2015年11月 

  

「協力ミュージック・ペンクラブ・ジャパン 寺井尚子スペシャルライブ」
2015年10月19日(月)@東京・渋谷「JZ Brat」・・・櫻井隆章

気鋭の共演者を迎え寺井尚子がみせた「表情」

 ジャズ・ヴァイオリニストの寺井尚子は、いつも真摯だ。どんな時も常に自身の極限を追求するかのような演奏を魅せて聴かせ、お客さんに深い感動を与える、稀有なアーティストである。それはこの日も変りなかったのだが、ただ普段とはちょっとだけ違っていた。演奏中に笑顔が見られたのだった。
 この日のライヴには、「協力 ミュージック・ペンクラブ・ジャパン」という文字があった。これは、当会のポピュラー部門で新人賞を獲得したアーティスト二名が特別参加するという“スペシャル・ライヴ”という意味で、参加したのはギタリストの西藤(さいとう)ヒロノブと、ヴォーカリストの飯田さつきの二人だ。西藤は第23回(2010年)の「ベスト・アーティスト」、飯田は第27回(2014年)の「ブライテスト・ホープ」に、それぞれ輝いた存在である。この二人が様々な形で主役の寺井に絡み、普段のライヴとは違った瞬間が多く作られた為に、寺井の表情に笑みが生まれたのである。なので、この日のお客さんは非常に得をしたと言って良いだろう。

西藤ヒロノブ、飯田さつきを受けとめ非凡なインタープレイ

 休憩を挟む二部構成でのライヴは、まず寺井お得意のガリアーノの「TANGO POUR CLAUDE」でスタートした。寺井の最新のアルバムで披露されているナンバーだ。元からジプシー系の曲を得意としている彼女らしい、情熱に溢れた演奏であった。次いで寺井オリジナルの「風のストーリー」。そして早くも西藤がステージに加わる。ジャズ・スタンダードとなった感のあるナンバー、「アルフィー」をプレイ。ここで西藤が自身の「アイランド・ジャズ」に付いて丁寧に説明。これは、西藤が本拠地の一つとしているハワイのエッセンスを加えたジャズということで、ギターのみならず6弦のウクレレ、「ギタレレ」を演奏することにも由来している。そして、そのギタレレを駆使しての西藤オリジナル曲「TASOGARE」をプレイ。その非凡な才能を聴かせた。
 そして、今度は西藤に替って飯田がステージに呼ばれ、いきなりの大スタンダード、「ムーン・リヴァー」だ。アメリカでも絶賛されたという、実に豊かな声量と、良く響く低音域が彼女の最大の魅力。彼女も、自身のことを丁寧に説明。お客さんに自分のことをもっと知って貰おうという姿勢が好ましい。やはりスタンダード曲の「アワ・ラヴ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」を披露し、喝采を浴びた。この第一部のラストは、グループのピアニストである佐山雅弘オリジナルの「ノーヴェンバー」で締めた。この日本有数のジャズ・ピアニスト、去年は大病を患ったが、今は元気そのもの。茶目っ気タップリの演奏は、流石は関西出身と思わせた。

新クインテットの実力を遺憾なく発揮した後半ステージ

 これだけ色々な魅力が詰った第一部なのだから、更に盛り上がる第二部への期待が高まる。20分程の休憩の後の第二部は、やはりジャズ・スタンダードの「チェロキー」からスタートした。この曲もアレンジは佐山が担当。曲名にちなみ、ちゃんと「ネイティヴ・アメリカン・アレンジ」が加わっているところが、佐山の茶目っ気なのである。そして飯田が呼ばれて「追憶」と「スイングしなけりゃ意味ないね」を。また替って西藤が登場し、大曲である「リフレクション」だ。この曲が当夜一番の盛り上がりを見せたかも知れない。何せ演奏時間が10分を超えていたのである。ここで寺井グループのみの演奏となり、寺井と佐山のみの「シェナンドー」から、バンド全体でのお馴染み「スペイン」だ。この曲、流石にお客さんの身体を揺するパワーに溢れたナンバーで、そこに寺井の真摯な演奏パワーが乗るのだから、エネルギッシュでエモーショナルな演奏となったのは言うまでも無い。この曲も演奏時間は10分超えであった。
 アンコールでは二人のゲストも加わっての「ルート66」。実に楽しく、賑やかにこの日のライヴを終えた。途中、「スペイン」の演奏前に寺井が語った言葉が印象に残った。「ペンクラブのような組織が新人賞を与えてくれることって、アーティストの背中を押してくれるものなんです」、と。この言葉には、賞を選定する側としても責任を痛感するものであった。まことに楽しく、また意義深いライヴとなったことを記しておきたい。

