2006年3月 

Popular ALBUM Review
 
「バート・バカラック/アット・ディス・タイム」(BMG JAPAN/BVCM-31186)
 20世紀のポップ・ミュージック史に残る大作曲家であるバート・バカラックの実に28年ぶりソロ新作。ウケ狙いでかつての名曲のセルフ・カヴァーを入れることもなく、すべて書き下ろし。しかも今回初めて‘作詞’も手掛けております。とはいえ無難なラヴ・ソングなどではなくて、母国アメリカの現体制に向けられたバカラック自身の‘怒り’の気持ちが込められています。タイトルの‘At This Time’もそんな意味合いから付けられたものというわけで、この名声を極めた天下の大御所までがひとこと言わざるを得ないというお国の現況が伺い知れます。ヴォーカルにルーファス・ウェインライトやエルヴィス・コステロ(コステロ参加の4曲目って往年のバカラック・メロディー風♪)、また‘イケメン’若手ジャズ・トランペッターのクリス・ボッティなどを迎えての共同作業で作詞作曲、プロデュース、アレンジ、指揮をこなし、もちろん自らピアノを弾くバカラックはただ今77歳(!)。この‘現役力’には圧倒されてしまいました。(上柴 とおる)

ここ数年間も精力的な活動ぶりだった巨匠のソロ名義のオリジナル・アルバム。これが28年ぶりのソロというから意外な気もするが、イギリスのSONY BMGが表現上の主導権をバカラックに与えることを約束したことが、アルバム制作に踏み切るきっかけになったそうだ。結果、現在のバート・バカラックがもっともアピールしたい音楽とメッセージが込められている。ホーンの使い方から絶妙なるオーケストレーションなど、独特のスタイルは健在。またヒップ・ホップ界のカリスマ、ドクター・ドレーのドラムループから発展させた意欲作をフィーチャーするなど、新しいチャレンジにも成功している。今回は巨匠自ら作詞面でも活躍、子供たちから彼らと同世代の若者まで新しいジェネレーションに向けてストレートなメッセージを投げ掛けているのが特に印象的だ。特に9.11以降の混沌として社会全体に大きなテーマを提唱しているのが彼らしい。偉大なキャリアを積んできたレジェンドは、キャリアに甘んじず、音楽界の革命児であり続ける姿勢を崩していないのだ。(村岡 裕司)


Popular ALBUM Review

「フォーク・イズ・ザ・ニュー・ブラック/ジャニス・イアン」
(ビクターエンタテインメント/VICP-63290)
 
レコードに針を下ろすと聴こえて来るのは...って、いやこれはCDなのでした。しかし、思わずそんな風に錯覚?してしまうほどに、シンプルでアコ-スティックなアナログ時代の空気感を漂わせた仕上がりで、往年のLPのCD復刻と言われても信じてしまいそうになるぐらい。でも歌詞の中身は最新版です。のっけの「デンジャー・デンジャー」からして辛辣なアメリカ社会の現状批判。これはキョーレツ。弁は政治家、お金、ヴェトナム、愛...にまで及びます。さらには自身のこれまでの辛苦な道のりまでもあからさまに。‘夫も妻も持った’なんてジャニスでないと言えません(苦笑♪)。反骨精神も露にメッセージを投げつける2年ぶりの新作はタイトル通り、まさしく当世の先端を行く‘フォーク’ですね。 (上柴 とおる)

