2018年3月 

  

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ヴァイオリン)】


小林研一郎 日本フィル アレクサンドラ・スム(ヴァイオリン)(1月27日、サントリーホール)
 シベリウスのヴァイオリン協奏曲を弾いたアレクサンドラ・スムはモスクワ生まれ。スイス・小澤征爾国際アカデミーに長年参加、小澤の信頼も得ている。スムの演奏は情熱的で明るく、スケールが大きい。ヴァイオリンを豊かにたっぷりと歌わせる。第1楽章の第2主題はとても美しかった。ただ弱音の表情が単調に感じるところもあった。音楽が内省的になると、まだ深みを出せないのかもしれない。
 小林研一郎のブルックナー交響曲第7番は、第4楽章コーダが素晴らしかった。金管に力が漲り、壮麗な世界を築き上げた。ただそこに至る過程では、さらに上を求めたいと思う部分もあった。例えば第1楽章冒頭チェロの第1主題の表情に深みがない。第2楽章、第2主題を意外にあっさりと流してしまう。ここはさらに繊細な優しさがほしい。ワーグナー追悼の葬送音楽も厳粛な悲しみをあまり感じさせない。第3楽章スケルツォのトリオも、細やかな表情が足りない。第4楽章であれほどの高みを築く力量が小林研一郎と日本フィルにはあるのだから、こうした要望もいずれ満たしてくれるだろう。
 日本フィルは大健闘だった。ゲスト・コンサートマスターは徳永二男。ヴァイオリン群が艶やかな響きを作り出していた。またフルート首席に新日本フィルの荒川洋が入り、随所で見事なソロを聴かせた。(長谷川京介)

写真:小林研一郎(c)Satoru Mitsuta

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

マルクス・シュテンツ 新日本フィル ジェイド サントリーホール・シリーズ(2月8日、サントリーホール)
 シュテンツと新日本フィルの幸せな出会い。二度の共演を聴き、相性の良さを確信した。 
 ワーグナー「楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲」は、立体的で構造がくっきりと見える。新日本フィルの弦から力強く艶やかな響きを引き出す。金管と木管の鳴りもよい。心が躍るような輝きに満ちた演奏だった。
 ヘンツェ「ラ・セルヴァ・インカンタータ」は、ヘンツェが自作のオペラ『イル・レ・セルヴォ(鹿の王)、または真実の放浪』から、第2幕のアリアとロンドを編曲したもの。抒情味あふれるアリアと生き生きとしたロンドの演奏は、シュテンツのヘンツェへの共感を感じさせた。
 後半のベートーヴェン「交響曲第3番《英雄》」は、ヴィオラを中央に置き、コントラバスとチェロが左右2群に分かれるという、先週のハイドンの交響曲と同じユニークな配置が再現された。低音部が左右に広がり、その上に重層的な旋律が重ねられるという効果をあげた。
 速めのテンポで進む演奏は古典的造形美と、伸縮自在の即興性が見事に融合。自由闊達であり、骨太でたくましい。ヴィブラートは控え目で響きの明晰さを生む一方で、男性的で重厚さに不足はない。がっしりとしたシュテンツの体躯から発散されるオーラに新日本フィルが全力で応えた本当に充実した《英雄》だった。(長谷川京介)

写真:(c)Molina Visuals

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ピアノ、ヴァイオリン)】


紀尾井ホール室内管弦楽団 ライナー・ホーネック(指揮、ヴァイオリン) 小川典子(ピアノ)(2月9日、紀尾井ホール)
 この定期演奏会から始まるシリーズのテーマは、「ミュトス(神話)とロゴス(概念)」。今回は古代ギリシャの医師たちが、人間の性質や病気を4種類の体液との関係でとらえた概念《四つの気質》に関連ある作品が選ばれた。ヨハン・シュトラウスI世「ワルツ《四つの気質》」と、ヒンデミット「ピアノと弦楽のための主題と変奏《四つの気質》」を並べ、前後にシューベルトの作品を置くプログラム。
 小川典子をソリストに迎えたヒンデミットは、小川のメリハリのあるピアノが際立ち、エンタテインメント性はない一見地味なこの作品が実に面白く聴けた。小川は、インターナショナルな舞台で活躍するだけあって、色彩感と音楽的な律動感が鮮やか。その表現力は素晴らしい。ホーネック指揮紀尾井ホール室内管弦楽団(コンサートマスター千々岩英一)もヒンデミットのDensity(密度の濃さ)をよく出していた。ヨハン・シュトラウスI世のワルツ「四つの気質」は、同じようなワルツのなかに、微妙に四種類の気質が描かれているのがわかる。
 ホーネックがヴァイオリンを弾き振りしたシューベルトの「ヴァイオリンと管弦楽のための小協奏曲」には味わいはあるが、それ以上の深みはない。シューベルト「交響曲第5番」は、表情の変化が少ない平板な演奏だったのは残念。紀尾井ホール室内管のメンバーは、国内や海外のメジャーオーケストラの首席クラスから、コンクール入賞経験者が軒を連ねており、彼らの腕前を充分活用できていないのではないだろうか。厳しいかもしれないが、首席指揮者としての手腕にやや不安を感ずる。次回はぜひ挽回を期待したい。(長谷川京介)

