2017年4月 

  

Classic CD Review【協奏曲(ピアノ)】

「ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第2番ハ短調 作品18、第3番ニ短調 作品30/ カティア・ブニアティシヴィリ(ピアノ)、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団」(ソニー・ミュージック・エンターテインメント/ソニークラシカルSICC-30427)
 今年の6月に30歳の誕生日を迎えるカティア・ブニアティシヴィリは現在多くの優れた音楽家を輩出しているグルジアを代表する女性ピアニストである。カティアは6歳でソリストとしてオーケストラとのデビューを成し遂げたほどの天才肌の女の子だった。そのカティアが今回リリースしたラフマニノフの協奏曲2曲を聴くと、その限界を感じさせないテクニックの素晴らしさと、持って生まれた音楽性の豊かさに唯々驚いてしまう。そして当然のことながらソリストとして自らが中心となって演奏表現を決めているのだろうと思われる。このことは第2番の冒頭8小節に亘る和音を弾いている時からクラリネットと弦(ヴァイオリン)による第一主題のフレージングを聴いたときに筆者がそのように感じたからだ。
 第3番は第1楽章の出だしから、カティアは心からの哀愁を込めて速いテンポで弾く。第3番のブニアティシヴィリのピアノは3つの楽章ともにラフマニノフの魅力がつまっており、そのすべてにカティアのテクニックと音楽性の素晴らしさを知ることが出来る。全体を聴いてみてソリストのブニアティシヴィリと指揮者のパーヴォ・ヤルヴィの相性はほとんど文句のつけようがないが、伴奏のチェコ・フィルのアンサンブルに今一つの切れの鋭さが欲しい。(廣兼正明)

Classic BD Review【器楽曲(ピアノ・リサイタル)】

「ショパン・ライヴ・アット・サントリーホール : ワルツ 変イ長調 作品34の1「華麗なる円舞曲」、夜想曲 第20番嬰ハ短調 WN37, バラード 第4番 ヘ短調 作品52, ワルツ 変ニ長調 作品64の1「子犬のワルツ」,ワルツ 嬰ハ短調 作品64の2, 練習曲 第3番 ホ長調、作品10の3 「別れの曲」、バラード 第1番 ト短調作品23, ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調、作品58,第1楽章 アレグロ・マエストーソ、第2楽章 スケルツォ:モルト・ヴィヴァーチェ、第3楽章 ラルゴ、第4楽章 フィナーレ:プレスト・マ・ノン・タント(アンコール) エルガー:「愛の挨拶」/仲道郁代(ピアノ)」(ソニー・ミュージック・エンターテインメント/ソニークラシカルSIXC-18)
 このBDは日本のショパン弾きでショパンの研究者もある仲道郁代がショパン生誕200年の2010年にサントリーホールで行われたオール・ショパン・プログラムの72分のライヴ映像である。当日収録した曲はアンコールを除いてピアノ・ソナタ第3番とショパンの代表作といわれている上記8曲の有名曲で、感情豊かな仲道の演奏と8曲の中の4曲は現在使われているシュタインウエイの代わりに当時演奏会などでショパンもよく使っていたショパンの時代のピアノであるプレイエルで演奏した貴重な映像を見ることが出来る。従ってタイムスリップしてパリのショパン・リサイタルと思って優雅なパリの雰囲気を味わうことにされたら如何かな!!! (廣兼正明)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「井上道義 大阪フィルハーモニー交響楽団<創立70周年記念>第50回東京定期演奏会」(2月22日、東京芸術劇場コンサートホール)
 ショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」と交響曲第12番「1917年」という超重量プログラム。名演だった。井上はショスタコーヴィチの交響曲全集CDをこの日発売したばかり。入魂の指揮だった。音楽全てに血が通っており、大阪フィルも井上に全力で応える熱演を繰り広げた。第11番第2楽章は恐ろしい演奏。民衆に一斉射撃が加えられ阿鼻叫喚が展開、ぴたりと射撃が止む。音楽が描き出す残酷な情景に戦慄した。第4楽章の「ワルシャワ労働歌」を奏でる分厚い弦の響きと、鐘が打ち鳴らされる終結部の壮大な演奏に圧倒された。すさまじい演奏が終わった後も、音が完全に消え、井上の手が下りるまで、浅薄なブラヴォや拍手は起こらなかった。当夜は耳の肥えた聴衆が多かった。音楽を深く受け止める姿勢に感心した。
 第12番も圧倒的な演奏であり、最後まで集中力を切らさなかった井上&大阪フィルには大きな拍手を送りたい。
 大阪フィルは打楽器(ティンパニ、小太鼓、タムタムほか)が大健闘。金管もよく頑張った。木管はクラリネット、イングリッユホルンが素晴らしい。弦も充実した演奏を展開した。井上にとって、首席指揮者としては今回が最後のコンサートになるという。病気のため、思うような活動ができなかったかもしれないが、今後も折に触れ大阪フィルを指揮することになっている。今回のような名演を期待したい。(長谷川京介)