 
Popular ALBUM Review

「ポートレイト/リック・アストリー」(BMG JAPAN/BVCM-31187)
 「ギヴ・ユー・アップ」など80年代のダンス・ポップ・ヒットに欠かせない顔役リック・アストリー。80年代後半に日本を含む世界のミュージック・シーンを沸かせたにもかかわらず、栄光に固執することなくしばらくプライベート・ライフを優先して音楽界から遠ざかっていたが、古巣の系列にある古巣SONY BMGに戻って久々の新作を発した。カムバック第1弾に当るこの作品は、復帰第1弾ということか、往年の名曲のカヴァー・アルバムというコンセプト。肩の力を抜いた内容ながら、かつてヒットさせたナット・キング・コールのもう一つのカヴァー「ネイチャー・ボーイズ」を取り上げるなど、ヴォーカル/ジャズ・エイジからダンス・ポップの時代に通用するヴォーカル表現の健在ぶりをアピールしている。中でもバート・バカラックとドン・マクリーンの作品に対する傾倒ぶりを明確にしている点が彼らしい。3月にはベリンダ・カーライル、シニータ、マイケル・フォーチュナティとのジョイント企画的コンサート「80’s DANCE POP SUMIT」のために17年ぶりに来日するが、これを機に新しいキャリアを積んでほしいものである。(村岡 裕司)

Popular ALBUM Review

「アンコール/イル・ディーヴォ」(BMG JAPAN/BVCM-38008~9)
 日本でも大ヒットした前作に続くセカンド・アルバム。ヴォーカル&ハーモニーを自在に駆使しながら、英語やスペイン語、イタリア語を絶妙にミックスする手法に加えて、今回はフランス語まで取り入れて、無国籍的なインターナショナル感覚の表現に成功している。ライチャス・ブラザーズの「アンチェインド・メロディ」やエリック・カルメンの「オール・バイ・マイセルフ」などポップ系のカヴァーから、「アランフェス」「アヴェ・マリア」などクラシック系の名曲を加えた、あらゆる世代にアピールする選曲が、全米No.1などの大きな要因だが、オリジナル曲もスタンダードの風格を感じさせる力作がフィーチュアされた。話題はセリーヌ・ディオンをデュエットのパートナーに迎えたオリジナル・ソング「ビリーヴ・イン・ユー」で、イル・ディーヴォの英語とセリーヌのフランス語が絶妙に融合している。このスタイル、今後ちょっとしたブームになりそうだ。プロデューサー陣は前作同様イギリスやスウェーデンのヒット・メイカーを起用しているが、本人たちもヴォーカル・アレンジ面で大活躍。既に独自のスタイルを確立した観があり、クラシカル・クロスオーヴァーのカテゴリーをさらに越えた存在感を発揮している。(村岡 裕司)

Popular ALBUM Review

「フレンズ/バナード・ファーラー」(ヴィレッジ・レコード/VRCP-12002)
 ローリング・ストーンズのコーラス担当で、坂本龍一や吉田美奈子ら日本人ミュージシャンとも交流のあるバナード・ファーラーのファースト・ソロ・アルバム。ストーンズのロニー・ウッドはじめ多くの仲間が参加。R&Bはもちろん、ロックからジャズまで実に見事に歌いこむ彼の音楽性が凝縮された素晴らしい出来だ。オリジナル作品、そしてストーンズ(『ワイルド・ホース』)、ニール・ヤング、リンダ・ロンシュタット、アイズレー・ブラザーズのカヴァーなども収録。多くのプロジェクトでのステージも素晴らしかったが、今度はぜひとも単独のライヴを我が国で実現して欲しい。(Mike M. Koshitani)

Popular ALBUM Review

「黒くぬれ!~ローリング・ストーンズ・カヴァー・トラックス」
(東芝EMI/TOCP-67880)

 ストーンズの名作はこれまで数多くのアーティストによってカヴァーされてきたが、そんな中からデヴィッド・ボウイ、ロッド・スチュワート、アレサ・フランクリン、オーティス・レディング、アイク&ティナ・ターナー、レオン・ラッセル、ラモーンズなどレーベルを超えて20曲。改めてジャガー/リチャーズの素晴らしさを教えてくれるわくわくさせられるコンピレーション・アルバムだ。じっくりとオリジナル・ヴァージョンと聴き比べてみるのも楽しみのひとつだ。ぜひ続編も期待したい。(Mike M. Koshitani)

