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大竹しのぶ「ピアフ」3回目の快演・・・・・川上博
☆昨年(2015)12 月19日にエディット・ピアフ (1915-1963) が、生誕100周年を迎えた。そして東京のシアタークリエでは、2月7日から大竹しのぶ=ピアフの大活躍が始まった (筆者の観劇日は12日)。 2011年の初演、2013年の再演に続く、栗山民也演出の3回目の上演だ。
この作品を書いたのは英国を代表する女流作家パム・ジェムス女史(1925-2011)。「ピアフ」の他に、「マレーネ」「ブルー・エンジェル」(マレーネ・ディートリッヒが主演した映画「嘆きの天使」の舞台化)、「クリスティーナ女王」等がある。
フランスの貧民街で生まれたエディット・ガシオンのルーム・メイトは、気のいい娼婦のトワーヌ(梅沢昌代)、エディット自身は生活費を稼ぐために路上で歌っている。そんなある日、騒々しい路上でも聞こえるように、大声で歌っていると、ナイト・クラブのオーナー、ルイ・ルブレ (辻萬長) に見いだされて、エディット・ピアフと名前も改め、半信半疑のトワーヌもびっくりのクラブ・デビューを飾る。全身全霊で歌う、ピアフの愛の歌は、評判を呼び順風満帆の歌手生活になっていく。
私生活では心の飢えを埋めるように、男性遍歴が続くが、その時その時の自分の心に正直なピアフを、大竹は三回目公演とは思わせない、初々しい演技で観客を引っ張る。若きイヴ・モンタン(大田翔)を見出し、生活を共にしながら、彼をスターに育て上げる。同様に、シャルル・アズナブール(伊礼彼方)もピアフの恋人であり、スターに育っていく。まさに全身全霊で身を削るように歌う大竹の歌声は、それこそがピアフの魅力と思わせて見事という他はないが、太田翔も伊礼彼方も素晴らしい熱唱で、観客を魅了する。
最後の恋人のテオ・サラポ (碓井将太)は、彼女の舞台に魅せられ、彼女の最期の時まで、きめ細かい世話を続ける。二人が歌う「愛はなんの役に立つの」が心を打つ。しかし、何といっても、ピアフの忘れられない恋人は、ボクシングのチャンピオン=マルセル・セルダン(横田栄司)。あなたが死んだら私も死ぬという「愛の讃歌」は、ピアフ自身の作詞で、歌はマルセルに捧げられた。皮肉なことに、この直後にマルセルは、飛行機事故で帰らぬ人となる。ピアフの喪失感は大きく、以来、麻薬は手放せない。そんな孤独感を抱えながら歌い続けるピアフを、折々に出会っては励ますのは、「リリー・マルレーヌ」で知られるマレーネ・ディートリッヒ(彩輝なお)、華やかにみえるディートリッヒも、ドイツ人でありながら、戦争に反対して海外公演を続ける苦悩を抱えていた。他に何役も受け持って、大竹=ピアフを支えるのは、川久保拓司、津田英佑、池谷祐子、いずれも一騎当千で舞台を盛り上げる。
大竹=ピアフが全身で歌うと、耳慣れた「愛の讃歌」「ミ・ロール」「バラ色の人生」も、そしてどの曲も、新鮮な息吹を放ち始める。特に死の床から立ち上がって歌う「水に流して」は絶品、まさにピアフの舞い降りた瞬間と言えよう。
東京公演は3月13日まで、その後、大阪に移って森ノ宮ピロティホールで19日から21日、続いて23日に広島のJMSアステールプラザ大ホール、そして26日、27日の名古屋の中日劇場が最終公演となる。
<写真提供: 東宝演劇部>
旺なつき「マレーネ」の再演・・・・・ 川上博
☆2014年11月に赤坂RED THEATERで上演され、主役の旺なつきが第49回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞した「マレーネ」が、東京・俳優座劇場で今年 (2016年) 2月10日から14日まで6回上演された (筆者の観劇日は14日)。
この作品を書いたのは、「ピアフ」と同じ英国のパム・ジェムス女史(1925-2011)。邦訳は三輪えり花。演出は舞台俳優でもあり、声優でもある、T-PROJECT 代表の田中正彦。
舞台は1970年代のパリ。 大女優で歌手のマレーネ・ディートリッヒ (1901-1992) がコンサート出演のために劇場入りする。彼女の到着を待っていたのは友人のヴィヴィアン・ホフマン (熊谷めぐみ)、付き人のムッティ (竹口安芸子)、出演は旺なつきも含めてこの三人で進んでいく。他には、ピアニスト (上田亨)、アコーディオン奏者 (伊藤ちか子)の二人が、舞台を彩る。
