ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
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エッセイ

最新号

「瞬間の芸術」

松島 耒仁子(クニコ)

写真  コロナ感染が広まって一年以上が経った。多くのライブやエンタメが中止や延期に追い込まれ、アーティストもその活動を支えるスタッフもバンドマンも全てが殆ど活動出来ない状況になった。歌手達はCDやアルバムは出せてもライブは出来ず、当然、音楽番組は活気が無くなった。歌手達はオンラインのライブを行っても、そこに観客はおらず、誰もいない客席を前にパフォーマンスするだけ。そんな中でモチベーションを保ち続けるのは、並大抵のことではなかったと思う。

 私は学生時代、「歌は瞬間の芸術」と指導教官から教わった。
 即ち、どんなに録音機能が発達しても、その瞬間に歌われる歌は、その場所にいる人間しか共有出来ないものであり、その瞬間に消えていくものである。二度と同じ歌は歌われない。歌は歌うもののエネルギーと聴衆のエネルギーの上に成り立つものであるからだ。どんなに録音、録画機能が発達しても、そのエネルギーまでを記録することは出来ない。
 その場所にいて、その歌を聴く。
 多くの人の空気感、熱量、汗、息遣い、匂い…
 そんなものが混じり合った世界が、その瞬間の感動を作り出す。それはその場所で同じ空気を吸っているものにしか決して味わえない世界だ。
 その空気感を作り出す重要な相手である聴衆のいない世界で、この一年、エンタメはほぼ死に体に近かった。

 写真今年3月、緊急宣言の中、私はLittle Glee Monsterのライブに出かけた。感染対策を万全にし、入場者数を制限した空間の中で、誰一人歓声をあげることもなく、拍手と小さな音の出るバルーンで応援した。
 それでも熱量は伝わった。彼女達の熱量、そして観客の熱量。
 無言であっても息遣いは伝わる。
 その瞬間に彼女達の歌が聴けるという至福の喜びは、何にも変えがたいものだった。
 何千人という観客が無言で熱い視線を送り、息遣いで興奮を伝える。そんな空間でもその空気感の中にいるだけで幸せを感じた。

 今月、私はやはり緊急宣言の出されている東京で、三宅裕司率いる熱海五郎一座の公演を観た。元タカラジェンヌの紅ゆずるの女優初舞台でもあった。
 本格的な喜劇というものを観たことのなかった私は、開演前の幕前の喋りから一気にその世界に引き込まれた。
 感染対策がされた空間では、マスクの中からでも零れ落ちる笑い声が会場内に木霊する。その熱量はさらに出演者達に伝わり、一層磨きのかかったアドリブとなってさらに笑いを誘発する。
 「Jazzyなさくらは裏切りのハーモニー」と言うタイトル通り、最後には紅ゆずるの歌と一座の演奏によるエンタメの場面が差し込まれている。
 一瞬で煌びやかな世界へと転換していく様は、観客を十分魅了するものだった。出演者の息遣いと意気込み、観客の呼吸と熱量が相まって、文句なく楽しい空間を作り上げた。
 これこそがエンタメの世界だ。
 その場所にいて、同じ空気を吸い、同じ感動を味わう。
 それはまさしくその瞬間にいるものだけが味わえる特権、「瞬間の芸術」なのだと思った。
 感染対策を十分に取り入れて、有観客で行う。元の状態に戻るまでにはまだ時間がかかるだろう。それでもエンタメの火を消さない。
 多くの人に感動を与えるエンタメはこんな状況だからこそ、必要なものなのだ。