写真撮影:池野 徹

ロンドンから来日の「TOP HAT」公演・・・・・・本田悦久(川上 博)
 アーヴィング・バーリン作詞・作曲の名作映画「TOP HAT」(1935)を英国でステイジ・ミュージカル化した「TOP HAT」は、2011年8月16日に、イングランド南東部バッキンガム・シャイアのミルトン・キーンズ劇場で初演された。昔の米国映画が英国で舞台化されたのも興味深い。2013年には、英国のトニー賞ともいうべきローレンス・オリヴィエ賞3部門 (ミュージカル作品、振付、衣装デザイン) で受賞している。

今回、梅田芸術劇場の企画・招聘で、英国のカンパニーが来日。東京の東急シアターオーブ (9月30日―10月12日) と、大阪の梅田芸術劇場メインホール (10月6 日―25日) で上演された。筆者の観劇日は10月2日。演出はマシュー・ホワイト、振付はビル・ディーマー。

 物語は、1935年、ブロードウェイのビッグ・スター、ジェリー・トラヴァース (アラン・バーキット) が、英国のプロデューサー、ホレス・ハードウィック (クライヴ・ヘイワード) の招きで、新作に主演することになる。ロンドンに到着したジェリーはホレスの誘いに応じ、ホレスの変わり者の従者ベイツ (ジョン・コンロイ) が待つホテルに向かう。ホレスは「妻が待っているから、週末にはヴェニスへでも行こうよ」とジェリーを誘う。どうやら、ホレスの妻マッジ (シヨーナ・リンゼイ) は、ジェリーに紹介したい女性がいるらしい。
ジェリーは夜遅いのに、アイディアが閃き,部屋で踊り出す。そんなタップの音で迷惑したのは、下の部屋の宿泊客デイル (シャーロット・グーチ)。彼女はデザイナーのアルベルト・ペッディーニ (セバスチャン・トルキア) のモデルをしている。デイルはホテルの支配人にクレームしてから、苛立つままに、直接上の階に出向き、ジェリーとけんか腰での直談判・・・・。そんな二人の偶然の出会いだが、ジェリーはデイルにひと目惚れ、様々な方法で何とか彼女に近づこうとする。ところが、デイルは彼を親友のマッジの夫のホレスと勘違いして、ジェリーを浮気者と思いこみ、公衆の面前でジェリーを引っぱたくやらの混乱状態・・・とはいえ、デイルもジェリーに満更でもない。
 アーヴィング・バーリンの名曲に乗せて、二人のダンス・シーンの数々は華麗で、出演者全員、のびやかでパワフルな歌も芝居も申し分ない舞台となっていた。

 ミュージカル・ナンバーは、映画「トップ・ハット」からの「PUTTIN' ON THE RITZ」「ISN'T THIS A LOVELY DAY?」「TOP HAT, WHITE TIE AND TAILS」「PICCOLINO」「CHEEK TO CHEEK」「LET'S FACE THE MUSIC AND DANCE」以外に、舞台版では、他のバーリン・メロディが贅沢に追加されている。
 フィナーレでは役者たちが客席に降りて、歌い、踊り、フラッシュを焚かなければ「写真撮影OK」の大サービス! 観客もすっかり満足して、劇場を後にした。

(舞台写真撮影:花井智子)



英国発「TOP HAT」の日本初演 (宝塚版)
http://www.musicpenclub.com/talk-201505.html

「ラ・マンチャの男」初演から47年目!・・・・・本田浩子
 10月7日、久しぶりの「ラ・マンチャの男」を観に帝劇に向かう。菊田一夫氏の肝入りで始まった、東宝制作のこのブロードウェイ・ミュージカルは、脚本・デール・ワッサーマン、音楽・ミッチー・リー、作詞・ジョオ・ダリオンで、1965年にブロードウェイで初演され、ベスト作品賞をはじめ、5部門でトニー賞を受賞。劇中歌の「見果てぬ夢 (The Impossible Dream)」は、世界各国で歌われるスタンダード・ソングとなっている。