写真:(c)Mieko Urisaka

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「井上道義 大阪フィル 第50回大阪フィル東京定期演奏会」(2月22日、東京芸術劇場)
 大阪フィル第50回東京定期は3年間首席指揮者を務めた井上道義の任期最後の公演となった。曲目は井上がもっとも得意とするショスタコーヴィチの交響曲で、第11番と第12番という長大なプログラム。1905年の「血の日曜日」の粛清から民衆の蜂起、そして革命までを辿ったことになる。大フィルは在京オケと比較すると技術的には劣るし、当日の演奏にも瑕疵は多かったが、それがまったく気にならない。そのくらい強靭な意志に貫かれた見事な演奏だった。
 第11番は、冒頭の「宮殿前広場」の主題から陰惨な空気が会場を支配する。ティンパニのレシタティーフは、息を潜めてあたりを窺う心臓の鼓動のように聴こえる。フルートによって奏される革命歌「聞いてくれ」は「宮殿前広場」の陰惨さにあって、やや期待を抱かせるような性格を持っている。しかし、この日の演奏では、そのわずかな期待すら打ち砕かれることが決定されているかのような暗澹たる音を響かせる。胃が痛くなるほどだ。作品の核心、第2楽章の第二部へ向けた不安定な調性とリズムによる対位法も凄まじい緊張を高める。第二部、一斉射撃を描写したフガートの後半、井上はここ(練習番号84)でテンポを上げた。これはゲルギエフなども行っているが、効果が上がりにくく勇気の要る選択だ。しかし、この日のギアチェンジは完璧であった。止めることのできない巨大機構に呑みこまれてゆく恐怖感は尋常ではない。フガートが鎮まった後に、もう一度冒頭の「聞いてくれ」が引用されるが、もう訴える力は残っていない。切れ切れになりながら息絶える。眼前で殺戮が繰り広げられているかのようだった。第3楽章はヴィオラのユニゾンによる犠牲者へのレクイエムで始まる。シュスタコーヴィチのヴィオラの使い方は天才的だが、ここでも色彩を排した渋い音色による詠嘆の歌には心がこもり切っていた。楽譜の指定はpだが、井上は感情が高まり音域がVnを追い越そうとするあたりでmfにまで音量を上げ、はちきれんばかりに歌い抜いた。
 後半の第12番。すべての音に意志があるということは後半の12番にも言える。木管による一斉射撃の引用に当たるモチーフ(練習番号26)が凶悪な音質で挿入され、革命歌「同志よ、歩調をそろえよう」が勇壮に導かれる。どんな音楽なのかするすると身体に入ってくる。この作品には、Dis-Ais-Hisの3音からなるモチーフが散りばめられている。和声的には主和音を導く機能を持っているのだが、幾度も幾度も繰り返され、最終楽章までその機能をまっとうしない。井上は、終楽章終結でモチーフの異名同音Es-B-Cに強烈なリテヌートをかけ、力ずくでニ長調のsffffに流れ込み聴衆を興奮の坩堝に叩き込んだ。
 井上は大フィルと難しい時期も多かったようだが、最後に見事な結果を残したと言える。井上の公式HPからこの公演後の井上の言葉を紹介したい。
「大フィルとの3年間のぶつかり合いの果実が今日ここに生まれた。この3年間が平和でなかったことを神に感謝します。」
(http://www.michiyoshi-inoue.com/2017/02/_50_1.html)
(多田圭介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「パーヴォ・ヤルヴィ NHK交響楽団」(2月23日、横浜みなとみらいホール)
 マーラー交響曲第6番「悲劇的」がメイン。最初に武満徹「弦楽のためのレクイエム」が演奏された。ソニー・クラシカルによる録音が入っていたこともあり、「完璧な演奏」という言葉は、この日のヤルヴィとN響のためにあるのではないかと思えるほど、緻密で正確な演奏だった。ただ、あまりにも完璧な演奏は、感動という感情の高まりとイコールではないとも思った。これまでのヤルヴィのマーラーと何かが違う。「巨人」や「復活」、「千人の交響曲」では、まだ感情の入る余地があった。今回は隙間がほとんどない。例えば第3楽章アンダンテ・モデラートの2つの主題も、感情が高まるかと思うと、すぐに醒めた表情になる。それは、あえて情感を排除しているかのようだ。情感だけではなく、音楽の中にメッセージや意味を読み取るのが難しい演奏でもあった。愛、不安、諧謔、挫折など、この交響曲には多様なメッセージが込められているのではないか。N響のヨーロッパ・ツアーのため、アンサンブルを完成させることに傾注したのか、録音を意識したのか。ヤルヴィが磨き抜いた演奏で何を伝えたいのか、その意図がつかめなかった。(長谷川京介)

