2016年11月 

  

Classic CD Review【管弦楽曲】

「デュカス:交響詩《魔法使いの弟子》、ドヴォルザーク:交響詩《真昼の魔女》 作品108、ムソルグスキー(リムスキー=コルサコフ編:交響詩《はげ山の一夜》、バラキレフ:交響詩《タマーラ》、サン=サーンス:死の舞踏 作品40、アイヴズ:ハロウィーン〜《3つの屋外の情景》から〈室内楽版〉)/ケント・ナガノ指揮、モントリオール交響楽団」(ユニバーサル ミュージック、デッカ/UCCD-1444)
 1935年に創設されたカナダの名門オーケストラとして名高いモントリオール交響楽団は、フランスの巨匠シャルル・デュトワの25年に亘る薫陶を経て、フランスのオーケストラに勝るとも劣らないフランス音楽を得意とするオーケストラに進化したが、2006年にケント・ナガノが音楽監督に就任して以来、アメリカやヨーロッパのオーケストラが持っている大きなスケールと緻密さを徐々に取り入れてきたようだ。そして今回は昨年10月末に地元のモントリオールで行われたハロウィーン・コンサートでの収録である。
 このようなコンサートは曲目を見てもケント・ナガノの得意とするものであり、恐らくこの日に来た幅広い年齢層の聴衆全てがこの大編成のオーケストラ・サウンドに囲まれたハロウィーンの夜を心ゆくまで楽しんだことであろう。 (廣兼 正明)

Classic CD Review【協奏曲(ピアノ)】

「モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番 ト長調 K.453、第25番、ハ長調 K.503 / 内田光子(ピアノ・指揮)、クリーヴランド管弦楽団」(ユニバーサル ミュージック、デッカ/UCCD-1434)
 内田光子が弾き振りでクリーヴランド管弦楽団と5枚目のライヴであるモーツァルト:ピアノ協奏曲がリリースされた。今回の17番と25番でほぼメインと言える曲は揃ったが、出来れば全曲収録して欲しい。
 1985~90年にかけて発売されたジェフリー・テイトとイギリス室内管弦楽団との11~27番はあるようだが、内田の弾き振りでの演奏を聴くと、ソリストとオーケストラにとって二人の統率者は必要ないばかりか、指揮者がいない方が内田の考えが一つに統一されて、より素晴らしいモーツァルトが表現される。例えばオーケストラの序奏からソロに入った時のバランスの良さは格別だし、オーケストラとソリストの微妙なアンサンブルも極めつけと言える。
 彼女の希有な音楽性はその音楽を聴く度に、一体何処までそれが昇華していくのだろうかと不思議な気持ちになる。(廣兼 正明)

Classic CD Review【協奏曲(ヴァイオリン・ヴィオラ)・器楽曲(ヴァイオリン)】

「バッハ:G線上のアリア、シャコンヌ、ガヴォット、トッカータとフーガ、ヴァイオリン協奏曲第1番、2つのヴァイオリンのための協奏曲、ヴァイオリン協奏曲第1番、クリスチャン・バッハ(/アンリ・カサドシュ編):ヴィオラ協奏曲 ハ短調 / ネマニャ・ラドゥロヴィチ(ヴァイオリン・ヴィオラ)、ドゥーブル・サンス & 悪魔のトリル」(ユニバーサル ミュージック、ドイツ・グラモフォン/UCCG-1749)
 2014年11月にCDデビューしたネマニャ・ラドゥロヴィチの「パガニーニ・ファンタジー」に続く第2弾!
 2年の間にこのロックン・ロール風ヴァイオリニストに変化はあったのだろうか?最初、2つのヴァイオリンのための協奏曲のセカンド・ヴァイオリン・テュッティの出だしで、先ずはあまりのテンポの速さに驚く。しかし2年前とは演奏上それ程の変化はなしだが、今回はパガニーニ(?)が弾く大バッハだ。2年前のソロ・メインではなく今回は室内楽的なアンサンブルがメインである。それにしても全体の完璧とも言えるテクニックの凄さと結構大編成になったアンサンブルの技術には爽快さを感じる。ライナーノーツにあるネマニャ本人と伴奏グループである「ドウーブル・サンス」と「悪魔のトリル」の写真を初めて見たときは、これで実際にバッハが出来るのだろうかと疑心暗鬼だったが、最初のドッペル・コンツェルトを吃驚しながら聴いた後は、筆者の気持ちも安心と素晴らしさに再び大転換したことは事実である。そしてヴィオラの初心者が良く弾くクリスティアン・バッハ / アンリ・カサドシュ伝のヴィオラと管弦楽のための協奏曲 ハ短調もヴィオラらしい太く情感豊かな佳演と言って良いだろう。 (廣兼 正明)

Classic CD Review【器楽曲(ピアノ)】

「超絶!トリフォノフ・プレイズ・リスト:超絶技巧練習曲集 S139(12曲)〈= CD-1〉、2つの演奏会用練習曲 S145(2曲)、3つの演奏会用練習曲 S144(3曲)、パガニーニによる大練習曲 S141(6曲)〈=CD-2〉/ダニール・トリフォノフ(ピアノ)」(ユニバーサル ミュージック、ドイツ・グラモフォン/UCCG-1750/1)
 トリフォノフのテクニックの凄さは一言で言って弱音の長いフレーズで見せる均一なタッチの見事さである。ルックスからは非常に神経質だという印象が強い。1991年生まれだからまだ25才。兎に角繊細としか言いようのない音で奏でるトリフォノフの演奏は、それなりに大変美しい。運指の速さは驚くべきものだが、今回の最後に収録されているパガニーニによる大練習曲S141の最終第6番《主題と変奏》での迫力は今一つの感がある。この若いヴィルトゥオーゾへの希望は必要な箇所での打鍵の強さだ。(廣兼 正明)

