ARTIST Interview【リヨン発】
Interview: Stefano Montanari ・・・・・・・・・・・・・・・・・by Mika Inouchi
ステファノ・モンタナーリ、インタビュー・・・・・・・・・・・・・・井内 美香
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今回、「フェスティヴァル・モーツァルト」でリヨン歌劇場にデビューしたステファノ・モンタナーリ。来年は「フィガロの結婚」での来日も決定しているというマエストロに話を聞いた。
Q: 今回、「フェスティヴァル・モーツァルト」と銘打ってのダ・ポンテ台本の三部作の一挙上演です。この企画に参加したきっかけ、企画の魅力、そして実現するまでの苦労を教えて下さい。
A: 出演のきっかけはリヨン歌劇場の総支配人セルジュ・ドルニから連絡をもらった事です。僕が指揮をしたサンドリーヌ・ピオーとの「Between Heaven and Earth」というヘンデルのアリア集を聴いた彼が興味を持ったのです。イタリアで指揮していた「愛の妙薬」公演を聴きに来てくれ、その結果この話を頂きました。フェスティヴァルの企画は観客にとっては魅力があるものだと思います。三作品を続けて観られる機会はあまりないですから。ただ、僕達にとっては3演目を一度に準備をしなくてはならない、という事ですからリハーサルが大変でした。1月に「フィガロの結婚」の音楽稽古がスタートし、ほぼ同時に「コジ・ファン・トゥッテ」の演出稽古、「ドン・ジョヴァンニ」は最後でしたが、かなり複雑に3演目のリハーサルが組み合わされていたんです。2演目以上に出演する歌手も多かったし、僕は全部でしたから。特にそれぞれの作品への集中力を維持するのが大変だった。
Q: これらのオペラの初演は「フィガロの結婚」が1786年、「ドン・ジョヴァンニ」が1787年、そして「コジ・ファン・トゥッテ」は1790年です。今回は「コジ・ファン・トゥッテ」が最初に上演されましたね?
A: そうです。「コジ」は他の二作品に比べると人気が無い、とは言いませんが、他の二作品ほど派手ではないからかもしれません。それに加え、今回は演出的な理由もありました。演出家エイドリアン・ノーブルは三作品の中心にあるのは「愛」だ、と考えました。「コジ・ファン・トゥッテ」では本当に若者の愛、ティーンエイジャーの愛を描いている。それが発展して「フィガロの結婚」では大人の愛になり、裏切りの問題も出てくる。そしてこの裏切りは最後に「ドン・ジョヴァンニ」に描かれている堕落した、退廃の愛に行きつくのです。
Q: 観客としては3演目を一度に観るのは大変興味深い事でした。モーツァルトはたくさん聴いていても、こうやって一度に聴くとそれぞれの特徴がくっきり感じられるというか…ご自分ではそれぞれのオペラをどう捉えていますか?
A: 三演目の中でこれまで指揮をした事があるのは「フィガロの結婚」だけでした。「コジ・ファン・トゥッテ」はヴァイオリニストとしてオーケストラで演奏していた時から好きでしたが、このオペラを理解する事は難しい、とも感じていました。1790年に書かれたとしては知的な意味で大変進んでいたと思うし、音楽のラインが途切れることなく続きます。もちろんレチタティーヴォはありますが、その多くはオーケストラの伴奏がついたものですし、アリアの構成や、二つのフィナーレ。フィナーレはまさに傑作という言葉ふさわしいと思います。ごまかしが効かない洗練された音楽と言うのでしょうか。時には内面的で、音の重なりが本当にデリケートなのです。あえて言えば第二幕の冒頭部分が弱い、というか演奏をする時に退屈に感じさせない工夫が必要な部分だと感じます。
「ドン・ジョヴァンニ」はその点、それほどの困難はありません。難しいオペラには違いありませんが、エモーショナルな面では最初から最後まで活き活きとしている。だから構成もしやすいのです。音楽的にドンナ・アンナやドンナ・エルヴィーラの歌は大変なので注意は必要ですが。
「フィガロの結婚」は勿論素晴らしいオペラです。今回、残念だったのはマルチェッリーナとドン・バジーリオのアリアをカットしなくてはならなかったことです。これらはとても優秀な歌手が歌わないと映えませんが、素晴らしいアリアです。キャラクターのアリアと言って確かにストーリーに直接関係はないけれど、モーツァルトは時にこのように何かの考え方や意見を言うようなアリアを書いたのです。
Q: 今回の3作品の共通点はロレンツォ・ダ・ポンテが台本を書いたオペラだという事です。その視点からはいかがですか?
