フランク・シナトラを最後に観たマニラのコンサート 本田 悦久 (川上 博)
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今からちょうど15年前、1994年6月28日から7月1日まで、フランク・シナトラのフィリピン公演が、マニラの文化センターの一角にあるフォーク・アーツ・シアターで行われた。日本以外のアジアの国でのシナトラ・コンサートは、これが初めてで最後だった。
シナトラ一行がロサンゼルスからのチャーター機でマニラに到着したのは、6月26日の夜9時だった。そして初日の28日には、会場にラモス大統領夫妻はじめVIPが多数つめかけ、セキュリティ・チェックは空港並みの厳重さだった。
入場料は1万5千ペソから500ペソまで7段階に細かく分かれていた。貧富の差そのままのような価格差だ。当時の米ドル換算で、500ペソは19ドル位。かなりの部分を占める特等席が557ドル。当時の円高でも6万円近かった。サラリーマンの平均月収が200ドル前後だったこの国で577ドルの入場料は、物価高では定評のあった日本での来日公演をはるかに上回る額だが、「パヴァロッティ達三大テナーの時は2万5千ペソ (10万円近い) だった」そうだ。ともかく、7千人もの観客が集まった。
猛烈な暑さで、場外ではウチワを売っており、場内では扇風機数十台が回り、天井ではコウモリが舞っていた。定刻8時少し前、全員起立で国歌を静聴。前座は政財界メンバーによるエクゼクティブ・バンド、ピアノは大統領夫人、MCは元外相という豪華メンバー?で3曲演奏。続いて、「ミス・サイゴン」のキム役で国際スターになったレア・サロンガが6曲歌う。
休憩の後、いよいよシナトラの登場。3月6日のリッチモンドでの公演中に倒れた後なので気がかりだったが、元気そうで衰えは感じない。オープニング・ナンバー “Come Fly with Me” を歌うシナトラの頭上を、数羽のコウモリが飛び回る様子が可笑しい。舞台の上は客席以上に暑いはずで、それが気の毒だ。
22人の楽団を指揮するフランク・シナトラ・ジュニアは、若い頃は “若き日の父親” にそっくりだったが、すっかり太ってしまい、かつての面影はない。汗だくのシナトラに、1曲歌い終わるとジュニアがタオルを渡すが、それでも間に合わず、流れる汗を手で拭いながらの熱唱である。歌詞を忘れっぽいシナトラのために3人のプロンプターがいたが、シナトラは汗で目がかすんで見えないのか、アドリブで歌う場面もあった。曲は “You Made Me Feel So Young” ”Witchcraft” ”For Once in My Life” ”Come Rain or Come Shine” ”Lady Is the Tramp” ”Where or When” ”Strangers in the Night” ”What Now My Love” ”I’ve Got a Crush on You” ”New York, New York””Angel Eyes” ”Summer Wind” ”Mack the Knife” と、いずれも情感たっぷり、力強い歌いぶりで快調に歌い進む。いつものように客席のバーバラ夫人を紹介し、ラスト・ナンバーの “My Way” を熱唱し終わって退場すると、熱烈なアンコールの拍手が続いたが、残念ながらシナトラは再び舞台に姿を現すことはなかった。恐らく猛暑の中、燃焼し尽くして出ては来られなかったのだろう。あと半年足らずで79才になるのだから無理もない。それでも充分堪能したに違いない観衆は、満足げに引き上げて行く。
全15曲はお得意のレパートリーで、1時間足らずのショーだったが、さすがはシナトラ、聴き応えは充分だった。1962年の赤坂ミカド、日比谷野外音楽堂以来、シナトラ・コンサートは日米でよく観てきたが、この夜のステージは冷房のない暑さの中でのシナトラの熱唱が際だち、かなりのインパクトのある感動を残した。シナトラが亡くなったのは、それから4年後のことだった。
ラモス大統領はこの日、主催者から贈られた何枚かの入場券を、マラカニアン宮殿の掃除婦や護衛官たちの招待に使ったと、現地の新聞が報じていた。
*2枚目の写真は1968年、ハリウッドでバッタリ出会った時のフランク・ジュニアと
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ミック・テイラー・インタビュー 高見 展 & Mike M. Koshitani(越谷 政義)
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元ローリング・ストーンズのミック・テイラーが10年ぶり、6度目の来日公演。Billboard LIVE OSAKA & TOKYOで計6回のコンサートを披露した。セット・リストは以下の通り・・・
