ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
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エッセイ

最新号

中島美嘉・ジェジュン聴き比べ考察
「僕が死のうと思ったのは」

松島 耒仁子(クニコ)

 中島美嘉が歌う『僕が死のうと思ったのは』の動画がTHE FIRST TAKEのサイトで公開された。
 このTHE FIRST TAKEというサイトは以前も書いたことがあるが歌手が一発撮りで歌う様子を動画で配信しているもので、ピアノやギターなどの簡素な伴奏だけで歌う為、ほぼ歌手の実力が丸わかりになってしまう。
 以前は新人歌手の登竜門的な役割もあり、DISHやYOASOBI、さらにはLISAなどもこのサイトで歌ったことがきっかけでブレイクしたが最近は、郷ひろみやJUJU、GLAYなどのベテラン勢の出演も相次いでいる。その中で、中島美嘉のこの曲が公開されて非常に話題になっている。
 この曲は、元々は、ロックバンドamazarashiのフロントマン秋田ひろむが作詞作曲を手がけたもので、2013年に中島美嘉に贈られ、アルバムに収録されたものだが、私がこの曲の存在を知ったのはジェジュンが2018年にライブツアーで歌ったのを聴いたのが初めてだった。その後、彼はTVでもこの曲を歌っている。
 2人の一番の違いは、サビ以外の部分の言葉と音楽の解釈にある。
 先ず、中島美嘉の歌唱の場合は、全体に曲のテンポが非常にスローだ。これは今回のTHE FIRST TAKE用にそのようなテンポで歌ったのかと思ったが、2016年のライブで歌っている彼女の音源を聴くと、やはり非常にスローなテンポで歌われていたので、彼女の解釈としてスローなテンポになっているのがよくわかる。彼女の場合、スローなテンポにすることで、一言、一言を噛み締めるように、丁寧に丁寧に言葉に緩急をつけずに強弱もなく、並列に並べている、という印象の歌い方である。
 これに対し、ジェジュンの歌はもう少し全体にテンポアップしている。
 これは中島美嘉がほぼピアノのみの伴奏で歌っているのに対して、ジェジュンの場合はバンドで歌っている違いもあるだろう。中島美嘉が、一言、一言を語るように歌っているのに比べて、ジェジュンはあくまでも歌うということが中心になっている。その為、彼の歌は、言葉に緩急も強弱もハッキリつけられており、それゆえに楽曲がある程度、メリハリのあるものに仕上がっている。またジェジュンの場合は、言葉の緩急に合わせて歌声の音色がソフトなものから、芯のあるピッとしたものまで様々な色合いを見せるのに対し、中島美嘉の歌声の色彩は、あくまでもストレートで芯のある混じり気のない澄んだ響きをしている。
 これは、元々、持っている2人の歌声の色彩の違いがそのまま楽曲に反映されている形になっている。

   サビの部分は、2人とも非常に思い入れのあるエネルギッシュな歌い方になっているが、一番違う部分は、最後のサビの前のフレーズの処理の仕方である。
「僕が死のうと思ったのは
あなたが綺麗に笑うから……」
 この部分をジェジュンは、それまでのテンポと異なり、ほぼアカペラでソフトな音色で一つ一つの言葉を噛みしめるように歌っているのに対し、中島美嘉は、それまでのテンポと同じ速さで、訥々と言葉を短めに切って歌うというよりは語るに近い形で処理している。
 これが大きな違いである。
 その後のサビでは、ジェジュンはシャウト気味の音色で絶唱しているのに対し、中島美嘉は、あくまでも響きの混濁がなく、芯のある直線的な歌声でエネルギッシュに処理している。ここでも2人の音色の違いが如実に現れている。
 この2人の歌に対し、オリジナルのamazarashiの音源は、ちょうど2人の音楽の中間を行くような歌い方である。即ち、非常に訥々と歌っている部分と、エネルギッシュに絶唱している部分とが混在している。

 韓国人のジェジュンの場合、日本語の歌を歌うと、非常に色彩が豊かになるのが韓国語の歌との明確な違いである。
 これは二国の言語の母音の特徴によるものを感じる。
 中島美嘉の日本語の処理は、ネイティブであるがゆえの強みであり、緩急や強弱をつけなくても言葉を明確に伝えることが出来るのに対し、やはり異国語としてのジェジュンの場合は、色彩をつけることで、言葉を明確に伝えていると言えるかもしれない。ただ、彼の日本語の曲は、発音の正確さや言葉のニュアンスなどは、ネイティブと変わらないと言えるほど優れている。そこが彼が他の韓国人と違う強みであり、J-POP界で存在を示していける大きな理由になっていると考える。
 この2人の音楽の違いは、楽曲が同じであっても歌手の力量や表現力によって、オリジナリティーが加えられ、全く違った印象を与えることが出来るというカバー曲の醍醐味を伝えているとも言える。
 これがカバー曲の最大の魅力であり、昨今のカバーブームの大きな理由の一つでもあると考える。昨今のカバーブームにより、昔の曲があらためてオリジナル以外の歌手によって命を吹き込まれ、全然イメージの違ったものとして生まれ変わったり、新たに楽曲の良さを感じたりすることが多い。そういう意味でもカバー曲を歌うということは、歌手自身にとっても大きな魅力に繋がるのではないだろうか。
 いずれにしても、歌手の力量が高くなければ、カバー曲にオリジナリティーを加えることは出来ず、2人の実力をあらためて示したものと言えるだろう。