写真:(c) Julia Baier

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ピアノ)】


「アントニ・ヴィット 新日本フィルハーモニー交響楽団 クシシュトフ・ヤブウォンスキ(ピアノ)」(2月25日、すみだトリフォニーホール)
 素晴らしいコンサート。ヴィットの巨匠ぶりが際立ったが、その前にヤブウォンスキ。アンコールのショパンに涙した。ワルツ第2番は、優雅さと沸き立つ喜びの背後に哀しみが影を落とす。ノクターン第20番は、ショパンが一人ピアノに向かう光景と窓の外の寂しい冬景色が見える。一篇の詩を聞くようだった。こういうショパンを聴くと、ふだん耳にするショパンは、一体何なのかと思う。メインのショパンのピアノ協奏曲第1番は、名水のごとく純粋で滑らか。アルペッジョが美しい。ヴィットは繊細な指揮でピアノを包み込む。第2楽章冒頭の弱音や、ファゴットの響きのバランスなど、細やかに神経を通わせた。指揮、ピアノ、オーケストラが一体となった理想的な協奏曲の演奏だ。
 今日のプログラムは作品、演奏家ともに全てポーランド。その情熱的で愛国的な音楽は、モニューシコの歌劇「パリア」序曲で、ヴィットが指揮台にかけ上がるや否や、即タクトを振り下ろすという勢いに象徴されていた。シマノフスキの交響曲第2番は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩に、さらに貴族的な気品とほとばしる情熱を注いだような作品だ。ヴィットの指揮は、この作品を知り尽くした確信に満ちていた。サイン会で「昨日よりオケが良かった。もう一回演奏できないのが残念だ」と語るのを聞いて、作品への愛を実感した。 新日本フィルは素晴らしかった。このオーケストラは気品があると思う。指揮者との相性が最高だった。(長谷川京介)

写真:アントニ・ヴィット(c)J.Multarzynski
クシシュトフ・ヤブウォンスキ(c)Rafal Wegiel

Classic CONCERT Review【室内楽】


「第24回 マツオ・コンサート」(2月26日、よみうり大手町ホール)
 松尾学術振興財団助成による次世代の音楽界を担う弦楽四重奏団を支援するコンサート。前半は、「カルテット・アマービレ」。2015年桐朋学園在学中に結成。2016年ARDミュンヘン国際音楽コンクール弦楽四重奏部門第3位入賞。曲目はヤナーチェク弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」と、メンデルスゾーン「弦楽四重奏曲第2番」。演奏は荒々しい。トレモロは鋸(のこぎり)で木を削るようだ。前のめりにガンガン行く。これが今の弦楽四重奏団の時流なのか。ヤナーチェクは合うが、メンデルスゾーンはもう少し優雅なアプローチがあってもいいのでは。音楽がどこかに取り残されている。
 「クァルテット ベルリン・トウキョウ」は、2011年結成。2012年ARDミュンヘン国際音楽コンクール弦楽四重奏部門特別賞。現在ベルリンを拠点に活躍。彼らの演奏を聴くと、ほっとする。ヨーロッパの伝統を身に着けた正統的なクァルテットで、音もやわらかく美しい。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番大フーガ付きが演奏されたが、4人のバランスが良く、どこをとっても音楽的に聞こえる。第5楽章カヴァティーナは、甘くならず中庸の美を保つ。第6楽章「大フーガ」は、荒々しくなく格調高い。とてもいい印象を受けた。彼らの演奏には聴衆もブラヴォを送り、アンコールにバッハ「マタイ受難曲」からコラール「私はここ、あなたのみもとにとどまろう」が演奏された。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ヴァイオリン)】


「クレメンス・シュルト 新日本フィルハーモニー交響楽団 パク・ヘユン(ヴァイオリン)」(3月3日、すみだトリフォニーホール)
 いま若手指揮者の活躍が目覚ましい。クレメンス・シュルトは1982年ドイツ、ブレーメン生まれの35歳。生きのいい指揮は、先日二期会「トスカ」で評判を呼んだダニエーレ・ルスティオーニに似ている。曲はハイドンの交響曲第83番「めんどり」と第93番という渋い選曲。間に、2009年ミュンヘン国際音楽コンクールに史上最年少17歳で優勝したパク・ヘユンを迎えたバッハのヴァイオリン協奏曲第2番をはさんだ。
 シュルトがステージに速足で登場、駆け上がってすぐタクトを振り下ろすと、勢いのいい第83番「めんどり」の主題が鳴る。内部から湧き上がる生命力があって、各声部が鮮やか。第2楽章アンダンテのフォルテの強奏と弦の刻みの弱奏の対比も効果的。新日本フィルの上品な響きとハイドンが合い、充実した演奏になった。
 バッハのヴァイオリン協奏曲第2番では、シュルトと新日本フィルはピリオド奏法を取り入れた速めのテンポでパク・ヘユンを支える。ヘユンのヴァイオリンはフレーズが大きく堂々としている。フレッシュなオレンジジュースのような爽やかさと若さにあふれている。
 後半の交響曲第93番も見通しが良く明解な演奏。優雅で充実した響きに満たされ、ここでも音楽が生き生きとしている。アンコールに演奏されたハイドン交響曲第68番第4楽章は忙しいリズムや、弦に答えるファゴットの響きがユーモラス。楽しい午後のコンサートだった。(長谷川京介)

