2017年7月 

  

Classic CONCERT Review【室内楽】

「紀尾井 明日への扉 岡本誠司(ヴァイオリン)」(5月24日、紀尾井ホール)
 2014年J.S.バッハ国際コンクール優勝、2016年ヴィエニャフスキ国際コンクール第2位の岡本誠司のリサイタル。ピアノは田村 響。
 岡本のヴァイオリンは繊細で美しい。細やかなニュアンスがある。弓を弦に軽く当てるため、音量は全体に小さい。リサイタルはまだしも、協奏曲はオーケストラに埋もれてしまうのではないだろうか。課題曲が協奏曲中心の2016年仙台国際コンクールで第6位だった理由がわかる気がした。
 この日は後半が良かった。シューマンのヴァイオリン・ソナタ第1番イ短調 Op.105の第1、2楽章は前半の不安定ぶりを打ち消すように、のびのびと歌うロマンティックな演奏で、この作品の憧憬や詩情をよく表現していた。
 最後のグリーグ、ヴァイオリン・ソナタ第1番ヘ長調 Op.8がこの夜最も出来がよかった。みずみずしく艶やかな岡本のヴァイオリンと田村のピアノもよく対話し、一体となり、爽やかな風が吹き渡った。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オペラ】

ピエタリ・インキネン 日本フィルハーモニー交響楽団 ワーグナー楽劇《ニーベルングの指輪》序夜「ラインの黄金」(演奏会形式)(5月26、27日、東京文化会館)
 インキネンのワーグナーは、「スコアを綿密に読み込んだ正統的な演奏。バランス感覚に優れ、歌手を立てる」というもの。少し物足りないところもあったが、作曲家の指示に従ったのだろう。
 日本フィルは2日目がまとまっていたが、歌手陣は初日が良かった。この大作を2日続けて歌うのは、歌手にとって過酷だ。アルベリヒ役のワーウィック・ファイフェは、初日は素晴らしく、最も拍手を浴びたが、2日目は疲れが見え、精彩を欠いた。ローゲのウィル・ハルトマンが初日体調不良のため降板。代役として抜擢された西村 悟が実に素晴らしく、伸びやかな声と、表現力のある演技で見事だった。2日目は、ぜひとも自分の歌唱を聞いてもらいたいというハルトマンが出演した。彼は本当に立派だった。ハルトマンの深みある歌唱は西村にはないものだった。
 ヴォータンのユッカ・ラジライネンとフリッカのリリ・パーシキヴィは安定した歌唱。ラジライネンも初日は最初から飛ばしていたが、2日目は前半セーブ気味だった。
 今回の公演では日本人歌手の健闘が目立った。ラインの娘たち、林 正子(ヴォークリンデ)、平井香織(ヴェルクンデ)、清水華澄(フロスヒルデ)は最後の湖底からの合唱のハーモニーが豊かだった。ミーメ役高橋 淳の代役、与儀 巧も素晴らしい。エルダの池田香織の存在感はますます大きくなってきた。ファーゾルトの斉木健詞と、ファフナーの山下浩司は、衣裳がチンピラ風で気の毒だったが、重心の低い歌唱はとてもよかった。安藤赴美子も、いかにもフライアの美貌と可憐な歌唱。フローの片寄純也も充分な声量。ドンナーの畠山 茂は少し残念だった。 
 演出は佐藤美晴。歌手陣は全員暗譜で演技したが、限られたスペースでよく動いていた。望月太介の照明も効果的で、下手な映像よりもはるかに音楽に集中できた。
 全体的に出演者全員のチームワークの良さが感じられ、気持ちの良い公演だった。ぜひ残る「指輪」の完全上演にトライしてほしい。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【器楽曲(ピアノ)】

「アンジェラ・ヒューイット The Bach odyssey 1」(5月29日、紀尾井ホール)
 ヒューイットのピアノは芯があり、男性的であると同時に、優しさとユーモアも感じさせる。響きはクリア。アーティキュレーションは明解で、一音一音に神経が通っている。
 幻想曲ハ短調BWV906は、力強く音が立っていた。イタリア風のアリアと変奏BWV989は、活気とエネルギーが充満していた。
 2声と3声のインヴェンションのうち、2声は2つの旋律が明確に描き分けられ、どのフレーズも引き締まり、ヒューイットの集中度に圧倒された。一方で3声は落ち着いた演奏で、冷静に進められた。
 カプリッチョ変ロ長調《最愛の兄の旅立ちにあたって》BWV992は早めのテンポで、軽やかに弾かれた。第3楽章アダージッシモ「友達の皆の嘆き」の情感の豊かさに、ヒューイットの多彩な表現力を見た。
 最後は幻想曲とフーガ イ短調BWV904で締めたが、フーガはロマン派にも通じるものがあった。ヒューイットはプログラムノートで、終結部でフーガの2つのテーマが交わり明瞭に浮き彫りにされているのは、バッハの時代にはない19世紀以降のスタイルで、別の誰かが書いたのではないかという説を紹介していた。アンコールはゴールドベルク変奏曲から「アリア」だった。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【室内楽(フルート)】

