2017年3月 

  

Classic CD Review【管弦楽曲(ニューイヤー・コンサート)】

「ニューイヤー・コンサート2017/グスターボ・ドゥダメル指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン楽友協会合唱団、ウィーン国立バレエ団」(ソニー・ミュージック・エンターテインメントソニークラシカル/SIXC-17=BD、SIBC-207=DVD)
 先月発売されたニューイヤー・コンサートのCDに続き、今月はBDとDVDがリリースされた。今年招聘された指揮者は100年に1人の天才ともいわれているベネズエラ生まれのグスターボ・ドゥダメルである。ドゥダメルは2007年に初めてウィーンでウィーン・フィルの指揮台に立って以来たった10年でそれもこのような夢の大舞台に呼ばれた幸運児である。
 そしてウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートといえば、J.シュトラウス一家のウィンナ・ワルツを始めとするウィーン独特の癖を持った曲を中心に演奏するコンサートであり、ウィーンの血が流れていない南米ベネズエラ出身の、それもウィーン音楽の経験も少ない若者ドゥダメルが振るウィンナ・ワルツは果たしてどのような演奏になるのだろうか、というのがこのコンサートに集まった地元のオーディエンスが危惧したことではないだろうか。そう言えば確かに幕開けは何となく静けさが漂っていたようだ。
 しかし始まって直ぐのレハールの喜歌劇「ウィーンの女たち」よりの“ネヒレディル行進曲”の勇ましい序奏の後の主部、PPで1st Vnが奏く何回かの3拍目のターンを聴いた途端、これこそウィーン・フィルの真骨頂とも言える優しさと絹のような美しい音色に驚いてしまった。それは指揮者の気持ちがオーケストラの面々に乗り移ったとしか言いようのない見事さだった。この1曲目が終わった時の素晴らしい拍手はこの日の聴衆の心からの気持ちだったろう。そしてもう一つドゥダメルの大衆性を持ったタクト・パフォーマンスも人気の一因であることは確かだ。これは映像媒体ならではの強みである。
 この日はシュトラウス一家を始めとしてレハール、ワルトトイフェル、ズッペ、ニコライ、ツィラーの全21曲、ニューイヤー初登場の曲は8曲であった。この日の演奏はどちらかというと強烈ではなく、殆どが優しさに包まれていたように感じられた。そしてすべてがドゥダメルにとっては実に素晴らしいウィーン音楽の幕開けであった。(廣兼正明)

Classic CD Review【交響曲、協奏曲(ヴァイオリン)】

「モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調、K.219「トルコ風」、交響曲第29番イ長調、K.201/ジョセフ・リン(ヴァイオリン&指揮=協奏曲)、西脇義訓(指揮=交響曲)、デア・リング東京オーケストラ」(ユニバーサル ミュージック、N&F/MF-25806)
 今回は少し毛色の変わったオーケストラを紹介したい。普通プロ・オーケストラと言えば演奏で一番の目的は一言で言って定期演奏会等客の入る有料演奏会で如何に多くの客を集めるかだろう。
 しかし今回紹介する「デア・リング東京オーケストラ」は演奏会ではなく、録音研究をメインの目的としてCDを始めとする録音媒体等の制作会社「N&F」の創設者で録音プロデューサー、そしてこのオーケストラの指揮者でもある西脇義訓によって2013年に創設された。以来西脇は舞台における一人一人のプレイヤーの座る場所と向きによる発音の効果を始め、2001年の会社創立以来新たな音楽の響きの研究に打ち込んでいる。今回のCDでは現在ジュリアード弦楽四重奏団の第一ヴァイオリン奏者で世界を股に活躍中のジョセフ・リンをソロに起用したモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番を収録し、西脇自身が指揮をした交響曲第29番と共に、6枚目の新しい音を世に問うことになった。(廣兼正明)