写真:クレメンス・シュルト(c) Felix Broede

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ピアノ)】


「小林研一郎 日本フィルハーモニー交響楽団 金子三勇士(ピアノ)」(3月3日、東京芸術劇場コンサートホール)
 金子三勇士(かねこみゆじ)のピアノを初めて聴く。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の力強い打鍵は、小林日フィルが遠慮会釈なく鳴らすので、対向上弾かざるを得ないのか、彼の持ち味なのか。テクニックは確かで、オーケストラに負けない力強さがある。ただ、音楽としては深くない。この曲には深い抒情性もあるはず。
 チャイコフスキー「交響曲《マンフレッド》」は55分もの大曲だが、交響詩的な作品。演奏される機会は少ない。作曲の契機はバラキレフがチャイコフスキーにバイロンの書いた長編詩劇「マンフレッド」を題材として勧めたことによる。詩劇はアルプス山中の城主マンフレッドが懐疑地獄に墜ちていくという内容だが、物語性のある劇的な作品は小林にぴったり。この曲を弛緩なく聴かせるのは彼の手腕だ。金管がやや一本調子だったが、日フィルの特長である質実剛健な響きで、小林は大いに盛り上げた。マンフレッドに裏切られ自殺した元恋人アスタルテの抒情性豊かなテーマも美しい。最後のオルガンが素晴らしく効果的で、救済の音楽として聴く者の心を浄化するようだった。(長谷川京介)

写真:小林研一郎(c) Satoru Mitsuta
金子三勇士(c)Akira Muto

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「クラシカル・プレイヤーズ東京演奏会」(3月5日、東京芸術劇場コンサート・ホール)
 日本の古楽器をリードする有田正広は「東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ」を1989年に結成し、この楽団は2009年3月をもって幕を閉じたとのこと。2009年6月創立時のメンバーを中心にクラシカル・プレイヤーズ東京と改称し、活動を開始。  
 今回のプログラムは、ベートーヴェンの交響曲第1番と第2番、そしてモーツァル トのホルン協奏曲第4番である。日本初のオリジナル楽器のオーケストラだが、魔術 的な美音は大ホールではなかなか伝わらない。しかし今回のコンサートでは、アンサ ンブルがピシリと決まり、押し付けられたような響きではなく、優雅さが印象に残った。有田正広の指揮は、力強く、精密な展開的構造をしっかりと把握し、盛り上げ方 に迫力があった。  
 プログラムの後半に置かれたベートーヴェンの交響曲第2番は、どちらかといえば テンポが速く、冷静に聴き手の反応を計測したものではない。有田は研究者として世 界の注目を集めているとのことだが、彼の生命感あふれるベートーヴェンを聴くと、この楽団をこれまでにリードしてきた有田の背後には、指揮者としての並々ならない 力があることを実感したのである。  
 モーツァルトのホルン協奏曲第4番を独奏したのはテウルス・ファン・デル・ズ ヴァルト。彼はキャリアの始祖からナチュラルホルンを世界に広めることに務める多 彩な音楽家である。ナチュラルホルンで吹くモーツァルトの協奏曲は、響きも自然で 美しく、バルブがないホルンで吹くとどうなるかと思っていたが、典雅に吹かれ聴手 はズヴァルトの世界に引き込まれていたのである。(藤村貴彦)