写真:ライナー・ホーネック(c)三好英輔、小川典子(c)S.Mitsuta

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ピアノ)】


ユーリ・テミルカーノフ 読響 ニコライ・ルガンスキー(ピアノ)(2月10日、東京芸術劇場コンサートホール)
 ルガンスキーをソリストに迎えたチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」で、テミルカーノフ読響は懐の深い巨大な世界を築きあげる。雄大で雄渾。遅めのテンポで、堂々とした巨艦が進んで行くようだ。ルガンスキーのタッチは硬質で、強靭。水晶のきらめきと岩盤のような強靭さを併せ持ち、オーケストラと堂々と渡り合う。第3楽章コーダで圧倒的なクライマックスを両者は築いたが、一方で第2楽章も素晴らしかった。テミルカーノフと読響の弦が奏でる抒情性とルガンスキーの詩的で高潔な音楽がひとつになり、極めて格調高い。 
 アンコールで弾いた、チャイコフスキー「子守歌(ラフマニノフ編曲)」はルガンスキーの魅力が良く出ていた。一遍の詩のようであり、雪の夜に浮かぶ温かい灯火のように聴く者の胸に迫ってきた。最後の弱音のなんと深いこと。
 ラフマニノフの交響曲第2番では、読響は鳴り過ぎたのではないだろうか。テミルカーノフの指示なのか、巨匠のタクトに全力でくらいついていく読響に火が付いたのか、轟轟と響き渡る音は時に濁ることもあった。ただ第4楽章は、その強音は迫真的なものとなり、心躍る高揚感があった。(長谷川京介)

写真:ユーリ・テミルカーノフ(c)ジャパンアーツ、
ニコライ・ルガンスキー(c)Caroline Doutre

Classic CONCERT Review【声楽】

藤村実穂子、メゾソプラノリサイタル(2月15日、キタラ小ホール)
 世界中の歌劇場とコンサートホールに常時出演している名歌手の4年ぶりの札幌公演。伴奏は名手、ヴォルフラム・リーガー。曲目は前半がシューベルトの歌曲5曲とワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集全曲、後半がブラームスの歌曲5曲とマーラーのリュッケルト歌曲集全曲。藤村がもっとも得意とするレパートリーが披露された。
 シューベルトは選曲が秀逸だ。1曲目がシューベルトの歌曲のなかでもとくに優美な「ガニュメート」、2曲目が反対に最も大きな起伏に富んだ「糸を紡ぐグレートヒェン」。一曲目で藤村らしい荘重さに背筋が伸びるような歌を、次の2曲目で高揚した劇的な表現力を聴かせ、はじまって10分で札幌の聴衆を呑みこんでいった。名刺代わりといったところか。とりわけ、グレートヒェンでの、紅潮の頂点から突然足が止まり再び寂しげに歩き出す表情の振幅は類例のないほどであった。しかも、いささかも芝居がかっていない真剣な没入ぶりを見せた。この作品は細かなアゴーギグが多く、そのギアチェンジは伴奏の手腕にかかってくる。しかし、リーガーがかなり大胆にテンポを動かしつつ作品の劇性を際立たせた。これが藤村の歌唱の自在さを助けた。ヴェーゼンドンクでは、第3曲「温室で」で聴かせた、微熱の中で現実と夢の区別がつかなくなるような表情には真実味があり惹きこまれた。
 後半のブラームスでは「永遠の愛」に注目した。やや民謡風な素朴さのなかに垣間見える甘美な儚さを美しく表出した。最後のリュッケルトでは、「ほのかな香りを」の冒頭の菩提樹の芳香を思わせるピアノの高音域の華やいだ音色、第2節のはじめでピアノが声楽パートを支えるしなやかな絡み合いが美しい。それがただ繰り返されるのだが、まったく単調に感じさせず、むしろずっと続いていてほしいとさえ思わせた。「美しさのゆえに」は、もう少し初々しい内面的な感動が欲しいと感じられたが、藤村のキャラクターからしていたしかたないだろう。「真夜中に」の最終節、下降音階の第3行から音楽が湧き立つ。このあたりの、あたかも熱烈な神への賛歌かのような表現は藤村の独壇場だ。アンコールに、マーラーの「原光」とR.シュトラウスの「明日!」が歌われた。静かで満ち足りた空気が会場を支配した。
 当日はかなり熱心なファンが集まった模様で、地方の公演にしては珍しく全員が呼吸音を抑え舞台に集中していた。これほどの大歌手を小ホールで聴くことができるのは、ある意味で地方の特権だ。しかし残念なことに当日券も完売しなかった。歌曲はクラシック音楽のファンでも、とっつきにくいジャンルと思われがちであることを肌で感じた。(多田圭介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

鈴木雅明 新日本フィル(2月16日、すみだトリフォニーホール)
 メンデルスゾーン「交響曲第5番《宗教改革》」は名演。14型対向配置。ほぼノンヴィブラート。明晰な響き。引き締まって骨格がしっかりとしている。第1楽章のドレスデンアーメンの旋律には、宗教的な崇高さがある。第2楽章スケルツォの伸びやかな歌も美しい。第3楽章の感情豊かな表現には、適度なロマン性がこめられる。今回は、1830年に初演される予定だった初稿スコアに基づいたベーレンライター版のスコアを使用。第4楽章にフルートのソロから始まる経過句が追加されたが、ここでのフルート白尾彰のソロが実に温かく味わいがあった。第5楽章でフルートをはじめ管楽器がルター作曲のコラール「神はわがやぐら」を奏し、テンポを速め、最後は金管が輝かしくコラールを斉奏して壮大に締めくくった。
 1曲目ブラームス「悲劇的序曲」冒頭の劇的な和音は切れ味が鋭く、全体に緊張感が持続していた。ハイドン「交響曲第104番《ロンドン》」は、10型に減らした編成、完全にノンヴィブラートの明快な演奏。一点一画もおろそかにしない精緻で厳格なハイドンとも言える。先日聴いたマルクス・シュテンツの自由闊達なハイドンもとてもよかったが、鈴木雅明の演奏には、有無を言わせぬ説得力があった。(長谷川京介)

写真:鈴木雅明(c)Marco Borggreve