Classic CD Review【協奏交響曲(ヴァイオリン&ヴィオラ)、協奏曲(ヴァイオリン)】

「長岡京室内アンサンブル/モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調、K.364、メンデルスゾーン: ヴァイオリン協奏曲ニ短調 / 安紀ソリエール(ヴァイオリン=モーツァルト)、成田 寛(ヴィオラ=モーツァルト)、高木和弘(ヴァイオリン=メンデルスゾーン)、長岡京室内アンサンブル、森 悠子(音楽監督) (ユニバーサル ミュージック、N&F/MF-20108)
 最初のサンフォニー・コンセルタントを聴く前の期待度は可なり大きなものだった。それは曲が始まった途端に安堵の気持ちに落ち着いてほっとした。以前からこの曲は長岡京のアンサンブルにぴったりだと思っていたのは正しかったようだ。
 今回のCDの演奏については、アンサンブルの小さな不一致はさて置き、全般的にアンサンブルの技術が大きく進歩していることは誰もが認めるであろう。そこで今から3年前の2014年2月の演奏とそれより12、3年前に収録した3枚目のCDであるスークのセレナーデを聴いてみた。そして12,3年前はアンサンブルの原点である同じパート内での音の乱れ(縦の線のタイミング)が最も気になった。その12年後の今では、世界水準の室内アンサンブルに成長したことは事実である。そして最後に聴いたメンデルスゾーンのニ短調協奏曲を聴くのは久しぶりだが、高木の演奏は楽しさに溢れた素晴らしいものだった。すべてを聴いた後で思ったことはこの2曲のカプリングが実に良かったことである。
(廣兼正明)

