2008年5月 

ベルリン州立歌劇場「フェストターゲ」とザルツブルク・イースター音楽祭・・・岡本 稔
プロコフィエフ:歌劇「賭博者」3月15日
 ベルリン州立歌劇場のイースター音楽祭「フェストターゲ」が3月15日から24日にかけて開催された。開幕恒例の新演出はプロコフィエフのオペラ「賭博者」。音楽総監督のダニエル・バレンボイムの指揮による。バレンボイムはワーグナーの主要10作品のプロダクションを完成後、ロシア・オペラへの取り組みを活動のひとつの柱としており、「スペードの女王」「ボリス・ゴドゥノフ」などをベルリンで指揮したほか、昨年のザルツブルク音楽祭では「エフゲニー・オネーギン」を指揮している。ロシア系ユダヤ人である彼にとって、ひとつのルーツをたどるプロジェクトといえるだろう。
 「賭博者」は1916年に完成されたプロコフィエフ最初のオペラ。17年に初演が予定されたものの、ロシア革命のために頓挫する。その後、改訂が加えられて1929年にブリュッセルで初演されている。原作はドストエフスキー。ルーレッテンベルグというドイツの架空の都市でのギャンブルにまつわるもの。そこにはギャンブル好きだったドストエフスキーの体験が色濃く反映されている。
 上演の主役はバレンボイムが指揮するオーケストラ、シュターツカペレ・ベルリンだった。プロコフィエフの精緻なオーケストレーションを忠実に描き出すとともに、そこにこの指揮者特有の濃密な味わいを加味する。それによって金欲と愛憎が交錯する人間模様を浮かび上がらせることに成功した。
 ウラディーミル・オグノヴェンコの退役将軍、ミーシャ・ディディクのアレクセイをはじめ、歌手の粒も揃っていた。ディミトリ・チェルニアコフの演出は、豪華なカジノの設定を旧社会主義国家のホテルを思わせる場所に変更し、作品にふさわしい寒々とした情景を作り出した。このプロダクションはスカラ座との共同制作で、6月にほぼ同じキャストによってミラノでも上演される。

ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」3月16日
 バレンボイムとハリー・クプファーによるワーグナー・チクルスからの再演。設定を現代の高層ビル群が立ち並ぶ新宿西口のような場所に置き換え、ドイツ芸術の危機を訴えたコンセプトによる演出。ここでもバレンボイムのさらなる円熟が如実に示された。音楽の運びがより柔軟になり、即興性も加味されて多彩な表情が織り成されていく。歌手では初めてベックメッサーを演じたローマン・トレーケルが出色の出来。インテリゆえにヴァルターの規則に外れた歌唱が許せないという役作りは説得力が大きい。

 この2本のオペラに加えて、シュターツカペレ・ベルリンの2つの演奏会(20,21日)、ラン・ランとバレンボイムによるピアノ・デュオ(22日)がフィルハーモニーで開催された。
 来年の音楽祭は4月5日から12日まで。「ローエングリン」がシュテファン・ヘアハイムの演出で新制作される。タイトルロールはブルクハルト・フリッツ。オーケストラ・コンサートにはシュターツカペレに加えて、ゲストとしてスカラ・フィルが参加してヴェルディの「レクイエム」などを演奏する予定だ。〈以上写真:Monica Rittershaus〉

