2008年1月 

<Now and Then> 
そんな事がありました 5-1 「夜来香」物語  本田 悦久 (川上 博)
昨年 (2007) 11月に、黎さんという方からMPC経由でメールが届いた。黎という名字は、「夜来香」の作曲家・黎錦光 (リー・チン・クァン) 先生以外に知らないので、もしや黎先生の関係ではと思い、返信させて頂くと、黎先生の末娘の黎小芳 (リー・シャオ・ファン) さんだった。彼女は10代の頃に来日されて、作家の大野芳さん、歌手の胡美芳さん方と拙宅に見えたことがあった。小芳さんからは「あっという間に20年経ちました」と近況を記されたメールも頂いた。

思い起こせば、小芳さんたちが来宅された1987年の子供の日から更に8年遡る1979年の春、上海の黎錦光先生から自作の「夜来香」の著作権について、ビクターの総務部に照会があった。1949年、中国革命の激動の時代に、黎先生は香港の代理人を通して、日本の権利を5年契約でビクターに預けた経緯があった。5年経過後は、国交のない中国の曲は、日本では保護の対象になっていなかったので、レコード各社自由に使っていた。「上海に行ったら黎先生に説明してほしい」との総務部の依頼を受けて、その年の10月、中国唱片社との原盤契約交渉で北京に行った折りに上海に足を伸ばしたが、米中国交成立により、アメリカに帰化していた黎先生の実弟で、ロジャース&ハマースタインのブロードウェイ・ミュージカルにもなった「フラワー・ドラム・ソング」の作家C・Y・リーさんがカリフォルニアから里帰りされ、黎先生は北京に会いに発たれた後で、すれ違いに終わった。翌1980年10月訪中の時、黎先生が北京まで来て下さって初めてお会いした。

1907年生まれの黎先生は、その年73才になられていたが、中国唱片社上海分社の現役の音楽監督だった。1944年 (昭和19年)、上海百代唱片公司の事務所で、庭に咲く夜来香の花を見ながら作詞・作曲した曲の話をしてくれた。
「夜来香」という古い歌が既に存在し、民謡調の「売夜来香」という曲もあったが、これらをモチーフに、中国調に欧米風な新感覚を加えて軽快なテンポの曲に仕上げ、敢えて同名の「夜来香」の題で発表、満映 (満州映画協会) のスター女優だった李香蘭 (リー・シャン・ラン=山口淑子) の唄でレコード化したところ、空前の大当たりとなった。その年に軍属として上海に渡って音楽活動をしていた服部良一さんは、この曲に魅了され、3つの「夜来香」を合わせて一つの協奏曲に編曲した。終戦前夜の1945年7月、上海一の「大光明劇場」で「李香蘭ショー・夜来香ラプソディ」演奏会が開催され、熱狂した中国人ファンの歓声で劇場は沸き返り、重苦しい戦時色にひとときの安らぎを与えた。この催しを演出したのは、当時、日中合弁の映画会社「中華電影公司」にいた野口久光さん (後の音楽評論家) で、オーケストラのタクトを振ったのは、勿論、服部良一さんだった。黎先生は客席最前列で、この一大イベントを見守られたという。戦争を忘れたような華やかなショーから半月後、終戦となり日本人たちは引き揚げていった。

終戦後の混乱、中国革命、文革等で、日中間の連絡は途絶え、「あれから35年、日本の友人たちには、一度も会っていない。李香蘭、服部良一、野口久光、川喜多長政・かしこ夫妻、あの頃の音楽仲間に会いたい」と、消息を尋ねられた。日中平和友好条約も成立し、ようやく交流の機会も増えてきたとはいえ、この思いがけないご縁をきっかけに、黎先生の長年の願いを何とか早く実現させたい。著作権の問題は専門家に任すとして、筆者は黎先生と日本の友人たちとの再会の架け橋になりたいと強く願った。         (以下、次号)