Classic CONCERT Review【オペラ】

「ヴェルディ《アイーダ》演奏会形式」(3月9日、豊洲シビックセンターホール)
 充実した公演だった。合唱は入らず。物語をナレーションで紹介しながら進行した。ナレーターは山田亜寿香。ピアノの藤原藍子は、伴奏のほか序曲や凱旋のパラフレーズも演奏する。藤原はしっかりと役目を果たした。
 歌手陣は全員が水準以上。正確であり、声量も申し分なく、熱演だった。中でも飛び抜けた歌手は、エチオピア王アモナズロを歌ったバリトン薮内俊哉。ただ歌がうまいというのではなく、役柄の存在感、演技力があり、感情表現が素晴らしい。アイーダ役ソプラノ石原妙子は第3幕「おお、わが祖国」で立派な歌唱を聞かせた。テノールの柾木和敬は体格も堂々としており、ラダメス役にぴったり、「清きアイーダ」の最高音をふんばった。メゾソプラノ中島郁子のアムネリスも充実した歌唱。特に第4幕「ああ、死ぬ思いがする、誰が彼を救うのか」の感情の爆発が印象的だった。ランフィスのバス田中大揮も立派。エジプト王のバス狩野賢一も健闘。全員が歌う第2幕の大フィナーレ「祖国の救い主よ、予はそちを歓迎する」は会場を圧した。石原と柾木による終幕の二重唱も感動的だった。この上出演者に望むとすれば、薮内のように役柄を深く掘り下げた歌唱だが、それには実際の舞台の積み重ねが必要だ。今回の公演が若手歌手にとってその良い機会になったことは間違いない。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「東京都交響楽団第826回 定期演奏会Cシリーズ」(3月9日、東京芸術劇場コンサートホール)
 都響のCシリーズは飯守泰次郎が指揮をし、後半のワグナーの歌劇『さまよえるオランダ人』序曲、『ローエングリン』第一幕への前奏曲、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第一幕への前奏曲が見事であった。飯守はこれらの曲目をどこのオーケストラを指揮してもプログラムに置くことは多い。それぞれのオケは常に力演し、どこの楽団も以前に聴いた時よりも違った響きを出す。飯守はワグナーに対する音楽的イメージを鮮明に生かし、どの曲も優秀な出来栄えである。日本のオーケストラによるワグナーとしては、水準を拔いたものと云っても良い。今回の飯守のワグナーを聴いた感想は、彼は以前より少しテンポを速め、どの楽想も輝かしい生命をたたえて豊かに流れ、造形もきちんとしていた。
 プログラムの前半はベートーヴェンであり、序曲『レオノーレ』第3番と交響曲第8番。飯守の音楽はワグナーでの感じたことだが、曲全体を見通す強い把握の上に立って、起伏の明快な力強い音楽を作り出す。ベートーヴェンの交響曲第8番では、特に第1楽章と第4楽章の急楽章が聴きごたえがあった。テンポとリズムの良さ、アクセントの正しさ等、本当にこのベートーヴェンを聴いて、飯守は超一流の指揮者に感じられる。飯守のような指揮者が日本のオーケストラに数多く客演し、聴き手に大きな感銘を与えてもらいたい。飯守の指揮は冷厳さを感じさせないが、楽員の方々は彼の優れた音楽性と人間性を確認し、共に優れた音楽を作り上げようとする努力をしてゆくのだと思う。
 木曜日の14時からの開演であったが、ほぼ満員の客席。飯守の音楽は聴き手の心に強く訴えるものがあるからである。
 土曜日、日曜日では、14時開演のコンサートが多い。他の曜日のコンサートも、14時開演が増えてゆくのではないだろうか。今後のコンサートのあり方も考えさせられた日でもあった。(藤村貴彦)

写真:(c)堀田力丸

Classic CONCERT Review【オーケストラ・器楽(ヴァイオリン)】


「小林研一郎 日本フィルハーモニー交響楽団 前橋汀子(ヴァイオリン)」(3月11日、横浜みなとみらいホール)
 マーラーの交響曲第1番「巨人」は、小林研一郎にしては大人しい演奏だった。最近よく聴く鋭くとがった演奏とは正反対で、表情は柔らかく粘らない。しかしコーダの通常はホルンが起立する箇所を通り過ぎ、練習番号60から金管全員(テューバも)が起立して斉奏した。この演出は迫力があった。6回目の3月11日ということで、被災者への励ましの意味をこめて、アンコールにその部分を繰り返した。小林は客席を向き、指揮棒を天高く掲げ、被災者に、犠牲者の魂にこの力が届けと言わんばかりだった。会場は大いに沸いた。
 前半は前橋汀子のヴァイオリンで、サン=サーンス「序奏とロンドカプリツィオーソ」、マスネ「タイスの瞑想曲」、サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」という名曲プログラム。サン=サーンスでは音程の不安定さがあったが、マスネとサラサーテはヴィブラートをたっぷりとかけた美音。初めてクラシックに触れた思い出が蘇ってきて、懐かしい気持ちになった。前橋のアンコールは、バッハ「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番」から「サラバンド」。その演奏は心に染みた。(長谷川京介)

写真:小林研一郎(c)Satoru Mitsuta

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ピアノ)】


「アンドレア・バッティストーニ 東京フィルハーモニー交響楽団 松田華音(ピアノ)」(3月13日、東京オペラシティコンサートホール)
 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を弾いた松田華音の冒頭の和音は重厚で、オーケストラに負けない。音は清潔感があり、硬質な輝きがある。バッティストーニと東京フィルは、重厚な響きで、松田を支えた。コーダの大管弦楽とピアノが盛り上げる主題は聞き応えがあった。
 バッティストーニのチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」は、他の演奏とは違う独自の存在感があった。何が違うのか?イタリア的に明るく旋律を歌い、肯定的であること。粘らずドロドロしない。第3楽章の行進曲は、前半ホルンの三連符にユーモアを感じさせるが、後半の勢いは凄まじく、数人の拍手を呼び起こした。間髪を入れず第4楽章に入って行ったが、悲しみは感じない。中間部最後から異様に高揚していく。特に81小節目冒頭の気合いは鬼神のようで、バッティストーニが大きくうめく声が聞えた。タムタムが鳴ってコーダに入るが、暗くない。なぜこのような前向きな演奏をしたのだろうか。バッティストーニがインタビューで語った言葉に答えを知った。一部を引用したい。
 <『悲愴』は作曲家個人の絶望に結びつけるのは簡単ですが、チャイコフスキーの視線はもっと広く、先々にまで注がれていました。『悲愴』は世界の終りの予兆です。マーラーより早く、20世紀の危機、悲しみと苦痛に満ちた荒廃の世紀を予言していたのです。もの悲しいノスタルジックな交響曲だと思われがちですが、実は、壊れた人間へと視線を投げかけた、もっと激しい音楽です。たしかにチャイコフスキーは絶望していたけれど、この交響曲を書きながら最後まで戦っていたのです。>
 キーワードは「戦い」だ。最後の和音が消えたあとの無音は、絶望や死ではなく、次の戦いの前の休息のように思えた。(長谷川京介)