Classic CD Review【オーケストラ】

「ベーム+ケルン放送響ライヴ」 (Weitblick, SSS 01760178-2)
 独Weitblickからベ−ムが1976年から1980年にかけてケルン放送響に客演した際の録音が出た。そのなかからモーツァルトの交響曲第29番に触れたい。いまさらながら古い録音を採り上げるには理由がある。
 前世紀末頃からのオーケストラの技術の向上には目を瞠るものがある。それはマーラーやショスタコーヴィチなどの複雑なスコアを明瞭に鳴らすことに一役買った。さらに2000人規模でありながら繊細な響きを隅々まで届けることのできるホールが次々に誕生した。このこともマーラーなどの作品の受容を押し進めた。一方で、同時期の古典の作品受容へ目を向けると、古楽と現代楽器によるその擬態が趨勢を占めるようになっていた。古典の作品も、マーラーなどと同じ大きなコンサートホールで演奏される。しかし、この規模の会場では、古楽の魅力である繊細な色合いの変化はとうてい聴き取ることはできない。音の減衰を速めビブラートを減らした、跳ねるようなリズムの演奏は結果的にどれも似通って聴こえてしまうことになる。この事態は現在のオーケストラコンサートのプログラムがマーラーやショスタコーヴィチに偏り、古典を聴く機会が激減していることに関係があるのではないか。古楽の試みが有意味に音楽ファンに浸透するためのハードルは高い。
 前置きが長くなったが、1976年にベームが指揮したモーツァルトのK.201は現代の大きなホールで現代楽器のオーケストラをたっぷり鳴らした演奏で、安心してモーツァルトの音楽を堪能することができる。演奏は現在ではまず聴くことができないほどゆったりとしている。しかし、「遅い」と感じさせない。音は前の音の余韻を残し、かつ次の音への期待に満ちている。まったくダレない。K.201の主題は和音の跳躍と順次進行の対比に倚音が巧みに組み合わされて構成されている。和声音へと隣接する流れの表情の豊かさと陰影が極度に遅いテンポにもかかわらずまったく失われないのだ。第一楽章で展開部とコーダへ入る際にはさらにリタルダンドする。現在の指揮者は笑うかもしれない。しかし、去ってゆく秋を惜しむような深々とした趣きには堪えがたい魅力がある。いまこのテンポをとって退屈させない指揮者は誰もいないだろう。低弦のがっしりとした柔らかな強さも現代ではもう聴くことができない。まるで絹の寝具に包まれるようだ。通奏低音を伴い軽妙に鳴らされるモーツァルトとは根本的に発想を異にする。
 もし現代のコンサートホールでモーツァルトがこのように演奏されるなら、「聴きたい」というファンは増えるだろう。もちろん20世紀に戻れと言いたいのではない。音楽学の進歩は事実だ。しかし演奏家と研究者だけではなく、企画運営する側にも同じように音楽理解の進歩がなければ、進歩が有意味にファンのもとへ届くことにはならないのではないかと考えさせられる。ちなみに晩年のベームの演奏としては77年に東京でウィーンフィルを指揮した「田園」(Altus-026/7)、同年のK.201(TDK-OC006)などと並んでもっとも彼の美質が生きた演奏と思われる。古典派の交響曲の尽きない魅力を再確認させてくれると同時に特定の時代の「常識」に大きく揺さぶりをかけてくる記録と言える。(多田圭介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「千葉フィルハーモニー管弦楽団第31回演奏会」(2017年1月15日、習志野文化ホール)
 千葉フィルは千葉県を中心に活動するアマチュアオーケストラであり、この楽団の音楽監督兼常任指揮者の金子建志が指揮したコンサートを二回聴いた。金子建志の降り方は派手さがなく、一見して経験の豊富さが分かる棒で、細かい所に大変念の入った作り方が見られる。金子建志はこれまでに数多くのオーケストラを聴き、この経験 を生かして、さらに千葉フィルを成長させてゆくことと思う。金子建志が指揮した マーラーやブルックナーは、アマチュアオーケストラ以外の人からも注目を集めており、このことは、金子は自分の感じ方をはっきりと主張しているからである。  
 プログラムの最初に置かれた序曲《海賊》でも、遠近感をくっきりとつけ、明快な表現であった。  
 二曲目はショスタコーヴィチのバレエ組曲《ボルト》。どの楽想を決定するかは難しく、深い意味での熟達の妙技を要する。千葉フィルの打楽器奏者は好演であり、七曲目の《イエスマン》のシロフォンが活躍するところでは、まさに専門家のうまさがあった。このような作品がこれからも演奏されると嬉しい。アマチュアのオーケストラの演奏会では、曲目が似たり寄ったりすることが多く、今回のコンサートは実に新 鮮であった。  最後に置かれたサン=サーンスの交響曲第3番《オルガン》、はっきりとした色調を持ち、少しもどぎついところがない。耳に大変快い響きが流れ込んでくる。  
 アマチュアのオーケストラでショスタコーヴィチ、サン=サーンスなどの作曲家に 挑戦し、このような素晴らしいコンサートを形作ったのである。来年も新鮮なプログラムを組み、平常発揮できない音楽的力量を多くの人に提供してもらいたい。(藤村貴彦)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「佐渡 裕 東京フィルハーモニー交響楽団 ブルックナー交響曲第9番」(1月22日オーチャードホール、1月27日サントリーホール)
 佐渡 裕のブルックナー9番を、オーチャードホールとサントリーホールで二度聴いた。サントリーがまとまりと集中度は高かった。佐渡のブルックナーを聴くのは初めてだが、明解で分りやすい。ダイナミックがはっきりしており、金管も弦も木管も気持ちいいくらい鳴る。第2楽章スケルツォの地響きのような総奏は快感すら覚える。エンタテインメント性があり、ブルックナーはこういう音楽だと解説してもらうようだ。
 その反面、幽玄さや奥の深さ、感情の機微や信仰的な高い精神性は感じられない。第1楽章の第2主題に入る前の、ブルックナーが「生からの別れ」と言った、ワーグナーテューバとホルンの荘重な和音も、ただ鳴っているだけのように思える。第2主題はたっぷりと歌われるが、表面的。第3楽章練習番号Lの後光が射すような旋律もそっけない表情に終わる。最も崇高な第3楽章コーダ、練習番号Xからヴァイオリンの八分音符の波が始まる部分は、しみじみとしたものは感じない。
 佐渡はウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督となったことが自信となったのか、指揮は落ち着いており、オーケストラの統率力も見事だ。その点は以前聴いた時よりも一回り大きくなったと思う。ただ、音楽の深い表現については、まだ乗り越えなければならない壁が幾重もあると思った。
 笙の宮田まゆみを迎えて最初に演奏された武満徹「セレモニアル-An Autumn Ode-笙とオーケストラのための」は、清涼な空気を会場にもたらした。オーチャードでは1階だったため気づかなかったが、サントリーではRBとLB席ドア前に、バンダのフルートが二本ずつ配置され立体的な効果を与えていた。(長谷川京介)