かなり高齢で、神経質になっているマレーネは、劇場に到着すると、照明のこと、用意する花束の数、いつどう自分に渡すかなど、コン―サートを前に、厳しいまでに細かく指示を出す。おまけに、楽屋も舞台も自分で掃除しないと気がすまないという完璧主義。そんなマレーネの気質を分かっているヴィヴィアンに優しく接するかと思えば、忠実に彼女の面倒をみるムッティ(アウシュビッツの恐怖体験以来、口が利けない。) に当たり散らしたりと忙しい。しかし、ひとたびインタビュー場面になると、突然今までの気まぐれは消えて、オーラ満載のマレーネが記者の質問に鮮やかに応えていく。この場面、まさに女優旺なつきの独壇場で、そこにいないインタビュアーが見えてくる見事なシーンだ。
そして、待ちに待ったコンサート・シーン。曲は、「永遠の愛など無い」「ローラ」「ジョニー」「リリー・マルレーヌ」「花はどこへ行った」「バラ色の人生」「フォーリング・イン・ラヴ・アゲイン」。独佛米の馴染みの歌7曲、衣装替えもはさんで、甘く力強い歌声は、観客を魅了する。特に、「リリー・マルレーヌ」、反戦歌の代表と言われている「花はどこへ行った」の2曲共に説得力があり、生涯反戦の思いを胸に舞台に立ち続けたマレーネが、そこにいた。
2日前にはエディット・ピアフ、今日はマレーネ・ディートリッヒに逢えるとは・・・
なお、「マレーネ」の大阪公演は、一心寺シアター倶楽で、2月20-21 日に3回上演される。
<写真提供: T-PROJECT>
北京で「ファンタスティックス!」と「ミュージック・マン」・・・・ 川上博
☆1月の政変後 ”ブルジョア思想” が批判されている中国だが、本場アメリカのミュージカルが大受けしているという。 中国の友人から「北京で初めてアメリカのミュージカルを上演するので来ませんか」とのテレックスを受けたのは、先月初め頃だった。行きたいのは山々だが、残念ながら行かれなかった。すると北京放送局のご好意による「ファンタスティックス!」と「ミュージック・マン」の記録映像が、中国唱片公司経由で届けられた。居ながらにして観られるとは、これは有難い。 2作品とも中国中央歌劇院 (The Central Opera Theatre) の上演で、先ずはトム・ジョーンズ&ハーヴィ・シュミット作詞・作曲・脚本のオフ・ブロードウェイ・ミュージカル「ファンタスティックス!」を観る。中国での題名が美国音楽劇「異想天開」、言語は北京語 (Mandarin)。演出はアメリカ人、ニューヨークの “サークル・レパートリー・カンパニー” のロドニー・マルオットが担当した。 「思い出そう」「ノーのひと言」「誘拐ソング」「雨が降る」「野菜を植えよう」等のミュージカル・ナンバーは全て入っている。出演者たちはオペラ歌手なので、歌は申し分ない素晴らしさ。幕が開いて、準備が出来ていなかった役者が慌ててズボンをはいたり (これはオリジナルのオフ・ブロードウェイ版でもお馴染みのシーンだが)、楽しい幕開けだ。中国で京劇を楽しんだことはあるが、オペラは観たことがなく、オペラ歌手の演ずるミュージカルというのは、勿論初体験だが、歌唱力の見事さは当然ながら、その演技力が凄い。言葉のハンディを超えて、ストーリーの持つ親子の葛藤、男女の恋心などがしっかり伝わってきて感動的だった。「子供は思うようにならない。その点、野菜育ては間違いがない。トマトを育てりゃ、トマトができる」と二人の親父がコミカルに歌い踊るシーンなど抱腹絶倒もので、楽しいビデオ鑑賞となった。このカンパニーは、南京、上海、広州、香港へも行く予定。
メレディス・ウィルソン作詞・作曲・脚本による1957年のブロードウェイ・ミュージカル「ミュージック・マン」は、大好きな作品だ。東京では1985年 (野口五郎、戸田恵子主演) と翌1986年 (野口五郎、田中雅子主演) に上演されている。 舞台は1912年のアイオワ州リヴァー・シティ。自称ハロルド・ヒル教授は、ミュージック・マンと呼ばれる音楽行商人で、楽譜も読めないくせに、田舎町へ出没しては、楽器演奏を教えると言って少年たちのブラス・バンドを作り、沢山の楽器とユニフォームを売りつけて代金を持ち逃げする詐欺師。ところがこの町で、彼は図書館員のマリアンと恋に落ちたことから状況は変わる・・・。ブロードウェイではロバート・プレストンがミュージック・マンを演じ、1962年の映画版も彼が主演していた。 中国語題名は「楽器推銷員」。演出は米国コネティカット州ユージン・オニール劇場のジョージ・ホワイト。出演者60余人は勿論中国人。ブロンドや赤毛のかつらをかぶり、”アメリカ人になりきって” 熱演している。 「序曲」に続くオープニング・シーンは、リヴァー・シティに向かう汽車の中。走る汽車の振動に合わせて、セールスマンたちが体を上下に動かしながら歌う「ロック・アイランド」に始まり、「グッドナイト・マイ・サムワン」「76本のトロンボーン」「マリアン」「ギャリ・インディアナ」「貴方に会うまでは」等、素晴らしいミュージカル・ナンバーが揃っている。北京オペラの役者たちの中国語の歌唱が実に聴き応えがある。この中国版「ミュージック・マン」は、北京公演の後、天津などを巡業するそうだ。 この作品、ブロードウェイでは1958年のトニー賞で、「ウエスト・サイド・ストーリー」を凌いでミュージカル作品賞を獲得。そしてメレディス・ウィルソンの作詞・作曲賞、ロバート・プレストンの主演男優賞など、合わせて7部門でトニー賞に輝いている。(1987.06.15.記)