4月18日@ Billboard Live OSAKA
*ファースト・ステージ
1. Secret Affair
2. Twisted Sister
3. Losing My Faith
4. You Shook Me
5. Burying Ground
6. Alabama
7. No Expectations
同日@ Billboard Live OSAKA
*セカンド・ステージ
1. Secret Affair
2. Twisted Sister
3. Late At Night
4. Losing My Faith
5. Fed Up With The Blues
6. Burying Ground
7. You Gotta Move
8. Blind Willie McTell
9. Can't You Hear Me Knocking
4月20日@Billboard Live TOKYO
*ファースト・ステージ
1. Secret Affair
2. Twisted Sister
3. Losing My Faith
4. Fed Up With The Blues
5. Burying Ground
6. Can't You Hear Me Knocking
7. No Expectations
同日@Billboard Live TOKYO
*セカンド・ステージ
1. Secret Affair
2. Twisted Sister
3. Late At Night
4. Burying Ground
5. Goin'South
6. You Shook Me
7. Can't You Hear Me Knocking
4月21日@ Billboard Live TOKYO
*ファースト・ステージ
1. Secret Affair
2. Twisted Sister
3. Losing My Faith
4. You Shook Me
5. Burying Ground
6. Blind Willie McTell
7. No Expectations
同日@ Billboard Live TOKYO
*セカンド・ステージ
1. Secret Affair
2. Twisted Sister
3. Losing My Faith
4. Fed Up With The Blues
5. You Gotta Move
6. Burying Ground
7. Blind Willie McTell
21日のライヴ前にバック・ステージインタビューした。
Q:今回は6回目の来日、しかも、10年ぶりになりますが。
M:もうそんなに来てるんだっけね? 前回来たのが99年の10月だというのは憶えてるけど・・。
Q:今回の来日はどんな感じですか。大阪と昨夜で4回ほどステージをこなしているわけですが。
M:うん、すごいよかったよ。満足したし。
Q:昨晩のショーは振り返ってみていかがでしたか。
M:昨日? 昨日か。昨日はよかったんじゃない? よかったと思うよ。でも、実は自分じゃよくわからないんだよね。
Q:気分的にはどうでしたか。
M:うん、いいんじゃない? やってていい気分だったよ。じゃ、逆に気分よくないことはなにかっていうと、帰りの飛行機に間に合うように朝の5時に起きたりしなきゃならないことだよ。まったくしんどいよなあ(笑)。けど、そりゃまた別な話ってか。
Q:今回はどういう経緯で10年ぶりの来日を決心されたんですか。
M:なぜかってそりゃあ・・やっぱりビルボードさんからのせっかくのオファーの手紙を部屋のテーブルの上に放って置いたままにはできなかったからだよ。ほかのものと一緒に埃をかぶり始めた頃に気がついて、『おっと、こりゃ誰かさんがぼくを日本で観たがっているっていう話じゃないか・・』と思い立ったんだよ。それで手紙をよく読んでファイルに入れておいて、それからバンドのドラマーでマネージャーでもあるジェフ・アレンに電話を入れてみたんだ。バンドのみんなも日本に行ってみる気があるのか掛け合ってくれるかなと思ってさ。で、聞いてみたらみんな行く気になってたから、こうして来たわけさ。
Q:(笑)たまたま日本に流れて来たみたいな口ぶりですが、実際にはヨーロッパじゃ去年はイギリスとイタリア、そして今年もイギリス、ドイツ、スイスなどとツアーで回っているわけですよね。
M:いやいやいや、やってないよ。ツアーなんてそんな大それたものなんかやってないって。できる限りそんなものはやりたくないから。ぼくとしてはツアーなんて、流行り病のように避けたいものなんだ。本当に必要悪としてたまにやってるだけの話だから。ちょっと巡業に出て、演奏をして、お金を稼がせてもらうと。ただ、確かにドイツではツアーと呼べるくらいのことはやったかな。でも、ほかじゃね、そんな大それたことはやってないって。