「岩下智子 フルートリサイタル《ゴーベールの世界》〜ゴーベール全曲収録CD完成記念〜」(5月30日、東京オペラシティリサイタルホール)
 1988年イタリアのトリエステ・デュイーノ国際コンクールで第2位に入賞し、その後ソリスト、室内楽奏者として幅広く活躍している岩下智子のリサイタルがあった。今回はフランスの作曲家ゴーベールのフルートとピアノのための作品が8曲演奏された。岩下のフルートは色彩と陰影に富んだ表現があり、弱奏
部分の入念な仕上げと、華麗な盛り上げ方は、どの作品でも聴きごたえがあった。
 ゴーベールという作曲家のことは知っていたが、初めて聴く曲もあった。どの作品もフランス人の最もよい趣味が表われ、音楽の持つ一種高貴な風格が感じられた。今後多くのフルーティストによって演奏されるに違いない。ただ、ゴーベールはドビュッシー、ラヴェル等のフランスの大家に比べると、やや個性という点では弱く、聴く人を驚かせる派手な特色はない。その代わりに独自の清らかな優しい雰囲気を持っている。コンサートの終了まで飽きさせないで聴き通すことができた。
 プログラもの前半は、「シリエンヌ」、「ノクターンとアレグロスケルツァンド」、「ソナチネ」、「ファンタジー」の4曲。「ファンタジー」が印象に残ったが、音楽が素晴らしくよく流れ、特に後半のワルツは、柔らかくはずむリズムが美しい。
 後半のプログラムも同様であり、最後に置かれた「第1ソナタ」は、ディナーミクのこまやかさ、旋律の典雅な歌わせ方等、岩下の長所がよく発揮されていたと思う。
 ピアノは金井玲子である。数々のコンクールに入賞し、幅広い活動を行っているとのこと。岩下をしっかりと支え、デリカシーに富んだ音色と、音の洗練度は高く、日本のピアニストからはなかなか聴けない表現であった。(藤村貴彦)

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ピアノ)】

「小泉和裕 東京都交響楽団 アブデル・ラーマン・エル=バシャ(ピアノ)」(5月31日、東京文化会館大ホール)
 ベートーヴェン、ピアノ協奏曲第5番《皇帝》でのエル=バシャのピアノは気品があり格調高い。オーケストラは協奏曲としては異例の16型編成だが、小泉の指揮は軽快で、響きは重くない。両者のスケールが大きく雄大な演奏は、レコードで聴いた巨匠たちを思い出させる。エル=バシャのピアノは華やかだが、ピリリとした刺激も含まれていた。
 シューマン、交響曲第2番の小泉の解釈は、直截であっさりとしていた。第1楽章は速く、第2楽章スケルツォと同じくらいのテンポだった。スケルツォ第2トリオの宗教的で対位法的な部分は、もっと深みが欲しいと思ったが、スケルツォ後半の劇的な盛り上げは良かった。第3楽章アダージョ・エスプレッシーヴォは、過剰な感情を抑えているようだった。都響の木管のソロは見事。第4楽章は勢いとメリハリがあり、抑圧をはねのけ爆発する喜びの感情がよく出ていた。
 小泉の指揮は、師カラヤンに共通するものがある。作品の構成美を重視し、音響的に全体を整えるもの、と言えるかもしれない。(長谷川京介)

写真:(c)東京都交響楽団

Classic CONCERT Review【オペラ】

「ワーグナー楽劇《ニーベルングの指輪》第2日《ジークフリート》」(6月1日、新国立劇場 オペラパレス)
 粒ぞろいの歌手陣が公演成功の最大要因だが、飯守泰次郎の引き締まった指揮と東京交響楽団の充実した演奏の貢献も大きい。東響はホルンをはじめ、金管が良く、木管が内声部をしっかり固めた。弦は品格があり、8台のコントラバスの低音も豊か。飯守と東響の息はぴったりと合い、マエストロが登場するたび拍手で迎える楽員の姿が爽やかだ。
 歌手陣はなんといてもジークフリートのステファン・グールドが光る。張りのある強いテノール。まさにヘルデンテノールの醍醐味。アンドレアス・コンラッドはミーメにしては憎めない容姿だが、実に美しい声。アルベリヒのトーマス・ガゼリは表情も演技も、はまり役。さすらい人のグリア・グリムスレイはヴォータンとしては若く見えるが、立派なバス・バリトンだった。ブリュンヒルデのリカルダ・メルベートが好演。すこし甲高い声が気になるが、声量もあり、容姿演技ともブリュンヒルデらしい。エルダのクリスタ・マイヤーも安定していた。ファフナーのクリスティアン・ヒューブナーは一部PAを使ったことが、演出上やむを得ないとはいえ残念。
 森の小鳥が4羽登場するのも豪華。鵜木絵里、吉原圭子、安井陽子、九嶋香奈枝は衣装が安っぽくてかわいそうな気がした。美術・衣裳はゴットフリート・ピルツ。観客から不評のため、後日の公演で衣裳は変わったと聞く。演出はゲッツ・フリードリヒ。読み替えはほとんどない。今の時代には古めかしいという声もあるが、少なくとも音楽のじゃまにはならないオーソドックスな演出。全体の出来としては、これまでの「指輪」のなかで、最も完成度が高かったと思う。(長谷川京介)