ザルツブルク・イースター音楽祭 3月15日〜24日
 4月5日はオーストリアの指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンの生誕百年にあたる。それを前にして、生地ザルツブルクでは3月15日から24日にかけてイースター音楽祭が開催された。ザルツブルク・イースター音楽祭は1967年にヘルベルト・フォン・カラヤンが自ら理想とするオペラ上演実現のために創設した音楽祭。なかでも、ワーグナー畢生の大作「ニーベルングの指環」の上演を目的としていた。カラヤンはバイロイト音楽祭、ウィーン国立歌劇場でこの作品を指揮しているが、既成の劇場のシステムのなかでは自らが主導する上演が不可能と悟ったためといわれる。音楽祭は初年度、「ワルキューレ」で幕を開けた。今年、現在の芸術監督サイモン・ラトルは同じ演目を取り上げて創設者への敬意を示した。
 ベルリン・フィルがオペラのピットに入る唯一の機会であるこの音楽祭の主役はオーケストラそのものといえるだろう。ステファン・ブラウンシュヴァイクの演出は音楽の邪魔をしないことをもっとも重要視したもの。いわゆる「読み替え」はなく、良質のエンターテイメントを提供することに徹していた。歌手についてはワーグナーを歌いなれた人を極力避けているところが大きな特徴。それは指揮のラトルが旧来の伝統的なワーグナーとは異なる音楽作りを志向した結果と考えてよいだろう。ドイツ語の語感を活かすという意味では物足りないところが多いものの、雄弁に語りかけるオーケストラのいわば声部のひとつという意味では最良の成果をあげていた。こうして作り上げられた音楽はいわば巨大な交響詩の様相を呈していた。(24日、祝祭大劇場)
 演奏会は3つのプログラム。カラヤンの生誕100周年を祝す演奏会(16日、21日)は巨匠の薫陶を受けた二人の演奏家が登場。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲で独奏をつとめたアンネ=ゾフィー・ムターは十三歳でカラヤンに才能を見出され、スターに踊り出た経歴を持ち、指揮の小澤征爾もカラヤンの高弟にあたる。両者の共演から生まれた音楽は、カラヤン思い起こさせる旋律をたっぷり歌わせたロマン的なもの。近年のピリオド・アプローチの影響を受けた軽いベートーヴェンとは明らかに一線を画す。喝采に応えてムターはバッハの無伴奏「サラバンド」を披露。その前に「これはカラヤンのオーディションで二度にわたって弾いた思い出深い曲です。巨匠に感謝をこめて弾きます」と語った。後半のショスタコーヴィチの交響曲第10番はカラヤンが指揮した唯一のショスタコーヴィチ作品。小澤は全身全霊を傾けたエネルギッシュな指揮によって、劇的起伏に富んだ演奏を実現。音楽祭の観客に復調を強く印象付けた。(21日、祝祭大劇場)
 ラトルは残りの二つのプログラムを担当。21日の演奏会はブゾーニの歌劇「ファウスト博士」からの2つのスタディーで始まった。この種の音楽を指揮するとこの組み合わせはまさに水を得た魚。いきいきとした表情が印象的だ。ところが次のドヴォルザークのチェロ協奏曲はまったく音楽祭にふさわしくない水準に終始した。問題はソロをつとめたハインリヒ・シフにある。音を正確に押さえられない乱暴な演奏で、オーバー・アクションばかりが目立つ。それはオーケストラの精緻なアンサンブルと好対照を成していた。後半のブラームスの交響曲第1番は、就任直後、ドイツ音楽の根幹を成すレパートリーが弱いと評されたラトルが、そうした批判を覆したことを示すもの。確かに軽めではあるものの、響きに芯が形成されてきた。それにラトルの清新な解釈が一体になった演奏だった。23日はハイドンの「天地創造」。ピリオド・アプローチを加味したこの指揮者らしい清々しい音楽。劇的な起伏に富んだ表現で天地創造のドラマが展開された。(祝祭大劇場)
〈この項写真:(c) OFS / Ania Gruca〉

大野和士、スカラ座でヴェルディ「マクベス」を振る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・加藤 浩子
スカラ座「マクベス」公演 4月1日〜全10回公演
 バーデン州立歌劇場、ベルギー王立歌劇場(モネ劇場)の音楽監督を歴任、メトロポリタンやパリなど大劇場への進出も続いて、いまや欧米のオペラシーンに欠かせなくなった指揮者、大野和士。その大野が、イタリア・オペラの総本山とでもいうべきミラノのスカラ座で、ヴェルディ初期の傑作(ただし現在一般的に上演されるのは1865年に作られた改訂版)「マクベス」を振った(4月1日初日、10回公演)。筆者の知る限り、日本人がスカラ座でヴェルディを指揮したのは初めてである(プッチーニは、小澤征爾、菊池彦典らが指揮しているが)。プロダクションは、1997年に制作されたグレアム・ヴィック演出のもので、日本でもムーティの指揮でお披露目されたプロダクションである。
 大野のスカラ座への初登場は、昨年のショスタコーヴィッチ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」。演目を決めたのは、大野をスカラ座に招いたスカラのナンバー2(大野談)だそうだが、「マクベス夫人」「マクベス」というラインナップは、もちろんドラマ上のつながりを考えてのことという。残念ながら筆者は「マクベス夫人」は聴いていないが、日本からかけつけた評論家やファンから評判はきいていた。
 だが今回の演目は、現地の聴衆にはなじみの薄いショスタコーヴィチではなく、ミラノの人々がこだわりを持つ(と自称する)ヴェルディの、それもかなりメジャーな作品である。大野がどう挑むか、興味は尽きなかった。
 筆者は初日と3日目(4月5日)、2つの公演を聴くことができた。初日では主役のレオ・ヌッチが第1幕終了後に降板するアクシデントもあり、とくに第1幕は出演者の息の合わないところが散見されたり、肩に力の入る傾向も見られた(初日にはつきものではあるが)が、第2幕以降は大野のリードのもと、立ち直りを見せて熱演。3日目の公演ではまとまりもよくなり、スコアにある多彩な音が立ち上がってくる様子がよく聴こえた。スコアを細部まで踏まえた上での思い切りのよい音楽作りは、えてして単調になりがちなヴェルディ初期の伴奏型からも、実に生き生きとした、多彩でシンフォニックな音の世界を引き出し、さらにその世界がドラマと深く関連づけられていることを示した。「マクベス」が、明暗のコントラストに富み、古いヴェルディと新しいヴェルディの混在した魅力的な作品であることを、これほど実感したことはなかった。
惜しむらくは歌手が非力なことで、満足できたソリストは、バンクォーを歌ったイダル・アブドラザコフくらい。マクベス夫人を歌ったヴィオレッタ・ウルマーナは、明らかにミスキャスト。ドラマティコ歌手の払底している現況を思い知らされ、同時にスカラ座側の歌手の選択への疑問が残った公演でもあった。