<Now and Then> 
「ウィーンの古き佳き時代」を偲ばせる往年の室内楽(2)−レオポルド・ウラッハ(Cl)、ハンス・カメシュ(Ob)、ハンス・レズニチェク(Fl)、カール・エールベルガー(Fg)、ウィーン・フィルハーモニー木管グループ、他。ウィーンの雅はウィーン・コンツェルトハウスとバリリだけではなかた・・・廣兼 正明
 2006年6月号に《「ウィーンの古き佳き時代」を偲ばせる往年の室内楽》第1回をウィーン・コンツェルトハウスとバリリという2つの弦楽四重奏団の6セット30枚の新装再発売に合わせてこの欄で取り上げてみたが、今度発売されたのはその続編21枚、ステレオ時代に入っての1曲を除いてすべて1950〜56年に録音された弦楽四重奏曲以外の弦重奏曲、管と弦、ピアノと弦の重奏曲、およびその当時の管楽器主体の室内楽と、一部の協奏曲であり、今回は主に管楽器の音の雅についても触れてみたい。弦だけでなく当時のウィーン・フィルには典雅な演奏をする管楽器奏者たちがメンバーの多くを占めていたのだ。
 その典雅な演奏の極めつけは何といっても30年に亘ってウィーン・フィルの首席クラリネット奏者を務めたレオポルド・ウラッハにとどめを刺す。1951年に録音されたウィーン・コンツェルトハウス四重奏団とのモーツァルト:クラリネット五重奏曲は未だにこの曲の決定版としての地位を譲っていない。現代の演奏と較べてみるとそのテンポは遅い。しかしじっくりと何回か聴いてみるとこの典雅さの虜になるだろう。第1楽章冒頭の弦4部の反進行でのハーモニーの移ろいの素晴らしさ、まさに雅の神髄である。そしてウラッハの歌は第2楽章で最上の典雅さを見せつける。同じモーツァルトのクラリネット協奏曲の第2楽章とともにA管の音の美しさを聴かせる双璧と言えよう。ウラッハはこれ以外にも素晴らしい名演を残している。バデュラ=スコダ、フリードリヒ・グルダとともにウィーンの「三羽がらす」と言われていたイェルク・デムスと組んだブラームスの有名なクラリネット・ソナタ2曲は必聴だ。モーツァルトから一転してブラームスの深さを出した名盤である。この他にも今回数枚に録音されているウィーン・フィルハーモニー木管グループのメンバーとしても録音に参加している。
 ではウラッハ以外の管の名手たちはどうだろう。オーボエのハンス・カメシュ、フルートのハンス・レズニチェク、ファゴットのカール・エールベルガー、ホルンのハンス・ベルガーなど、当時日本のファンの間ではまさにスター的存在であり、ウィーン・フィルが初来日する以前にはある意味で神様とも言えた (関係ないがどういう訳かファースト・ネームにはハンスが多い)。この中で特に筆者の印象に残る今回のCDの中での演奏はオーボエのカメシュで、オーボエ四重奏曲第1楽章アウフタクトの次の最初の小節3拍目後半と次の1拍目後半のターンを聴いただけで、これが本来のウィーン節と思えてしまう。そしてどの音符もとても愛おしく可愛がるように扱っている。この感じが曲の最後まで続く。フルートのレズニチェクにしても同じ傾向なのだ。
 また、弦と管のアンサンブル、例えばモーツァルトのセレナーデ、ベートーヴェンのセプテット、シューベルトのオクテット等ではこの素晴らしい管楽器奏者たちと、ウイーン・コンツェルトハウス四重奏団やバリリ四重奏団がアンサンブルをしているが、まさに小型ウィーン・フィルとも言えるもので、演奏はヴァイオリンのアントン・カンパーかワルター・バリリのスタイルが色濃く出ている。そして全てが50年以上前の録音であり、前回と今回の約50枚のCDではモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス等の室内楽を主とした珠玉の名曲が、古き佳き時代のウィーンを彷彿とさせる演奏で、モノラルながらかなり良い音で楽しむことが出来る。この時代のウエストミンスターは各レーベルの中でもトップクラスの音と言えるだろう。
 この他では、モーツァルトのクラリネット協奏曲とLP発売時からカプリングされていたの名手カール・エールベルガーのファゴット協奏曲も楽しい。とぼけた音のファゴットを実に真面目に吹いている。また、モーツァルトの有名なハ長調の弦楽五重奏曲K.515ではバリリ四重奏団が名手ヴィルヘルム・ヒューブナーを第2ヴィオラに起用してこの曲の代表的名演奏を残している。そしてコンツェルトハウスのブラームス:弦楽六重奏曲第1番とピアノ五重奏曲、バリリのシューマン:ピアノ五重奏曲はともにデムスのピアノと組んで立派な演奏を聴かせてくれる。さらにコンツェルトハウス四重奏団とギュンター・ヴァイスのチェロを加えたシューベルトの弦楽五重奏曲はこれを凌駕する演奏は未だに現れていないとも言われている。
 そしてこれが最後だが、コンツェルトハウスとバリリの対決盤が1枚、シューベルトのピアノ五重奏曲「ます」である。コンツェルトハウスの演奏(ウェストミンスター最初期1950年モノラル録音)は元気溌剌の今や伝説的とも言える決定版として名高く、バリリの演奏(1958年ステレオ録音)はウィーン・フィルのトップ奏者による内面的に充実したもので、ともにピアノがバデュラ=スコダであるところが面白い。どちらに軍配を上げるかは聴いた人が決めることである。それにしてもバリリのステレオ録音は貴重である。

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