写真:(c)新国立劇場

Classic CONCERT Review【宗教曲】

「鈴木秀美 新日本フィルハーモニー交響楽団 ハイドン:オラトリオ《天地創造》」(6月2日、すみだトリフォニーホール)
 何と生命力にあふれた音楽だろう。これが本当のハイドンだ、という発見と驚きに満ちていた。
 オーケストラは12型対向配置。古楽奏法、ノンヴィブラートの透明で清透な響き。鈴木の音楽性が楽員を魅了していることが、自発的で生き生きとした演奏から伝わってくる。
 ガブリエルとエヴァ役は、中江早希(ソプラノ)。コロラトゥーラの滑らかで美しい声は素晴らしかった。ウリエルは櫻田 亮(テノール)。バッハ・コレギウム・ジャパンとの共演でおなじみの名歌手で、この日も安定した歌唱。ラファエルとアダム役の多田羅迪夫(バス・バリトン)は調子があまりよくなく、前半は音程が不安定だった。しかし後半は持ち直した。
 合唱のコーロ・リベロ・クラシコ・アウメンタートが見事だった。2015年古楽を専門に研究・演奏するプロにより結成されたコーロ・リベロ・クラシコが中心となった臨時編成の合唱団だが、ハーモニーは立体的で明解。迫力もあり、演奏に大いに寄与した。通奏低音のチェンバロは上尾直樹、チェロは向井 航。聴きどころ満載の充実した公演だった。
(長谷川京介)

写真:(c)K.Miura

Classic CONCERT Review【宗教曲】

「ロベルト・トレヴィーノ 東京交響楽団 前橋汀子(ヴァイオリン)」(6月3日、東京オペラシティコンサートホール)
 テキサス州フォートワース生まれ、2010年スヴェトラーノフ国際指揮者コンクール優勝のロベルト・トレヴィーノはこの先楽しみな指揮者だ。ストラヴィンスキー、バレエ組曲《火の鳥》(1919版)「終曲」での重心が低く安定した指揮、金管への適切な指示など、34歳にしては落ち着いている。
 ラヴェル《夜のガスパール》(管弦楽版)の日本初演という珍しい曲もあった。マリウス・コンスタンが1988年に編曲。第1曲<オンディーヌ>、第2曲<絞首台>は、ドビュッシー的な響き。第3曲<スカルポ>は、《ラ・ヴァルス》に似た響きがラヴェルらしい。トレヴィーノの指揮は、色彩感があった。
 最初にサティ(ドビュッシー編)のジムノペディ第3番と第1番も演奏された。繊細な作品、繊細な演奏。
 前半、前橋汀子が弾いたショーソン《詩曲》と、サン=サーンス《序奏とロンド・カプリチオーソ》は、ヴィブラートやポルタメントに時代を感じるが、アンコールのバッハ《無伴奏ヴァイオリン・パルティータ》第3番ガヴォットは、弱音を生かした演奏で、深い表現力があった。デビュー55周年を迎えた前橋の経験と円熟ぶりが反映されており、彼女の無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲を、今こそ聴きたいと思った。
(長谷川京介)

写真:ロベルト・トレヴィーノ (c) CAMI Music LLC

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(フルート)】

「東京シティ・フィル 第49回ティアラこうとう定期演奏会」高関健指揮 6月3日 ティアラこうとう大ホール
チャイコフスキー:弦楽セレナ—デ ハ長調 作品48
ヴェルディ:「シチリア島の夕べの祈り」序曲、「ナブッコ」序曲、「椿姫」第1幕前奏曲、「運命の力」序曲、「アイーダ」より凱旋行進曲

