最新号
追悼クインシー・ジョーンズ
Quincy Jones
14th March 1933-3rd November 2024
「米音楽界最大の巨星がこの世を去った」 三塚博(ポピュラー)
クインシー・ジョーンズが11月3日、膵臓がんのためロサンゼルスの自宅で亡くなった。91歳だった。
20世紀後半からのブラック・ミュージック、ポピュラー・ミュージックのど真ん中を歩き、米音楽シーンに燦然と輝く数えきれないほどの功績を残した。差別、貧困、暴力、恵まれない家庭環境の中から音楽に光明を見出し、決して順風とは言い難い音楽人生を送りながらも数々の金字塔を打ち立てたことは世界中の音楽ファンの誰もが知るところだ。
演奏家、作曲家、編曲家としての恵まれた才能は10代の頃から評価されてきた。’50年代はカウント・ベイシー、ディジー・ガレスピー、ビリー・ホリディ、ダイナ・ワシントン、サラ・ヴォーンといったジャズ・ジャイアンツたちとの交流を通してプレイヤーとしての地位を確立する一方で多くの編曲を提供し名盤を世に送り出している。クリフォード・ブラウンとの交友関係から生まれた「ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン」は今なお日本の音楽ファンに愛される一枚だ。自らの名を冠した「私の考えるジャズ」「ソウル・ボサノヴァ」など実力派ミュージシャンを集めたビッグ・バンド作品は後世に残るリーダー・アルバムだ。フランク・シナトラとカウント・ベイシーの共演による「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」はクインシーが編曲・指揮することで完成した作品で誰もが一度はどこかで耳にしている印象深い楽曲に仕上がっている。
プロデューサーとしての手腕も見事で’63年にはポップス・フィールドでレスリー・ゴーアの「涙のバースデイ・パーティ」を全米NO.1に導いた。
1964年にはマーキュリー・レコードの副社長に抜擢された。それもブラック・ミュージック部門ということではなく全カタログを管理下に置く重役としてである。米大手レコード会社の要職についた初の黒人であった。
映画音楽にもその才能が生かされ、「夜の大捜査線」「ゲッタウェイ」のサウンドトラックが評判を呼んだ。1978年の映画「ウィズ」の音楽監督を務めた時に出会ったのがマイケル・ジャクソンだった。クインシーがかつて仕事をしてきたエラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、ダイナ・ワシントン、フランク・シナトラ、レイ・チャールズなどと同じ特性がマイケルにはあることを見抜いたという。そして生まれたのがマイケル・ジャクソンの通算5作目となるアルバム「オフ・ザ・ウォール」だった。それが「スリラー」へと繋がっていくのである。前者が1,000万枚、後者が5,000万枚売れたというからまさしく米音楽史に残る快挙と言っていいだろう。
クインシーのプロデューサー手腕はさらに発揮される。1985年の「ウィ・アー・ザ・ワールド」だ。マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーを双頭としたアフリカ救済のキャンペーン・ソングの制作だ。米国のトップ・スター46人のコラボレーションによるレコーディングなどよほどの手腕、アーティストからの尊敬がなくてはできることではない。
自身の作品では「愛のコリーダ」(1981年)が傑出した作品となった。空前のディスコ・ブームを背景として生まれたアルバムで日本でも大いにヒットして盛り上がったのが記憶に新しい。
1973年以来グラミー賞において41部門で栄光に輝いている。まさに米音楽界の超巨星だ。
クインシーが生涯の友と呼ぶ2歳年上のレイ・チャールズに14歳で出会い、二人で語り合い描いた大きな夢は間違いなく実現した。
ヘレン・メリル・ウイズ・クリフォード・ブラウン
「“Q”印のアルバムはいい音が保証されていた」 小原由夫(オーディオ)
