<おめでとう250歳! W.A.モーツァルト>
「ユニバーサル ミュージック モーツァルト大全集」特集
 −第1回−
今月号から12月号までの間、クラシック、ポピュラー、オーディオ各部門すべてに亘る、モーツァルト関連のレヴュー、インフォーメーション等(但しモーツァルト以外の作品と一緒になっている論評等を除く)を一つにまとめた「おめでとう250歳! W.A.モーツァルト」のページを開設しました。是非ご愛読ください。なお、前月号から連載が始まった「ユニバーサル ミュージック モーツァルト大全集」第1回は再掲載しました。

第1巻「交響曲全集」
モーツアルトファン、音楽愛好家ならば誰しもがモーツァルトが41曲の交響曲を作曲したことは知っている。モーツァルトの旧全集(ブライトコップ・ウント・ヘルテル版ライプツィヒ1867〜1905)は41曲の交響曲が収録されているからである。新しい発見によってその数は増え、今回のCDでは41曲の他に更に11曲の交響曲が収められており、これらの交響曲の中には自筆稿がないものがあって、モーツァルトの作品であるかどうかは未だに決定的な説はない。最初の交響曲は1764〜5年(8歳の終わり頃)のものであり最後のそれは1788年(32歳)である。モーツァルトの交響曲の作曲は約24年間にわたって書かれた事になる。
モーツァルトの全41曲の交響曲はカール・ベーム、マリナー、ホグウッド等のCDがありジェイムズ・レヴァインの演奏と比較して聴くと面白い。ベームのモーツァルトは端正で、表現は重厚雄渾な趣で、ゲシュートリヒな含蓄があり、ワルターのような流麗さがあまり感じられない。内的感情が心の中から自然に湧き上がり、それが整然と秩序づけられ造型されたモーツァルト。それがベームのモーツァルトだと思う。アーノンクールもモーツァルトの交響曲の大半を録音しているので彼の演奏についても少し触れておく。アーノンクールのモーツァルトに貫かれており、繊細なアーティキューレーション、リズムの愉悦、透明なテクスチュア、そして対話としての音楽。アーノンクールの明快な主張が感じられ、どれをとっても陳腐な表現は皆無。レヴァインは1978年にザルツブルグ音楽祭でウィーン・フィルを指揮した“魔笛”が絶賛された。マーラーの交響曲の録音でデビューしたレヴァインだが、彼はモーツァルトも得意とする。
レヴァインの実際の指揮を見たことがある人ならば、彼がバーンスタインの様に指揮台の上で飛び上がることなど想像もできない。現在の人気指揮者にありがちな、舞踏のような格好の良さがないのである。レヴァインは腕だけでただ、上下するような身振りで指揮をする。レヴァインの音楽はリズムが軽く、流れがよい。オーケストラや聴衆にまで、さあ、一緒に音楽を楽しみましょうと呼びかけるような親しみあふれる風格があって押しつげがましいところがない。最後の交響曲“ジュピター”まであきないで一気に聴いてしまった。弦のふくらみと透明感、木管の落ち着いた表情、バランスを微妙に変化させて・それぞれのパートを殆ど全て浮かび上がらせる。モーツァルトの交響曲を一癖も二癖もある指揮者で聴かされてきた人達にとってレヴァインの解釈の裡に思いがけない新鮮な美しさを発見するであろう。
紙数の関係で全41曲の交響曲の全ての演奏を詳しく記することはできない。初期の交響曲から晩年の熟成に至るまでのそれを聴いて筆者が印象に残った演奏を記することにする。
ヴォルフガングが少年の作曲したシンフォニー群は1765年の2月21日、5月13日の2回の公開音楽会で演奏され、5曲作られたと思われるが現存するのは3曲。初期の交響曲演奏のレヴァインの特徴は、「別格の指揮者」というよりは、アンサンブルのリーダーとして、楽員と共に喜びを分かち合っているようで、基本的には端正で明快な古典的な運びである。「第1番」は溌刺としており、モーツァルトの特徴である流れるような旋律美を生かしている。レヴァインとウィーン・フィルはモーツァルトの交響曲を一番から時代を追って取り組む事で、作曲者の書法の発展と自分達の解釈のそれを一つにむすんでいるのである。それよりも最初の交響曲が8歳で書かれた事に驚きの一言。
モーツァルトがイタリアに旅して、イタリアのシンフォニーの形式で書いた一群の交響曲と少年期のザルツブツグのシンフォニーの中では、「交響曲第13番」が良い。この作品は「1771年11月2日、ミラノで」と完成の場所と日付が明記されており、管はオーボエ2ホルン2が使用される。特に第2楽章が美しく、第一ヴァイオリンが主旋律を歌い、ギターの伴奏を思わせるスタッカートの音型が続き、南国的なセレナードを奏でる。まことに気持ちの良い素直な解釈で批判などする余地は少しもない。第4楽章のモルト・アレグロもリズムが豊かで音楽は躍動し、しっかりつかまれたテンポが快い。レヴァインでこの曲を聴くと、音楽が自然に躍り出てくるような感じがする。(藤村 貴彦)