Classic CD Review【器楽曲(チェロ)】

「ソロ〜無伴奏チェロのための作品集 コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ 作品8、ゴリホフ:オマラモール、カサド:無伴奏チェロ組曲、盛宗亮:中国で聞いた7つの歌 / アリサ・ワイラースタイン(チェロ)」 (ユニバーサル ミュージック、デッカ/UCCD-1438)
 筆者がこのCDを聴いて先ず思い出したのが、 ハンガリー出身の名チェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルだった。当時はLP初期の頃でNHKのラジオでは日本プレスではなく、特にクラシックでは輸入盤がかけられていた時代だった。その中で偶然に流れてきた曲が、このCDにも収録されているコダーイの無伴奏チェロ・ソナタである。そしてこの演奏に対する批評の中に録音の良さも含めて以下の文言も残されている。“この音の中に松ヤニの飛ぶ音が入っている!”“事実かどうかは別にして蓋し名言?”である。
 さて前言が長くなったが、今月リリースされたアリサ・ワイラースタインの演奏は第1楽章で、女性の音とは思えない実にしっかりした豊かな音を聴かせてくれる。第2楽章は、右手のしっかりしたピッツィカートと左手が奏でる朗々とした歌が素晴らしい。
 そして第3楽章での多用するピッツィカートやアルコでの上下へのエネルギッシュな走行フレーズが目立つ。ワイラースタインの豪快さに溢れたコダイは痛快の極みである。1曲於いて3曲目にはカザルスの弟子であるガスパール・カサドの師カザルスに捧げた20分足らずの短い無伴奏チェロ・ソナタが収録されている。この曲をワイラースタインは実に楽しく聴かせてくれる。最後は1955年中国生まれのブライト・シェンで現在はアメリカ在住の作曲家。そして彼が中国、モンゴル、台湾等の民族音楽を素材として1995年に作曲し、アジアの偉大なチェリスト、ヨー・ヨー・マに捧げた「中国で聞いた7つの歌」である。これは1分から5分程度の小曲7曲から出来上がっているが中国情緒あふれる楽しい曲である。ワイラースタインの中国スタイルの歌は何か可愛らしい。(廣兼 正明)

Classic CD Review【歌劇(アリア)】

「ネトレプコのヴェリズモ・アリア集  / アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)、ユシフ・エイヴァゾフ(テノール)、アントニオ・パッパーノ指揮、サンタ・チェチーリア国立アカデミー合唱団&管弦楽団」(ユニバーサル ミュージック、ドイツ・グラモフォン/UCCG-1752)
 まさに成熟の域に達したネトレプコ、久し振りに聴いた彼女の声の素晴らしい進化に驚いた。これ以上注文が付けられない程の充実した声質の幅の広さ、そしてライナーノーツを見て信じられないのは、CDに収録された曲の中でネトレプコが舞台で歌ったことがあるのは、「マノンレスコー」のタイトルロールだけで、その他の曲はオペラの本番で歌ったことがない、ということだ。それなのに完全にその役になりきれる、正に恐るべきオペラ歌手である。このCDは昨年の7月、10月、そして今年2016 年6月にアントニオ・パッパーノ指揮のサンタ・チェチーリア国立アカデミー合唱団&管弦楽団で収録された彼女の最新盤である。このCDでここに収録されている曲は、チレア:歌劇《アドリアーナ・ルクヴルール》のアドリアーナ、ジョルダーノ:歌劇《アンドレア・シェニエ》のマッダレーナ、プッチーニ:歌劇《蝶々夫人》の蝶々さん、歌劇《トゥーランドット》のリュウ、レオンカヴァッロ:歌劇《道化師》のネッダ、カタラーニ:歌劇《ラ・ワリー》のワリー、ボーイト:歌劇《メフィストーフェレ》のマルゲリータ、ポンキェッレ:歌劇《ラ・ジョコンダ》のジョコンダ、プッチーニ:歌劇《トスカ》のトスカ、歌劇《トゥーランドット》のトゥーランドット、歌劇《マノンレスコー》のマノン、と第4幕全体のマノン、デグリュー(ユシフ・エイヴァゾフ=テノール) である。今月はオペラにあまり行かれない方も是非このCDを聴いていただきたいと思う。(廣兼 正明)

Classic CONCERT Review

「スーパー・リクライニング・コンサート 徳永兄弟 フラメンコギター・デュオ・リサイタル」(9月16日、富ヶ谷・Hakuju Hall)
 1991年生まれの徳永健太郎、1993年生まれの徳永康次郎。フラメンコ新世代の旗手との声も高い兄弟の丁々発止を至近距離で味わった。フラメンコ・ギタリストの徳永武昭、フラメンコ舞踊家の小島正子を両親にもち、ふたりともスペイン・セビージャの音楽学院に入学。これまで2作のCDをリリースしている。曲目はペドロ・シエラ「ファルーカ」、あっと驚くアレンジが施された山田耕筰「赤とんぼ」、チック・コリア「スペイン」等。個人的には、ひたすらホットなギター・ミュージックとして楽しんだ。それにしても「スペイン」は本当に多くのミュージシャンにプレイされている。9月の1週間で、僕はこの曲をチック自身のライヴ、徳永兄弟、溝口肇(別項)と、計3回ナマで味わった。しかもどれも料理法が違う。素材のうまみが、ジャンルを超えて音楽家の“演奏心”に火をつけるのか。(原田和典)