 松本幸四郎が市川染五郎時代の1969年に初演してから、既に1200回以上の公演を重ねてきたことは、ブロードウェイとは違い、ロング・ラン・システムのない日本で、一人の役者でこれだけ息長く続いてきたことは、驚異的であり、既に70代に入った幸四郎の「見果てぬ夢」が叶った証しといえる

 日本語訳/森岩雄・高田蓉子、訳詞/福井崚、演出/松本幸四郎。物語は二重、三重構造で、詩人・作家のセルバンテス (松本幸四郎) が、宗教裁判で投獄され、現実の裁判の前に、まずは囚人たちの裁判を受ける羽目になる。そこからが舞台の本番・・・セルバンテスが無罪を主張するために、囚人たちに役を振り当てて劇中劇「ラ・マンチャの男・ドン・キホーテの物語」が始まる。キハーナ (松本幸四郎) はスペインの片田舎の老郷士、今の騎士の堕落に腹を立て、ついに自身が騎士ドン・キホーテとなって、悪と戦う決心をする。お供には,いわずと知れたロバに跨った従者サンチョ (駒田一) ひとり。(掲載写真の馬とロバは、見事なタップで観客を楽しませる。) 正気か狂気か、サンチョが止めるのにも耳を貸さず、キホーテは風車を悪魔と思いこみ、かかっていってしまう。剣は曲がりくねり、疲れ果てたキホーテは、今度は安宿を城と取り違え、勇んで入城する。慌てた宿屋の亭主 (上條恒彦) だが、女房の反対にもめげず、招き入れる。

 そこに現れた、あばずれ女のアルドンザ (霧矢大夢) に、キホーテは「我が麗しのドルシネア姫、騎士として、あなたの為に悪と戦い、栄光を捧げます」と憧れの人に出会えた喜びに胸を震わす。果ては、サンチョに信書を託し、溢れる思いを姫? に伝える。アルドンザもサンチョも字が読めないので、丸暗記してきたサンチョが信書を読み上げる。このシーンは、サンチョの道化ブリが愉快で、いつ見ても楽しい。唐突な話に驚いたアルドンザは、「私はアルドンザ、ドルシネア姫ではない。」とイラつき、サンチョに何だって頭のおかしな老人の世話を焼いているのか、と尋ねる。一瞬の躊躇の後、サンチョは「あの方が好きなんだ、八つ裂きにされようともあの方が好き。」と歌う。「見果てぬ夢」をはじめ。20曲余りの名曲が並ぶが、私自身はこの「好きなんだ」が好きなんだ!

 セルバンテス、キハーナ、ドン・キホーテと、何回となく役が入れ替わるので、舞台はややこしいともいえるが、二役、三役の演者は勿論、観客の私達も気が抜けないし、それこそがこの舞台の醍醐味といえるのではないか。昔、スペインのバルセローナで、牢獄で演ずる「ガイズ&ドールズ」を観たが、これなど、版権に触るのではと思うほど、物語は順不同、おまけに、カタルニア語で、スペイン語も分からぬ私は、セリフはさっぱり分からない。聞きなれた曲で、展開を想像するしかなく、それこそ楽しみながらも気の抜けない観劇となった。それに比べると、この日本語上演は、安心して楽しめる。

 実は今回の楽しみは、初参加の霧矢大夢が、果たして、どんなアルドンザ・ドルシネア姫になりきるのか、宝塚の男役トップで格好いい男性を演じ続けてきた彼女の挑戦がカギとなる。昨年末に「ヴェローナの二紳士」で見せたシルヴィア役では、天衣無縫な妖艶な姫で観客を圧倒しているので、期待感は大きい。同様に、初参加のカラスコ博士役の宮川浩の存在も見逃せない。何しろ正気とも狂気ともつかないキホーテに対抗するカラスコ役が、立ち位置をはっきりさせないと、この物語の骨格がぼやけてしまう。終始、セルバンテスに反発していた宮川カラスコは、カーテンコールで、こんな芝居をやっていられるかとばかりに、被っていた帽子を舞台に叩き付け、観客を沸かせた。

