ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
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エッセイ

最新号

シャルル・アズナヴール追悼
アズナヴールはひびの入った骨董ではなかった。

安倍 寧

アーティスト 読売新聞からシャルル・アズナヴールのコンサート評の依頼があったとき、とっさに脳裡をよぎったのは、吉田秀和先生のウラディミール・ホロヴィッツに対するあの有名な文言である。「今、私たちの目の前にいるのは骨とうとしてのホロヴィッツにほかならない」「かつては無類の名品だったろうが、今は最も控えめにいってもひびが入っている」
 あれは朝日新聞の音楽時評「音楽展望」だったか(初出が確認できないままのウェブサイトからの引用)。初来日のホロヴィッツ、78歳。1983年のことだ。
 来日が決まったアズナヴールは、あのときのホロヴィッツの年齢を遙かに超え94歳である。舞台で立ち往生したって不思議ではない。そのとき「やはり、ひびの入った骨董品だった」と書くのはあまりにも酷過ぎる。2016年来日の際は聴いていないが、そのもうひとつ前、07年にやってきたときは歌唱に張り、艶がなく、すこぶる興趣に乏しかった。
 幸い、今回のコンサート(9月17日、NHKホール)では、今そこに立っているのが、世界最高齢のシャンソン歌手本人かと疑いたくなるくらい一曲一曲、一節一節に情感が籠もっていた。リズム感も悪くなかった。何曲か聴いて思わず胸を撫で下ろしたものだ。
 もちろん声量は落ちている。音域もせばまった。なのに弱々しさは少しもない。むしろパフォーマンス全体から力強さがひしひしと感じられる。3800人の聴衆とひとりで対峙して一歩も引かない強靱さが、小さなからだ全体からあふれ出ていた。枯淡の境地とは別の趣のそのステージは、奇蹟以外のなにものでもなかった。
 全プログラムを聴き終えたとき、胸が熱くなった。その拠って来たるところを分析するほど私自身に対し客観的になれないので、読売の批評では次のように漠然と書いた。
 「歌や歌声に揺さぶられたというのとは少し違う。なにか別の大きなもの、強いていうとこの人の存在感そのものに突き動かされたのかもしれない」と。
 入場時、受付でバックステージ・パスを渡されたが、初対面の本人となにを語ればいいというのか。まったくいく気はなかった。
 ところが、終演後ロビーで面会にいくという大竹しのぶとばったり会って気が変わった。舞台でピアフを演じてきた大竹とのツーショットを見ておくのも悪くないなと思い直したからだ。いうまでもなくアズナヴールはエディット・ピアフに見出された歌手である。
 大竹と並んだアズナヴールは、さほど高くないヒールを履いた彼女とほぼ同じ背格好だった。大竹は日本女性としてそんなに背が高くない。それだけにアズナヴールの小柄なのが強く目に焼きついた。
 この小柄で人の好さそうな彼が先ほどまで舞台に立っていた堂々たる人物と同一とは!?舞台上の彼には飄々としている面もあるが、びくともしない存在感がみなぎっていた。歌手アズナヴールと素の本人のこの落差を目の当たりにできたのは、またとない得難い体験であった。
 それにしても、9月19日の大阪での公演を無事に終えたアズナヴールが、10日もたつかたたない30日に突然世を去ったのには愕然となった。アローとたったひとこと挨拶を交わし合っただけだが、今となっては忘れ得ぬ思い出である。
 「移民たち(みんな一緒に)」「人々が言うように」などアズナヴールのレパートリーには物語性のある内容の歌が多い。歌に込められたドラマチックな物語をどう歌い上げるか、あるいはどう深化させるか、このことはシャンソンそのものの特性でもある。その意味でアズナヴールはシャンソンの王道を歩んだ歌い手だといえる。
 彼の死とともにシャンソンの王道が絶えてなくならないことを切に希う。

アレサ・フランクリン追悼

櫻井隆章

アーティスト  「ソウルの女王(クイーン・オブ・ソウル)」として人気だったシンガー、アレサ・フランクリンが亡くなった。2018年8月16日(木)、死因は膵臓がん。享年76歳。
 1942年3月25日、テネシー州メンフィス生まれ、ミシガン州デトロイト育ち。著名な牧師兼シンガーであった父親の影響で若い頃から教会でゴスペルを歌い、在住地近辺では知られた存在となっていた。まだ10代であった1961年にコロンビア・レコードからデビュー・アルバムを発表するが不発。彼女の黄金時代は、その後にアトランティック・レコードに移籍して作品をし出すようになってからだった。移籍は1966年11月のこと。翌67年に発表したシングル「リスペクト(オーティス・レディングのナンバーのカバー)」が全米1位を獲得し、一躍スターの仲間入りを果した。
 彼女の音楽性は、ゴスペルを中心としたソウルフルで親しみ易いもので、広く白人層にも受け入れられ、だからこそのヒット曲連発となった。同時に、この60年代後期には公民権運動や女性解放運動のアイコンとしての存在でもあった。彼女の存在を一躍世界に知らしめたのは、1980年公開の映画「ブルース・ブラザース」に出演したことであろう。イリノイ州シカゴが舞台のこの映画で、アレサはソウル・カフェの女将さん役。正に「女将さん」という風情で、彼女のヒット曲「シンク(Think)」を歌い、映画前半のハイライト・シーンの一つともなった。
 彼女の世界的な評価は、1987年に女性で初めて、オハイオ州クリーヴランドにある「ロックの殿堂」入りを果したことや、ローリング・ストーン誌の選ぶ「歴史上最も偉大な100人のシンガー」で、栄えある第一位に選ばれたことでも判る。グラミー賞受賞回数は20回で、これは女性シンガーとしては二位の多さだ(一位は21回受賞のアリソン・クラウス)。2005年にはアメリカ大統領自由勲章を受章、翌2009年には第44代アメリカ大統領バラク・オバマ氏の就任式典でも歌った。
 1980年代以降は、極度な飛行機嫌いに拍車が掛かり、遂に日本公演が実現しなかったアーティストとしても知られる。Rest In Peace……

