2017年4月 

  

追悼 かまやつひろし
「ムッシュかまやつ」が風の彼方へ去った。・・・・・池野 徹
 日系二世のジャズシンガーのティーブ・釜萢を父に持ち、米国の音楽的フィーリングというか、音楽的センスは自然とムッシュには備わっていた。ムッシュを良く知るミュージッシャンたちはリスペクトを送っていた。従妹に森山良子がいたし、ザ・スパイダース時代の堺正章、井上順、大野克夫、井上孝之はじめウオッカコリンズ時代のアラン・メリルとはニューヨークへ。ミュージシャン松任谷由実、吉田拓郎とは「我が良き友よ」の大ヒット。ファッションリーダーとしてレーサー福澤幸雄、式場壮吉…。あげればきりがないが、ムッシュはすべてのミュージシャンに慕われる気質を持っていた。

 ムッシュとロックフェスの楽屋で話した事があるが、優しいトークと柔和な笑顔が忘れられない。今まで接して来たミュージシャン、ロック系の連中を始め、なんて優しいヤツが多いのかに驚く事が多い。

 ムッシュはその音楽的センスと自分のペースを守った男だった。

 ムッシュの歌には、何かその時代のペーソスとかシニカルさとかレイジーさとかを感じるのだ。「いつまでもいつまでも」「バン・バン・バン」「ノーノーボーイ」「フリフリ」「なんとなくなんとなく」「どうにかなるさ」そして「ゴロワーズを吸ったことあるかい」が、典型だと思う。

 パリに惚れた時期があり、この労働者タバコのカッコ良さが、字余りのリリックに乗りシャンソン風のまるで吟遊詩人的な感じ。ボブ・ディランがベースにあったのかな。

 ザ・スパイダース時代の「あの時君は若かった」は、私の妻の雙葉時代の学友、菅原芙美惠の詞にムッシュが作曲したのだった。私はよくムッシュと間違えられた。ムッシュがクルマ好きでミニ・カントリーマン、私はミニ・モークでロングヘアーにサングラスだったせいろう。ムッシュと会ったときは、実際は似ていないので、二人して大笑いしたものだった。音楽的オーラのあるセンスの良いユニークな日本のミュージシャン、ムッシュかまやつは、もう風の中で感じるしかないのだろうか。

追悼 チャック・ベリー
ロックンロールのレジェンド「チャック・ベリー」がついに。・・・・池野 徹
 1926年生まれの90歳。あのダックウオークとともに独特の笑顔が目に浮かぶ。1950年代に「メイベリーン」「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」「ロックンロール・ミュージック」「スウイート・リトル・シックスティーン」「ジョニー・B.グッド」「キャロル」とヒットした。これらはロックンローラーにとってはバイブル曲。ジョン・レノンやローリング・ストーンズはチャックの曲をカバーしてその人気が世界へと拡散した。

 その間、チャックのヤンチャな歴史が数々あるが1986年ロックの殿堂入りをした。1987年キース・リチャーズがチャックの故郷セントルイスで生誕60周年のコンサートをプロデュース、「ヘイル!ヘイル!ロックンロール」の映画も作った。さすがのキースもチャックの気難しさに音を上げたと言っている。その年エリック・クラプトンとキースとギターセッションもしているがチャックの二人に対する気の使いようと盛り上げ具合は見物だった。

 1994年。ストーンズの「Voodoo Rounge US Tour」をニューヨークのジャイアンツスタジアムで見た後に、夏のカリブ海のクルーズでバハマに行った。クルーズのナイトショーでチャック・ベリーが出演するのだと、船で友達になったアメリカ人夫妻に聞き驚いた。まさか同じ船であのロックの伝説のギタリスト、チャック・ベリーのギターリフに出会えるとは…! 夢中で写真を撮ったのを覚えている。

 ステージのチャックは、赤と青の花模様のシャツに白いパンタロンをはいていた。後にティナ・ターナーとデュエットした時と同じだった事がわかった。その写真を日本に来た時にチャックに渡したが、日本のスタッフは神経質だからとチャックに会わせてくれなかったのを覚えている。

 いずれにしても、チャック・ベリーのロックンロールのギターと歌、そしてそのグルーヴィーな表現力は不滅である。感謝するしかない。今年90歳にして「Chuck」のアルバムがリリースされると聞いているが…。

もし世界の終わりが来るのなら・・・・・森本恭正
 もし世界の終わりが来るのなら、私はウィーンに行く。あそこでは、全てが50年遅れて起こるから(Wenn die Welt einmal untergehen sollte, ziehe ich nach Wien, denn dort alles passiert fuenfzig Jahre spaeter )

 100年以上前に作曲家グスタフ・マーラーが残した言葉である。

 誰からも世界の終わりを告げられたわけではないが、2017年の2月から3月にかけて、私はウィーンにいた。4週間ほどの滞在であったが、できる限り時間をつくってオペラやコンサートに足を運んだ。良いものも、そして残念なものもあった。

 マーラーが死んで数年経って、ヨーロッパでは戦争が始まり、その戦争は1918年に終わる。そのすぐ後にドイツで現れたのが、表現に抑制をかけ、社会の現実をあるがままに投影した絵画や写真の数々に代表される、新即物主義(Neue Sachlichkeit)という芸術主潮だ。そうした主義はすぐに音楽表現にも影響を与え、楽譜に書かれた音符をただただ正確に、書いてある通りに演奏することが良とされた。ロマン派のニュアンスや強調は消え、テンポは揺れない。これは、表現する想像力に欠けた演奏家にとって、自らの非力さを隠す絶好の隠れ蓑になったのではないかとも思う。メカニックに譜面を追っていれば良いのだから。因みに山田耕筰をはじめ日本の西洋音楽の土台をつくった人々の多くはこの時代にヨーロッパで学んでいる―――。

