大野和士、スカラ座でヴェルディ「マクベス」を振る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・加藤 浩子
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スカラ座「マクベス」公演 4月1日〜全10回公演
バーデン州立歌劇場、ベルギー王立歌劇場(モネ劇場)の音楽監督を歴任、メトロポリタンやパリなど大劇場への進出も続いて、いまや欧米のオペラシーンに欠かせなくなった指揮者、大野和士。その大野が、イタリア・オペラの総本山とでもいうべきミラノのスカラ座で、ヴェルディ初期の傑作(ただし現在一般的に上演されるのは1865年に作られた改訂版)「マクベス」を振った(4月1日初日、10回公演)。筆者の知る限り、日本人がスカラ座でヴェルディを指揮したのは初めてである(プッチーニは、小澤征爾、菊池彦典らが指揮しているが)。プロダクションは、1997年に制作されたグレアム・ヴィック演出のもので、日本でもムーティの指揮でお披露目されたプロダクションである。
大野のスカラ座への初登場は、昨年のショスタコーヴィッチ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」。演目を決めたのは、大野をスカラ座に招いたスカラのナンバー2(大野談)だそうだが、「マクベス夫人」「マクベス」というラインナップは、もちろんドラマ上のつながりを考えてのことという。残念ながら筆者は「マクベス夫人」は聴いていないが、日本からかけつけた評論家やファンから評判はきいていた。
だが今回の演目は、現地の聴衆にはなじみの薄いショスタコーヴィチではなく、ミラノの人々がこだわりを持つ(と自称する)ヴェルディの、それもかなりメジャーな作品である。大野がどう挑むか、興味は尽きなかった。
筆者は初日と3日目(4月5日)、2つの公演を聴くことができた。初日では主役のレオ・ヌッチが第1幕終了後に降板するアクシデントもあり、とくに第1幕は出演者の息の合わないところが散見されたり、肩に力の入る傾向も見られた(初日にはつきものではあるが)が、第2幕以降は大野のリードのもと、立ち直りを見せて熱演。3日目の公演ではまとまりもよくなり、スコアにある多彩な音が立ち上がってくる様子がよく聴こえた。スコアを細部まで踏まえた上での思い切りのよい音楽作りは、えてして単調になりがちなヴェルディ初期の伴奏型からも、実に生き生きとした、多彩でシンフォニックな音の世界を引き出し、さらにその世界がドラマと深く関連づけられていることを示した。「マクベス」が、明暗のコントラストに富み、古いヴェルディと新しいヴェルディの混在した魅力的な作品であることを、これほど実感したことはなかった。
惜しむらくは歌手が非力なことで、満足できたソリストは、バンクォーを歌ったイダル・アブドラザコフくらい。マクベス夫人を歌ったヴィオレッタ・ウルマーナは、明らかにミスキャスト。ドラマティコ歌手の払底している現況を思い知らされ、同時にスカラ座側の歌手の選択への疑問が残った公演でもあった。
大野和士、ヴェルディを語る
今回、現地で大野に話を聞く機会を持てたことは幸運だった。
大野といえば、バーデン州立劇場時代にワーグナーの全作品を取り上げたこともあり、日本ではどちらかといえばワーグナーをはじめとするドイツものが得意な指揮者という印象が強いのではないだろうか。
だが彼のなかには、「イタリア・オペラの伝統的な解釈の後継者」だという強い自負があった。というのも大野は、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場で勉強していた頃、ヴォルフガング・ザヴァリッシュとならんで、イタリア・オペラの名指揮者、ジュゼッペ・パタネ(1932−1989)の薫陶を受けているのである。パタネの人生の最後の数年間を一緒に過ごしたことは、自分にとって「幸運だった」と大野は言う。だから彼は「トスカニーニ、セラフィン、サバタ、パタネ、とつづくイタリア・オペラの演奏の伝統を受け継ぎ」、「ヴェルディの書いた真実を学び取ることができた人間」だという自負を、強烈に持っているのだ。大野の指揮に説得力があるのは、そのためだろう。多くの演奏家が単調に流してしまいがちな初期ヴェルディのリズムパターンも、大野によれば「楽譜をよく見れば、実に細かく指定され、歌詞の内容と結びついている」。大野の「マクベス」から色々な音が聴こえてくるのは、楽譜の読みの深さの結果だろう。一見シンプルに見えるヴェルディの音楽が、実際は緻密で、実によく計算され、知的だということは、パルマ、ヴェルディ研究所の所長で、ヴェルディ研究の権威であるピエルルイジ・ペトロベッリ氏も主張しているところである。
大野の音楽や言葉に説得力があるもうひとつの理由は、実践とならんで、作品のバックボーンに関する知識の豊かさである。ある作曲家を論じる場合、全体からいえば瑣末ともとれる音楽的な話に終始する音楽家も少なくないが(もちろん大野も、音楽の細部にこだわりがあるのは当然である)、時代や流れを見据えた上で、ヴェルディの「ヒューマン」な面や文学への共感という、大きな視点をまずあげる音楽家は、そう多くない。そのような視点でとらえると、しばしば対立させられるヴェルディとワーグナーは、「両極にあるとはまったく思わない。時代も同じだし、アクセスが違うだけ」。同じようなことを、ドイツの天才演出家、ペーター・コンヴィチュニーも言っている。「アイーダ」と「トリスタン」についてなのだが、「両者のメッセージは同じ。音楽言語が違うだけ」。いまや、このような考え方のできるアーティストが、本流になりつつあるのではないだろうか。(もちろんこれまでにも、アルトゥーロ・トスカニーニのように、両者を得意とした音楽家もいたが、そのような面が肯定的に強調されたことはあまりなかったように思う)。
現地の一部の聴衆がこだわる「イタリア的、伝統的なヴェルディ」については、そもそも歴史をさかのぼれば、その定義自体があいまいではないか、と疑問を呈する。実際、「ヴェルディのオペラ座」を名乗るスカラだが、ヴェルディの生前には関係が断絶していた時期も長かった。また、とくに独立運動の最中の「国民的英雄」だった、というヴェルディにまつわるイメージは、最近の研究の結果、修正が必要となっている。大野いわく、「スカラ座だからこそ、もっとシビアに、歴史をさかのぼって原点を追求することに意義があるのではないか」。そこまで言えるのは、繰り返しになるが伝統を身につけているという自負のゆえだろう。げんに今回、大野は、スカラの合唱団が伝統的な歌唱を理解していないことを指摘していた。
どこにいても「本質を究める以外に自分たちの使命はない」し、「めざすものへの熱意は、どの国にいても変わらない」。ある作曲家と同じ国に生まれたからといって、「多少近道はできるかもしれないが、そこへ行き着けるか行き着けないかは、まったく別の問題」。こう言い切れる指揮者が、それもより伝統的な側面が強いオペラの分野で日本から現われたことに、強い感動を覚えた。大野和士から、ますます目が離せなくなりそうだ。
(写真はインタビュー中の大野和士)
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