 「弦楽セレナード」では、第1楽章冒頭のテーマが同楽章の最後、そして第4楽章の最後でも演奏される。オーケストラのコンサートではいつもほぼそうなのだが、最初は音にまとまりもなく、楽器もよく鳴らない。ところが、第2楽章ワルツや第3楽章のしずかなエレジーを経て、だんだん響きが深くなり、丸みと豊かさが加わっていく。最後に奏でられた冒頭主題の説得力には感服させられた。これこそ生の演奏を聴く面白さである。
 ヴェルディは分かりやすい。さまざまなオペラの情景、悲しさ、喜び、怒り、戦闘、運命などが表現される舞台をありありと思い浮かべることができた。シティ・フィルは弦と管楽器の融合が非常にバランスが取れていて聞いていて落ち着く。それでいて、例えばフルートのトリルだけで人を魅了したり(竹山愛)、同じトランペットでも柔らかい音や鋭い音があることを実感させてくれたり、気軽にいろいろ楽しめた午後のひと時だった。
 なお、演奏とは直接関係ないが、観客へのサービスとして、管楽器の演奏者が見えることも重要だ。譜面台がじゃまをしてピッコロやホルンが私の席からはあまりよく見えなかった。もう少し譜面台の位置を下げてくれると、観客は別の要素でより楽しめるのではないかと思った。(石多正男)

Classic CONCERT Review【室内楽】

「小林響率いるA.レブランク弦楽四重奏団演奏会」6月4日 東京文化会館小ホール
バルトーク:弦楽四重奏曲第4番 Sz.91
ハイドン:弦楽四重奏曲第66番 ト長調 作品77-1
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 作品74「ハープ」

 この弦楽四重奏団は1988年に設立され、リーダーの小林響(ひびき)は1992年からこれに加わっている。小林の25年、弦楽四重奏団の30年近くの歴史の重さを感じる演奏だった。アンサンブルとして完璧と言ってもいいだろう。冒頭のバルトークは非常に難しい曲だが、半音階的主題、無調、不協和音、打楽器的効果、多彩なリズムなど、また弦楽器のグリッサンドやピッチカートなどのさまざまな表現が洗練されていて、聴衆を飽きさせなかった。古典としてのハイドンやベートーヴェンも美しい響きを十分に味わわせてくれた。  
 とはいえ、弦楽四重奏団は、全体としてのアンサンブルも要求されるが、独奏者の集まりでもある。前者の観点からは申し分ないと感じたが、独奏者としてそれぞれがもっと前に出てもよかったのではとも思う。特に第1ヴァイオリンの小林はリーダーとしての存在感がもっとあっても良かった。もし物足りなさを感じたとしたら、この点ではなかろうか。(石多正男)

Classic CONCERT Review【宗教曲】

「リナルド・アレッサンドリーニ コンチェルト・イタリアーノ モンテヴェルディ《聖母マリアの夕べの祈り》」(6月5日、武蔵野市民文化会館大ホール)
 完璧なハーモニー。ソリストたちはオペラ歌手顔負けの美声。名手ぞろいの古楽アンサンブル。コンチェルト・イタリアーノの演奏は、熟成され完成されている。温かみと親しみがあり、理想的なバロック・アンサンブルだ。
 モンテヴェルディの最高傑作であり、全宗教音楽作品の中でも、最高峰の一つと言っても過言ではない《聖母マリアの夕べの祈り》を全曲生で聴いて、庶民感覚にぴったりくるような親しみを感じた。感動し圧倒されると同時に、心が温かくなる演奏会。この作品は教会に集う当時の民衆たちもきっと楽しく聴いたに違いない。
 演奏の圧巻は最後の「マニフィカト」。多様なスタイルの合唱や合奏が次々と展開され、この大曲(演奏時間1時間半以上)の最後を飾るにふさわしいものがあった。「マニフィカト」だけで全体の四分の一くらいの長さはあった。
 指揮のリナルド・アレッサンドリーニは、1984年にコンチェルト・イタリアーノを設立。このアンサンブルを33年にわたり率いてきた。指揮は確信と自信がみなぎり、メンバーからの絶大な信頼が感じられる。感銘の深さは今年聴いた数多くのコンサートのなかで、別格の位置を占めるものだった。(長谷川京介)