写真:(c)Yuji Hori

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「シルヴァン・カンブルラン 読売日本交響楽団」(1月25日、サントリーホール)
 カンブルラン得意の近現代フランス音楽プログラム。読響の音がフランスのオーケストラのように、色彩感豊かで、華やかに浮き立つ響きに変わっているのを聴き、カンブルランの力量と、その指揮に柔軟に対応する読響の力を見る思いがした。
 1曲目デュカス、舞踏詩「ラ・ペリ」は木管と弦が美しく、冒頭と最後に金管が一斉に奏でるきらびやかな響きが豪華だ。ドビュッシー「夜想曲」は、色彩感と音色、ニュアンスが豊か。「雲」の木管とホルンのたゆたう響き、「祭り」の華やかな色彩感とはじける音。中間部の行列が近づいてくる弱音器付きトランペットの微妙な表情。「シレーヌ」の新国立劇場合唱団(女声16人)の透明感と厚みあるハーモニー。すべてが極上だった。 
 ショーソンはフランクに学び、ワーグナーに多大の影響を受けた。彼の「交響曲」は滅多に聴けないが、7月に秋山和慶指揮、新日本フィルも取り上げる。第1楽章はワーグナーの楽劇のように開始され、フランクを思わせるフレーズやハーモニーも多く聴きとれる。第2楽章冒頭はまるで「トリスタンとイゾルデ」第2幕冒頭のようだ。第3楽章ではワーグナーとフランクに加え、ドヴォルザークの「新世界より」第4楽章の動機も聞こえる。もっとも、ショーソンが先に作曲しているので、ドヴォルザークが引用したのだろう。ワーグナーとフランクの影響が明らかとはいえ、その中にショーソンの個性とフランス音楽の伝統がちりばめられている。カンブルランと読響は、抒情的で、ロマン性に富んだショーソンの全貌を明らかにした。(長谷川京介)

写真:(c)読響

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「井上道義 新日本フィルハーモニー交響楽団 武満徹プログラム」(1月26日、サントリーホール)
 武満の愛娘、武満真樹の協力を得て、井上道義が企画・進行・指揮のすべてを担当したオール武満プログラム。
 冒頭に蓄音機コレクター、マック杉崎氏所有の英国製蓄音機で再生されたのは、武満が学徒動員先で耳にし、作曲家となることを決意したリュシエンヌ・ボワイエが歌う「聞かせてよ愛の言葉を」。武満が味わった『まるで違った世界が突然目の前にあらわれ、それが体の中にスーと入ってくる』衝撃を実感できた。 
 女優大竹しのぶが歌う「死んだ男の残したものは」は、感情が生々しく伝わってくる。武満徹のデビュー曲「二つのレント」の一部と、その改作「リタニ-マイケル・ヴァイナーの追憶に-」では木村かをりがピアノを弾いた。「弦楽のためのレクイエム」はノット東京交響楽団の切り裂くような激しさに較べると、井上道義&新日本フィルは温厚で物足りない。前半最後の「グリーン」はドビュッシーが大好きな武満が、軽井沢の自然を描こうとしたもの。もう少し色彩感がほしいと思った。
 演奏は、後半が盛り上がった。井上は『50歳くらいまでの武満作品は曲の最後が肝』と語り、「カトレーン」(オーケストラ版)、「鳥は星形の庭に降りる」が演奏された。「カトレーン」は新日本フィルに、ピアノ木村かをり、ヴァイオリン崔文洙(チェムンス)、クラリネット重松希巳江、チェロ富岡廉太郎、ギター大萩康司というメンバーも加わる。2曲とも最後の山場は圧倒的なものがあり、熱演だった。
 「難しい曲の後のアンコールとして聴いてください」と井上が話し、「3つの映画音楽」から「訓練と休息の音楽-『ホゼー・トレス』より-」と、「ワルツ-『他人の顔』より」が演奏された。カーテンコールが続く中、井上は客席の武満夫人、浅香さんを紹介して、内容の濃いコンサートを締めくくった。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「シルヴァン・カンブルラン 読売日本交響楽団 メシアン《彼方の閃光》」(1月31日、サントリーホール)
 第11楽章「キリスト、天国の栄光」の最後に上昇していく弦が、静かにうち続けられるトライアングルと共に消えて行く。カンブルランの手は高い位置で止まり、しばらくしてからゆっくりと下りるが、なおも祈るように頭を垂れたまま動かない。聴衆も一緒に祈るように静寂を保つ。それが感動をより深くした。
 80分近いメシアンの最後の大作(1991年完成)は、打楽器と管楽器奏者の数の多さと、それらの楽器が作り出す色彩的な響きに瞠目させられる。メシアンが神の使いとした「鳥の声」が重要な役割を示す。
 特に印象に残ったのは次の通り。第3楽章「コトドリと神と婚姻した都」のマリンバによる羽ばたきを表す鋭い打音。第5楽章「愛の中に棲む」の弦楽器の澄んだ神聖な響き。第6楽章「トランペット」の大太鼓の強烈な3つの音。金管、銅鑼の咆哮が繰り返される「怒りの日」の音楽。第8楽章のマリンバ、シロフォン、シロリンバの見事な合奏。第9楽章「生命の樹に棲む多くの鳥たち」の密林の鳥の大合唱を聴くような木管。「トゥーランガリラ交響曲」のような色彩とエネルギーに満ちた第10楽章。膨大な奏者をまとめあげるカンブルランの統率力に感嘆するほかない公演だった。(長谷川京介)