大野和士、ヴェルディを語る
 今回、現地で大野に話を聞く機会を持てたことは幸運だった。
 大野といえば、バーデン州立劇場時代にワーグナーの全作品を取り上げたこともあり、日本ではどちらかといえばワーグナーをはじめとするドイツものが得意な指揮者という印象が強いのではないだろうか。
 だが彼のなかには、「イタリア・オペラの伝統的な解釈の後継者」だという強い自負があった。というのも大野は、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場で勉強していた頃、ヴォルフガング・ザヴァリッシュとならんで、イタリア・オペラの名指揮者、ジュゼッペ・パタネ(1932−1989)の薫陶を受けているのである。パタネの人生の最後の数年間を一緒に過ごしたことは、自分にとって「幸運だった」と大野は言う。だから彼は「トスカニーニ、セラフィン、サバタ、パタネ、とつづくイタリア・オペラの演奏の伝統を受け継ぎ」、「ヴェルディの書いた真実を学び取ることができた人間」だという自負を、強烈に持っているのだ。大野の指揮に説得力があるのは、そのためだろう。多くの演奏家が単調に流してしまいがちな初期ヴェルディのリズムパターンも、大野によれば「楽譜をよく見れば、実に細かく指定され、歌詞の内容と結びついている」。大野の「マクベス」から色々な音が聴こえてくるのは、楽譜の読みの深さの結果だろう。一見シンプルに見えるヴェルディの音楽が、実際は緻密で、実によく計算され、知的だということは、パルマ、ヴェルディ研究所の所長で、ヴェルディ研究の権威であるピエルルイジ・ペトロベッリ氏も主張しているところである。
 大野の音楽や言葉に説得力があるもうひとつの理由は、実践とならんで、作品のバックボーンに関する知識の豊かさである。ある作曲家を論じる場合、全体からいえば瑣末ともとれる音楽的な話に終始する音楽家も少なくないが(もちろん大野も、音楽の細部にこだわりがあるのは当然である)、時代や流れを見据えた上で、ヴェルディの「ヒューマン」な面や文学への共感という、大きな視点をまずあげる音楽家は、そう多くない。そのような視点でとらえると、しばしば対立させられるヴェルディとワーグナーは、「両極にあるとはまったく思わない。時代も同じだし、アクセスが違うだけ」。同じようなことを、ドイツの天才演出家、ペーター・コンヴィチュニーも言っている。「アイーダ」と「トリスタン」についてなのだが、「両者のメッセージは同じ。音楽言語が違うだけ」。いまや、このような考え方のできるアーティストが、本流になりつつあるのではないだろうか。(もちろんこれまでにも、アルトゥーロ・トスカニーニのように、両者を得意とした音楽家もいたが、そのような面が肯定的に強調されたことはあまりなかったように思う)。
現地の一部の聴衆がこだわる「イタリア的、伝統的なヴェルディ」については、そもそも歴史をさかのぼれば、その定義自体があいまいではないか、と疑問を呈する。実際、「ヴェルディのオペラ座」を名乗るスカラだが、ヴェルディの生前には関係が断絶していた時期も長かった。また、とくに独立運動の最中の「国民的英雄」だった、というヴェルディにまつわるイメージは、最近の研究の結果、修正が必要となっている。大野いわく、「スカラ座だからこそ、もっとシビアに、歴史をさかのぼって原点を追求することに意義があるのではないか」。そこまで言えるのは、繰り返しになるが伝統を身につけているという自負のゆえだろう。げんに今回、大野は、スカラの合唱団が伝統的な歌唱を理解していないことを指摘していた。
どこにいても「本質を究める以外に自分たちの使命はない」し、「めざすものへの熱意は、どの国にいても変わらない」。ある作曲家と同じ国に生まれたからといって、「多少近道はできるかもしれないが、そこへ行き着けるか行き着けないかは、まったく別の問題」。こう言い切れる指揮者が、それもより伝統的な側面が強いオペラの分野で日本から現われたことに、強い感動を覚えた。大野和士から、ますます目が離せなくなりそうだ。
(写真はインタビュー中の大野和士)

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