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マーラー:交響曲「大地の歌」/ジョナサン・ノット指揮・バンベルク交響楽団(TUDOR/7202)
東京交響楽団の音楽監督を務めるジョナサン・ノットがバンベルク交響楽団とマーラーの「大地の歌」を録音した。演奏内容の紹介の前にいくつか付記しておきたい。まず、ノットは2003年から2011年にかけてバンベルク交響楽団とマーラーの交響曲全集を完成させているが、その全集に「大地の歌」は入っていない。また、2016年にウィーンフィルと同作品を録音しているが、それは全楽章をテナーのカウフマンが一人で歌うという異例の録音だった。ライヴでは何度か取り上げており、特にシカゴ響でブーレーズの代役を務めた際にもセンセーショナルな成功を収めており、期待が高まるなかでの今回のリリースとなった。
今回の録音では、奇数楽章をテナーのロベルト・サッカ、偶数楽章をバリトンのスティーブン・ガットが独唱を担当している。演奏は、ノットらしい細やかな感受性が作品の魅力に様々な角度から光を当てており興味深い。バーンスタインのように個人的な感情に耽溺するのでもなく、ベルティーニやインバルのように音響を整然と整理するのともまた違う。作品が本来持っている性格でもあるのだが、もっと曰く言い難い多義性をそのまま音楽にすることに成功している。この「多義性」は、マーラー独特の和音の使い方からだけではなく、スコアの指示からも様々に指摘できる。例えば、第一楽章、第一部の“Dunkel ist das Leben, ist der Tod”。第一部では、全体への指示は“Sehr ruhig(とても穏やかに)”であるが、独唱は“sehr getragen(とても重々しく)”となっている。テクスト上のこの分裂がこの録音では巧みに生かされている。同じく第二部での同歌詞には、独唱への指示がなくなり全体がSehr ruhigとなり変イ長調に穏やかに解決する。また、第二節のみ解決直前の音が半音下げられており、この「外れた感」をサッカは巧みに表現している。「猿」の叫びを経て第4部。今度は言語による指示がいっさいなくなり、調性が確定できなくなり減7でドスンと立ち消える。ノットはこれらの指示を繊細でしなやかな響きを駆使し巧みに表出している。しかし、実は第4部では、独唱のレガートも削除されている。ロベルト・サッカがここにも拘りを見せてくれればノットが目指す多義的な音楽像はより鮮明になったであろう。
音楽が明るくなる第3〜5楽章も素晴らしい。第3楽章冒頭のカラフルな木管、滑稽な泥酔にふと哀感が忍び込む第5楽章。終楽章「告別」は最後のハ長調に転調する箇所が聴きものだ。混沌の中に光が差し込んでくるようにクレシェンドし、光の中で満ち足りたように終結する。クレッシェンドした後の“Langsam ppp!”、“Ohne Steigerung”の指示が驚くほど内容的に響く。謎を残してハ長調の第3音「E」に収斂してゆくこの終結は、終わりなのだが希望の一歩であり、諦めであると同時に静かな和解なのだと実感させてくれる。柔和な笑みを湛えて息絶える。なんという甘美な音楽だろう。ノットはまだ東京交響楽団で「大地の歌」を指揮していない。いずれ、相応しいソリストとの共演を調整したうえで極めつけの「大地の歌」を東京のファンに披露してくれるだろう。待ち遠しい。(多田圭介) |