写真:(c) JUAN CARLOS MUÑOZ

Classic CONCERT Review【室内楽(ヴァイオリン)】

「花村恵理香ヴァイオリンリサイタル」(6月6日、東京文化会館小ホール)
 花村恵理香は桐朋学園大学を卒業後、渡英し、オーロッパ各地で著名なオーケストラと共演。帰国後は数々のソロ、室内楽のコンサートに出演し活躍している。様式を正しくつかみ、細かい所まで入念に磨きをかけ、清潔な表現を行うことが花村の特徴ではないだろうか。それでいて、決して機械主義的な表現でなく、響きは美しく、あたたかみを持っており、どの作品を聴いても心が和む。
 プログラムの前半は、J.Sバッハ「ヴァイオリンソナタ第2番」、ウォルトン「2つの小品 Ⅰカンツォネッタ Ⅱスケルツェット」、ブラームス「ヴァイオリンソナタ第2番」。
 特にウォルトンの作品が楽しく聴けた。正直に云って、この作品を聴くことは初めてであったが、曲想の変化を巧みに生かし、表現の作り方に職人的な配慮がなされていた。ウォルトンのような作曲家は、もっと幅広く日本で演奏されても良いと思う。
 プログラムの後半は、フランスの代表的な作曲家二人の作品であり、フォーレ「ヴァイオリンソナタ第2番」、ラヴェル「ツィガーヌ」。特に花村の個性が巧みに発揮されたのは、「ツィガーヌ」である。千篇万化の技工が繰り広げられ、圧倒的な効果を出していた。フォーレの「ヴァイオリンソナタ」も各楽想の変化を巧みに生かし、好演であった。
 ピアノは藤井一興。彼の演奏はこれまで数多く聴いてきたが、常に感心することは、独奏者をよく支えることである。綿密なアンサンブルを作り出すことが藤井の特徴である。
 花村恵理香は、2017年、ファーストアルバム「ツィガーヌ〜ヴァイオリン名曲集」をリリース。多彩なプログラムが録音されているとのことである。
(藤村貴彦)

Classic CONCERT Review【器楽(ピアノ)】

「岡田博美 ピアノ・リサイタル」(6月8日、武蔵野市民文化会館小ホール)
 飄々としたステージマナー。岡田博美はどんな人物なのだろう。寡黙で、何を考えているのかわからない人なのかもしれない。
 完璧と言えるテクニックの持ち主。ピエルネのパッサカリアのフーガに入る直前の超絶技巧に驚いた。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番《ワルトシュタイン》第2楽章終結部の最難関も雄大に弾き切った。2曲ともまったく危なげがなく安定している。にもかかわらず、心が動かされないのはなぜだろう。
 後半のポーランドの作曲家マラフスキ(1904-1957)の《ミニチュア》(5つの小品)の第5曲を聴いて、皮肉とユーモアを感じた。そのとき初めて岡田博美と自分の間に何かがつながった気がした。
 ドビュッシー《子供の領分》は、きれいな響きだが、情感を感じさせず、淡々としている。最後のリスト《ドン・ジョヴァンニの回想》は、圧倒的だった。華やかで演奏効果満点。ありとあらゆる超絶技巧がたたみかけるように披露されるが、岡田は涼しい顔で、それらを次々とクリアしていった。一筋縄ではいかない謎の多いピアニストだ。(長谷川京介)

写真:(c)K.Miura

Classic CONCERT Review【室内楽】




「ピアノ・トリオから見るロシアの風景 矢部達哉(ヴァイオリン)、山本裕康(チェロ)、諸田由里子(ピアノ)」(6月9日、ムジカーザ)
 三人は桐朋学園大学で同時期に学生時代を過ごした。それぞれ独自の音楽性がある。矢部は、時に甘くロマンティックに、時にダイナミックにと振幅が大きい。山本は大木のようにどっしりとして揺るぎがない。諸田は自由闊達に飛び回る。個性豊かな三人だが、不思議によく調和する。お互いを聴き合い、きちんとアンサンブルをつくれるのは、同じ釜のメシを食った人間同士の結びつきの深さがあるからだろう。
 今日のプログラムのテーマはロシア。ショスタコーヴィチとチャイコフスキー。奇しくも旧友の死に際して、追悼の意を込めて作曲した作品が並んだ。ショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲第2番は、第4楽章後半が圧巻。クライマックスは巨大なエネルギーが渦巻く。三人の同窓会というより、激突だ。
 後半は、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲《偉大な芸術家の思い出に》。これは名演。第1楽章から、三人ともよく歌い、流れるように進んでいく。
 第2楽章第1部の11の変奏も、矢部、山本、諸田がソロを取るごとに、それぞれの妙技を味わった。長い曲だが短く感じた。それだけ充実した演奏だった。(長谷川京介)

写真:矢部達哉(c)大窪道治、山本裕康(c)HIkaru.☆

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ヴァイオリン)】


「アレクサンドル・ラザレフ 日本フィルハーモニー交響楽団 山根一仁(ヴァイオリン)」(6月10日、横浜みなとみらいホール)
 22歳のヴァイオリニスト山根一仁のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、一言で言えば『繊細の極致』だ。弓は軽くあて、音量も小さい。ヴィブラートは控えめ。ラザレフ日本フィルも、山根に合わせた繊細な響きで、マシュマロのように包んでいく。多くのヴァイオリニストは、ヴィブラートをたっぷりとかけ、ロマンティックに弾くが、山根はおそらくスコアを読み込み、余分なものを取り除いたのだろう。
 ラザレフ指揮のショスタコーヴィチ交響曲第5番は、古典的な造形美を持っていた。曲の全体が明解で一貫している。全楽章ほぼアタッカで進められた。
 第1楽章のテンポは速め。弱音を生かし、コーダに向け静かに進行していく部分が印象的。第2楽章は、誇張された表現はない。第3楽章ラルゴ冒頭の6群に分けられた弦や、フルートやオーボエ、ハープの表情は繊細を極めた。第4楽章は遅めのテンポで開始。コーダはグランカッサ(大太鼓)を激しく叩かせ、堂々と締めくくった。
 日本フィルはラザレフの指揮のもとでは、アンサンブルの精度が格段に増す。角が取れ、豊かな響きになる。
 アンコールのショスタコーヴィチ《馬あぶ》組曲より第3曲「祝日」は、軽快なクラリネットで始まる祝祭的な曲。ロシアのオーケストラを聴いているような、内から湧き上がるリズムと輝きがあった。(長谷川京介)