業界の'内幕'を描いたドキュメンタリー映画♪・・・・上柴とおる
この2月〜3月にかけて相次いで本邦公開のドキュメンタリー映画2作はポップス・ファンにとってはかなり興味深い。「レッキング・クルー〜伝説のミュージシャンたち(原題The Wrecking Crew)」(新宿シネマカリテ&横浜シネマリン:2月20日〜3月4日/シネ・リーブル梅田:3月12日〜3月25日 )はあの全米音楽業界の大物(DJ、司会者)ディック・クラークでさえ「モンキーズが登場するまでは私も知らなかった」という西海岸のスタジオ・セッション集団の実態を数多くのアーティストやミュージシャンたちの証言(内幕エピソード)を基に描いた作品。
◇
http://wreckingcrewjapan.com/
ハル・ブレイン、ジョー・オズボーン、キャロル・ケイ、トミー・テデスコ、アル・ケーシー、アール・パーマー、プラス・ジョンソン、ドン・ランディといった腕利きのセッション・ミュージシャンたちに加えてブライアン・ウィルソン、グレン・キャンベル(元スタジオ・ミュージシャン)、ジミー・ウェッブ、レオン・ラッセル、ゲイリー・ルイス、ハーブ・アルパート、ルー・アドラーにジョー・サラセーノなどアーティストやプロデューサーなどが'今だからこそ'のレコーディング時におけるエピソードを披露して1960年代の米音楽界の'実体'を暴露する。レコードではメンバーが実際に演奏していないケースは枚挙に暇がないのだがそれはあの時代、スタジオ・ミュージシャンによる最高の'録音作品'を世に送り出すことがヒットに繋がると認識されていたからだということに改めて気付かされる。
その'対極'にあるともいえるのが「アーサー・フォーゲル〜ショー・ビズ界の帝王」(新宿シネマカリテ&横浜シネマリン:3月5日〜3月18日/シネ・リーブル梅田:3月26日〜4月8日)。
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http://www.arthurfogeljapan.co
時代はグッと新しくなって1980年代〜現代に至るまでが舞台。こちらは'生演奏'を主軸にしたコンサート業界のドキュメンタリーで当代きっての大物プロモーターでカナダ出身のアーサー・フォーゲルにスポットを当て、アーサー自身、そして「アーティストと真の協力関係を築くこと」をモットーにする彼に絶大なる信頼を寄せるスーパー・スターたちの証言もふんだんに挿入。普段ファンが見ることのないアーティストも交えたミーティングの様子やステージ・セットが組み立てられて行く光景などと共に華やかなショーの裏側を描き出す。U2、マドンナ、デヴィッド・ボウイ等のマネージャーやジャーナリスト、ビルボード誌編集者に加えてもちろん、U2のボノやエッジ、マドンナ、スティング、レディー・ガガといったアーティストもたっぷり登場する。1989年から始まったローリング・ストーンズのワールド・ツアー(スティール・ホィールズ・ツアー)を手掛けたのがきっかけでアーサーは大きく名を上げることになったのだが、その際にコンサート権の獲得を巡って勝利した相手はロック史に残るプロモーター、ビル・グレアム(1960年代に「フィルモア・オーディトリウム」を設立)だった。
この映画ではパッケージ商品(CD)が売れなくなった昨今なれど'ツアー・ビジネス'は好調であるという世界的な傾向もアーサーの仕事ぶりを通じて伝える。以前はアルバムを売るためにツアーに出たが、今は逆にツアーを宣伝するためにアルバムを出すという時代(名刺代わり?)。「1989年にツアーで廻れたのは15〜20か国だったけど今では40〜50か国で簡単にショーが出来てビジネスとしてもマーケットは世界中に広まっている。それを信じられない人たちは時代に取り残されているんだ」(アーサー)。
'新旧'のミュージック・シーンの様相を浮き彫りにするようなこの2作品。音楽業界で仕事をする人たちにとっても'有意義'な映画だ。
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