写真:松田華音(c)Ayako Yamamoto、バッティストーニ(c)上野隆文

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「ミシェル・ダルベルト ピアノ・リサイタル」(3月15日、浜離宮朝日ホール)
 ダルベルトのピアノは、全く男性的で強靭だ。スキーやスキューバダイビングを趣味とするダルベルトの小柄な体は全て筋肉で覆われているのではないだろうか。フォーレのバラード嬰ヘ長調、ノクターン第7番と第13番は、叙情的で詩的内省的だが、ダルベルトの手にかかると、トリルやアルペッジョは透明で水晶のような響きの中にダイヤモンドの硬さが埋め込まれているのを感じる。フランクの「前奏曲、コラールとフーガ」は、ダルベルトの厳しい表情がぴったりと合っていた。
 後半のブラームスの4つのバラードは男性的な激しさがあり、第1番の不気味さと暗さ、第3番の悪魔的な面がダイナミックに表現された。一方で第2番の間奏曲的な美しさや、第4番のロマン性は甘さを抑えて弾かれた。
 最後に、ブラームスの「パガニーニの主題による変奏曲作品35」第1巻、第2巻を一気に弾いたが、主題とそれぞれ14の変奏の性格を弾き分けながら、全体でひとつの大きな世界をつくっていく壮大な構築力と、尽きないスタミナから繰り出される強靭な音に圧倒された。アンコールのドビュッシー「子どもの領分」より「グラドゥス・パルナッスム博士」は超速弾きだった。(長谷川京介)

写真:ミシェル・ダルベルト(c)Caloline Doutre

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ファゴット)】

「上岡敏之 新日本フィルハーモニー交響楽団 河村幹子(ファゴット)」(3月17日、すみだトリフォニーホール)
 久しぶりに上岡節がさく裂した。ベートーヴェン交響曲第1番第4楽章の快速テンポと推進力ある演奏は、カルロス・クライバーを思わせるものがあった。
モーツァルトのファゴット協奏曲は、首席河村幹子が、ゆったりとしたテンポで確実な演奏を聴かせた。上岡&新日本フィルはきめ細やかに河村につけていた。
 シューマンの交響曲第2番は第2楽章スケルツォがすさまじい。特に3つ目のスケルツォとコーダの速さは聴いたことがない。2つのトリオもユニークだ。最初の木管三連音のトリオは浮遊するようで、第2トリオも幻想的だった。一方第3楽章アダージョ・エスプレッシーヴォは主題を支えるヴィオラ、チェロ、コントラバスをしっかりと弾かせた。情熱をこめて演奏されることが多いこの楽章で、繊細さを打ち出していた。第4楽章は、後半が前半とまったく違う主題で、冒頭の勢いを維持するのが難しい。上岡は弛緩することなく一気に聞かせた。終結部は輝かしいものがあった。
 定期公演では珍しいアンコールは、モーツァルト交響曲第41番「ジュピター」第4楽章。ベートーヴェンとシューマンがともにハ長調、同じ調性であることから選んだのだろう。
 ひとつ気になったことがある。先鋭的な上岡と新日本フィルの息が微妙に合っていないように感じられた。動きの速い上岡についていくのは大変かもしれないが、楽員にどんな指揮でもくらいつくぞという積極性があれば、更に白熱した演奏になるのではないか。両者の最初の出会いとなったR.シュトラウス「家庭交響曲」の熱い演奏の再現は難しくないはずだ。今後に期待したい。(長谷川京介)

写真:上岡敏之(c)Naoya Ikegami

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲】

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第305回定期演奏会
高関健指揮(3月18日)東京オペラシティ公演

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ 牛田智大)
ブラームス/シェーンベルク編曲:ピアノ四重奏曲第1番 ト短調

 「皇帝」では、牛田の優しい音色に癒された。天才ピアニストと言われて久しいが、まだ18歳である。温和な雰囲気を持つ牛田は攻撃的な演奏というより柔和な、我々を温かく優しく包み込むような演奏をしてくれた。特に、ピアノの抒情的な演奏は説得力があった。しかし、高関のリードに導かれつつも、時に「牛田くん、がんばれ!」と応援したくなる箇所もあった。ピアノがオケの伴奏を務める部分ではオケの響きに埋もれてしまいかねない弱さが感じられた。だから、アンコールのプーランク「エディット・ピアフを讃えて」の方が彼の本領が発揮されているのではないかと思った。まだまだこれからのピアニストである。大きくな〜れ! と応援したい。
 後半の「ピアノ四重奏曲」の編曲について、高関がプレトークで第1楽章前半はブラームス、シンバルがドカンと叩くとシェーンベルク、第4楽章は全部シェーンベルクなどと語っていた。原曲はピアノと弦楽器3本。これに対してシェーンベルクはピアノを取り除き、打楽器・管楽器を加えた。長さや形式、調構造はまったく同じ。調性のある曲を無調に変えたわけではない。それでブラームス的、シェーンべルク的とはどういうことか。ブラームスの交響曲や管弦楽曲ではホルンや木管の魅力が際立っている。スネアドラムやシロフォンは使っていない。それを加えただけでシェーンベルク風になるのか。演奏が始まるまでそんなことをいろいろ考えた。ところが、高関の言った通りだった。ブラームスの響きとシェーンベルクの響きが交錯する。楽章の途中で、また楽章が変わると変化する。これは本当に面白かった。最後までそういった観点で聴いていたら、あっという間に40分が終わってしまった。オーケストラって面白い、とつくづく感じたひと時だった。(石多正男)

