ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
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エッセイ

最新号

ミュージック フロム ジャパン

森本 恭正

 1975年3月11日ミュージック フロム ジャパン(以下MFJ)は現在でもこの団体を率いる三浦尚之氏のもと、その第一回コンサートをニューヨークで開いた。1ドルが360円の時代から変動相場制になってまだ4年、当時まだドルは280円位した頃である。爾来私費を投じて、あるいは様々な団体企業に協力を仰ぎ、資金を集め、現在までほぼ1年に1回のペースで、米国でコンサートを開き、日本の現代音楽作品や、邦楽作品を紹介し続けて現在に至っている。讃嘆に値する仕事だと思う。そのMFJが、今回北米音楽批評家協会と提携し、北米で活躍する批評家10人と彼らが推薦する作曲家2名を連れて日本へやってきた。
 「音楽による出会い 日本・米国・カナダ」と題し、MFJ及び北米批評家協会委嘱・推薦による作品のコンサートとシンポジウムが東京と三浦氏の故郷である福島で開かれた。筆者は来日した批評家10人のうちギル・フレンチ(アメリカンレコードガイド)、ジョアンナ・ケラー(ホプキンス・レヴュー、シラキュース大学教授)ウィリアム・リトラー(トロント・スター)ナンシー・マリッツ(シカゴ・サンタイムス)ジョン・フレミング(北米批評家協会会長、タンパベイタイムス)の5人にインタヴューする機会を得た。今月から12月号までそのインタヴュー記事を一人ずつ書いていこうと思う。

Gil French
Gil French
 一人目はギル・フレンチ氏。事前に質問内容をメイルで知らせると、彼は少しインタヴューを渋った。そこで、音楽批評家の役割は何?という質問に絞ることで、承諾を得た。
 音楽批評とは、奇妙な仕事である。まず、音楽会の批評記事が出た頃には当のコンサートは終わっている。そこにどのような賛否が書かれていても、読者にはその真偽を確かめる術はない。批評家の書く批評文の論拠に着目すれば、そもそも批評家は何を根拠に、つまり自分のどんな能力を根拠に批評しているのだろうかと、ふと思う。野球評論家の殆どすべては、元野球のスター選手である。ほぼあらゆるスポーツの評論家が、かつての第一線プレーヤーだ。だが、かつての第一線の演奏家や作曲家で批評を書いている人は、私の知る限り、日本にもヨーロッパにもそして米国にも殆どいない。
 「音楽批評家の仕事とは何ですか?」しばらくの沈黙の後、
 「書く媒体によると思う。私が書いている雑誌(アメリカンレコードガイド)の読者はとにかくクラシック中毒の連中ばかりです。それを踏まえて私が聴いた音楽にどのように私が感動したか、そして、なぜそのように私が感動したかの理由を書きます。」
 情報伝達のポイントに5W1Hというものがある。即ちWhere When Who What Why Howの6つだ。この最後の2つWhyとHowは客観ではなく主観で書かれる場合が多い。批評家個人の情動を曝け出したこのWhy(何故)とHow(どのように)を知りたいと思うのは、なにもクラシックオタクに限ったことではないと思う。
 「新聞に書く場合は少し違います。私はボストン出身だけどスポーツには全く興味がなくて・・」
 「じゃ、レッド・ソックスが昨日勝ったこともご存じない?」
 「あ、知らない。でも私の母は大のスポーツファンで、私によくスポーツ記事を読ませようとしていたのです。なぜなら一番文章のうまい記者がスポーツ記事を書いたから。だから読み物としても面白く、私みたいにバットも手にしたことのないものにも興味を持たせて、最後まで読ませてしまいます。」
 「言いたいのはそこですね」
 「そう、新聞の読者は言うまでもなくクラシックのファンばかりではありません。ましてや知識階級の人ばかりが新聞を読んでいるわけでもない。だから、どうやったら、そのような広い読者の興味を引き付ける英文を書けるか、つまり新聞では文章力が鍵になります」
 「最初の質問に戻ります。あなたは、どのようにご自身が感動したかを書くとおっしゃった。ならば、あなたにとって感動(being moved)とは何ですか?」
 「一つは何も言えない、拍手もできないくらいに心を奪われること、もう一つはその逆に激しい興奮を誘うことです。ところで、どんなに素晴らしい作品でも、演奏が退屈なら、私たちには何も伝わりません。一方、平凡な作品であっても、素晴らしい演奏ならば、作品の価値を飛び越えて、私たちに感動を運んでくれます」
 ―作品は演奏されなければただの紙切れに過ぎない―これは、私が、あるピアニストの至言としてよく引用することばだ。彼は、彼にとって音楽を聴くうえでの直接的な興味は、演奏家や指揮者がどのような解釈をするかであると言った。つまり、あらゆる意味で、作品の生殺与奪の権利を握っているのは演奏家その人なのだ。では、退屈な演奏に対して彼はなんというのだろう。
 「Forget about it!」

■次回はMFJのシンポジウムの様子も交えてジョアンナ・ケラー氏(シラキュース大学教授)とのインタヴューです。

”ロックなフジコ・へミング”