写真:アレクサンドル・ラザレフ(c)山口 敦、山根一仁(c)K.MIURA

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(チェロ)】


「ダニエル・ブレンドゥルフ 読売日本交響楽団 宮田 大(チェロ)」(6月13日、東京芸術劇場コンサートホール)
 1981年スウェーデン、ストックホルム生まれ36歳の若手指揮者ダニエル・ブレンドゥルフの日本デビュー。
 シベリウス《トゥオネラの白鳥》のイングリッシュ・ホルンソロは、温かな音色だが、もう少し陰影があってもよかったのでは。 
 宮田 大を迎えてのショスタコーヴィチ、チェロ協奏曲第1番は、宮田のソロが素晴らしかった第2、第3楽章が出色。第3楽章のカデンツァも見事。その一方で、ブレンドゥルフは、リズムがやや重く、第1、第4楽章は切れ味がもう少しほしいと思った。
 リムスキー=コルサコフの《シェエラザード》は、読響の底力が全開した。コンサートマスター長原幸太のシェエラザードを表すソロは、張りと輝きがある。チェロ首席遠藤真理のソロは艶やか。ファゴット(吉田 将)、クラリネット(金子 平)、オーボエ(辻 功)、フルート(倉田 優)が素晴らしいソロを披露した。金管もトロンボーンを始め、ホルン、トランペットも好演。弦セクションも充実していた。
 ブレンドゥルフの指揮は、オペラのクライマックスのように劇的な場面では効を奏するが、細やかなニュアンスにはまだ課題がある。第3楽章「若い王子と王女」は、夢見るようなロマンスとまでは行かず、表情が単調だった。
 しかし36歳という若さにしては、オーケストラのコントロールができており、この先楽しみな指揮者であることは間違いない。(長谷川京介)

写真:ダニエル・ブレンドゥルフ(c) Marco Borggreve、宮田大(c)亀村俊二

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ピアノ)】


「渡邊一正 東京フィルハーモニー交響楽団 阪田知樹(ピアノ)」(6月14日、東京オペラシティコンサートホール)
 今日は阪田知樹(さかたともき)という素晴らしいピアニストを聴けたことが、最大の収穫だった。リストのピアノ協奏曲第1番はヴィルトゥオーゾ(巨匠、名人、大家)を思わせる演奏だった。完璧なテクニックとともに、風格があってスケールが大きい。渡邊一正指揮東京フィルの巨大な音に一歩も退かず、ピアノを鳴らし切った。第2楽章など叙情性も豊かだ。アンコールで弾いたリストのラ・カンパネラ(1838年版)も余裕の演奏。ステージマナーも堂々としており、スター性も充分。 
 渡邊一正は初めて聴く。バレエやオペラを得意とする指揮者らしく、劇的に音を鳴らすことは長けている。リストの交響詩《レ・プレリュード》はロマンティックで構えの大きな演奏。指揮姿も巨匠のように、最小の動作で最大の音を引き出す。これはひょっとしたら、隠れた巨匠なのでは、と後半のブラームスの交響曲第4番に大いに期待したのだが、結果は逆だった。確かにスケールは大きいが、ただオーケストラを鳴らすだけのように見える。ブラームスのメッセージやニュアンスは感じられず、落胆した。東京フィルが力演だったのは救いだった。18日にオーチャードホールで同じプログラムを聴いた友人は、楽譜に忠実な名演と絶賛しており、評価が分かれた。少なくとも、リストの《レ・プレリュード》が名演だったことは確かだ。機会を見つけて、改めて渡邊一正という指揮者を聴いてみたい。(長谷川京介)