Popular ALBUM Review

「RESPECT THE STONES」(ジェネオン エンタテインメント/GNCL-1049
 いよいよローリング・ストーンズを間近に控えたタイミングでリリースされたのが邦楽アーティストによるストーンズのカヴァー・コンピレーションとなるこの『RESPECT THE STONES』。ストーンズといえば、カヴァーも星の数ほど生んでいるだけに解釈も相当にあるわけで、どんなカヴァーを聴くことになるのかと期待と不安も入り混じる題材ではあるが(ディーヴォの「サティスファクション」みたいなぶっ飛びカヴァーもあることだし)、ここではストーンズの骨太なロックのそれぞれのアーティストによる解釈というものになっている。プロデューサーがマイク越谷氏なら当たり前か。というわけで、のっけからアドレナリンとファズ全開のプライヴェーツの「サティスファクション」が聴けて、このアルバムがどういうカヴァーを目指しているのかよくわからせてくれる。ズボンズの「リップ・ジス・ジョイント」はあんまりカヴァーされることのない必殺ナンバーだけに結構、このアルバムを気に入ってしまう重要なポイントになったりしている。でもって、モッズの「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」のオープニングのコードのあまりにもダイナミックな響きがダメ押し。やっぱりみんな70年代が好きなんだという意味で、ザ・サンズの冒頭の現代ファンク的カヴァーはかなり新鮮だが、後半で真骨頂を聴かせてくれる。個人的には「ミス・ユー」をここまでかっこよくカヴァーした菊田俊介にかなりしびれた(この曲はすごく難しいと思う)。 (高見 展)

Popular ALBUM Review

「リ・スライ~ディファレント・ストロークス・バイ・ディファレント・フォークス/スライ&ザ・ファミリー・ストーン」(ソニーミュージック/MHCP762)
 スライ&ザ・ファミリー・ストーンの結成40年周年を記念したトリビュート・カヴァー集となる本作だが、画期的なのは各アーティストがマスター音源を使えたということで、かなり自由にオリジナル音源と自分なりの解釈との振れ幅のなかで行き来できることでかなりダイナミックなカヴァーを堪能することができる。スライといえば、ファンクの創始者であるから、その流れを汲むヒップホップ・アーティストも相当にフィーチャーされていて、ウィル・アイ・アムやザ・ルーツが聴かせるサウンドはこのアルバムにとてつもなくコンテンポラリーな魅力を与えている。個人的にはビッグ・ボーイの「ランニン・アウェイ」とシー・ローらの「スマイリン」がひどくノスタルジックで感動的だった。その一方で、後半に進むとよりバンド・フォーマットに忠実なカヴァーが中心となって、スティーヴ・ジョーダンがプロデュースする「シング・ア・シンプル・ソング」や「アイ・ウォント・トゥ・テイク・ユー・ハイヤー」などは実に圧倒的に今に蘇るスライのファンクを聴かせてくれる。(高見 展)

先日のグラミー賞でも18年ぶりに公の場所に姿を見せた生きる伝説、スライ・ストーン。そのスライのオリジナル音源を使用し、新しいアーティストたちがスライへのリスペクトを表したリミックス作品。登場アーティストは、ウィル・アイ・アム、マルー ン・ファイヴ、ナイル・ロジャース、ジョス・ストーン、ジョン・レジェンド、ディアンジェロ、アイザック・ヘイズなど新旧豪華アーティストが勢ぞろいした。全14曲、どれもスライの楽曲としては超A級の作品ばかりだ。これは、もはやスライの新譜と言ってもいい。(吉岡 正晴)


Popular ALBUM Review

「レッツ・ブーツ・ダンシン2005」(BMG JAPAN/BVCM31174)
 近年、我が国でハワイアンのフラ・ダンスと共に、巷を湧かせているのが、カントリー・ダンスだ。カウボーイ・チャチャ、カウガール・ツイスト、カントリー・ジルバなど、ありとあらゆるステップが存在する。そしてカントリー・ファッションに決めた男女の一団が、それらのステップで、ブーツのかかとを踏み鳴らしながら踊る光景は圧巻である。そんなカントリー・ダンスをこよなく愛する人たちを対象としたアルバム、それがこの『レッツ・ブーツ・ダンシン2005』である。1995年よりリリースされている“レッツ・ブーツ・ダンシン・シリーズ”の5作目となり、今回はアラン・ジャクソンを筆頭に、トレイシー・バード、ジェフ・ベイツ、サラ・エヴァンスといったBMGのトップ・カントリー・アーティストたちが、聴き手にステップを踏ませる。“カントリーは好きだけど、ダンスは苦手”という人も、体を動かさずにはいられない、そんな好盤である。(BILLY諸川)