Q:(笑)では、今回の来日の後の予定などはどんな感じになっているんですか。
M:あとはもう引退するだけだろ(笑)? 今引退したっていいくらいだよ。
Q:(笑)またまた。新しいレコーディングをスタジオで制作中だという話を聞いたのですが、これはだいぶ進んでいるんですか。
M:いや……それはただの噂だね。
Q:噂なんですか? では、特に新作とか、そういう意識からではなく、作品をレコーディングしたりはしてるんですか。
M:いや、してないよ。
Q:あえてしていないわけとかあるんですか。
M:どうしてなんだろうねえ? ぼくにもよくわからないよ。でも、今晩のライヴはレコーディングするよ。それと大阪のライヴも収録はやったんだ。中継用に使うんじゃなくってね、DVDを出す可能性もあるんだよ。
Q:じゃあ、今晩のライヴも収録して将来的には発表するってことですか。
M:うん。そういうこと。
Q:でも、それ以外のリリースは当面は考えていないということなんですか。
M:そういうこと。もうね、昔ほどの野心もなくてね、そういう気にもなれなくてさ。
Q:ところで、今回ベースを担当しているクマ・ハラダさんといえば、78年のアルバム「」Mick Taylor』にも参加されてるわけですが、二人の出会いやクマさんのベースの魅力などお聞かせください。
M:いやあ、昔も今もほんと腹立つやつだよ(笑)……細かいことは本人に訊いてよ。クマについてなんて、ぼくなんかよりクマが一番よく知ってるんだからさ(笑)。ただ、まあ、クマとはね、最近になってよく演奏するようになったんだよ。3か月くらい前からかな。
Q:それはヨーロッパのあちこちのライヴとかでですか。
M:うん、そう、ヨーロッパだけど……ドイツにクマは来れなかったんだ。それで別な人にやってもらったんだけど、イギリスではクマがやってくれてね、今回も一緒に日本に来てもらったんだよ。
Q:イギリスでは折を見てライヴをやるという感じなんですか。
M:うん、まあ、そんな感じだけど、8月くらいから時々やってんだよね。で、これからも帰ったら、いくつかライヴがあるんだよ。
Q:ところで、今どこに住んでるんですか?
M:ヒルトン・ホテルだよ。
Q:(笑)。
M:ロンドンに帰ってまずやることは、ヒルトンにチェック・インすることだよ。ヒルトンか、リッツ・カールトンかどっちかだね。
Q:ところでビル・ワイマンのリズム・キングスのライヴにも参加されていましたよね?
M:参ったな・・確かにしたんだけど。えーと、それっていつだったっけな?ひょっとしてオランダでやったやつだっけね?
Q:そうです。あなたは2曲やってましたね。
M:はいはい。それか。「フェド・アップ・ウィズ・ザ・ブルース」と「ノー・エクスペクテーションズ」をやったんだよ。でね、あのライヴはすべて映像として収録されたんだけど、リハーサルはビルのホテルの部屋だったんだよね。だから、サウンド・チェックとかもなにもなかったんだけど・・出来は完璧だった。
Q:ちなみに、この共演ってどういう経緯で実現したんですか。
M:そんなの知るわけじゃないか・・っていうか、いちいち憶えてられないんだよ。どうも記憶力が最近とみに衰えてきててね。
Q:セット・リストを覗いた分には今晩も「フェド・アップ・ウィズ・ザ・ブルース」をやるみたいですけど、特にこの選曲の理由はなんですか。
M:ああ、でも、「フェド・アップ〜」は今晩はやらないことにしたんだよ。テレビの生中継の時間の関係で曲をどれかひとつ削らなくちゃならなかったから、これをやらないことにしたんだ。でも、今晩の2発目のライヴではやるかもしれないよ。だけど、1発目はどうしても1時間10分でやらなくちゃいけないんだよ。まあ、少なくともそう言われてるんだけど。
Q:では、ほかに「キャント・ユー・ヒア・ミー・ノッキング」と「ノー・エクスペクテーションズ」は今晩やる予定ですか。
M:なんとも言えないけど、「ノー・エクスペクテーションズ」はやると思うよ。これはやりたいよね。
Q:ストーンズのレパートリーで特に好きな曲ということなんですか。
M:今自分が演奏している曲のなかでは、特に気に入っている曲だってことだよ。特に今、このバンドではね。
Q:「キャント・ユー・ヒア・ミー・ノッキング」はどうですか?
M:もー、たまらなく嫌だね。
Q:(笑)。
M:けど、ジェフのお気に入りだからさ。やるけどさ、やらなくていいんだったら、それがいいんだけど。やっぱりごく一部のストーンズのファンにも喜んでもらわなくちゃならないからね。
Q:じゃあ、「スウェイ」は?