A: ダ・ポンテが書いたのは事実ですが、モーツァルトは多くの点で台本に介入しています。ダ・ポンテがマルティン・イ・ソレールに書いたオペラなどと比べてみるとそれが良く解ります。言葉の裏の意味、知的な遊戯、セックスに関する表現もモーツァルトらしい部分です。イタリア語が明快で現代人に一番分かりやすいのは「ドン・ジョヴァンニ」です。その点、「フィガロの結婚」にはより高尚な、古文的な表現があるのでその意味を理解する必要があります。そして一番、凝っているのが「コジ」の台本です。
Q: 「フィガロの結婚」はボーマルシェ原作ですし、「ドン・ジョヴァンニ」はモリエールやその前からの伝説があります。「コジ」はオリジナルですね。
A: 例をあげれば「コジ・ファン・トゥッテ」で変装したグリエルモとフェルランドが毒を飲むふりをした後、気がついた時に歌う台詞ですが、文章の構成がとてもラテン語的なのです。イタリア人でも理解は難しい。「tu sei l'alma mia dea!」と言うのですが、Deaという言葉は女神という意味なので、そう思ってしまう人が多い。そのすぐ前に「パラスかキュテレイアか?」という言葉もありますし。でも、これは「la dea alma」、つまり「(女神のように)浄い魂よ」、という意味なのです。「フィガロの結婚」にもそういう例はあって、スザンナの最後のアリアに「notturna face」という言葉が出てきます。この場合「face」は「(松明ではなく)天にある光」、それは月か、もしくはより可能性が高いのは明けの明星のことを指しているんですね。このような洗練された表現があちらこちらに散りばめられているのです。
Q: あなたは古楽で知られたアーティストです。古楽の近年の演奏傾向を知る事は、モーツァルトのオペラを演奏する上で必要だとお考えですか?
A: 近年の演奏傾向を知る必要があるかどうかは分かりませんが、当時の演奏習慣を知る事は必要だと思います。それはモーツァルトに限りません。ヴィヴァルディが活躍した時代は1740年位まで、モーツァルトは1770年代位からなのですからそれ程離れてはいないのです。音楽的なレヴェルではその間に大きな発展はありました。しかし、前の時代から伝えられて来ている事も多いのです。レチタティーヴォ、アリアの構成の仕方、楽器。楽器に関して言えば当時はいわゆる古楽器を使っていたわけです。弓もまだクラシック・タイプの弓、もしくはバロック後期の弓を使っていました。大きな改革はその後に来たわけですから。音楽的にはヘンデルのオペラに関係のあるスタイルで書かれている部分もあります。例えば「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・エルヴィーラの二つ目のアリアなどがそうですね。
ですからモーツァルトは自分の先人達の音楽の歴史、その様式を知っていたわけです。これは私の個人的な考えですが、モーツァルトを演奏するには…モーツァルトだけではなくロッシーニでもドニゼッティでもそうですが…その前の作曲家たちを知らなくてはいけません。ヘンデルを演奏するのにモンテヴェルディなどの17世紀初頭のオペラを知らなくては何も理解できません。バロック期、オペラが誕生した時には、非常に多くの事がそこで生まれたのですから。
Q: 今回、いくつかの楽器は古楽器を使用していますね?ティンパニーにトランペット、そして…
A: ホルンです。そして「ドン・ジョヴァンニ」はトロンボーンも。これは私のアイディアではありません。この「コジ・ファン・トゥッテ」と「フィガロの結婚」のプロダクションがリヨンで初演された時に指揮したウィリアム・クリスティーが決めた事です。私もそのままでやりました。金管楽器の採用は楽にできるのです。トロンボーンはスペシャリストですが、その他の楽器は歌劇場のオーケストラ・メンバーがこれらの楽器にも精通しており演奏しています。弦は調律の問題があり導入が難しいのです。当時は平均律ではありませんから音程の取り方も違いますから。