブではチケットが1分で完売。追加日程が発表され、当日は8000人の観客が日本語で大熱唱したということが、メディアを通して流されたのである。
この映像を見た中高年世代が、「韓国も変わった」と話したとも言われている。。
この流れを受けての今回の韓日歌王戦番組のブレイクである。

この番組に出演した7人の日本の歌手の中で、最も韓国人の心を揺さぶったのが、「歌心りえ」という歌手の存在だった。
彼女は、今年50歳。
経歴を調べてみると1995年に3人ユニット“Letit go”のボーカルとしてWEAよりデビュー。セカンドシングルの『2000倍の夢』が大塚製薬ポカリスエットのCMソングに起用されスマッシュヒット。Letit go解散後、ポップユニット”Ciao”で再デビューした後、ソロシンガーとして活動を行っているようだが、多くの人が記憶するような活動には至っていない。現在はママシンガーとして活動をしていたところ、今回の「韓日歌王戦」での大ブレイクに繋がったという。

この番組で彼女が次々披露するJ-POPのカバー曲は当然日本語で歌われている。
中でも韓国でファンが多く、ドラマの主題歌にもなった中島美嘉の『雪の華』は、一緒に出演した歌手や観客の涙を誘い、彼女の歌声を大絶賛するコメントに溢れた。
番組での彼女の活躍を配信した動画は、瞬く間に370万再生回数を超え、多くの日本人も彼女の存在を知るところとなっている。

彼女は、非常に透明度の高い歌声で、日本語の歌詞の言葉の一つ一つを明確に発音していく。そのことによって、日本語の言葉が浮かび上がり、それを聴いた韓国人は、彼女の歌声と共に日本語の美しさを認識するのである。
多くの韓国人は、メロディーに乗せられた日本語と共に彼女の歌声の虜になっていく。 このように、「歌心りえ」の歌は、韓国人の胸に日本語を刻み込んでいくと言えるだろう。 長く韓国人社会でタブー視されていた日本語の歌が、彼女の登場によって大きくその評価を転換しようとしている。
今後も、彼女が韓国で日本語の歌を歌うことで、K-POPが日本社会の中で市民権を得ているように、J-POPが韓国社会の中で音楽の1つのジャンルとして存在出来る足がかりになればいいと感じた。

◆物故者(音楽関連)敬称略

まとめ:上柴とおる

【2024年5月下旬~2024年6月下旬までの判明分&追補】

・5/01:リチャード・タンディ(英キーボード奏者。ムーヴ<ツアー・メンバー>→E.L.O)76歳
・5/28:高久光雄(音楽プロデューサー<日本コロムビア→CBS・ソニー→キティ→ユニバーサルインターナショナル→ユーズミュージック→ドリーミュージック>。ミッシェル・ポルナレフや矢沢永吉なども担当)78歳
・5/30:日暮泰文(音楽評論家。「Pヴァイン」レーベル創業者)75歳
・6/08:マーク・ジェイムス(米シンガー・ソング・ライター。「サスピシャス・マインド」「オールウェイズ・オン・マイ・マインド」など。2014年「ソング・ライターの殿堂」入り)83歳
 *2024年6月15日付ブログ「プレスリーに7年ぶりの全米No.1ヒットを提供した男、マーク・ジェイムス」
 https://merurido.jp/magazine.php?magid=00012&msgid=00012-1718448466
・6/10:福岡風太(野外コンサート「春一番」主催者。音楽プロデューサー。舞台監督。マネジャー)76歳
・6/11:フランソワーズ・アルディ(フランスのシンガー・ソング・ライター)80歳
・6/11:アーサー“ギャップス”ヘンドリクソン(ザ・セレクターのヴォーカリスト)73歳
・6/13:アンジェラ・ボフィル(米ソウル/ジャズ/ラテン系シンガー・ソング・ライター)70歳
・6/17:花岡献治(憂歌団のベーシスト)70歳
・6/18:ジェームス・チャンス(ザ・コントーションズのヴォーカル)71歳