M:それはもうやりたくないね。
Q:では、あなたとしてやりたいのは・・。
M:ぼくが今やりたいのはね、静かなゆったりした部屋で横になって、CNNかBBCワールド・ニュースを観ることだよ。それから髭剃って、今晩のショーに間に合うように目が覚めるようにすると、そういうことだね。今日もいろいろ大変だったからさ。
Q:ちなみにハイド・パーク・コンサートやオルタモントでのライヴで一番印象に残っていることといったら、なにになりますか。
M:わかんないね。なにも憶えてないから。ぼくは2005年以前のことはなにも思い出せないんだ。とりあえず、きちんとは思い出せないかな。時々、ちゃんと憶えてるような気になったりもするんだけど、でも、実はそんなことなくて、ぼくの記憶は本当にひどいものなんだよ。なにか思い出したくなったりしたら、いつだってビル・ワイマンに電話で確認しないとできないからね。特にあの頃のこととなったらさ。
Q:じゃあ、ブルースブレイカーズと演奏した時のことなども思い出せませんか。
M:うん。でも、最近ジョン・メイオールとエリック・クラプトンと一緒に演奏した時のことは思い出せるよ。あれは2004年くらいだったと思うけど。
Q:(笑)基本的に2005年に近ければ思い出すんですね。
写真:轟 美津子
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追悼:忌野清志郎 KIYOSHIRO still lives on in all of us 文・原田 和典
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ロック・シンガーの忌野清志郎が、がん性リンパ管症のため亡くなった。享年58。1970年にRCサクセションとしてレコード・デビューし、「ぼくの好きな先生」、「スローバラード」、「雨あがりの夜空に」等を発表(79年に仲井戸"CHABO"麗市が正式加入)。82年には坂本龍一と組んだ「い・け・な・いルージュマジック」が大ヒットした。91年にRCを休止し、2・3’s、リトル・スクリーミング・レビュー、ラフィータフィーなどで活動。別キャラクターによるタイマーズ、LOVE JETSも話題を呼んだ。2006年7月に喉頭がんを公表したが、08年2月に忌野清志郎 & NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS plus 仲井戸"CHABO"麗市で≪完全復活祭≫と題するコンサートを開催。この年の7月に腰にがんが転移したことが分かり、再び活動を縮小していた。
というあたりがいわゆる「おくやみ文」ということになろう。が、僕には清志郎が死んだなんてどうしても思えないのだ。どっかの山師が勝手にほざいてるに違いないのだ。ちょっとオーティスや地味変やエルモアやマディやJBとセッションしたくなっただけなのだ。葬式にも行ったし、花も手向けてきた。遺影を穴が開くほど見つめてきた。だけどぜんぜん実感がない。まったくわからない。
僕がRCの「トランジスタ・ラジオ」に出会って清志郎に心を奪われ、授業とはサボるものであり、屋上とはタバコをふかすところである(だが一服であきらめた。そのときからずっと、僕はタバコがダメである)ことを知ったのは80年のことだ。以来、常に僕は清志郎に私淑してきた。「牢屋に入ったら清志郎の歌が聴けなくなる、ライヴにいけなくなる」と思うと、どんな悪いことにも手を出せなかった。つきあう女も清志郎のファンかどうかで決めていた。面識はない。拙著『清志郎を聴こうぜ!』(主婦と生活社)執筆に取りかかったのは05年の夏(完成までに2年半かかった)。快諾をいただき、インタビューの話もくださったが・・・。
やっぱり、ぜんぜん実感がない。僕は永久に清志郎の死を「誤報」と断定し、さらに強く、深く彼の音楽を自分の体内に染み込ませていくつもりだ。
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5年目を迎えた「ラ・フォル・ジュルネ」、展望と課題・・・・・・・・・・加藤 浩子
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GWの名物としてすっかり定着した「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」。東京国際フォーラムを会場に、連日朝から深夜までコンサートをはじめクラシック音楽関連の催しが繰り広げられる、クラシック音楽のお祭りだ。1995年にフランスのナントで始まった音楽祭は、東京に上陸して5年目を迎え、昨年からは金沢でも始まった。毎年特定の作曲家をテーマにしているが、いまや「ラ・フォル・ジュルネ」で取り上げられる作曲家は、アニバーサリーイヤーの作曲家よりメディアの話題になるほどだ。