でも金管楽器を入れるだけで音色的にとても有利な点が出てくるのです。なぜならこれらのオペラにおけるモダン楽器の問題は、ホルン、トロンボーン、トランペットなどの音量が大きすぎるのです。モダン楽器の場合ベルが18世紀と比べて大きいのだから仕方が無いのですが、そうすると音量が当時より大きくなってしまう。音量のバランスをとるために必要以上にソフトに吹く必要が出てしまい、当時の金管に求められていた効果が出ないのです。トランペットが書かれている所ではトランペットが鳴るのがはっきり聴こえる必要があります。ティンパニーも同様で、モダン・ティンパニーの音は響きすぎる。その点、古楽器のティンパニーだとアタックの後すぐに音が消える。ドライな音が可能なのです。これが本来のティンパニーのエフェクトなのです。
Q: クリティカル・エディションの採用、アリアやレチタティーヴォのカット、そしてアリアにおける装飾についてはどうお考えですか?私は個人的にはモーツァルトのアリアの装飾は好きではない事が多いんです。ケルビーノのアリア「恋とはどんなものかしらVoi, che sapete」の2番など、素敵だなと思う時もありますが…どちらかというと昔から聴いてきた歌のラインを邪魔しないでほしい、と思う事が多いです。
A: モーツァルトについていえば、僕個人は何もカットしないのが一番だと思います。作曲家が書いた音楽は書いたとおりに演奏するのが正しいと思うので。現代に生きていると、オペラの長さ、終演時間、それに演出家の要望だとか、様々な要素が入って来るのは理解できますが。
アリアの装飾に関しては、当時は常に行われていました。演奏上のかなり確固たる習慣だったわけです。バロック、バロック後期には非常に盛んに行われていました。その後だんだん少なくなってきましたが、それでもかなり長い間やっていた。19世紀の半ばくらいまでです。ドニゼッティの「ドン・パスクワーレ」を初演したバス・バリトン歌手ルイジ・ラブラーシュ (1794‐1858)の書いた「歌唱法メソッド」という本を読むとまだ装飾法に触れています。その頃にはもうアッポッジャトゥーラ(前打音)や、トリルなどの小さなものが中心ですが。
大切な事は装飾音によってその曲がより美しくなるように注意して使う事だと思います。ケルビーノのアリアでは確かに装飾が映えるし、「コジ」ではドラベッラのアリアは二つともいいと思います。装飾の仕方を決める時には、歌手と一緒におこないます。彼ら自身が考えたり、僕が考えたものを伝えたり。歌手によっても、装飾に積極的な人もいれば、歌のラインを崩したがらない人もいる。フィオルディリージのアリアはすべて装飾を施しましたが良い出来だったと思います。一方「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・アンナのように初めから装飾が数多く書きこまれている場合はそれに何かを加えようとするのは無駄な事です。もう完成されているのですから。まあ僕はヴァイオリニストなので、シンプルなメロディー・ラインを見ると複雑な装飾をつけ加えたくなってしまう傾向はありますけれど(笑)。
Q: 通奏低音にはフォルテピアノをお使いですね。
A: フォルテピアノかチェンバロか。僕は個人的にはモーツァルトのオペラにはチェンバロを使うのは好きではありません。少なくともこの三部作では。音色の問題です。本当はフォルテピアノに少なくともチェロを足したかったのです。出来ればコントラバスも。でも今回はリハーサルの時間の問題でどうしても不可能でした。いずれにせよ以前「フィガロの結婚」を演奏した時にはチェンバロを使用したのですが、オーケストラと一緒に演奏する部分もありますし、どうしてもフォルテピアノの音色の方がふさわしいと思うのです。
Q: あなたの指揮で素晴らしいのはテンポがつねにその場に相応しく思える事に加えて、色彩というか表現の多彩さがあります。指揮を見ているとかなり拍子を大きくとって振る事が多いように見えるのですが、これはどのような選択なんでしょうか?
