ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
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エッセイ

最新号

『玉置浩二シンフォニックコンサートin河口湖』を観て

久道りょう

 8月13日にNHKで放送された『玉置浩二シンフォニックコンサートin河口湖』
 河口湖にある野外劇場ステラシアターで行われたフルオーケストラによる玉置浩二のコンサートをTVで拝見した。
 1時間の放送に凝縮された彼の歌声は、まさに「歌神」そのものの姿だった。

 「命ある限り、歌い続けたい」

 最近の彼はよくこの言葉を話す。
 安全地帯40周年、ソロ活動35周年という節目を迎えた今年。
 長い彼の活動人生は、順風満帆というふうには決して行かなかった。
 それは外部からの圧力というよりは、彼自身の内面の葛藤から起きる数々の出来事だったように感じる。

 私は彼が活躍していた全盛期は、クラシックの仕事から結婚、子育てという人生の繁忙期でおよそJ-POPとは無関係の世界にいたと言っていい。
 そんな私でも彼の代表作となるような楽曲はいくつも知っているし、それと同時に彼の人生を揺るがすようなエピソードも当時の騒ぎと共に記憶している。
 だから数年前に彼のコンサートを初めて拝見した時、男性ファンから「タマキ!」と声のかかるのを見て、本当に彼が長くファンに愛され続けていたのを知ったし、長きに亘って、彼に何が起きようとも、彼が何をしでかそうと、彼についてきた多くのファンがいることを改めて知った。
 そして彼の生の歌声とステージを見て、その理由を納得した。

 彼は歌そのものだった。
 何をしでかそうと、彼の歌だけは、まっすぐにいつも存在している。


 天に届きそうな、まっすぐに伸びた歌声。
 真正面から歌に向き合い、堂々と歌い切る姿。
 音楽、歌、というものに真摯に向き合い続ける姿。
 決して歌というものから逃げない姿。
 そんな彼だからこその内面の葛藤。
 そういうものを全て包み込むような歌声。

 この魅力が玉置浩二のファンを離れさせない理由なのだと思った。

 歌に真摯に向き合う。
 どんな時もいつでも。
 だからこそ、己の葛藤に負けて向き合えない自分が許せない。
 その不安定さが決して順風満帆に進まなかった理由なのかもしれない。

 そうやって数々のものを乗り越えて、2015年から始めたシンフォニックコンサートは、玉置浩二の集大成とも言えるコンサートだ。

 河口湖のステラシアター野外劇場との22年前からの関わりのエピソードはもちろん私は全く知らなかった。
 22年前といえば、彼は既に大スターでチケットを取るのも困難な程のアーティストになっていた頃だろう。
 そんな彼がTシャツにズボン、首にはタオルを巻いて、ギター1本で工事現場へやってくるなんて、一体誰が予想しただろう。

 「河口湖ステラシアター」は、建設計画発足時は1,000席規模のホールを計画したものの運営費の削減や建設省からの補助金交付を狙い3000人規模の野外音楽堂計画に転換したという。それでも1991年の構想から4年をかけて無事に開館を迎えるまでには数々の困難な事案があり、1994年、玉置浩二がこの場所を訪れたときには、計画に対する地元町民の不安や反対、また、工事現場で働く作業員ですら、本当に大丈夫なのだろうかという先の見えない状況の中で疲弊しきっていたという。

 そんな状況の1994年6月、玉置浩二が工事現場にやってきたのだ。 河口湖に野外音楽劇場を作るということを聞きつけた彼は、現場に向かう車中でいい曲が出来た、と言って、その曲を作業員の前で披露した。

 彼は、「君たちの仕事は素晴らしい、こんな場所で歌わせてもらえて感謝しているし、こんな劇場で歌ってみたい」と言って回ったという。

 このことをきっかけに現場も地元も大いに盛り上がり、工事はスムーズに進んだとのエピソードと、彼が現場を訪ね、十数名の作業員の前で地面に座り込み、ギター片手に歌う様子が放送されたのだった。

