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追悼・音楽評論家遠山一行氏・・・石田一志
ミュージックペンクラブジャパン会員で文化功労者の遠山一行さんが12月10日に満92歳でご逝去された。遠山さんは敗戦直後の21年に、24歳で毎日新聞の音楽批評を担当してデビュー。以来、長期にわたる優れた評論活動を展開されたことは周知の通りであるが、様々な角度から日本の音楽文化の基盤づくりにリーダーシップを発揮され、多大な業績を上げられたことも特筆すべきであろう。
教育活動では、慶応高校、桐朋の子どもための音楽教室、フェリス女学院、東京藝大、桐朋学園短大で教壇に立ち桐朋では学長にもなられた。数多くの音楽事典の監修者でもあったし、音楽コンクールでは日本音楽コンクールが毎日コンクールの名前のころから要職に在り、また今日全国区に広がっている夏季音楽祭の草分けである草津音楽祭の音楽監督も務められた。東京文化会館で最初の民間人の館長でもあった。いわば、公的な役割をこれほど沢山担当された音楽評論家は例がないといってよい。
我々に関係深いところでは、1962年に遠山音楽財団を設立し同時に付属図書館を開設されたことであろう。これは87年に「日本近代音楽館」と改称するが、同時に洋楽系資料は慶応大学に寄贈され、代わりに日本の近代現代の作曲家たちの自筆譜、書簡、原稿、プログラム、録音資料などの体系的なアーカイブとしての独自の役割と機能を発揮するようになった。50万点と伝えられている資料は、2010年に明治学院大に寄贈されたが、その重要性は今後さらに増すに違いない。
67年に季刊藝術社を設立し、文藝の江藤淳氏、美術の高階秀爾氏らを同人に『季刊藝術』を12年間刊行し、自ら武満論やショパン論の連載をするとともに若手執筆者の発掘に力を注がれた。
80年には東京音楽ペンクラブを設立。世代を超えたクラシック系音楽評論家たちの親睦と情報交換の機会を設けられたことも忘れ難い。
感謝の念と共にご冥福をお祈りする次第です。合掌。
宮本亜門演出による「ヴェローナの二紳士」日本初演・・・本田悦久 (川上博)
シェイクスピアの戯曲「ヴェローナの二紳士」が、ブロードウェイ・ミュージカルになったのは1971年。日本で1975年に劇団四季が「ヴェローナの恋人たち」の邦題で上演したのを観て感動した宮本亜門の新演出で、新版「ヴェローナの二紳士」が、12月7 日、東京の日生劇場で始まった。来年1月は福岡、名古屋、大阪でも上演される。(筆者が観劇したのは、12月10日の日生劇場) メ貴方のお好きなように現代版「ヴェローナの二紳士」を作って下さいモ とオリジナル作家達のお墨付きを得て、亜門氏は思い切り楽しい舞台を創り上げた。
イタリアの片田舎ヴェローナに住むプロテュース (西川貴教) は、親友ヴァレンタイン (堂珍嘉邦) にミラノ行を誘われるが、恋するジュリア (島袋寛子) を想って留まる。しかし、父アントーニオ (斉藤暁) の命令でミラノへ行かざるを得なくなり、ジュリアに永遠の愛を誓って、召使のラーンス (坂口涼太郎) とヴェローナを出る。ミラノで代筆屋を始めたヴァレンタインは、ミラノ大公閣下 (ブラザートム) の娘シルヴィア (霧矢大夢) にひと目惚れ・・・おまけにヴァレンタインを追ってミラノに来たプロテュースもシルヴィアにひと目惚れ。
実は別れの晩の一夜の契りでジュリアが身ごもっていることも知らず、何とか美しいシルヴィアを手に入れようとあの手この手、果てはどうやらシルヴィアと意気投合したらしい邪魔者ヴァレンタインを裏切って、大公閣下に密告、国外追放したりと話はややこしくなってくる。