A: いつも同じ振り方をしている訳ではないんです。もちろん毎回、同じ振り方をしなくてはいけない場面は沢山あります。オーケストラが安心して弾けるように。必要な場面では細かく振りますしジェスチャーも明確でなくてはなりません。ただ、オーケストラがすべて問題無くいっている時、舞台にも問題が無い時には、オーケストラに自分達だけで演奏させるのが好きなんです。彼らにお任せしてその間、僕は休んでいるんです(笑)。彼らが歌手達を聴き、歌手達がオーケストラを聴いてお互いが演奏している時、それこそが完璧な時なのです。
Q: レチタティーヴォからアリア、重唱などへの移り変わりの継ぎ目が非常に滑らかに感じました。
A: 常に気をつけているのが連続性ということです。どのようにレチタティーヴォのカデンツァ(終止形)に到着し、その中からアリアに続いて行く要素を見出すか。和音をバン、バンと弾いて、さあ次、というのは嫌なのです。これは通奏低音を担当してくれた二人のフォルテピアノ奏者たちとも一緒に工夫した点です。例えば「ドン・ジョヴァンニ」のマンドリン伴奏で歌われるアリア「窓辺においでDeh vieni alla finestra」ですが、マンドリンをその前のレチタティーヴォの伴奏の最後のところから重ねて演奏したのです。このような工夫をオーケストラと一緒にするのは楽しいですね。
Q: 今日は長い時間どうもありがとうございました。最後に、指揮者としての今後のご予定を教えて下さい。
A: ここリヨンでは7月にもう一度「コジ・ファン・トゥッテ」を指揮します。その次のシーズンでは2012年6月に「カルメン」、その次の年には「魔笛」の指揮を依頼されました。「カルメン」は僕が希望したわけではなく歌劇場側からのリクエストです。なぜ僕に「カルメン」?とは思いましたが…冒険になりそうです(笑)。今年の秋にはトロントで「ドン・ジョヴァンニ」、11月にベルガモ歌劇場でピッチンニのオペラ「ラ・チェッキーナ」。そして来年の春には日本で藤原オペラの「フィガロの結婚」を指揮する予定です。僕が知っている日本のアーティストは皆、勉強熱心でプロフェッショナルな人ばかりですから日本での「フィガロ」がどうなるか楽しみにしています。
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CONCERT Report [ミラノ発]
Concerto di Beneficenza per il Giappone ・・・・・・・・・・・・・・・・・by Mika Inouchi
(photo: Yasuko Kageyama)
イタリア在住の日本人演奏家達によるチャリティー・コンサート・・・・・井内美香
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東日本大震災の被災者へ義援金を送るチャリティー・コンサートが世界中で開かれている。ミラノでも去る4月10日(日)に北イタリア在住のバロック音楽演奏家たちが集まるチャリティー・コンサートが開催された。場所はミラノ・カトリック大学の近くにあるサン・ベルナルディーノ・アッレ・モナケ教会である。当日は初夏を感じさせる日差しの中、多くのイタリア人が集まり、小ぶりの教会は満員で立ち見の観客も多かった。
参加アーティストは阿部早希子(ソプラノ)、森紀吏子(ソプラノ)、菊池晃子(メッゾ・ソプラノ)、福島康晴(テノール)、平井晴之(テノール)、守谷敦(フラウト・ドルチェ)、氏家厚文 (フラウト・ドルチェ)、松永綾子 (ヴァイオリン)、田淵宏幸(ヴァイオリン)、村田りか(ヴィオラ・ダ・ガンバ、リローネ)、懸田貴嗣(チェロ)、渋川美香里(ソプラノ、ハープ)、松岡友子(チェンバロ、オルガン)、藤本典子(チェンバロ)、ウルスラ・サン・クリストーバル(フラウト・ドルチェ)、ホセ・マヌエル・フェルナンデス(フラウト・ドルチェ)。
ダリオ・カステッロのヴァイオリン・ソナタから始まり、フルート3本によるフランキーノ・ガッフーリオの曲、ペルゴレージ「スタバト・マーテル」、モンテヴェルディの「ドルチ・ミエイ・ソスピーリ」、「サルヴェ・レジーナ」や6声による「リタニア B.V.M」他の曲が祈りを込めて演奏された。世話役を務めたテノールの福島康晴さんによると、3.500ユーロを超す義援金が集まったそうで、全額が日本赤十字社に寄付されることになる。
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