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲】

群馬交響楽団第526回定期演奏会東京公演
大友直人指揮(3月19日)東京オペラシティ

千住明:オペラ<滝の白糸>序曲(コンサートピース版初演)
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調(ピアノ 萩原麻未)
ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調


 <滝の白糸>序曲はまさにオペラの序曲らしく、主人公白糸の生涯を非常に分かりやすく描いていた。コンサート序曲としての秀作に仕上がっていた。波乱に満ち、悲劇的、また死を覚悟し諦観する白糸の思いを大友は会場を大きく包み込むような響きで描いていた。
 萩原のチャイコは自由奔放と言えるほどの元気のよさで、大友のオケをむしろぐいぐい引っ張る感じがよかった。少々荒っぽいところもあったが、おてんば娘が暴れまくっているのを見て(筆者は萩原と個人的に話したことはない)、聴くのは爽快ですらあった。欲を言えば、優美さ、繊細さ、抒情性の表現にも魅力が出せるといいが、これらについては年齢を重ねれば味が加わるのではなかろうか。
 マーラー・ブルックナー・ブームが一段落して、このところ20世紀初頭の後期ロマン派の作品が多く取り上げられるようになっている。ラフマニノフもその一人だろう。マーラーの交響曲第9番とほぼ同じ1908年に書かれた作品だけあって、形式が複雑で全曲を有機的に関連付けて演奏するのは難しいと思う。しかし、大友はグイグイとオケを引っ張り、これでもかと言わんばかりの説得力を発揮した。第2楽章のスケルツォ的な表現も面白かったし、有名な第3楽章の後半は心が熱くなるのを覚えた。終止のディミヌエンドからpppで消える音は見事だった。第4楽章の中ほどで第3楽章アダージョの主題が出るが、その時のいわば回想シーンもよかった。オーケストラの音はまず弦のクリアな響きがよかった。そして、クラリネット、フルート、ホルンの独奏も聴衆を納得させた。後期ロマン派の管弦楽曲もいいなと思った。
(石多正男)

Classic CONCERT Review【オペラ】


「ドニゼッティ《ルチア》」(3月18日、新国立劇場オペラパレス)
 素晴らしい公演。歌手、合唱、指揮者、オーケストラ、演出が全て満足できる稀有な出来栄え。オペラを評するなら歌手からだが、今回は指揮者から讃えたい。ジャンパオロ・ビザンティ。たたき上げだ。イタリアの歌劇場は、スカラ座とローマ歌劇場以外ほぼ全て指揮。ドレスデン国立歌劇場にも何度も登場。歌手とオーケストラのコントロールが完璧。身体の動きが全てを表している。東京フィルは完ぺきに応えていた。冒頭のグランカッサ(大太鼓)の音だけで、指揮者の素晴らしさを感じた。
 歌手は言うことなし。オルガ・ペレチャッコ=マリオッティ(ソプラノ)は理想的なルチアだ。コロラトゥーラとしての技術、強靭さを秘めた高い声の安定ぶり、若さの持つ勢いがある。「狂乱の場」は、演技と歌が一体化。ドニゼッティのオリジナル通りフルートではなくグラスハーモニカ(ヴェロフォン)を使用したことや、ショッキングな演出(槍の穂先に初夜の相手、アルトゥールの首を刺して登場する)もペレチャッコを引き立てた。
 エンリーコ役のアルトゥール・ルチンスキー(バリトン)は、この日の立役者だ。威厳があり格調高い。良く響く声。ルチアの頑迷な兄として、ルチアの恋人エドガルドの宿敵として素晴らしい存在感。
 エドガルド役のイスマエル・ジョルディ(テノール)は、柔らかくナイーブな歌唱で、最後のアリア「祖先の墓よ」を抒情味たっぷりに歌った。
 以上主役三人が揃って容姿端麗であり、歌唱も演技も群を抜いて高い。海外の一流オペラハウと肩を並べるこれだけ見事な公演は、なかなか望めない。日本人歌手の中では、ライモンド役の妻屋秀和が出色。6人全員が歌う第2幕のフィナーレの6重唱の迫力と集中度は、最大の聴きどころだった。小原啓楼(アルトゥーロ)、小林由佳(アリーサ)、菅谷敦(ノルマンノ)も好演。新国立劇場合唱団(合唱指揮:三澤洋史)はいつもながら立派な出来。
 演出はジャン=ルイ・グリンダ。美術はリュディ・サブーンギ。18世紀のスコットランドの荒々しい自然を描いた冒頭場面は岸壁に打ち寄せる波が、プロジェクション・マッピングによりリアルに映し出される。第2幕のエンリーコの居室の広々とした邸宅内部も美しく、また第3幕の荒涼としたレイヴンズウッド家の墓地や海岸の光景、ぼんやりと薄暗い夕日もリアリティがあった。これまでの新国立劇場のオペラの中では、ベストと言っても過言ではない質の高い公演だった。(長谷川京介)