池野 徹

フジコ・へミング 映画「フジコ・へミングの時間」を銀座シネスイッチで見た。妻の暁美の想いいれがあったためだ。暁美は雙葉の中学生のころ若き日のフジコ・へミングにピアノを教わっていたのだ。すでに正確に弾くことと音楽の解釈の大切さを示唆されていたという。暁美はピアニストを目指していたがデザインの道へとはいりイラストレーターになった。映画は淡々とフジコの生き様を描いていた。フジコの日常の中で移動する車窓の動き。階段をステップして歩く姿。独特のコスチューム姿。真摯な愛猫家の姿。そして愛煙家だったフジコ。もちろん譜面通りでない解釈の独自のピアノ表現。世界を住処にする学生時代からの生き方。決して裕福ではない時代。それでも自分のピアノの道には深い愛着が宿っていた。1999年60歳で日本のNHKでオンエアされたフジコの演奏がカンパネラが認知されその音楽家としての価値を世間に曝された幸運。自分の運命を自分で確かめながらしかも独自のクリエイティブな生き様はロックミュージッシャンを遥かに超えているピアニストだ。クラシックの古き世界では異端扱いもされるがそのピアノの演奏その音の世界はフジコの個性が感じられ人々を引きつけるオーラが存在している。この映画は静かな中にもフジコ自身を追うドキュメンタリーとして感動を感激に変えられる作品だ。

(Photo by Tohru Ikeno)

アメリカから来日したカンパニーが
渋谷の東急シアターオーブで上演した「エビータ」最新版

本田悦久 (川上博)

エビータ アルゼンチンの大統領夫人になったエバ・ペロン (1919-1952) の物語を同時代のキューバの革命児チェ・ゲバラの視点から描いている。
 来日カンパニーの上演は7月4日から29日まで、31回だった (筆者の観劇日は7月7日。来日公演5回目)。
 (第1幕) 時は1952年7月26日、所はブエノス・アイレスの映画館。上映されていた恋愛映画が突如ストップし、「アルゼンチンの精神的指導者であるエバ・ペロン大統領夫人 (エマ・キングストン) が亡くなった」と発表された。国中が喪に服している時、チェ (ラミン・カリムルー) は、葬礼をクールな目で眺めていた。時は1934年に遡る。巡業中のタンゴ歌手マガルディ (アントン・レイティン) に夢中の15才のエバ。田舎町から逃げ出したいエバは、彼を誘惑に成功して二人はブエノス・アイレスへ旅立つ。「この町で成功する」と誓ったエバは、マガルディと別れて、ラジオ・ドラマの女優として活躍を始める。1943年、政界で労働改革を推進するホワン・ペロン大佐 (ロバート・フィンレイソン) が頭角を現す。サン・ホワン大地震のチャリティー・コンサートで運命の出会いを果たしたエバとペロンは、急速に絆を深めていく。第二次大戦後ペロンが失脚し、軍部に逮捕される。引退を考えるペロンに対し、エバはラジオ番組を通して、ペロン支持派の労働者たちに蜂起を訴え、新生アルゼンチンの到来を望む人たちのデモの影響で、ペロンは釈放される。
 (第2幕) 時は1946年、アルゼンチン大統領官邸カーサ・ロサーダのバルコニー前に、民衆の歓喜の声が響く。前年に結婚してエバの夫となったペロンが、大統領選挙で勝利を収めたのだ。アルゼンチンのファースト・レディとなったエバは、ペロンと自分を支持してくれた民衆の為に、愛と献身を尽くすことを誓う。26才の若さで頂点を極めたエバの未来を予見するチェ。ヨーロッパ外遊に向けて最高級ドレスと宝石で、自分を飾り立てるエバ。フランコ独裁政権下のスペインは、彼女を熱狂的に迎えるが、続く訪問国での成果は芳しくなかった。帰国後、福祉政策に深く関与していくエバ。彼女は自ら「エバ・ペロン基金」を設立する。チェは基金の資金運用や会計がでたらめだと酷評するが、プロセスよりも結果だと主張するエバ。そんな彼女の身体を病が蝕み、心まで衰弱していくエバ。彼女に翻弄され続けた政府要人たちは安堵するが、「今のアルゼンチンがあるのは彼女のおかげ」とペロンは諭す。自分の衰えを認めないエバは、副大統領就任を望むが、それは叶わぬ夢だった。功罪半ばするとはいえ、大統領夫人としての功績は大きく、今でも絶大な人気を誇り、墓前には一年中献花が絶えないという。
 エバ役のエマ・キングストンは、ロンドンで「レ・ミゼラブル」のエポニーヌ役を演じた歌姫、チェ役のラミン・カリムルーは、「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャン、「オペラ座の怪人」のファントムを演じている実力派。今回のカンバニーは他にも粒揃いの役者が揃っただけに、歌、演技共に見応えのある素晴らしい舞台だった。
 ミュージカル・ナンバーは「ドント・クライ・フォー・ミー・アルゼンティーナ」「ブエノス・アイレス」「ア・ニュー・アルゼンティーナ」「レインボー・ハイ」等々、アンドリュー・ロイド・ウェバー作曲、ティム・ライス作詞のミュージカル・ナンバーが会場を一段と盛り上げる。