私がクインシー・ジョーンズの名前を意識するようになったのは、高校生時分にフュージョンを聴き始め、ザ・ブラザース・ジョンソンの一連のアルバムにおけるプロデュースぶりに感心した頃。弟のルイス・ジョンソンが繰り出す“サンダー・サム”によるスラッピング・ベース(いわゆるチョッパー・ベース)の強烈なビートを機に、以来“Q”印のアルバムの音のよさを意識し始めたのだった。後に「愛のコリーダ」の爆発的ヒットや、マイケル・ジャクソンを育て上げたことは周知の通り。「オフ・ザ・ウォール」や「スリラー」、「BAD」において、クインシーの片腕的存在の録音エンジニア、ブルース・スウェデンによる分厚くてゴージャスな“サウンド・タペストリー”は、オーディオ専門誌の優秀録音評を当時賑わせたものである(特に「オフ・ザ・ウォール」収録のLP/A面ラストの「ゲット・オン・ザ・フロアー」におけるルイスのベースソロは圧巻)。
考えてみれば、ジャズを齧り始めた頃に定番ヴォーカル作品として買い揃えた「ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン」も、「シナトラ・ライヴ・アット・サンズ」も、プロデュースはクインシー。知らず知らずのうちに彼の仕事ぶりを耳にしてきたことになるし、レコード棚の一角を“Produced by Quincy Jones”盤が占めるようになってきた。あのジョージ・ベンソンをして、ジャズギタリストから“ブラコン系ヴォーカリスト”に祭り上げたのも、クインシーの大仕事だったといって過言でない(アルバム「ギブ・ミー・ザ・ナイト」のディスコ・サウンドも、これまた音質抜群!)。
この他、78年リリースの「Sounds…And Stuff Like That」や、クインシー・ミュージ ックの集大成といっていい89年の「Back on The Block」も、濃密かつダイナミックなサ ウンドで思い入れも一入だ。
クインシーの音楽を聴いてオーディオ的魅力と感じるのは、リズム/ビートのピッチの確かさに伴う低音域の安定だ。前述のルイスの他にも、アンソニー・ジャクソン(ベース)やジョン・ロビンソン(ドラムス)といった腕っこきのミュージシャンを当用、ローエンドの充実ぶりは流石という印象。また、アレンジの重厚さとアンサンブルの緻密さも、例えばアナログ再生系の分解能等、送り出し機器の情報量やダイナミックレンジの再現力のチェックに好適なのである。
バック・オン・ザ・ブロック
布施明『霧の摩周湖』(NHKうたコン)に見る奇跡の歌声
久道りょう
先日、NHK「うたコン」を拝見した。それに出演した布施明の歌声は、とても76歳とは思えないほど見事な歌声だった。
この日、彼が歌ったのは、MISIAの楽曲をカバーした『Everything』と『霧の摩周湖』の2曲。
『霧の摩周湖』は彼の代表曲の1つだ。
彼は、曲の冒頭でコンサートでしか聴かせないというアカペラのフレーズを熱唱。マイクを外した状態でも十分NHKホールの収音マイクで拾えるだけの歌声を披露した。
このことは、翌日、ずいぶんSNSで話題にもなっていたから、目にした人もいるかもしれない。
伸びやかな高音と豊かな声量は、76歳という年齢を全く感じさせなかった。
彼のステージは、昨年、実際に拝見したことがある。
2時間近いコンサートの最初から最後まで全く衰えを見せない豊かな声量に驚愕したことを覚えている。
76歳にもなる彼が、なぜ、このような歌声を維持できるのだろうか。
以前、NHKの「SONGS」でも話していたことがあるが、布施明は、2019年に喉にポリープがあることがわかった。
だが、ツアー中ということもあって、不調を抱えながらも発声を変えて歌うと、不思議なことにポリープが消失したと言う。
(https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202101/0014041604.shtml )
記事にもあるように彼は発声法を変えたのだ。
その発声法とは、イタリア歌曲に用いられる発声法で、おそらくベルカント唱法に近いものだったのではないかと考える。
なぜなら、ベルカント唱法は声帯に負担をかけない発声法の1つと言えるからだ。
彼の歌声を聴いていると、鼻腔に綺麗に響きが当たった歌い方をしている。
元々、地声と頭声の区別のつきにくい声質のように見受けられ、発声ポジションを変えることで喉の負担を減らしたのではないだろうか。