ヴァレンタインの召使スピード (伊礼彼方) はじめ登場人物の行動すべて、シェイクスピア戯曲というより、今を生きる若者たちの物語。父親が決めた婚約者チューリオ (武田真治) がいて、更に秘密の恋人エグラモー (上原理生) がいるのにヴァレンタインに惹かれていく霧矢シルヴィアのダンスは圧巻。ジュリアと共に男装してミラノに来た侍女 (保坂知寿) もプロテュースの心変わりに大憤慨、ジュリアにこんな不実な男とは別れるようにと説得するが、ジュリア「一人で産んで育てます」とシングル・マザー宣言。よりを戻したくて平謝りのプロテュースを許そうとしないまま、舞台は幕。どこを切っても楽しい、宮本亜門の面目躍如たる破天荒で可笑しさ一杯の恋物語、現代版「ヴェローナの二紳士」でありました。カーテンコールでもジュリアを追っかけるプロテュース、邪険なジュリアと、最後まで笑わせてくれた。
音楽は「ヘアー」のガルト・マクダーモット。「バラになりたい」「LOVE」「虹を追え」「愛のリベンジ」「花のようなレイディ」「シルヴィア」等のミュージカル・ナンバーが素晴らしい。
このミュージカル、ニューヨークでは1971年の夏にセントラル・パークの野外劇場で上演され、寒風と共にブロードウェイのセント・ジェイムス劇場に移って、12月1日に初演、898回続演した。筆者は1972年7月14日に、青木啓氏 (当時「ジューク・ボックス」誌の編集長) と観に行った。
<写真提供: 東宝演劇部>
宝塚OGによるブロードウェイ・ミュージカル「シカゴ」・・・本田悦久 (川上博)
1920年代。禁酒法時代のアメリカ合衆国イリノイ州シカゴを舞台にした、ブロードウェイ・ミュージカル。ジョン・カンダー作曲、フレッド・エブ作詞、フレッド・エブとボブ・フォッシー脚本による「CHICAGO」が、ブロードウェイの46丁目劇場でオープンしたのが1975年6月3日。筆者が初めて観たのが6月9日だった。ボブ・フォッシーの演出で、グウェン・ヴァードン、チタ・リヴェラ、ジェリー・−オーバック等の活躍が思い出される。
物語はヴォードヴィル・ダンサーを夢見るロキシー・ハートが愛人を射殺、その罪をお人好しの夫エイモス・ハートが引き受けるが、結局ばれてロキシーは投獄されてしまう。女性殺人犯が何人もいる中で、スター級の殺人犯は、新聞でいつも話題になっている、元ヴォードヴィルの花形ダンサー、ヴェルマ・ケリー。そこに悪徳弁護士ビリー・フリンが絡む。物語は様々な殺人劇が入るが、音楽の良さとダンスの素晴らしさが目を奪う。
あれから39年。その間に東京では、日本人キャストによる公演 (1983年、1985年、2008年、2010年)、アメリカからのツアー・カンパニーによる公演 (1999年、2003年、2007年、2009年、2012年)、ブロードウェイ (シュバート劇場1997年、1999年)、ロンドン (1998年)、ウィーン (1998年)、ストックホルム (1999年)、オランダのユートレクト (2000年)、韓国ソウル (2000年)と、色々な所で出会った「シカゴ」だが、今度の新作には驚いた。
宝塚歌劇100周年を記念して、宝塚OGたちによる上演だった。
筆者が観劇したのは12月12日、東京国際フォーラム ホールCで、この日の出演者は麻路さき (弁護士ビリー・フリン)、和央ようか (ヴェルマ・ケリー)、大和悠河 (ロキシー・ハート)、初風諄 (看守ママ・モートン)、磯野千尋 (エイモス・ハート)、T. OKAMOTO (メアリー・サンシャイン)、星奈優里 (ハニャック)、蒼乃夕妃 (ゴー・トゥー・ヘル・キティ)、他。
世界広しといえど、出演者は女優だけという「シカゴ」は、他に無いでしょう!!