写真:撮影 寺司正彦、提供 新国立劇場

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ヴァイオリン)】


「下野竜也 読売日本交響楽団 三浦文彰(ヴァイオリン)」(3月19日、東京芸術劇場コンサートホール)
 3月末で読響の首席客演指揮者を退任する下野竜也のお別れのコンサートは、10年前正指揮者就任のさい指揮したドヴォルザーク「新世界より」が選ばれた。最初にパッヘルベル「カノン」が演奏されたが、配置が面白い。下野の前に半円形で通奏低音を受け持つチェロ10人、コントラバス8人とオルガンが並び、舞台奥の壁際、下手・中央・上手にヴァイオリン奏者が10人ずつ、立って並ぶ。ヴァイオリンが2小節ずつずれていくのが弓の動きでよくわかる。視覚効果満点だ。
 2曲目は、三浦文彰のヴァイオリンでフィリップ・グラスのヴァイオリン協奏曲第1番が演奏された。パターン化された音型を繰り返すミニマル・ミュージックで、3楽章とも同じような旋律が続く。三浦は宗次ホールから貸与されたばかりのストラディヴァリウスを弾いた。美しく繊細な音色だった。
 後半のドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」は、16型フル編成。読響の実力が発揮された力強い演奏だが、訴えるものが少ない。ところが、第4楽章再現部第208小節目のfffから、急に音楽が深くなった。厚い霧が晴れるような感覚を覚えた。あの変化は何だったのだろう。第1楽章からあの深みが出せなかったのか不思議な気がする。
 アンコールは「パッヘルベルのカノン」のフルオーケストラ版。これは豪華だった。しかし、一筋縄ではいかない下野竜也。ハイドンの「告別」のように、金管、木管、弦の順で、奏者たちが次々と舞台から去って行く。最後は、コンサートマスターの小森谷巧と下野竜也だけになり、二人は左右に分かれて行った。粋な演出に場内は大喝采。明るいお別れ会だ。編曲は読響打楽器奏者の野本洋介。
 プログラムのインタビューで下野竜也は「自分の役割を貫き通せた」と述懐している。ドヴォルザークの交響曲全曲演奏、ヒンデミットの積極的な紹介、知られざる名曲・大曲をつぎつぎと取り上げたことなど読響とともに音楽界に大きな足跡を残した。お疲れさまでした。広島交響楽団の音楽監督としての新たな活躍に期待したい。(長谷川京介)

写真:下野竜也(c)Naoya Yamaguchi

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「名古屋フィルハーモニー交響楽団創立50周年記念 東京特別公演」(3月20日、東京オペラシティコンサートホール)
 音楽監督小泉和裕の指揮で、ブルックナー交響曲第8番が演奏された。小泉の希望で、直前にノヴァーク版からハース版に変更になった。熱演だった。ブルックナーを聴いたという満足感があった。名フィルと小泉和裕の相性は良い。若い奏者が多い名フィルは、持てる力の全てを使って懸命に弾く。コンサートマスターの後藤龍伸は壮絶と形容したくなる入魂の演奏。名フィルは粗いところもあるが、ブルックナー特有のトレモロを弦セクションが必死に弾くのは、爽やかな印象を与える。ベテランの小泉はこうした勢いを消すことなく、バランスよくコントロールした。名フィルは音楽が開放的で明るい点が気に入った。ホルンが大健闘。ハーモニーも美しかった。トランペット、トロンボーン、テューバも健闘。木管はクラリネットをはじめ、オーボエ、フルートががんばっていた。ティンパニも素晴らしい。
 この上足りないものは何か。ひとつは微妙なニュアンスだ。確かに熱演だが、ピアニッシモの繊細な表現や、弦の陰影の濃さと滑らかさ、金管の深い響きが加われば更にブルックナーらしくなる。小泉の指揮はインテンポで粘らない。そのため、どこか淡泊な印象を与えた。
 ハース版とノヴァーク版の違いは、たとえば第4楽章提示部第3主題の荘重な行進曲が終わったあとフルート、弦にヴァイオリン・ソロも加わり、優しい雰囲気が醸し出される部分などがある。実演ではノヴァーク版を聴くことが多く、今回は貴重な機会になった。(長谷川京介)

写真:小泉和裕(c)堀田力丸