ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
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エッセイ

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今月のスペシャル・コンテンツ

「音楽界の変化が端々に垣間見える。」櫻井隆章(ポピュラー)

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1970年発売のオリジナルライブアルバム
 今から半世紀前、1969年の夏は忙しかった。まず7月にはアポロ11号が初めて月に到達。例の「この一歩は人類にとって大きな一歩だ」との言葉を発したのだった。そして翌8月にはウッドストック・フェスティバルが。
 このフェスに付いては散々語られ、書かれて来ているので概要などは今更振り返ることも無いであろう。ただ、不思議と見過ごされている点も、幾つかあるのだ。まずハード面で言うと、あのフェスで初めてPA(パブリック・アドレス)システムが取られたということ。
 70年代以降では普通に使われる言葉となった「PA」だが、つまりは「ステージ上の総ての楽器の音をまとめ、ステージ両脇に置かれたスピーカーから音を増幅させる」のが、「PA」だ。それ以前は、アンプで増幅させるギターやベースは、そのステージ上に並べられたアンプから直に音を出し、両脇のスピーカーからはヴォーカルやホーン・セクションなどの音しか出していなかったのである。この「PA」システムに拠り普及したのが、例えば「コロガシ」と呼ばれるステージ上に置かれたモニター・スピーカーだったりするのだ。
 そしてもう一つ。このフェスは、それを収めた映画「ウッドストック~愛と平和と音楽の三日間」と題されたドキュメンタリー映画が翌年に公開され、それが世界的に大ヒットしたことに拠り、話題となった。この映画、監督はマイケル・ウォドレー他、編集がマーティン・スコセッシ他で、その年のアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した。この映画によって、まだ来日アーティストも少なかった日本の観客に大きな影響と衝撃を与えたのだったが、この映画の中で特に強い印象を残したのが、例えばサンタナ、ジャニス・ジョプリン、テン・イヤーズ・アフター、ジョー・コッカー、ザ・フー、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、そしてジミ・ヘンドリックスといったところであった。
 ここで気付くであろうか。こうした、いわば当時最も脂の乗り切っていたアーティスト群、総てがイギリスとサン・フランシスコ出身の人達ばかりなのである。勿論、ジャニスはテキサス生まれだが当時はサン・フランシスコで活動をしていたし、ワシントン州シアトル生まれのジミヘンは、イギリスを本拠としていた訳で。この当時、例えばニューヨークやロサンジェルスなどを中心に活動していたアーティスト達には、時代を引っ張るパワーは乏しかったのだと言えるのかも知れない。
 そしてもう一つ。このフェスには40万とも50万とも言われる人達が集り、「ヒッピーの祭典」とも言われたものだが、そうした若者達は70年代になって長髪を切り、普通にビジネスの世界に入って行った。「イッピー」とも呼ばれた彼等だが、70~80年代になって、「ウッドストック? あぁ、オレも行ったよ」と言う人達が250万人もいたそうである。如何に、このフェスが当時最大の関心を持たれていたかを物語るエピソードであろう。

「終わりと始まり」大橋伸太郎(オーディオ)

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今年発売の50周年記念スペシャルボックス
 マイケル・ウォドレーが監督しマーティン・スコセッシが編集した記録映画を見ると、40万人の若者が集まったにもかかわらず、フェスティバルの三日間は混乱がなく、いたってのどかに時間が過ぎていった。
 聴衆のほとんどが白人で、それも当時社会現象になっていたヒッピーばかりでなく、大半は中産階級の普通の若者たちであることが分かる。
 社会への抗議を掲げたラジカルなものでなく、平和と音楽の祭典だった。社会、文化のムーブメントを生んだわけでない。平和に始まり終わったフェスティバルだったが、その前と後では何かが違っていた。
 60年代を覆った連帯と共同体幻想の最後に燃え上がった炎が、ウッドストック・フェスティバルだった。しかし、そこに集まった若者達からは、社会を変えていこう、という覇気のようなものはもはや感じられない。
 出演アーティストの音楽に、怒りに満ちた1960年代の熱は失われていないが、メインアクトであったジミヘンやジャニスを見舞う運命を私たちは知っているし、会場にはどこか終末感が漂っている。消えぎわの輝きだったのである。
 フェスティバルが開催されてわずか4カ月で騒乱と激動の1960年代が終り、内省の1970年代が始まる。「環境」というテーゼが先進諸国に台頭し、それまで前のめりで進んできた科学文明、消費文明への反省の時代に入る。
 「明日に架ける橋」、「スウィート・ベイビー・ジェームス」、「ジョンの魂」「ハーヴェスト」…。音楽の世界を、連帯より個の内面の探求、今の言葉でいうと「自分探しの旅」がおおい始める。
 アメリカ社会のエリート中のエリートである宇宙飛行士がアポロ宇宙船に乗り込み、月面着陸の輝かしい偉業を達成してソ連の鼻を明かした一方、ヴェトナム戦争が泥沼化し、徴兵された同世代の友人が遠い異国で不条理にも次々に生命を落としていた。
 フェスティバルに参加した大勢の名もない若者達の大半に、明確な政治的な信条や社会へのプロテストはなかったろう。しかし、心の底に共通の漠然とした問いがあったに違いない。何のために生まれて生きるのか。俺たちはどこへ向かって歩いているのか。一度立ち止まって、いまという瞬間を深く感じたい…。
 厭戦ムードが次第に国中をおおい、フェスティバルから五年半後の1975年4月、米軍がサイゴンから撤退、ヴェトナム戦争はアメリカの敗退を持って終結する。ウッドストック・フェスティバルは、図らずして時代の終わりと始まりを象徴する出来事だったのである。