Classic CONCERT Review

「Full Acoustic Night Vol.4 溝口肇 with 4Cellos」(9月21日、富ヶ谷・Hakuju Hall)
 “生音=フル・アコースティック・サウンド”でジャンルを超えた音楽を聴かせるコンサート・シリーズの第4弾として、チェロの大御所、溝口肇が登場した。4人の気鋭チェロ奏者を従えた瀟洒なアンサンブルはときに叙情的、時に勇ましく、僕は改めてこの楽器の魅力に感じ入った。演目はバッハから溝口の自作、カーペンターズの歌で知られる「イエスタデイ・ワンス・モア」、チック・コリア作「スペイン」まで多岐にわたり、すべての観客も一度は「あ、この曲知ってる」と嬉しい気持ちになったのではないだろうか。曲間のMCも実に親しみやすく(しばしば笑いが巻き起こった)、チェロやインストゥルメンタル音楽への垣根を低く、間口を広くしていこうとする溝口の意欲が強く伝わってきた。(原田和典)

Classic CONCERT Review【室内楽】


「モディリアーニ弦楽四重奏団+アダム・ラルーム〜シューマン・プロジェクト1842〜」(9月23日、王子ホール)
 モディリアーニ弦楽四重奏団を聴くのは3年ぶり。今回は第1ヴァイオリンのフィリップ・ベルナールが腕の故障のため、彼らの先生、元イザイ弦楽四重奏団のギョーム・シュートルが代役で弾いた。前回と印象が違い、美しい音はそのままだが粗さが目立った。
 先生の胸を借り思い切り弾こうという雰囲気が、チェロのフランソワ・キエフェルにあり、煽られるように第2ヴァイオリンのロイック・リョーも、ヴィオラのローラン・マルフェングも熱くなる。
 シューマンの弦楽四重奏曲第3番は、第1楽章は美音の洪水だったが、第4楽章はかなり荒々しかった。
 後半は、ピアノに2009年クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール優勝のアダム・ラルームが入ったシューマンのピアノ五重奏曲。これは名演。5人がそれぞれ自分の演奏をしながら、全体は崩れない。
 第2楽章の葬送行進曲風主題のあとの、第1ヴァイオリンとチェロが奏でる副主題は天国的だった。第3楽章スケルツォではラルームがみずみずしいピアノ。全員による終楽章の二重フガートはスケールが大きかった。
 モディリアーニ弦楽四重奏団の理想は「ひとりで奏でているような密度の濃さと4人の一体感」だが、今日の演奏は理想とは違った。ベルナールの存在感はそれだけ大きい。アンコールのブラームスのピアノ五重奏曲第2楽章はしみじみとした余韻を残した。(長谷川京介)

アダム・ラルーム写真:(c) Carole Bellaiche

Classic CONCERT Review【声楽曲】

「ユベール・スダーン 東京交響楽団 ベルリオーズ《ファウストの劫罰》」(9月24日、サントリーホール)
 今日の立役者は歌手。筆頭はミハイル・ペトレンコ[メフィストフェレス(バス)]。身体に拡声器が入っているように響き渡る声は、柔らかく格調があり、狡猾で鋭いメフィストフェレスとしてこれ以上の適役はいないのではと思わせる。
 次は、マイケル・スパイアーズ[ファウスト(テノール)]。ほれぼれする美しく豊かな声。ファウストの悩める若者の雰囲気が良く出ていた。
 ソフィー・コッシュ[マルグリート(メゾ・ソプラノ]も素晴らしい美声と伸びやかな声、声量もたっぷり。
 これら三人と比べると、北川辰彦[ブレンデル(バス・バリトン]は、スケールの点で厳しい。
 スダーンの指揮は、ベルリオーズの色彩的な音色を徹底的に追及していた。ヴィオラ、チェロ、コントラバスからいろいろな色を感じる。ピチカートのソフトな音も絶品。木管がまたいい。フルート、ピッコロ、オーボエ、クラリネットそして「ファウストの劫罰」に欠かせない4本のファゴットも色彩感たっぷり。金管も軽やで、フランス音楽にふさわしい。
 色彩とともに、東響から緻密で重量感ある響きを引き出したスダーンが最大の功労者であることは確かだが、合唱の存在も大きかった。東響コーラスは150名前後の威容。正確でクリアなハーモニー。全員暗譜で歌うところも、いつもながらすごい。ただ、酔っ払いの場面はまじめすぎ、最後のマルグリートが天国に昇っていく場面は、力が入り重くなっていたように思った。東京少年少女合唱隊の中の三人が、天の声として「マルグリート!」と呼びかけたのは、スダーンの指示とのことだが、いかにも清らかで効果的だった。(長谷川京介)

写真:(c)飯田耕治

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「ロジェストヴェンスキー 読響 チャイコフスキー 三大バレエ名曲選」(9月25日、東京芸術劇場コンサートホール)
 84歳の巨匠がゆったりと登場するだけで存在感を放つ。立ったままの簡潔な指揮は、一振りで読響から最大の音を引き出す。
 最初の『白鳥の湖』からの5曲はバレエ音楽というより交響曲のようだった。「序奏」は壮大なドラマのイントロダクションであり、「ワルツ」「ハンガリーの踊り」は宮廷音楽の格調がある。「スペインの踊り」も重々しい。圧巻は「フィナーレ」。金管の咆哮は頂点を迎え、ティンパニと大太鼓は極限まで叩かれ、ヴァイオリンには弦が切れるのではないかという強さで弾かれる。全編、緊張感と悲愴感が貫かれた。
 『眠りの森の美女』からの3曲は、さすがに「白鳥」のような緊張感はなかったが、テンポは遅く、響きには重みがある。3曲のなかでは「アダージョ」が「白鳥」の「フィナーレ」に並ぶ壮大さがあった。それにしても、金管をよくこれだけ鳴らすものだ。
 後半は、『くるみ割り人形』第2幕全曲。子供が楽しめる曲調でもあり、前半の緊張感から少し解放された。情景2曲のあとの「ディベルティスマン」が楽しい。「コーヒー アラビアの踊り」は、このテンポでは踊れないのでは、と思うくらいゆったりとしているが、神秘的な雰囲気があった。「トレパック」も遅い。「葦笛の踊り」のフルート三重奏は威厳がある。「花のワルツ」中間部のチェロの歌わせ方は巨匠的。「終幕のワルツとアポテーズ」のコーダを雄大に終わらせた。
 拍手が続く中、スコアを掲げ「ナンバーワンはチャイコフスキーなのだよ」と一本指を示したマエストロの重厚で深い味わいがあるチャイコフスキーを堪能した。(長谷川京介)