 地面に座り込み、わずか十数名余りの作業員の前で即興で歌う彼からは、「純粋に音楽と歌を愛する素朴な人間」という姿しか浮かび上がらない。
 これが彼の本来の姿であり、何が起きても根底に流れ続けた玉置浩二の音楽、歌に対する原点なのだと思った。
 どんなに大スターになっても、歌を愛する原点は変わらない。
 これこそが、彼が長年多くのファンに支えられ、何が起きても彼の魅力に取り憑かれていく理由だと思った。
 そしてそれまでホールの建設と実現に懐疑的だった作業員を勇気づけ、さらには反対していた町民の気持ちまでも大きく希望へと転換させたという。
 作業員は玉置浩二のような大スターがわざわざ工事現場まで足を運び、自分達のためだけに歌ってくれたことによって大きな力と希望と自分達の仕事に誇りを取り戻したし、自信を持つことになった。また町民達は、彼のような有名なアーティストがこんな田舎にやってきてくれたのを知って、もしかしたら、彼と同じようなスターが次々、やってきてくれるかもしれない、というホールの建設による未来に大きな夢と希望を描いたのだ。
 玉置浩二という人の存在と、そこから繰り出される彼の歌のエネルギーによってホールの建設という大きな夢は実現したと言ってもいい。
それぐらい彼の登場は大きなインパクトのある出来事だったのだ。

 「あのホールで終われたらいいな」と彼に思わせたほど、彼にとってもこのホールは思い入れのある場所だったに違いない。
 1995年7月の柿落としのコンサート以来、22年ぶりの場所で、彼は歌った。

 この日のラインナップで放送されたものは、以下の曲。
1.カリント工場の煙突の上に
2.CAFE JAPAN
3.星路(みち)
4.ワインレッドの心
5.じれったい
6.悲しみにさよなら
7.夏の終わりのハーモニー
8.田園
9.メロディー
(これらの曲は放送順で、実際のライブでは楽曲ももう少し多く順番も違う)

 「安全地帯は自分のふるさと。だからふるさとを辞めるとか辞めないとかはない」と話して、フルオーケストラの伴奏に乗せて、安全地帯の曲をソロで歌う。
 マイクを外して何曲も歌う彼の歌声は、頭上に広がる天に向かってどこまでもどこまでも真っ直ぐに伸びていく。
 まるで彼のために作られたような空間で、彼は伸び伸びとした歌声を披露し、何千人という聴衆の視線は彼に釘付けになり、静寂の中に歌声だけが響いていく。
 まさに奇跡の空間と言えるほど完成された場所で彼は歌い続けていく。

 「命ある限り、歌い続けたい」と話す彼が、少しで長く歌い続ける姿を観たいと純粋に彼の歌声を愛する1人のファンとして思う。

 そして、彼の人生の後半にギリギリで間に合った幸運に良かったと思う。
 音楽評論家になってよかったとあらためて思える瞬間だった。

◆物故者(音楽関連)敬称略

まとめ:上柴とおる

【2022年7月26日~8月25日までの判明分】

・7/19:佐藤陽子(バイオリニスト)72歳・7/23:ボブ・ラフェルソン(米映画監督:「ザ・モンキーズ 恋の合言葉HEAD!」「ファイブ・イージー・ピーセス」「郵便配達は二度ベルを鳴らす」等/‘モンキーズ’を立ち上げた一人)89歳・7/29:宮田茂樹(音楽プロデューサー:大貫妙子、竹内まりや、EPOなどを担当)72歳・7/31:モー・オースティン(米音楽業界の重鎮:元ワーナーの重役)95歳・7/31:坂下秀美(四人囃子のキーボード奏者)69歳・8/05:ジュディス・ダーラム(シーカーズ)79歳・8/05:SHAL(THE UNCROWNEDの女性ボーカリスト)・8/07:鵜島仁文(シンガー・ソンング・ライター:「機動武闘伝Gガンダム」等)55歳・8/08:オリビア・ニュートン=ジョン(ポップ・シンガー)73歳・8/08:ラモント・ドジャー(米シンガー・ソンング・ライター、プロデューサー:1960年代モータウンのヒット・メイカー・トリオ‘ホーランド=ドジャー=ホーランド’の一員)81歳・8/08:ダリル・ハント(ザ・ポーグスのベーシスト)72歳・8/15:スティーヴ・グリメット(グリム・リーパーのヴォーカリスト)62歳・8/22:ジェリー・アリソン(バディ・ホリー&ザ・クリケッツのドラマー)82歳・8/22:久野綾希子(ミュージカル俳優「劇団四季」出身:「ジーザス・クライスト=スーパースター」「ウエストサイド物語」「コーラスライン」「エビータ」「キャッツ」「マンマ・ミーア!」等)71歳・8/22:クリード・テイラー(米音楽プロデューサー:「CTI」レーベルを創設)90歳