写真:(c)読響、青柳聡

Classic CONCERT Review【オーケストラ】


「高関健 NHK交響楽団 青木尚佳(ヴァイオリン)」(2月1日、東京芸術劇場コンサートホール)
 都民芸術フェスティバル公演。ショスタコーヴィチ「バレエ組曲第1番」でのN響の弦の艶と厚み、金管の輝きと強靭な響き、潤いある木管は海外のオーケストラを聴いているようだ。 
 青木尚佳のヴァイオリンによるプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番は、麗しい美音と繊細な弱音、完璧なテクニックで、楽曲の深い部分まで追求した格調高い演奏だった。ただ欲を言えば、もっと暴れてもよかったのではないだろうか。ヴァイオリンの音が小さく感じられた。天下のN響相手に大変だとは思うが、オーケストラと対決し、引っ張って行く迫力がほしいと思った。
 後半のチャイコフスキーの交響曲第4番も名演。高関健は終始冷静で、「楽譜に忠実」という彼のモットー通り、バランスを保ちながら、細部まで目が行き届いた指揮でN響の力を十二分に引き出す。それにしてもN響の弦と金管は良く鳴る。特に素晴らしいのはチェロ。分厚い響きで中声部をがっしりと支える。金管はホルンの福川伸陽をはじめ実力者揃い。木管も素晴らしい。これでは悪い演奏になりようがない。
 高関に更に望むとすれば、エンタテインメント性だ。演奏としては非の打ちどころがないのだが、聴いている時の興奮の度合いは少なくどこか醒めている。作曲家の意図に沿うことと興奮を呼び覚ますことは高関健にとって矛盾することなのだろうか。(長谷川京介)

写真:高関健(c)Masahide Sato、青木尚佳(c)井村重人

Classic CONCERT Review【オーケストラ】


「ユッカ=ペッカ・サラステ 新日本フィルハーモニー交響楽団 レイ・チェン」(ヴァイオリン)」(2月3日、すみだトリフォニーホール)
 レイ・チェンのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は勢いがあり、多少の粗さは気にしないようだ。オーケストラに負けない強さは、世界で活躍するために必要とされるものだろう。一方で深みや微妙なニュアンスが少ないが、溌剌とした演奏はこの曲にふさわしい。ヴァイオリニスト出身のサラステは、レイ・チェンの緩急の激しい演奏にぴたりとつけていた。アンコールのパガニーニ「カプリース第21番」は、テクニックのあるレイ・チェンにぴったり。
 サラステ指揮のチャイコフスキー交響曲第4番は純音楽的で明解。ロシア風の感傷は少ない。新日本フィルは大健闘。金管はホルンを中心に立派な演奏。全体にもう少し厚みと強靭さがあればと思う。第1楽章展開部は、新日本フィルのパワー不足を感じた。第4楽章コーダに向かい盛り上げていくサラステの統率力は見事で、熱気と充実度は素晴らしいものがあった。アンコールのシベリウス「悲しきワルツ」では、付点音符がついた副旋律deciso(デチーゾ、決然と)の幽玄な表情が絶品だった。(長谷川京介)