昨年のコンサートでも感じたが、年齢を感じさせない伸びやかで響きのいい歌声だ。
さらに体格からも感じるように、背筋、腹筋という歌に必要な体幹の部分の筋肉がしっかりしている。そのことによって、クラシック方式の歌い方が出来るのではないだろうか。
即ち、身体全体が1本の筒のようになっていて、その中をズドーンと息が通り抜けていくことで声帯が鳴り響く、という歌い方になっていると思われる。
それゆえ、NHKホールやフェスティバルホールのような場所でも、マイクを外して十分歌声を届けることができるだけの声量と響きを持っているのだ。
(このように背筋と腹筋をしっかり使って、歌声を息の力で身体の中を通して歌う方式を取っている歌手は、彼の他に玉置浩二がいる。玉置もその歌い方を民謡の師匠だった祖母に教わったと話している)
J-POP業界で60代以上のマイク無しで歌える歌手は、玉置浩二と彼だけだろう。玉置浩二は、彼よりも10歳下の66歳なのだから、いかに布施明が特別な存在であるかが分かる。
これだけの美声を維持するには、もちろん、喉の管理もさることながら、それだけではなく、体幹もしっかり鍛えていることが必要だ。
彼は、70代とは思えないほど、しっかりした分厚い胸板を持っており、その体幹が歌声を支えていると言えるだろう。
来年はデビュー60周年とのこと。
なかなか60周年を迎えることが出来る歌手は少なく、美声を保っている布施明は、それだけで奇跡の存在とも言える。
いつまでも歌い続けて欲しいと思う歌手の1人だ。
◆物故者(音楽関連)敬称略
まとめ:上柴とおる
【2024年10月下旬~2024年11月下旬までの判明分】
・10/27:カイト(ビジュアル系ロックバンド「Wizard」のヴォーカル)
・10/28:マヌエル・“グアヒーロ”・ミラバール(ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのトランペッター)91歳
・10/29:テリー・ガー(米俳優。「トッツイー」「未知との遭遇」「ヤング・フランケンシュタイン」など)79歳
・10/31:大谷博彦(シーザリアン・オペレーションのギタリスト。ロビン・トロワーとも共演)72歳
・11/03:クインシー・ジョーンズ(米音楽プロデューサー)91歳
★「クインシーとの一夜」
https://merurido.jp/magazine.php?magid=00012&msgid=00012-1730730541
・11/04:長田暁二(音楽文化研究家)94歳
・11/04:タイカ・ネルソン(米R&Bシンガー。故プリンスの妹)64歳
・11/07:神太郎(俳優。DJ。レポーター。FM東京「東芝ステレオ・サンデー・ミュージック」担当)82歳
・11/08:岡宏 (BOSS★岡。テナー・サックス奏者。バンドマスター、指揮者、歌手。ビクターオーケストラ、クリアトーンズ・オーケストラ)83歳
・11/09:ルー・ドナルドソン(米アルト・サックス奏者)98歳
・11/12:ロイ・ヘインズ(米ジャズ・ドラマー)99歳
・11/13:シェル・タルミー(英音楽プロデューサー。キンクス、ザ・フーなどを担当)87歳
・11/14:ピート・シンフィールド(キング・クリムゾンの創設者。作詞家)80歳
・11/14:デニス・ブライオン(元エーメン・コーナーのドラマー。のちビージーズ・ファミリーのバック・バンドで活躍)75歳
・11/16:ウラジーミル・シクリャロフ(ロシアの名門バレエ団マリンスキー劇場のプリンシパル)39歳
・11/16:明田川荘之(ジャズ・ピアニスト。オカリーナ奏者。レーベル「アケタズ・ディスク」主宰)74歳
・11/18:コリン・ピーターセン(ビー・ジーズの初代ドラマー)78歳
★「ビー・ジーズの全盛期を支えた元ドラマーの二人が相次いで鬼籍に」
https://merurido.jp/magazine.php?magid=00012&msgid=00012-1732098245
・11/18:シャルル・デュモン(フランスのシンガー・ソング・ライター)95歳
・11/19:グラシェラ・スサーナ(アルゼンチン出身の歌手。「サバの女王」「アドロ」など)71歳