第2巻「セレナード全集」(1) UCCP-4001〜6(CD6枚組)
 今回の全集の第2巻が「セレナード」、そして第3巻が「ディヴェルティメント」だが、もう一つのジャンル「カッサシオン」は「ディヴェルティメント」に入っている。そもそもこの3つのジャンルはどのような違いがあってモーツァルトは分けたのだろうか。誰がどう考えても曖昧模糊としてよく分からないのが現状である。ここで取り上げる「セレナード」は、18世紀後半にはやった多楽章形式の器楽合奏曲でモーツァルトが自らこのジャンルに分類した曲に限定した。モーツァルトの場合、「ディヴェルティメント」との違いはあまり目くじらを立てて論じるべきものでもないだろう。モーツァルト自身も厳密に考えて付けたものでもないと考えるのが妥当である。「交響曲」だってそうだ。2つの部分から成るオペラの序曲の後に速い楽章をさっと作り付けて、「はい、これで交響曲の出来上がり」なんてことも結構あるのだから。
しかし「セレナード」も「ディヴェルティメント」も素晴らしい曲が多い。さてこの「セレナード全集」は12曲収録されているのだが、本来は13曲あり、この全集ではヘ長調の第2番は入っていない。「セレナード」については2回に分けて4曲ずつ紹介したい。演奏者は第1番から第9番「ポストホルン」までと第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が、サー・ネヴィル・マリナー指揮のアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ、第10番「グラン・パルティータ」がサー・ネヴィル・マリナー指揮のアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズのメンバー、第11番、第12番がホリガー・ウィンド・アンサンブルのメンバーである。
第4番 ニ長調 K.203(189b) 全曲の中でもセレナードの名前が一番ぴったりする曲ではなかろうか。全部で8つの楽章からなっており、その内の3つはヴァイオリン協奏曲的なものである。これはその他の楽章のBGM的要素のものと違い、客に聴かせる要素を持った楽章となっている。他の曲にも当てはまるのだが、マリナーはメリハリの効いた如何にも英国紳士風な端正な表現をしているのだが、その中にほのぼのとした気持ちをのぞかせている。ヴァイオリン・ソロのアイオナ・ブラウンの楚々とした風情もいい。
第6番 ニ長調 K.239「セレナータ・ノットゥルナ」バロック時代のコンチェルト・グロッソ・スタイルである独奏部(ヴァイオリン2、ヴィオラ、コントラバス)と合奏部ティンパニを含む弦楽四部に分かれている。実に可愛らしい曲でセレナードの中では最も短い曲である。いわゆるコンチェルティーノ部分のソロは技術的にもそれほど難しくない。マリナーは第1楽章の行進曲でいささかの威厳を持って演奏し、第3楽章のロンドでは少し遅めのテンポで落ち着いた感じを与えている。
第7番 ニ長調 K.250(248b)「ハフナー」50分を超える長大なセレナードである。ザルツブルクの名門ハフナー家の娘、エリザベートの結婚披露宴のために書かれた曲であり、第2楽章から第4楽章までの3つの楽章は可成りヴィルトゥオーゾ的なヴァイオリンのソロを伴っている。特に第4楽章のロンドは今もヴァイオリニストたちのアンコール・ピースとして単独でよく演奏されている。マリナーはこのセレナードを遅めのテンポで始め、豪華絢爛なムードをうまく演出している。ここでもブラウンのソロは清楚である。
第8番 ニ長調 K.286(269a)「ノットゥルノ」この曲は1つのメイン・オーケストラと3つのエコー・オーケストラ、合計4つのオーケストラで演奏するように作られた曲である。メイン・オーケストラが1フレーズ演奏すると第2オーケストラがエコーを奏で、そのエコーが第3オーケストラ、第4オーケストラと徐々に短く、そして小さな音になって受け継がれ、面白い効果を上げるように出来ている。このCDでは第3、4オーケストラはミュートをつけて演奏している。この曲も第6番の「セレナータ・ノットゥルナ」同様3楽章の曲となっている。〈以下次号〉 (廣兼 正明)