今年のテーマは「バッハ」。日本人には人気の高い作曲家とあって、有料プログラム168公演のチケット販売率は94.2%にのぼった。第1回(テーマはベートーヴェン)の時は空席が目立ったことを考えると、隔世の感がある。そのほかに無料プログラムが135公演あり、それらを含めた来場者数は40万人を越えたと推定される。
成功の要因は、よく言われることだが低料金(1500〜4000円)、そして、コンサートの時間の短縮もあるという。クラシックを聴きなれないひとにとって、1回2時間前後という現在のコンサートのスタンダードな時間は、辛抱できるかどうか不安になるらしい。「ラ・フォル・ジュルネ」だと、《マタイ受難曲》のような大曲を除いて、1回のコンサートは45分を基準にしているので、とっつきやすいというわけだ。
堅苦しいと思われがちなクラシックの世界に、お祭りの要素を持ち込んだことも大きい。国際フォーラムの中庭を利用しての屋台(これはふだんから常設でもあるのだが)、同じ中庭で行われる無料ステージや関連グッズのショップ、地下の大きな会場での無料イヴェントやアンテナショップと、楽しめる演出がたくさんある。ここに来れば、何かしらの形で「クラシック音楽」に触れることができるのだ。
過去のアンケートによれば、「ラ・フォル・ジュルネ」で初めてクラシックコンサートに来たひとは、75%にのぼるという。
演奏家は世界のトップレベルから注目の若手まで、質の高いアーティストが揃っているので、廉価だからといって安易にレベルを落としているわけではなく、入門者にもクラシックファンにも楽しめるものとなっている。このフェスティバルの時だけは必ずクラシックを聴きに来るというファンも多く、当初の狙い通り、クラシックの間口を広げ、その楽しさを伝えることに貢献しているのは間違いない。
とりわけ今年の「バッハ」に関しては、古楽演奏家を中心に国際的な演奏家が集まった。海外からは、この音楽祭の常連であるミシェル・コルボをはじめ、ピエール・アンタイ、ラ・ヴェネクシアーナ、ベルリン古楽アカデミー、ファビオ・ビオンディら、国内からは、バッハ・コレギウム・ジャパン、鈴木秀美、中野振一郎、工藤和典、小山実稚恵ら、ファンにとっても垂涎のメンバー。会場の熱気も、例年に増して濃かったように思う。
また無料イヴェントでも、人気の脳学者茂木健一郎と鈴木雅明、総合プロデューサーであるルネ・マルタンと、これも人気の科学者福岡伸一との対談など豪華なものもあり、立ち見の出る盛況となっていた。
一方、細かな課題は山積している。盛況のおかげでチケットが入手できにくくなり、当初の目標だった「ふらっと来てコンサートに入れる」ことがほとんど不可能になっていることは残念だ。企業からの協賛金の削減もあって、有料プログラムの会期が昨年より2日減って3日間になったことも関係しているのだろうが、チケットの販売方法も含め、前向きの対応が望まれる。若手アーティストや邦人アーティストを多く起用して経費を抑えるという方法も、あるのではないだろうか。
ショップに置かれる書籍の類が限定されていることも気になる。取引、関係のある会社や、出演アーティスト関連のものに絞られているようだが、せっかくクラシックを知ってもらおうという催しなのだから、なるべく垣根を取り払って数多く出品してもらいたい。こんなものもある、あんなものもある、という発見がクラシックへの興味をそそるはずだ。
専門の研究者の起用が少ないのも残念。「気楽に楽しむ」というコンセプトはわかるし、それゆえの専門家排除なのだろうが、バッハ研究の分野では日本にも優秀なひとが大勢いる。アーティスト同様、そちらの協力も仰いで損はないだろう。礒山雅、小林義武の2氏だけが、申し訳のようにレクチャーを行うだけではいかにももったいない。専門性と語りのうまさを生かしたレクチャーつきのコンサートなど、考えられる企画はいくらでもある。
それ以外にも、地下広場の飲食コーナーの座席の少なさなど、ハード面での細かな問題は散見された。しかし、クラシックの「楽しさ」に力点を置いて成功している催しは貴重だ。景気低迷の影響で不振の叫ばれるクラシック業界に、革命的なモデルケースを提供していることは間違いないだろう。
≪写真:三浦興一≫
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