 牢名主・宿屋の亭主の二役で活躍する上條恒彦は勿論、従者・サンチョ役の駒田一、神父役の石鍋多加史はじめ、この二人だけでなく、祖父江進、山本真裕他、カンパニー全員の熱演があっての、舞台の成功といえる。

 セルバンテスが本裁判に呼ばれる前に物語に戻るが、数々の奇行に困り果てた家族、姪のアントニア (ラフルアー宮澤エマ)、彼女の婚約者カラスコ博士、家政婦 (荒井洸子) は、キホーテを正気に戻すべく、鏡の騎士になりすましたカラスコ博士が登場、キホーテは鏡に映る老いさらばえた己の姿を見て、愕然とする。正気に返ったキハーナは、病の床に着く。キホーテ時代の記憶は幻か、そこに訪れるアルドンザ、しかしキハーナには誰とも分からない。「私をドルシネア姫と呼んでくれた・・・」と必死で語り掛け、かつてキホーテが歌った「ドルシネア」を歌う。次第に記憶が目を覚まし、「姫を膝まずかせるなど、とんでもない・・・」とキホーテは起き上がり、サンチョとアルドンザに支えられて、「見果てぬ夢」を歌うが、力尽きて息絶える。

 意気消沈のサンチョに、アルドンザは「私はドルシネア」と言って、サンチョを驚かす。いよいよ、裁判所の呼び出しを受けたセルバンテスと従者 (サンチョ)を、囚人たち全員が「見果てぬ夢」を歌い、送り出す。その響きは,あたかも会場中が歌っているように聞こえてきた。

(写真提供: 東宝演劇部)

パーヴォ・ヤルヴィ N響首席指揮者就任記念公演レポート・・・長谷川京介
 今年2月のN響定期登場で圧倒的な演奏を聴かせたパーヴォ・ヤルヴィがついにN響首席指揮者としての第一歩を踏み出した。就任記念公演をふたつ聴いたが、期待以上の素晴らしい出来で、ヤルヴィN響の黄金時代の到来を確信した。以下はそのレビューである。

就任記念公演その1 マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」(10月4日、NHKホール)
 これまで聴いた「復活」のなかでは緊密度と完成度の点で最上位に置くべき演奏。N響全員が100%の集中力を発揮し、室内楽のように緊密なアンサンブルを聴かせた。ここまでまとめあげたヤルヴィの驚異的な指導力に脱帽するしかない。聴衆もこの稀有な名演にしわぶきひとつない集中を示し、ステージと客席が一体となっていた。
 ヤルヴィの「復活」へのアプローチは今年2月の「巨人」とほぼ同じだと言ってもいいだろう。すなわち、
第1に、最後のクライマックスへ向け、各楽章の描き分けから、細部の表情に至るまで綿密に練られており、全曲を聴き終えたあとに首尾一貫した流れとカタルシス(浄化)が感じられること。
第2に、ひとつひとつの主題や動機の表情づけのメリハリ、ダイナミックの幅が非常に大きく、また深く細やかなこと。そのため楽章ごとの充実感が非常に大きい。
第3に、演奏全体が贅肉のない鍛え抜かれた強度を持ち、しっかりとした土台の上でゆるぎなく進行していくこと。ヤルヴィの意図とN響の能力がかみ合う事から生まれた強靭な響きがあること。
第4に、以上を統合することにより、ヤルヴィの解釈の個性が際立ち、他の誰とも違うように聞こえ、しかもそれがマーラーの意図通りだと思わせる説得力があること。
 このほか今日の演奏で感心したところをあげると以下のようになる。
1. テンポのメリハリ。
 第1楽章の激しい第1主題と柔らかく歌う第2主題の鮮やかな対比。
2. クライマックスの強靭さとまとまり。
 各クライマックスは乱れなく、第1楽章展開部最後の大爆発もバランスを取りながら最大限の力を発揮。第5楽章の最後も鋼鉄のような万全の安定度。ヤルヴィN響の力を見せつける。
3.室内楽のようなアンサンブル
 第2楽章での室内楽のような緊密な弦の合奏。その室内楽のような緊密度が最初から最後まで持続されたことに何より驚嘆した。
4.タイミングの絶妙さ。
・第2楽章が夢のように終わって間髪を入れず第3楽章冒頭のティンパニの強打が入るところは効果抜群。
・休止の音楽的な間合いの見事さ。
・第1楽章が終わったあとの作曲家による5分休憩指示(実際は短かった)の合間にアルトとソプラノが入場。
・合唱が立ち上がるタイミング(練習番号43)。「Bereite dich, zu leben!生きる、と心をかまえよ!」という歌詞内容にぴったり。
5.N響の金管の立派さ。
 ホルン、トロンボーン、トランペット、テューバ。言う事なし。弦も木管ももちろん良かった。ティンパニをはじめ打楽器も見事。
6.バンダの配置が効果的。
 バンダは2階L側ロビーに配置。後半のトランペット2本のみR側ロビー。ハイリスクだがヤルヴィの強い希望があったと、バンダの指揮者田中祐子はツィッターで紹介していた。その結果はNHKホールを目いっぱい利用して広大な空間を作り出すことに成功し、天上からホルン、トランペットが降ってくるようで、非常に効果的だった。バンダも都内オーケストラの首席による名手ぞろいだった。
7.ソリスト二人の歌唱。 
 アルトのリリ・パーシキヴィの深く潤いのある声は理想的。ソプラノのエリン・ウォールも滑らかな声。二人とも声を張り上げなくとも余裕のある歌唱が素晴らしかった。
8.東京音楽大学の合唱。
 男声の低音部まで幅広い音域。最後のフォルティティシモでも合唱にまとまりがあった。