写真:ユッカ=ペッカ・サラステ(c)Felix Broede、レイ・チェン(c)Julian Hargreaves

Classic CONCERT Review【オーケストラ】


「小林研一郎 読売日本交響楽団 宮田大(チェロ)」(2月11日、横浜みなとみらいホール)
 小林研一郎がフランス物をこれほど見事に指揮するとは。小林の知られざる一面を知った気になった。読響がカンブルランの薫陶を受け、フランス音楽に対する感性や対応力が飛躍的に伸びたこともプラスに働いたのだろう。
 ドビュッシー「小組曲」は、ビュッセルによる管弦楽編曲版だが、小林はドビュッシー特有の柔らかく繊細な音楽を色彩感のある鮮やかな筆致で描いていく。
 宮田大が弾くサン=サーンスのチェロ協奏曲第1番は、艶があり、軽やかな響き。小林&読響も洗練された音で宮田を盛り立てる。宮田のチェロは弱音の表現が細やかで深くなっており、成長が著しい。アンコールで弾いたバッハの無伴奏チェロ組曲第1番前奏曲は、一つ一つの音に意味が感じられる。海外のアーティストと伍すレベルに近づいているように思う。
 サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」は、記憶に残る名演。小林&読響の創り上げた響きは、この作品にふさわしい明るさと輝かしさ、壮大なスケール感があった。第1楽章アダージョの序奏の透明感に、これまでの小林のイメージとは違う世界を感じる。第2部ポーコ・アダージョのオルガンと弦が織りなす美しい響きは神聖とも言える高みに達していた。オルガンの強奏から始まる第2楽章第2部は、輝かしい金管をはじめとする多彩なオーケストラとオルガンが相まって荘厳な響きがホールを満たした。小林研一郎の指揮するフランス音楽は今後も注視していきたい。(長谷川京介)

写真:小林研一郎(c)Satoru Mitsuta、宮田大(c)亀村俊二

Classic CONCERT Review【オーケストラ】


「パーヴォ・ヤルヴィ NHK交響楽団 諏訪内晶子(ヴァイオリン)」(2月17日NHKホール)
 プログラムはシベリウスのヴァイオリン協奏曲とショスタコーヴィチ交響曲第10番。諏訪内晶子は冒頭から音程がやや不安定だった。オーケストラに負けない男性的で荒々しい演奏を聞かせたが、作品のあるいはシベリウスの何を伝えたいのか、はっきりと伝わってこない。厳しさと激しさ、情熱はわかるが、ただヴァイオリンが鳴っているだけのようにも聞こえてしまう。ヤルヴィN響も重厚だがどこか無機的で、荒々しい面だけが強調されていた。アンコールのバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ラルゴは美しく奏でられたが、深く心に刺さるとは思えなかった。
 ヤルヴィ&N響のショスタコーヴィチは予想通りの演奏。最近ヤルヴィのやり方が読めてしまうのは、あまりにも聴きすぎたためだろうか。「筋肉質で引き締まり、躍動感があり、緊張感が持続する。オーケストラから重層的で多彩で、生き生きとした響きを引き出す」という常套句で済んでしまうというのは、礼を失する言い方かもしれない。ただ、ピアニシモの表情に奥深いものがあったのと、第2楽章アレグロのヒリヒリとした鋭い毒を感じる感覚と、第4楽章のコーダの分厚い鉄の壁が押し寄せるような迫力はさすがだと思う。
 N響は篠崎史紀と伊藤亮太郎のコンサートマスター2トップと、チェロも藤森亮一、向山佳絵子の夫婦首席2トップという豪華な布陣。今日と同じプログラム(ヴァイオリンはジャニーヌ・ヤンセン)で臨む2月28日からのヨーロッパ・ツアーに備えるためだろう。ホルンの珍しいミスや、クラリネット以外の木管はまだ控えめであることなど、まだ完全ではない印象を持った。チェロの藤森亮一はすさまじい気合いが入っていた。彼くらいの勢いで全員が弾けばすごいことが起こりそうだ。(長谷川京介)