写真:(c)読響

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「アンドレイ・ググニン ピアノリサイタル」(9月28日、浜離宮朝日ホール)
 今年7月シドニー国際ピアノコンクール優勝のググニンのリサイタル。ベートーヴェン「幻想曲作品77」は切れ味が鋭く、激しい打鍵も濁らない。アレグレットの変奏部分は抒情味があり、ロマンティックな表現も長けている。
 ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第23番<熱情>」は、ググニンの強靭で完璧なテクニックが全開する。第2楽章の変奏はやや表面的だったが、爽やかさは感じられた。
 後半のリスト「超絶技巧練習曲集」は、内容の濃さがあった。感心した点は、リストのヴィルトゥオジティ(名人芸)を完璧なテクニックを駆使して、よく表現していること。「マゼッパ」「鬼火」「英雄」「狩猟」がその端的な例。また、全11曲の構成、緩急、ストーリー性、流れがよく練られていることもよい。
 さらに付け加えるなら、ググニン独自の世界が感じられたことが収穫だった。それは、果てしない大地あるいは宇宙的な広がりをイメージさせるもの。第11曲「夕べのなごみ」を聴いていたとき、ググニンの頭上に夜空が広がり、数多くの星が空に浮かんでいる光景が見えた。シューマンが言った「全曲の中で最も印象的な旋律」がググニンによって奏でられたとき、宇宙に漂うような気持になった。
 アンコールのプロコフィエフ「ピアノ・ソナタ第7番第3楽章」はアグレッシブ。シベリウス「即興曲作品5-5」は、ググニンの抒情性が感じられた。今後ググニンがさまざまな作品に挑戦して、自分の世界を深めてくれることが楽しみだ。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review


「ワーグナー:楽劇『ニーベルングの指輪』第1日「ワルキューレ」初日」(10月2日、新国立劇場オペラパレス)
 歌手陣の充実ぶりで大満足の初日公演。これだけ粒ぞろいの歌手がそろい踏みした「ワルキューレ」は少ないのではないだろうか。特に良かったのはジークムントのステファン・グールド。最初から絶好調、最後まで崩れない。次にヴォータンのグリア・グリムスレイとブリュンヒルデのイレーネ・テオリン。グリムスレイは第3幕の怒りを爆発させるところや、ブリュンヒルデに別れを告げる最後が圧倒的。テオリンは第2幕の「ホヨトホー」の掛け声からは迫力があり、第3幕のヴォータンに必死に訴えかける箇所も情感たっぷり。
 フリッカのエレナ・ツィトコーワが素晴らしかった。ヴォータンを問い詰める恐妻ぶりは地ではないかというほど様になっており、説得力があった。ジークリンデのジョゼフィーヌ・ウェーバーも少しキンキンしているが、素晴らしい声だ。フンディングのアルベルト・ペーゼンドルファーも声量があり、声の雰囲気がフンディングにぴったり。
 これらの優れた歌手が揃えば、悪い公演になりようがない。飯守泰次郎指揮東京フィルも金管が若干弱いのが玉にキズだが、中低弦が充実しており、第2幕は大健闘だった。
 ゲッツ・フリードリヒの演出は、奇をてらったところがない。音楽の邪魔をすることはなく、素直に受け止められた。(長谷川京介)

指揮:飯守泰次郎
管弦楽:東京フルハーモニー交響楽団
演出:ゲッツ・フリードリヒ
ジークムント:ステファン・グールド
フンディング:アルベルト・ペーゼンドルファー
ヴォータン:グリア・グリムスレイ
ジークリンデ:ジョセフィーヌ・ウェーバー
ブリュンヒルデ:イレーネ・テオリン
フリッカ:エレナ・ツィトコーワ
ほか

写真撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「ヤルヴィ N響 マーラー交響曲第3番 N響90周年&サントリーホール30周年 特別公演」(10月6日、サントリーホール)
 これまで、何度もヤルヴィとN響のコンサートを聴いてきたが、そのなかではトップに挙げたい名演だった。ヤルヴィは贅肉のない、引き締まった演奏を、やや速いテンポですすめていく。どの楽器も切れ味の良い明解な音を保つ。
驚いたのは、第1楽章展開部最後の、さまざまな主題が軍隊風行進曲と一体になり、カオスのようなクライマックスを迎えるところで、どこまでもクリアで冷静な演奏を実現したことだ。
第3楽章では、1階席通路下手側のドアが開けられ、ポストホルンが聞こえてきた。舞台上のホルン、第2ヴァイオリンの弱奏とのハーモニーがちょうどよい具合に頭上でブレンドされた。
 第4楽章のメゾ・ソプラノのミシェル・デ・ヤングの歌唱が始まる前に、P席に最初から座っていたNHK東京児童合唱団と東京音楽大学合唱団も起立するが、児童合唱の一人が立ち上がれず、吐いてしまった。心配で聴くことに集中できない。ヤングが素晴らしい歌唱だっただけに、このアクシデントは悔やまれる。
 ヤルヴィは第5楽章のあと、第6楽章に休みなく入って行った。この楽章については、昨年ジョナサン・ノットによる「深い憂愁を帯びた幕切れ」という解釈が新鮮だっただけに、ヤルヴィがどういう演奏を聴かせるのか興味津々だった。
 ヤルヴィとN響の演奏は、冒頭主題の弦が異様なまでに繊細で美しく、聴き進むにしたがい、これは天国の音楽だと思わせる。しかし木管が加わり短調に変わると陰りがでる。再度主題が出て短調となり、大きな頂点を迎えるところは、断末魔の叫びのようだ。もう一度頂点が来た後の主題は、すべてをあきらめ、神の御許に身を任せるように聞こえた。2台のティンパニの堂々たる打音は神の審判ではないか。
ヤルヴィの指揮はノットとは違い、「神の愛」とも言うべきものが、この第6楽章に秘められていることを示していた。
後で聞いた話では、児童合唱の子は幸いすぐに回復したとのこと。まずはご無事でよかった。ご本人ご家族、関係者のみなさんがご自分たちを責めることのないことを祈っています。(長谷川京介)