就任記念公演その2 トゥール:「アディトゥス」、ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番、バルトーク:管弦楽のための協奏曲(10月23日、NHKホール)
 今夜の主役はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番を弾いた五嶋みどり。さすがのヤルヴィとN響もみどりの凄さに圧倒され、たじたじとなり、引っ張られていく印象があった。第2楽章はソリストとオーケストラが微妙にずれているように感じられたが、第3楽章パッサカリアから終楽章に向かって一体となっていった。
 五嶋みどりの何が凄かったのか。
 一つ目は緊張の糸がピンと張られた強靭で繊細な音。
 二つ目は、レンズの焦点を絞っていくように聴く者の神経を一点に集中させ、気持ちを鷲掴みにして離さない強い吸引力のある音楽性。端的な例は第3楽章パッサカリア最後の息を呑むようなカデンツァ。
 三つ目は弱音の素晴らしさ。第1楽章ノクターンの中間部で弱音器をつけて弾くトランクイロの主題で聴かせた微細でびくともしない強さのある弱音。
 四つ目に、五嶋みどり自身の独特な世界。身体を傾け、時に足を踏み鳴らし、何かにつかれたように弾く姿勢。簡素な衣装はきらびやかなドレスでスポットライトを浴びる他のヴァイオリニストとは異なる。
 外見だけではなく、華美を避け自ら電車で移動し、質素なホテルに泊まり、「みどり教育財団」「ミュージック・シェアリング」などの社会貢献活動を行う五嶋みどり。今回はそのみどりの禁欲的な世界と厳格なショスタコーヴィチの世界が一致した稀有な演奏とも言えるのではないか。
 本来の主役、ヤルヴィN響も素晴らしかった。1曲目はヤルヴィと同郷のエストニアの作曲家、トゥール(1959〜)の「アディトゥス」。現代音楽というより、SF映画音楽のような親しみも感じられ、コーダが煌めくように爽やかに終わる。ヤルヴィのよどみない指揮には作曲家への共感があった。
 バルトークの「管弦楽のための協奏曲」は民族的ではなく、N響がいまいかに高い水準であるのかよくわかる明快でスマートな演奏だった。ヤルヴィらしさは、例えば第4楽章でのハンガリーの美しさを讃える旋律のふわりとした表情と、同じ旋律が回想されるときのひそやかな表現によく表れていた。
 N響の木管、金管、打楽器奏者たちのソロや合奏のレベルの高さはヤルヴィの期待によく応えていた。

 パーヴォ・ヤルヴィN響首席指揮者就任記念三公演のうち二つを聴いたが、N響が世界のトップ・オーケストラに近づきつつあることを実感させる充実したコンサートだった。

写真 ヤルヴィ:(c)Julia Baier 五嶋みどり:(c)Timothy Greenfield-Sander

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