写真:阪田知樹(c)HIDEKI NAMAI、渡邊一正(c)満田聡

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ピアノ)】


「アレクサンドル・ラザレフ 日本フィルハーモニー交響楽団 若林 顕(ピアノ)」(6月16日、東京文化会館)
 ヘヴィー級のプログラム。グラズノフ、バレエ音楽《お嬢様女中》(原題:恋のたくらみ)は、副題に<ワトー風の牧歌>とあり、ロココ様式の雅な宴の画家、フランスのアントワーヌ・ワトー(ヴァトー)(1684-1721)の絵の世界をイメージしたバレエ。50分という長い時間休みなしに演奏された。この作品は上品で趣味の良い音楽があふれている。バレエは見たことがないが、情景が目に浮かぶような美しく楽しい作品だ。ラザレフと日本フィルは、弾むようなリズムに裏打ちされ、色彩的で生命力に満ちた演奏を繰り広げた。
 後半はプロコフィエフ。若林 顕を迎えたピアノ協奏曲第1番は、豪壮な演奏。特に幻想的で繊細な第2部から、冒頭の序奏主題が劇的に展開されるアレグロ・スケルツァンドの第3部終結部は、ラザレフ日本フィルと若林が一体となり、聴きごたえがあった。
 プロコフィエフ、スキタイ組曲《アラとロリー》は、4つの曲それぞれに迫力があり、特に第4曲「ロリーの栄えある出発と太陽の行進」の壮大な結末では、ラザレフは両手を高く掲げ、輝かしい音を日本フィルから引き出した。
 ラザレフの日本フィルの楽員を称賛する姿はもうお馴染みだが、この夜は特に満足気だったのが印象に残った。(長谷川京介)

写真:アレクサンドル・ラザレフ(c)山口 敦

Classic CONCERT Review【器楽曲(ピアノ)】

「小山実稚恵の世界 ピアノで綴るロマンの旅 第23回」(6月17日、オーチャードホール)
 最後に弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960が素晴らしかった。第1楽章は小山がシューベルトの傍らに寄り添い、慰めているかのようだった。第2楽章は、シューベルトが憑依。第3楽章スケルツォは、天真爛漫。第4楽章は、天国が突然強烈な和音によって脅かされる。天国か地獄かの査問のように思える。やがて現世に別れを告げ、陽気に天国へ向かっていくシューベルトがプレストとともに消えていった。こうしたドラマを、小山は没我の境地で表現した。
 1曲目シューマン《幻想小曲集》作品12は、弱音で弾く第1曲「夕べに」第3曲「なぜ?」の繊細な響きが美しいものの、第2,4,5,8曲ではペダルの使い過ぎと音の濁りが気になった。
 同じことは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110にも当てはまる。第1楽章冒頭の、遠くから呼びかけるような叙情的な表情は、他の誰とも違う小山独特のベートーヴェンという印象を与えるが、第2楽章は鍵盤を強く叩く際の音の濁りがあった。第3楽章序奏に続く「嘆きの歌」は、再び聴き手の心に深く入ってくるが、フーガは音の連なりだけになり、強く弾くと音が濁り、緊張の糸が断ち切られる。2回目の「嘆きの歌」は痛々しさがよく表現されていた。しかしト長調の和音の強打は無理があり、三声のフーガや最後の和音はエネルギーが足りなかった。
 アンコールのショパン、ノクターン第21番ハ短調(遺作)と、第13番ハ短調作品48-1は、慰められ、勇気づけられた。特に第13番はスケールが大きく、こういうショパンを弾く小山実稚恵はやはり凄いピアニストだと思う。最後はバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻プレリュード。シューベルトの描いた天国にとどまるにはこの曲しかないと思わせる見事な演奏だった。(長谷川京介)

写真:小山実稚恵(c) )ND CHOW

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ヴァイオリン)】


「シモーネ・ヤング 読売日本交響楽団 ネマニャ・ラドゥロヴィチ(ヴァイオリン)」(6月18日、東京芸術劇場コンサートホール)
 昨年11月にヤング指揮東京交響楽団でブラームスの交響曲第番4番を聴いたが、東響より響きが骨太の読響のほうがヤングとは相性がいい。
 ワーグナー歌劇《さまよえるオランダ人》序曲冒頭の荒れ狂う海の音楽を聴いたとたん、一瞬にしてホールがオペラハウスに変わる。スケールが大きく、力強い響きは雄大であり、ゼンタのテーマの木管の響きともども、これぞワーグナーという充実感があった。
 ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番を弾いたネマニャ・ラドゥロヴィチは、1985年セルビア、ベオグラード生まれ。
 ラドゥロヴィチの演奏は、音色はやや軽いが、音楽は流れるようにスムーズ。強靭さと繊細さを併せ持つ。ブルッフは第2楽章アダージョ冒頭が細やかだった。シモーネ・ヤング読響も負けずと繊細なバックで盛り上げた。ブルッフはもう少し艶やかな音が合うと思うが、個性的なラドゥロヴィチの演奏は新鮮に聞こえる。アンコールのパガニーニ「24の奇想曲」より(ラドゥロヴィチ編)は、超絶技巧のラッシュ。左指のピチカート、スピッカート他なんでもあり。聴衆は大喝采。
 ブラームスの交響曲第2番は16型対向配置。ヴィオラが第1ヴァイオリンの隣に位置する。コンサートマスターは日下紗矢子、小森谷巧が隣に座る。ホルントップに日橋辰朗を配し、読響も万全の体制。重厚なブラームスを堪能したが、そのわりに心に残るものが少ない。部分部分は充実しているのだが、全体の流れが悪く、曲の構造がよくわからないと感じた。時々、恣意的にテンポを動かすのも流れを悪くした。たとえば、第4楽章提示部最後(練習番号F)で急にテンポを落とすが、あまり意味があるとは思えなかった。それでも、芯のある男性的な分厚い響きは、ブラームスを聴いたという充実感があり、終わってみれば、シモーネ・ヤングの世界にどっぷりとつかった満足感があった。彼女のワーグナーをもっと聴いてみたい。(長谷川京介)