写真:(c)Julia Baier

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団」(10月9日、東京オペラシティコンサートホール)
 今日のプログラムは10月のヨーロッパツアーの仕上げ演奏でもあり、また録音も入っており、ノットと東京交響楽団の集中はいつも以上のものがあった。
武満徹「弦楽のためのレクイエム」は、東響の繊細な弦の持ち味にさらに磨きをかけた響きを実現していた。
ドビュッシー:「交響詩<海>」は、速めのテンポ。第1部のチェロの主題も速い。金管の切れ味のある音と、木管の色彩感が見事。印象的だったのは、ノットの指揮のリズム感の鋭さ、律動感。波と風の動きを表す弦をはじめ、全体を支配するリズムが生命力にあふれていた。
後半のブラームス交響曲第1番は、コーダがすさまじい。最後の4つの和音は、日本のオーケストラとは思えないエネルギーと破壊力があり、東響の能力が格段に飛躍したと思わせた。素晴らしい点は、ノットが中声部の充実を目指したことだ。主旋律を弾く第1ヴァイオリンを支える第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロに細かく指示を出した。その甲斐あって、緻密で厚みのある響きができていたが、ノットとしてはまだ不満足だろう。しかし東響の今後の方向性がはっきりと見えたのはうれしい。
 木管、金管の健闘が目立ち、ノットは演奏後フルート、オーボエ、ホルン、ファゴットを立たせた。聴衆の拍手が続きノットのソロ・カーテンコールとなった。(長谷川京介)

写真:(c)中村 風詩人

Classic CONCERT Review【ピアノ】

「熊本マリ デビュー30周年記念 ピアノリサイタル」(10月11日 東京文化会館小ホール)
 熊本マリの今回のコンサートは、グラナドス没後100年〜グラナドスとその時代に生きた作曲家たち〜と題され、ドビュッシー、プッチーニ、ナザレー等の作品も演奏された。熊本マリのコンサートは、これまでに何回か接してきたが、常に音楽性豊かな心地よい演奏を聴かせてくれる。熊本マリの美点は、固く冷たい機械的な弾き方や、力性を強調する大袈裟な弾き方を避けて、暖かく心の通った趣味のよい音楽を奏でるところにあるのではないだろうか。彼女の曲に寄せる愛情、同感などが聴き手に伝わってくるのである。 プログラムの前半ではグラナドスの詩的なワルツ集、後半ではスペイン舞曲集より「アンダルーサ」、ゴイェカスー恋するマホたち より「嘆き、またはマハと夜鳴きうぐいす」、そして「わら人形」が演奏された。これらの作品に初めて接したが、彼女が楽想を豊かに歌わせる魅力は格別であり、優しくこまやかな愛情がいささかももたれず、すっきりと流れる。熊本マリは誰しもが知っている事だが、スペイン音楽を広め、モンポウのピアノ曲全集の録音を世界で初めて完成させた。 プログラムの中ではドビュッシーも組み入れており、「月の光」、「ゴリウォーグのケークウォーク」、「喜びの島」の三曲が演奏された。様式を正しくつかみ、入念に磨きあげていた表現であったことは云うまでもない。 熊本マリのピアニストとしての三十年間の人生。彼女は人々が愛と平和を感じられるピアノの音色を奏でることを願って、今後の活動を続けていくとのこと。東京文化会館の小ホールは、大勢のファンでうまり、彼女の豊かな音楽を楽しんだのである。次回は来年の10月20日にコンサートが予告されている。(藤村貴彦)

写真:Shimokoshi Haruki 衣装提供:ヒロココシノ

Classic CONCERT Review【室内楽】


「イザベル・ファウスト&クリスティアン・ベザイデンホウト〜バッハの夕べ 第一夜」(10月11日、王子ホール)
 立て板に水という古い例えがぴったりの、滑らかに美しく流れる演奏。二人の息は完璧に合っていた。
 バッハのヴァイオリン・ソナタは、ヴァイオリンと鍵盤奏者の両手の3つの声部が対等に絡み合う三重奏であり、繊細なチェンバロの音を聴き分けるのは難しいが、ファウストは繊細なヴァイオリンで、チェンバロを妨げることはなかった。
 最初のソナタ第4番第4楽章ではチェンバロのバスの音がよく聞こえた。ファウストはバロック弓を使用したが、楽章の緩急によって弓を替えた。響きの違いを出すためだと思う。
 ベザイデンホウトのソロによるフローベルガーのパルティータハ長調はグリッサンドが美しい。
 大曲ソナタ第5番は、長大な第1楽章が素晴らしい。チェンバロも3声で技巧的、ファウストのヴァイオリンは色彩感豊か。祈りのように休止しつつ進んでいく部分も味わいが深い。
 後半はビーバーの「描写的なヴァイオリン・ソナタ」。ヴィヴァルディ「四季」より四半世紀前に書かれたユーモアあふれる写実音楽。「かっこう」や「蛙」の鳴き声を模したフレーズが面白い。「猫」はあまり似ていなかった。
 ビーバーの「パッサカリア」は実に端正な演奏。重厚なオルガンのような響きはバスにはなかったが、そのかわり高貴で透明感ある響きが美しかった。
 最後のソナタ第2番は、立て板の水がさらに滑らかになり、二人の音楽の生きの良さはとどまるところを知らない。第4楽章のチェンバロの超絶技巧には圧倒された。(長谷川京介)