第6巻「ヴァイオリン協奏曲全集」(1) UCCG4015〜8(CD4枚組)
 モーツァルトは協奏曲形式の完成者といわれる。50曲を越す協奏曲作品を残しているが、ヴァイオリンの曲は、2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネの他、1775年に書いた5曲のヴァイオリン協奏曲、偽作及び真筆でない作品の部に入れられている2曲のヴァイオリン協奏曲、アダージョ、アンダンテ、ロンドなどの単一楽章の4曲、断片、そしてヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲がある。このヴァイオリン協奏曲全集には、断片及び散失したアンダンテを除く全作品が収められている。録音は1972年〜1991年。1775年、モーツァルトが19歳のときにザルツブルクで作曲した5曲のヴァイオリン協奏曲は“ザルツブルク協奏曲”と呼ばれている。いずれも自分用か、あるいはザルツブルクの首席を務めていたアントーニョ・ブルネッティのために書かれたものと思われる。このCD-1にはクレーメルとアーノンクール&VPOの演奏による、第1番K.207、第2番K.211、第3番K.216がまとめられている。これらはアーンクールがVPOを指揮した初録音にあたり、第1番はクレーメルとアーノンクールの初顔合わせによるモーツァルト/ヴァイオリン協奏曲録音の第1作。クレーメルのソロは、研ぎ澄まされた現代的センスと洗練さを併せ持っており、第1番の透明感と豊麗さ、第2番の繊細なニュアンス、第3番の精緻さ、いずれも三者の組み合わせならではの絶妙かつ鮮やかで闊達な表現と明敏な音楽性に富んだ名演が聴ける。〈以下次号〉(横堀 朱美)

第14巻「ピアノ小品、4手のための作品、オルガン作品全集」(1) UCCP4042〜50(CD9枚組)
 この巻はCD9枚組みで、ふだん聴く機会が少ない作品がたくさん収められているのをはじめ、「モーツァルト大全集」ならではの貴重な録音が集められている。ピアノ協奏曲やピアノ独奏のためのソナタは別の巻で扱われ、この巻には含まれていない。何よりもうれしいのは、イングリット・ヘブラーを中心に、モーツァルトの様式をきちんとわきまえた好演ぞろいであることだ。
CD1は、アンダンテK6.1aに始まってメヌエットK.5まで、さらにメヌエットK.355、幻想曲とフーガK.394、カプリッチョK.395、幻想曲K.396、397、ロンドK.485、494、511、アダージョK.540、小さなジーグK.574の20曲が収録されている。モーツァルト5歳のときの曲など幼児期の作品は初めて耳にされる方も多いのではないか。大半の曲は初心者でも弾けるものだが、ヘブラーとバルサムは心のこもった誠実な演奏を繰り広げていて、愛らしく、優美だ。(青澤 唯夫)

第15巻「初期イタリア語オペラ集」UCCG-4043〜55(CD13枚組)
 全24巻のうちオペラ、歌曲集など、歌ものが第15巻より10巻に収められた。イタリア語オペラだけ初期、中期、後期の3巻構成だ。
 初期には、モーツァルト12歳から16歳の作品が収録されている。「みてくれのばか娘」、「ポントの王ミトリダーテ」、「アルバのアスカーニョ」、「シピオーネの夢」、そして「ルーチョ・シッラ」5作。10代前半から半ばのモーツァルトに直に触れることができる。しかもいずれもCD2、3枚を要すとあっては、改めてモーツァルトの才能に舌を巻く。
12歳のときの「みてくれのばか娘」の物語もさることながら、音楽の大人びた顔つきに誰しも目、いや耳を疑うに違いない。マン・マレーの歌う第6曲アリアなど唸ってしまう。女心を捉えた信じ難い音楽表現は末恐ろしい。事実私たちはその末を知っていて、後の「ドン・ジョヴァンニ」や「コジ」の芽がすでにここにある。「ポントの王ミトリダーテ」第20曲アリアでは冒頭に3年後の第25番ト短調交響曲の開始音が顔を出すなど、モーツァルトの成長過程にニヤッとしてしまう。成長著しく「ルーチョ・シッラ」は第2、第3幕と進むにつれ珠玉のアリアが続く。第22曲アリアはハ短調独特の味わいを表現。♭系の調性に心情を発露するモーツァルトの素顔が刻印されている。
一作を除くすべてが70年代録音というのは考えものだろう。いずれもすばらしいキャストでこれを越える企画自体難しい。だが音楽がデジタル時代に入って四半世紀。戦後第2世代を育てるべき音楽界、レコード業界は何をしていたのか、その責任が問われるに違いない。指揮L・ハーガー、P・シュライヤー、ザルツブルク・モーツァルトテウム管、C・P・E・バッハ室内管、E・グルベローヴァ、A・バルツァ、P・シュライヤーほか。〈この巻完結〉(宮沢 昭男)

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