写真:シモーネ・ヤング(c)Berthold Fabricius、
ネマニャ・ラドゥロヴィチ(c)Milan Djakov DG

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「東京フィルハーモニー交響楽団 第893回オーチャード定期演奏会」(6月18日、オーチャードホール)
 1996〜2015年東京フィル識者を歴任し、2015年からこの楽団のレジデント・コンダクターに就任した渡邊一正が今回の定期を指揮。渡邊一正が指揮したコンサートは何回も聴いてきたが、今回の演奏は、想像もできないような立派な音楽を形作っていた。大家風な指揮であり、曲全体を見通す強い把握の上に立って、聴き手を曲の内部に誘い込む。
 プログラムの前半は、リスト:交響詩『レ・プレリュード』、リスト:ピアノ協奏曲第1番。後半はブラームス:交響曲第4番である。
 リストのピアノ協奏曲を独奏したのは、阪田知樹であり、彼は19歳で第14回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール最年少入賞。阪田知樹の演奏は初めて聴くが、彼は巧みなテクニックを土台にして、正確なリズム、幅広い強弱の使い方、少しの思い入れのない表現を行った。現代性の魅力であり、リストを得意としていることも、彼の音楽に接すれば理解できることと思う。急楽章が壮麗で、激しい高揚感が印象に残った。
 後半のブラームスの交響曲第4番は、合奏はよく磨かれていて、弱音から強音まで美しく響き、音楽の流れも自然であった。渡邊一正の指揮も無駄を省き、特に第1楽章は一度聴いたら忘れることのできないような旋律を、美しい表情で演奏され、第4楽章も強く引き締め、厳かなといった迫力が伝わってきた。東フィルの団員に方々も、渡邊一正に心からの温かい拍手を送っていた。彼の今後の成長を祈っているのである。
(藤村貴彦)

写真:(c)上野隆文

Classic BOOK Review

「山崎浩太郎 《演奏史譚1954/55》」(アルファベータブックス刊)
 この本の最も面白い点は、著者の「あとがき」のこの言葉に集約されている。『音楽の特徴を文章だけからで感じるのは、いかに吉田(秀和)の筆力をもってしても、限界がある。しかし、モノラルの古びた音であったとしても、録音が残っていれば、印象はまるで違ってくる。文章を録音が、また録音を文章が補って、立体的に楽しむことができる。』(399p)
 たとえば、吉田秀和が著書《音樂紀行》で紹介した1954年7月26日ザルツブルクでのフルトヴェングラー指揮、ウェーバー歌劇《魔弾の射手》にしても、吉田が『細かなニュアンスに富み、序曲の演奏にクレッシェンドやディミヌエンドをたっぷりつけて嫌味でない』と書いた演奏を、実際に録音で聴いてみると、なるほどそういうことか、と膝を打つ。各章の最後にはCDとその品番、ジャケット、録音データと、演奏内容のコメントもあり、とても便利。読者への細かな気遣いが感じられる。
 戦後10年が過ぎた1954年と55年というクラシック界に次々と新しいスターが生まれてきた時代に焦点を当てたのは、著者の慧眼と言える。フルトヴェングラーの死、トスカニーニの引退、マリア・カラスやカラヤンが脚光を浴び始めた時代。ステレオレコードの登場により、クラシック業界が活気づいた年。折しも日本では、吉田秀和が世界を一周して、各国の音楽事情を紹介した年でもあった。世界のみならず、日本の現在のクラシック業界に連なる出発点でもある。著者は吉田秀和《音樂紀行》や山根銀二《音樂の旅》という二人の批評家の著書から、海外レポートの先達の足跡を追うと共に、7年の歳月をかけ、1954年と55年に起こった世界各地のクラシック業界の動きについて、たんねんに資料を集め、整理し、読み解き、関連づけ、業界が激変した2年間を鮮やかに描きだしている。それは音楽だけにとどまらず、他の娯楽や芸術、社会情勢まで言及される。
 たんに昔を懐かしむのではなく、文章と音を確認することで、当時の書物や録音に命を吹きこみ、「つい昨日のように」批評を読み、音楽を聴くことを可能にした労作だと思う。(長谷川京介)