ところが、その中に黒1点、メアリー・サンシャインを演じたT. OKAMOTO (岡本知高)、彼は男性だが、ソプラノ歌手 (ソプラニスタ)。男性が宝塚OGを演じる? というややこしさだった。女性記者が実は男性というのは、この作品の約束事だが、宝塚版もそうとは恐れ入りました。
<写真提供: キョードー東京>
六本木で「ONCE ダブリンの街角で」の来日公演・・・本田悦久 (川上博)
アイルランドの首都ダブリンを舞台にしたブロードウェイ・ミュージカル「ONCE」の来日公演が、EXシアター六本木で11月27日から12月14日まで行われた (筆者の観劇日は11月28日) 。
このミュージカルは、2006年のアイルランドのミュージカル映画「ONCE ダブリンの街角で」(ジョン・カミー監督、グレン・ハンサードとマルケータ・イルグローヴァ作詞・作曲、主演、劇中の曲「フォーリング・スローリー」でアカデミー
歌曲賞を受賞) に基づいて、作られた。
舞台化された「ONCE」は 2011年4月にマサチューセッツ州ケンブリッジのアメリカン・レパートリー・シアターで始まり、2012年3月18日にブロードウェイのバーナード・B・ジェイコブス・シアターでオープンした。2015年1月4日に終演の予定で、ブロードウェイの続演記録は1,167回となる。
2012年のトニー賞では、最優秀新作ミュージカル作品賞ほか8部門で受賞している。 翌2013年には、ソニー・ミュージック発売のオリジナル・ブロードウェイ・キャスト盤がグラミー賞最優秀シアター・アルバムに選ばれた。
舞台はアイルランドの首都ダブリン。 出演者は13人で、唄だけの人はイヴァンカ (コレット・テットロウ) 一人。12人が楽器を演奏する。ストリート・ミュージシャンの男 (スチュアート・ウォード: ギター) とチェコからの移民の女 (ダニ・デ・ワール: ピアノ) 、シュヴェッツ (マット・デアンジェリス: ギター、マンドリン、他) 、エイモン (J・S・ガードナー: ギター、パーカーション、他)、バルシュカ (ドナ・ガーナー: アコーディオン、他)、エムシー (ライアン・リンク: ギター、バンジョー)、アンドレイ (アレックス・ネー: エレキ・ベース、ウクレレ、他)、昔の女 (エリカ・スパイアース: ヴァイオリン、パーカッション)、レザ (エリカ・スウィンデル: ヴァイオリン)、銀行の支店長 (アンディ・テイラー: チェロ、ギター)、男の父親 (スチュワート・ウォード: ギター)、ビリー (ポール・ウィッティ: ギター、パーカッション、他)。
この作品でトニー賞を得たジョン・ティファニーの演出が面白い。開演前に観客は舞台に上がって、設えてあるアイリッシュ・バーで飲み物を買い、客席を見渡しながらイッパイやれる。開演時間の10分位前から、出演者による演奏が始まり、ストリート・ミュージシャンの男スチュワート・ウォードのギター弾き語りとなり、客席にいたチェコの女ダニ・デ・ワールが舞台へ・・・・。やがて客席の照明が落ちて、芝居が始まる。ストリート・ミュージシャンの男とチェコからの移民の女の結ばれそうで結ばれないラブ・ストーリーを軸に、出演者が13人とは思えない程舞台の動きは早く、様々な男女の日常的な生活と恋物語が、楽しい出演者の生演奏と歌にのせて描かれてゆく。
グレン・ハンサードとマルケッタ・イルグローヴァ作詞・作曲の「フォーリング・スローリー」「ザ・ムーン」「エイ・パダ・パダ・ロシカ」「アバンドンド・イン・バンドン」等のミュージカル・ナンバーが楽しい。
ブロードウェイ初演の時の銀行支店長役だったアンディ・テイラーが、六本木の舞台にも立っていた。
<写真提供: キョードー東京>
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