 そして同じ頃ヒトラーが台頭し始める。

 新即物主義も退廃芸術の一環とされヒトラーから弾圧を受ける。が、芸術に対する彼の弾圧行為は、彼の人種的弾圧行為と同じく極めて幼稚で矮小な発想に基づいており、現代的なもの=退廃ときめつけただけである。では、彼が容認した芸術に現代的なものはなかったのだろうか・・・作品の表層にしか関心がいかず、その裡に潜む様々な現代的要素をヒトラーがききとることができずに、弾圧を免れむしろ擁護さえされた作品がある。

 作曲家ヴェルナー・エック(Werner Egk)が1938年に初演したオペラ、ペール・ギュントである。ウィーンのテアター・アン・デア・ヴィーン劇場で2月に再演されたものを観た。主役のボー・スコフスを筆頭に、全ての歌手が素晴らしく、彼らとオーケストラを纏め、見事に音楽劇を造形した指揮者レオ・フセインの仕事もまた見事であった。弾圧者が聴けたところも、幸いにして彼には聴こえなかった(新即物主義的な側面を湛えた)部分も、総じて作品のレヴェルは非常に高く、もし、コンテンポラリー・オペレッタというジャンルがあったならば、この作品がその中央に収まるのではないかと思った。

 その数日後ウィーン交響楽団のベートーヴェン交響曲4番と5番の演奏会に行った。
 演奏会の翌日、Die Presse紙に「ベートーヴェンの自由への危険な道」(Beethovens gefaehrlicher Weg zur Freiheit)と題した批評記事が載る。書かれていたのは、主に指揮者フィリップ・ヨルダンの指揮ぶりについてであった。ベートーヴェンの音楽の最も素晴らしい特性の一つがその躍動するリズムにあることは、この記事の筆者ヴィルヘルム・スィンコヴィッチ氏も認めている。だが、そればかりではないことも又自明だ。フィリップ・ヨルダン氏の殴りかかるような暴力的な動きとも相まって、音楽は息もつかせぬほどの粗野なリズムで即物的に進み、終わった。のどの渇きとザラッとした嫌な感じが体に纏わりつく。スィンコヴィッチ氏は直接的な批判は何も書かなかった。だが、「自由への危険な道」とタイトルを付けて彼は何かを暗喩したのだろうか。

 歴史は単純には繰り返されないこと、そして「全ては50年遅れて起こる」という冒頭のマーラーの言葉が、最早現代には当てはまらないことを祈らずにはいられない。ムジークフェラインザールの9割以上を占めた老人たちに交じって、ゆっくりとAusgang(出口)へ向かった。

宝塚月組の最新版「グランド ホテル」・・・・・本田悦久 (川上博)
☆宝塚歌劇団入団9年目、月組の新トップ・スター、珠城りょうを主役に、「グランド ホテル」と「カルーセル輪舞曲」(稲葉太地 作・演出) が、宝塚大劇場 (1月元旦-30日)、東京宝塚劇場 (2月21日-3月26日) で上演された (筆者の観劇日は3月1日) 。

 宝塚の「グランド・ ホテル」を観るのは、1993年7月8日の東京宝塚劇場以来だ。あの時はトミー・テューンの演出・振付、涼風真世、麻乃佳世、天海祐希、等の月組で、涼風真世の退団公演だった。

 今回の「グランド ホテル」は演出:岡田敬二&生田大和。

 時は1928年、所はベルリンのグランド・ホテル。色々な人たちが回転ドアーを通ってやって来る。華やかさで一際目を引くのは、フェリックス・フォン・ガイゲルン男爵 (珠城りょう)、そして名高いロシアのバレリーナ、エリザベッタ・グルーシンスカヤ (愛希れいか)。不治の病に冒されて、最後の日々をこの高級ホテルで過ごそうと貯金をはたいてやって来た簿記係のオットー・クリンゲライン(美弥るりか)、ハリウッド・スターを夢見るタイピストのフラムシェン (海乃美月)、経営が傾きかけている会社の社長プライジング(華形ひかる)を中心に豪華ホテルの一日を舞台に描く群像劇。珠城りょうが、ガイゲルン男爵として颯爽と登場すると、一瞬、会場は拍手で盛り上がる。かつては一世を風靡したバレエダンサーのグルーシンスカヤだが、全盛期を過ぎて自信をなくし、引退公演はキャンセルと言って、周囲を困らせる。多額の借金解消の為にグルーシンスカヤの部屋に盗みに入った男爵は、彼女のあでやかな美しさに心を奪われる。若く美しい男爵に心から愛されたグルーシンスカヤは、男爵の愛に応えて舞台に立つ決意をする。しかし、男爵は金の工面の為に、実業家プライジング(華形ひかる)の部屋に忍び込み、射殺されてしまう。ベルリンの引退公演には男爵を伴ってと、踊る気力を取り戻したグルーシンスカヤには、その事実は知らされない。フィナーレで登場人物が全員並ぶ中、ガイゲルン男爵とグルーシンスカヤがワルツを美しく舞い踊り、如何にも宝塚らしい夢物語的なフィナーレとなった。ロバート・ライトとジョージ・フォレスト、モーリー・イェストン作曲の「グランド・ホテルで」、「駅の薔薇」「グランド・パレード」、「ボンジュール・アムール」等のミュージカル・ナンバーの数々が楽しい。

舞台写真提供 (C)宝塚歌劇団
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本場ベルリンの「グランド・ホテル」
http://www.musicpenclub.com/talk-201605.html

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