2017年6月 

  

ヘレン・メリルのフェァウェル“さよなら”コンサート
(ブルーノート東京 4月19日 ファースト・ステージ)・・・・・高田敬三
 ヘレン・メリルは、“さよなら“コンサートを何度かやっている感じだが、米寿を前にした今回は、多分、本当に最後ということだろうか、会場は、殆ど満席だった。テッド・ローゼンタール(p)ショーン・スミス(b)テリー・クラーク(ds)と彼女のレギュラーのトリオが「If I Should Lose You」そして「Parisian Thoroughfare」をそれぞれのソロも交えて快調に演奏した後、係員に導かれて登場したヘレンは、「It Don't Mean A Thing」を思ったより力強い声で歌う。そして、スローな「Am I Blue」へと続くが、足元がふらついている様子で、これは大丈夫かなと心配させられた。その後、「転んで足を痛めたのよ」、と説明していた。お得意の「Summertime」、「Autumn Leaves」そして「I Got It Bad」と続くナンバーを彼女特有の節廻しで歌う。ここでベースのショーン・スミスのオリジナル・インスト・ナンバー「Margin Of Error」を導入部をハミングしながら紹介。続く「People Will Say We're In Love」もトリオの演奏で、彼女は、ピアノの後ろへ下がって一休みする。ビリー・ホリデイで有名なバラード「Lover Man」は、声が出なくて苦しそうだったが、それだけに迫力を感じさせるものがあった。「Bye Bye Blackbird」の後、「ブルーノートは、30周年になるそうですが、信じられないけど、私は、開店の年に前のブルーノートで歌ったのですよ。」というような話を織り込み、テンポの良い「Gee Baby Ain't Good To You」,そしてドラム・ソロから入る「All Of Me」をジャジ―に年季の入った歌で聞かせる。ここでスピーカーから若い声のヘレンの歌「You'd Be So Nice To Come Home To」が流れ、彼女は、唖然としてスピーカ―を見上げる。極め付きのクリフォード・ブラウンとのレコードからの録音だ。後半は、引き取って生の彼女が歌った。面白い仕掛けだ。満場総立ちの聴衆に送られて舞台を降りて行く。見たところ立っているのがつらそうだったので、アンコールは、無いだろうと思っていたら戻ってきて「'S Wonderful」を思い切ったロング・トーンも披露しながら力一杯という感じで歌った。

 彼女は、昨年5月のギル・エヴァンス・トリビュート・コンサートで「Summertime」を歌っていたが、一昨年のブルーノート東京のコンサート以来、公衆の前で歌ったというニュースは入っていない。今回のコンサートでは、永年お世話になった日本のファンへ感謝の気持ちを何としても伝えたいという彼女の執念みたいなものを感じた。ヴォイス・トレーニングも積んで来たのだろう前回より声も出ていて、彼女のこのコンサートに対する意気込みがひしひしと伝わってきた。と同時に彼女の生の歌を聞けるのはこれが最後かという寂しさも感じさせられた。

山本直純さんとウィーンで「レ・ミゼラブル」・・・本田悦久 (川上博)
☆ウィーンのアストリア・ホテルでチェック・イン手続きをしていたら、山本直純さんとバッタリ。「やあ、奇遇だね。テレビの仕事で来ているんだけど、終わったので明日帰るんだ。これからJALの店で打ち上げ会をやるので、一緒に来ないか?」「これから劇場に行きますので・・・」「劇場が終わったら来いよ」「劇場が終わった頃は、JALの店も終ってますよ」「そうか、じゃあオレがそっちへ行くよ」

 というわけで、「レ・ミゼラブル」上演中のライムント劇場へ。
 昨日はテルアヴィヴ (イスラエル) のカメリ劇場で、ヘブライ語版を観たが、今日はドイツ語だ。演出はゲイル・エドワーズ、出演者はラインハルト・ブラスマン (ジャン・ヴァルジャン)、ノルベルト・ラムラ (ジャヴェール)、ソナ・マクドナルド (ファンティーヌ)、ジェイン・コマフォード (エポニーヌ)、マルティーナ・ドラーク (コゼット)、フェリックス・マーティン (マリウス)、フランツ・セインツェット (テナルディエ)、スザンヌ・オルチュル (マダム・テナルディエ)、アリス・サス (ガブローシュ) 等々。

 「民衆の歌」「心は愛に溢れて」「ワン・デイ・モア」「カフェ・ソング」等、クロード・ミシェル・シェーンベルク作曲のミュージカル・ナンバーが素晴らしい。ドイツ語の訳詞はハインツ・ルドルフ・クンツェ。

 今年、帝劇でご覧になって、ストーリーも音楽もよくご存知の直純さん、終演後、ゴキゲンでビアホールへ。

----------------------------------------------------------------------------------------------

1988年11月8日記

このページのトップへ