写真提供:ワーナーミュージック・ジャパン

ミュージック フロム ジャパン 4

森本 恭正

Nancy Malitz
Nancy Malitz
 「音楽による出会い 日本・米国・カナダ」と題して、コンサートとシンポジウムを開催するため、ミュージック フロム ジャパン(MFJ)は北米音楽批評家協会と提携し、北米で活躍する音楽批評家10人を連れて今年7月に来日した。筆者はこのうち5名の音楽批評家にインタビューする機会を得た。先月に引き続き、今月はその四人目ナンシー・マリッツ氏(シカゴ・サン紙)である。
 「批評家は自由に演奏家を批評しますが、演奏家にはその反論をするチャンスがない。そのことをどう思いますか」
 「近年では、そんなことはないですよ。新聞も雑誌もオンライン上(ネット上)では、フィードバックの欄があるし、でも・・・・It’s a dice game(一か八か)よね。演奏家のエイジェント(マネージャー)は、批評家に反論するなんて事はやめとけっていうでしょうね。よっぽど世間知らずでもないかぎり。でも過去には、デビューしたばかりの劇作家アーサー・ミラー(「セールスマンの死」が著名)がクラウディア・キャシディに反論の文章を書いた例もあるわね」
 クラウディア・キャシディ!!(Claudia Cassidy1899-1996)彼女は、アメリカ、シカゴを拠点に活躍した演劇・舞踊・音楽評論家だ。辛辣な酷評を書いたことで知られる。シカゴ交響楽団の常任であったラファエロ・クーベリックやベラ・バルトークに対しても容赦のない批判を向けた。当時Acidy(辛酸な) Cassidyと揶揄された彼女に対し、未だ無名のアーサー・ミラーが反論を書くには、どれほどの勇気がいったことか想像に難くない。それとも、良いサイコロ(dice)の目が出て、キャシディからAcidy(辛酸)な報復を受けずにすんだということか。
 「でも、これは文章を書く人の場合だから・・・そうね。あなたの言うとおり、演奏家がこんな機会に恵まれることはないわね」
 米国で、大新聞に寄稿する批評家は、やはり大変な権力を持っていた(いる?)ということを彼女なりの優しい口調で語っているのだと理解した。演奏家が持っているのは楽器で、ペンではない。反論のしようが無いのが実情だろう。こうしてほぼ自由に批評家は演奏家を批評するのに、批評家が批評されることは殆どない。これは日本でも米国でも欧州でも同じだ。かつてヨーロッパの一流紙で読んだのだが、「この日本からやってきたヨー・ヨー・マという素晴らしいチェリストは・・・」などという信じられない事実誤認があっても、(恐らく)誰からも何も言われない。北米で批評家の仕事が消滅しつつあるというのも宜なるかなである。競争原理で成立している資本主義社会の職業から、批評家同士の相互批判による競争がなくなれば、そんな仕事は消えてゆくしかないだろう。
 一瞬マリッツ氏にこんな提案をしてみたくなった。
 シカゴでもボストンでもニューヨークでも、売れない・・と言って悪ければ、未だ無名の演奏家や作曲家はいっぱいいるだろう。そういう連中は集客にも手を焼いている筈だ。だから、1コマ100ドルで彼らの演奏会広告を載せる雑誌をつくる。そして、100ドル払って広告を載せた演奏家には、未だ無名の批評家を当てて批評記事を書かせ、その雑誌に載せる。そういう演奏家が100人いれば、互いにウィンウィンの関係にならないだろうか・・・しかし、口を噤んだ。そうなると、キャシディみたいな記事は絶対に出なくなる。誰も直截な批判をしなくなる。100ドル出して師匠でもない輩に批判して欲しいなんて思う演奏家はいないからだ。つまり、こんな(馬鹿な)企画は成立しないか、もしできたとしたら、そこら中、空世辞記事ばかりになるだろう。そんなものを批評とは呼べない。そこで、もっと実直にこう訊いた。
 「批評家になろうとしている若い人に助言をください」
 「いろいろあるけれど・・・TEMPO RUBATOと書いた時、母にこう言われたわ。『私、RUBATOの意味分かってるかどうか自信ないんだけど』ってね。つまり、できるだけイタリア語やドイツ語の専門用語は使わないこと。(要するに日本でいえばカタカナ語は使わないことだ)必ず他の言い方があるから。読者は12、3歳の子供たちばかりではなく、その道のエキスパートもたくさんいる。そういう人たちを前に業界専門用語で知った被りをするのは趣味が悪いわね」
 因みにイタリア語のTEMPO RUBATO(音楽用語では演奏速度を自由に加減すること)は直訳すると「盗まれた時間」という意味だ。それをマリッツ氏に告げると、
 「ははは、知らなかったわ!」
 と、屈託なく笑った。