写真:ファウスト(c)Detlev Schneider
   ベザイデンホウト(c)Marco Borggreve

Classic CONCERT Review【室内楽】


「イザベル・ファウスト&クリスティアン・ベザイデンホウト〜バッハの夕べ 第二夜」(10月12日、王子ホール)
 今日の席は二列目、ファウストの真正面。間近で聴くファウストのヴァイオリンに陶然となる。ヴァイオリン・ソナタ第3番第1楽章冒頭から、音色の色彩感や質感の多様さが無数に発見できる。それらを追っていると、共演のベザイデンホウトのチェンバロに集中できない。
 第2楽章アレグロは、微妙なアーティキュレーションが素晴らしい。第3楽章のアダージョ・マ・ノン・タントの重音のなんという美しさ。素材が微妙に違う柔らかな布が重ねられていくようだ。ファウストのボウイングは脱力の極み。短いバロック弓をいっぱい使って、長く大きなフレーズをつくっていく。
  2曲目はファウストのソロ、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番。第2楽章の長大なフーガは、突き詰めた緊張感が感じられ、少し息苦しくなる。しかし、第3楽章アンダンテはよかった。少し早めのテンポだが、重音の美しさが際立っていた。
 ベザイデンホウトのソロの「トッカータ ニ短調」は、なめらかなフレーズ、即興性と音楽性の高さが際立つ。
 ヴァイオリン・ソナタ第6番は最後を飾るにふさわしい鮮やかな演奏だった。ファウストとベザイデンホウトはバッハのヴァイオリン・ソナタ全曲録音を終えたばかり。息が合うのは当然かもしれないが、音楽的な相性も良いのだろう。アンコールは、ヴァイオリン・ソナタ第1番から第1楽章アダージョだった。
(長谷川京介)

写真:ファウスト(c)Detlev Schneider
   ベザイデンホウト(c)Marco Borggreve

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「没後20年武満 徹 オーケストラコンサート」(10月13日、東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアル)
 これまでもたびたび、武満徹記念企画を催している東京オペラシティ文化財団だが、今回は没後20年のため、オーケストラ作品を集めた規模の大きい企画となった。                             
 出演は、オリヴァー・ナッセン指揮、東京フィル。クレア・ブース(ソプラノ)、高橋悠治(ピアノ)、ジュリア・ス—(ピアノ)。武満と親交のあったピーター・ゼルキンは健康上の都合で、高橋悠治が代役でピアノを弾いた。
 生演奏はオーケストラ配置や奏法が見られるので、現代音楽には有難い。
 個人的な好みの順は、「環礁─ソプラノとオーケストラのための」(1962)、「グリーン」(1967)、「テクスチュアズ─ピアノとオーケストラのための」(1964)、「地平線のドーリア」(1966)、「夢の引用─Say sea, take me! ─2台ピアノとオーケストラのための」(1991)。
 こうして並べてみると60年代の作品が、新鮮さと勢いの点でとびぬけて面白い。若き才能のほとばしり、時代の勢い、空気が作品に反映されているとも言える。
 オリヴァー・ナッセンと東京フィルは、もっとも親しい理解者としての愛情が感じられる演奏だった。それは高橋悠治、クレア・ブース、ジュリア・ス—にも言える。 
 会場はほぼ満席。中央通路近くの席だったが、武満夫人と長女がみえていたと思う。谷川俊太郎さん、作曲家池辺晋一郎さんを始め、生前武満と交流の深かった方々も多数見かけた。いつものクラシックのコンサートと客層が違う(デザイナーやアーティストと思われる方が多い)ことも目を惹いた。(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲】


「ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 イザベル・ファウスト」(10月15日、サントリーホール)
 10月の東響のヨーロッパツアーで演奏されるもうひとつのプログラム。
前半はイザベル・ファウストを迎えて、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。コントラバスは舞台正面奥。トランペットはナチュラルトランペット、ティンパニはバロックティンパニ、ヴァイオリンは対向配置。
 ファウストが素晴らしかった。彼女の一人舞台と言ってもいいくらい常に音楽の中心にいた。絹糸のように繊細で美しく磨き抜かれた音。高音の伸びが滑らか。ボウイングは滑らかで、どのフレーズも音楽的。
 第1楽章のカデンツァは、ベートーヴェンがこの曲をピアノ協奏曲に編曲したさいつけたもの。
 演奏の頂点は、第2楽章の「独奏ヴァイオリンはG線とD線で演奏せよ」とベートーヴェンが指示した部分。天国的に美しく、空から何かが舞い降りてくるのを感じた。
 東響は、弦楽器セクションとファゴットが良かったが、それ以外の木管や金管、ティンパニはファウストに合わせる細やかなニュアンスと表情がもっとほしい。
 後半のショスタコーヴィチの交響曲第10番は、完成途上という印象を持った。良かったところは、第1楽章結尾の緊張を保った静謐さ。続いて疾風怒濤の第2楽章アレグロ。
 一方、第1楽章展開部のクライマックスは、パワー不足を感じてしまう。同じことは、第3楽章の、ショスタコーヴィチのイニシャルD-Es-C-Hの音が繰り返される部分でも感じた。ホルンのソロ、ショスタコーヴィチの教え子エリミーラ・ナジーロヴァのイニシャルE-A-E-D-Aは頭の音がつっかかってばかりで、不満を感じた。ただ、 第4楽章のクライマックスは迫力があった。
 東響は、弦楽器群はチェロが良いが、ヴァイオリン、ヴィオラは強奏になると音が薄く感じる。木管もソロだと良いが、全体としてまとまってパワーを出そうとすると、平板になる。金管ももっと厚みが必要だと思われる。 欧米のオーケストラと対抗するために日本のオーケストラが乗り越えなければならない壁は、まだ高いことを感じたコンサートだった。(長谷川京介)