写真:(c)パーヴォ・ヤルヴィ:Ixi Chen、諏訪内晶子(c)Kiyotaka Saito

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第304回定期演奏会 鈴木雅明指揮」(2月18日 東京オペラシティ)
A.ウェーベルン:パッサカリア 作品1
ベートーヴェン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60
B.バルトーク:管弦楽のための協奏曲
 このプログラムを見た時は戸惑った。ウェーベルンとバルトークにベートーヴェンが挟まれている。これでコンサート全体のまとまりが生まれるのだろうかと。でも、これが鈴木の実力・個性を示すプログラムだった。鈴木はご存じのようにバッハ・コレギウム・ジャパンの主催者であり、バロック音楽の大家である。
 開始前、鈴木が20世紀初頭の前衛音楽ウェーベルン、難しい新ウィーン楽派の音楽をどう解釈するのか、不安と期待感が錯綜する奇妙な気持ちだった。しかし結果的に意外なほど楽しく聴けた。後半のバルトークでもそうだったが、標題音楽のようだった。主題がきれいに聞こえ、音楽が心地よく流れていく。強弱法にも説得力があった。要するに、20世紀の音楽を聴いているようには思えず、ハイドンの後期の交響曲を聴いているような印象を受けた。団員の雰囲気も和やかで、彼らも私と同じように感じていたのではなかろうか。さまざまな表現を聴くことができ、オーケストラを聴く楽しさを感じた。その意味で、説得力があり、こんな風に演奏できるのかと脱帽である。ベートーヴェンの中から第4番を選んだのも納得がいく。ウェーベルンとバルトークに挟まれていてもまったく違和感はなかった。ユーモア、爽快感。いいベートーヴェンだった。(石多正男)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「オーケストラ・ニッポニカ第30回演奏会 芥川也寸志の夢 九州・沖縄の作曲家たちによる交響作品展」(2月19日、紀尾井ホール)
 「オーケストラ・ニッポニカ」は芥川也寸志の意思を受け2002年に発足。日本人の交響作品を積極的に演奏する。今回は芥川が九州・沖縄作曲家協会の事務局長あてに「一人でも多くの九州の作曲家と連携したい」と送った手紙の趣旨にもとづき、九州・沖縄在住の4人の作曲家の作品が演奏された。指揮は野平一郎。ゲスト・コンサートマスターを元N響の山口裕之が務めた。
 福島雄次郎(故人。熊本生まれ。鹿児島に住んだ。)の「ヤポネシア組曲」は、この楽曲の中心である第3楽章「祈り」が心に響いた。
 東京出身だが、鹿児島に住む石田匡志(まさし)は1979年生まれの若手。世界初演となる交響曲第2番と、2013年下野竜也指揮によりマニラで初演され、今回が日本初演となる交響曲第1番が披露された。2曲とも先鋭的でトランペットの鋭い響きの主題を発展させていく。
中村透は1946年北海道生まれ、40年沖縄に住む。交響絵図「摩文仁(まぶに)〜白き風車よ〜」は、中村自身の言葉によると「この世とあの世を行きかう魂の情景を描きつつ、沖縄戦のレクイエムを書いた」もの。序奏と終曲のほか7部からなる大作。白眉は沖縄戦で追い詰められた人々の最後を描いたカチャーシー(沖縄の踊り)のリズムが高揚し果てる第6部。今回はオーケストラ・ニッポニカの委嘱による世界初演。力作だ。ぜひ他のオーケストラでも取り上げてほしい。
 久保禎(ただし)は1962年鹿児島生まれ。「乱声響楽(らんじょうきょうがく)〜南九州歌謡による〜」も、オーケストラ・ニッポニカ委嘱により今回世界初演された。能楽の序破急にのっとった緩急の激しい曲。客席に点在するフルート、オーボエ、クラリネット各2名が音楽を奏する中、オーケストラメンバーが入場を始める。チューニングも音楽の一部。多数の打楽器が大活躍する迫力ある作品は聴き応えがあった。
 オーケストラ・ニッポニカの演奏はよくこなれていて、充分な練習を重ねた跡がうかがえた。九州・沖縄にこれほど優れた作曲家が存在していること、またその作品の素晴らしさに感銘を受けた。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「小池彩夏 ヴァイオリン・リサイタル」(2月25日 Le salon de clavier)
ピアノ:物井彩
バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタKV301
同:ヴァイオリン協奏曲第3番第1楽章ほか
これからが楽しみなヴァイオリンを聴いた。小さなサロン・コンサートだったが、その雰囲気がとてもよかった。目の前数歩の距離で演奏されると、聴衆は演奏者と会話している気持ちにさせられる。一つ一つの音がはっきり意識して演奏されていることが分かり、小池の繊細な気遣いが伝わってきた。モーツァルトのソナタでは物井との二重奏の楽しさも感じさせてくれた。バッハの無伴奏やモーツァルトの協奏曲に挑戦したことも評価したい。勉強しているという真摯な姿勢が伝わってきた。好印象を残した一夜だった。これからさらに練習を重ね、このようなサロンでの聴衆との会話をいっそう楽しめるよう羽ばたいてほしいと思った。(石多正男)