写真:ジョナサン・ノット:(c)K.Miura
   イザベル・ファウスト:(c)Detlev Schneider

Classic CONCERT Review【室内楽】

「ユリア・フィッシャー マーティン・ヘルムヘン」(10月16日、トッパンホール)
 2004年以来、12年ぶりの来日というユリア・フィッシャーのリサイタル。プログラムは渋く、ドヴォルザークのソナチネとシューベルトのソナタD384、それにブラームスのソナタ第3番。直前にシューベルトのソナタD408が追加となった。
 最後のブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番が凄かった。それまでも、ドヴォルザークのソナチネ第2楽章のコーダや、シューベルトのソナタD384第2楽章中間部の深淵など、思わず襟を正すような深い表現はあった。しかし、全体には優等生的な印象がぬぐえなかった。
 それがブラームスになったとたん、堰を切ったように豊かで深い音楽がどっと流れ出した。中でも、第1楽章再現部で、ヴァイオリンとピアノの音程が上昇し、熱気を帯びた旋律を奏でる部分は、まるで火山が爆発したのではないか、というようなすさまじい迫力があった。
 それ以上の激しさは第4楽章。分厚い重音は触れば火傷をしそうなほどの熱さ。フィッシャーが全身を弓なりにして、しかし表情はあまり変えず弾く姿も、どこか鬼気迫るものがあった。一瞬、第2主題が冷ますが、最後は爆発のコーダに突入していった。熱狂的なブラヴォはトッパンホールでは珍しい。
 アンコールのブラームス「スケルツォ」は、ソナタ同様の熱い演奏だったが、ブラヴォを叫ぶ聴衆にまさかのプレゼント。フィッシャーとヘルムヘンは並んでピアノの前に座った。フィッシャーはピアノの名手でもあったと気づく。ブラームスのハンガリー舞曲第5番のフィッシャーのピアノはちょっとヒヤリとしたが、きれいなタッチ。余技ではない音楽性を感じた。(長谷川京介)

写真:(c) Felix Broed

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「群馬交響楽団東京オペラシティ公演」大友直人指揮(10月20日、東京オペラシティコンサートホール)
ヴォーン・ウィリアムズ:トマス・タリスの主題による幻想曲
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第2番ト短調作品16(ピアノ:ハオチェン・チャン)
ウォルトン:交響曲第1番変ロ短調
 いいプログラム構成だった。オーケストラのさまざまな要素を十分楽しめた。冒頭の幻想曲は弦楽合奏のためとはいえ、独奏、弦楽四重奏、小編成、そしてフル編成などで多彩に演奏される。弦楽ならではの暖かい響き、心地よい空間にいる喜びを感じさせてくれた。
 ピアノのハオチェン・チャンは今年26歳とのことだが、これまたプロコフィエフ!を見事に弾いてくれた。1913年(ストラヴィンスキーの「春の祭典」の頃)、激動の時代に初演されたこの作品は、古典主義者からは無秩序だとの非難を受けたが、プロコフィエフはそのようなものを目指したのではなかっただろう。自由奔放、ピアニストの超絶技巧、打楽器との競演などいくつもの見せ場を作っている。チャンはそれを見事に聴かせてくれた。若さの力だけとはいえない巨匠の風格で大友のオケと対等に、いやむしろオケをぐいぐい引っ張る力強さは圧巻だった。
 ウォルトンの交響曲も面白かった。これは1935年の初演で、第2次世界大戦がやがて始まろうとする頃の不穏な、しかし爆発的な力を感じさせる曲。各楽章が終わるごとに拍手したくなるほどの名演だった。群響の各メンバーの技量の高さ、有機体としてのオーケストラの完成度、大友のオケの統率力、作品の形式把握、どの観点からもオーケストラ音楽の魅力を堪能させてくれた一夜だった。(石多正男)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「日本フィルハーモニー交響楽団 第684回定期演奏会」(10月21日 サントリーホール)
 日本フィルは2016年創立60周年を迎え、更に充実した活動を続けて行くことであろう。今回の定期は、古楽界の名匠鈴木秀美が指揮をし、彼は初登場とのこと。曲目はハイドン交響曲第43番《マーキュリー》、ベートーベン交響曲第4番、シューベルト交響曲第4番《悲劇的》である。鈴木秀美の指揮は立派で、綿密な設計でがっちりとスキなく組み上げられ、音はケバケバしさを避けて精妙なバランスを保ち、首尾一貫、厳しい精神的内容を描き出していた。日本フィルの楽員の響きも美しく、合奏の技術と表情のうまさが印象に残る。今回のハイドン、シューベルトの交響曲は、コンサートでは滅多に聴くことはないが、古典的な格調と典雅な趣のうちに再現したところに独特な味があったように思う。 プログラムの中では、ベートーベンの交響曲第4番が圧巻で、かつてのトスカニーニが指揮したあの名演を聴くような感じで、第一楽章、そして終楽章などはテンポが速く、楽団員にも音楽的霊感が充分に伝わったような感じがして、強く訴えるものがあった。通常のコンサートでは、序曲、協奏曲、最後に交響曲が置かれることが多いが、今回の日本フィルの定期では交響曲三曲であり、新鮮な意欲が感じられた。日本フィルは創立60周年を迎え、新しい気概に燃えているのではないだろうか。新たな方向で再出発しようという意気込みがうかがわれる定期公演であった。鈴木秀美は更にレパートリーを増やし、今後、真の意味でもオーケストラ界の名匠と呼ばれることを願う。ベートーベンの交響曲第4番は名演であり、帰宅しても私の頭の中で鳴っていた。オーケストラ界の現状は難しい問題も多いが、日本フィルの楽員も今の張り切った気持ちをいつまでも持ち続けてもらいたい。(藤村貴彦)

写真:K.Miura

Classic CONCERT Review【室内アンサンブル】

「丹波明50年の歩み〜丹波明作品展」(10月21日、東京オペラシティ・リサイタルホール)
 フルート奏者の野勢善樹を代表として、2005年より活動を始めたアンサンブル・インタラクティヴ・トキオ[EIT](顧問:石田一志、特別顧問:姜碩煕、湯浅譲二)が結成10周年を迎え、記念演奏会「丹波明50年の歩み」を行った。石田一志の司会、丹波明をゲストに作曲のエピソードなどを交えた歩みの個展であり、見事な演奏を披露したアンサンブル・インタラクティヴ・トキオの次の10年を期待させるコンサートにもなった。
 丹波は1960年にフランス政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院に入学し、O.メシアンに師事し、作曲家、音楽学者として活動、以降パリに暮らし続けている。2012年にはパリ在住50年の記念公演が行われた。近年では2014年、日本で楽劇《白峯》が世界初演され、大きな話題を提供したことも記憶に新しい。そんな丹波がピエール・シェフェールのもとでミュジック・コンクレートを始めて50年となる。
 プログラムは《フルートとピアノのためのソナタ》(1957)、最も影響を受けた作曲家ドビュッシー《牧神の午後への前奏曲》(1894/2016、浦壁信二編曲:フルート、クラリネット、ピアノ、マリンバ版)、そして世界初演作フルート、クラリネット、ピアノのための《牧神の黄昏》(2016)、弦楽四重奏曲第2番《真如(タタター)》(1968)、9人の奏者のための《エネア》(1975)の5作品が演奏された。
 ベルクの影響下にあった学生時代の集大成となったソナタは、演奏機会の多い丹波の代表作といってもいい作品。増4度音程の使用によって現代を意識的に盛り込んだ作品だが、流動し駆け抜ける旋律と構成的な造形美は耳に心地よい。浦壁によるドビュッシーの編曲版《牧神の午後への前奏曲》は、シェーンベルクの私的演奏協会を思い出させる4楽器による編曲で、巧みな要素と色彩の抽出によって丹波の音楽活動の背景を彩っていた。世界初演の《牧神の黄昏》は、春に《牧神の午後》の後の音世界を創造する試みとして作曲された。「模倣者であるべきではない」(ドビュッシー)という言葉を受け、《牧神の午後》とは全く異なる色彩、音程操作による持続の組み合わせによって、穏やかだがどこかまっすぐなまなざしに満ちた夕暮れのヴィジョンを映していく。楽器編成上も浦壁編曲による《牧神》とも共振し、牧神の二つの風景を楽しむことができた。
 後半のフランスの放送局の委嘱であった弦楽四重奏曲第2番《真如(タタター)》は、能の研究の成果を最初に取り込んだ作品。声を楽器のテクスチャーに組み込みながら、音の身振りとして交差し、細胞分裂を繰り返しながら、絡み合う持続的な戯れが空間を切り開いていく。演奏も見事だった。そして最後の《エネア》は、作曲家の森本恭正による指揮で、林千恵子のソプラノを含む9人の演奏者による室内オーケストラ編成。声が弦のハーモニクスやピアノ、フルートなどのどよめきを伴いながら、幽玄な音の世界として現前させた。それは能を思わせる東洋と西洋(現代性)の一体化であり、特にアクロバティックな林の声は、圧倒的な印象を残した。(三橋 圭介)

リハーサル風景・写真:東晋平

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「千葉交響楽団(旧ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉)第100回定期演奏会」
山下一史指揮(10月23日、千葉県文化会館)
モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」
山本純ノ介:千の音と楽の葉(世界初演)
ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)
 「ジュピター」はコンサートマスター(神谷美穂)の熱演が印象的だった。山下の解釈も十分に説得力があった。ただ、弦が強く管が弱いのが少し気になった。「千の音と楽の葉」は世界初演ということで、プレトークに山本自身が登壇し解説してくれた。題名に「千葉」と「音楽」を組み込んだこの委嘱作品への思い入れが熱く語られた。演奏が始まるとまず、「ジュピター」に比べ弦の音がみずみずしくクリアになっていて、冒頭はそれだけで魅了された。曲中、チバとバッハを掛け合わせた「チバチバチ・・」は面白かった。山本が重要性を語っていた旋律美も感じられた。管弦楽法は多彩で、特にクラリネットのソロ(栖関志帆)による重音奏法やマリンバの音はどなたの耳にも新鮮に印象深く残っただろう。現代音楽は一般的に取っつきにくいが、これは親しみやすい作品だった。しかし、楽しみの波が盛り上がってきたかというところで、あっさり終わった感じがした。現代作品において形式感をどう生み出すか、作曲家が苦労するところだと思うが、後半をもう少し長くして説得力をさらに高めるとよかったのではなかろうか。「火の鳥」でもオーケストラのさまざまな楽器の音色を楽しめた。特にファゴット(柿沼麻美)はきれいだった。リズムや強弱の変化に魅了され、それらによって描かれた物語(バレエ)をありありと思い浮かべることができた。
 総じて、オケ全体の響きに少々荒いところがあったとはいえ、各プレイヤーの個性は魅力的だった。生のオーケストラの素晴らしさを味わえた、聴きごたえたっぷりのコンサートだった。なお、プログラム終了後、山下がオケ活動の一環としての学校公演について語っていた。これは重要だと筆者も日頃から思っている。デジタルの音を、イヤホンで、一人で聴いている若者に、自然な音を、大ホールで、みなで聴く喜びをぜひ伝えてほしいと思う。
(石多正男)