Popular ALBUM Review

「ホープ/秋吉敏子」(NIPPON CROWN/CRCJ-9160)
 今年音楽活動60周年を向かえた秋吉敏子の新作で、昨年12月にニューヨークで録音されている。ジョージ・ムラーツ(b)ルイス・ナッシュ(ds)共演のトリオとソロで演奏されており、最近の好調ぶりを示す輝かしいプレイを聴くことができる。ビッグ・バンドを解散してからはピアノ・プレイに専念しており、その好結果がここに示されている。全10曲中9曲は自作で「メモリー」「ホープ」「広島節」など60年に亘る音楽生活で築き上げてきた彼女の人生が反映されていて心を動かされる。(岩浪 洋三)

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「イエスタディズ/ポーラ・サナーホルム」(Spice of Life SOL/FP 0001)
  美人でしかも歌がうまい、いうことなしである。それにシンプルで温かいサウンドの伴奏が心地よく、すてきな雰囲気に一気に引き込まれてしまう。ポーラはスウェーデンの歌手だが、派手な装飾をほどこさないで、ストレートに、ひたすら原曲の味わい生かす歌い方をしているのがよく、ほのかな色気さえただよわせている。冒頭のゆったりとした歌い方の「ドウ・ナッシン・フロム・ミー」にまず感心したが、「ラブ・ミー・オア・リーブ・ミー」「マイ・フーリッシュ・ハート」などスタンダード曲ぞろいなのもうれしい。ビリー・ホリデイ作の「ファイン・アンド・メロー」をブルース風に歌わないのは、ビリー節になるのを避けたためであろう。(岩浪 洋三)

Popular ALBUM Review

「16 Men & A Chick Singer Swingin‘/ The Pratt Brothers Big Band Featuring Roberta Gambarini」 (CAP 985)輸入盤
 3月に来日、「コットン・クラブ」へ急遽出演が決まった、最近、話題のジャズ・シンガー、ロバータ・ガンバリーニが2001年にプラット・ブラザーズ・ビッグ・バンドと録音したアルバム。ビッグ・バンドで歌う彼女の素晴らしい歌が聞ける。ディーン・プラット(tp)とマイケル・プラット(ds)の双頭ビッグ・バンドと共演で「スカイラーク」「イースト・オブ・ザ・サン」、ケニー・ダーハムの「フェア・ウエザー」、ガレスピー楽団のナンバー、「ザ・カップ・ベアラーズ」に詞をつけた「カップ・オブ・ライフ」の4曲を熱唱する。ジャズ・センスが光る、スケールの大きな歌唱だ。プラット兄弟、ロニー・マシューズ(p)などソリストの活躍する歯切れ良いビッグ・バンド・サウンドも聴きものだ。(高田 敬三) 

Popular ALBUM Review

「クッキング/北村英治・バディ・デフランコ」(ジャズ・クック/JCCD 0011)
 珍しいクラリネット同士の共演である。北村とバディは仲がよく、舞台では何度も共演しているが、一緒に録音したのははじめてである。北村はスイング派でバディはモダン派とされてきたが、実際のプレイを聴くとそれほど差はないし、呼吸もぴったり合っているし、相互に刺激し合ってプレイが熱くなったり、ソロ交換のスリルを存分に味わうことができる。「枯葉」「イン・ア・メロー・トーン」「スターダスト」「A列車で行こう」などスタンダードぞろいだが、モダンな「ファイブ・スポット・アフター・ダーク」でのグルーヴ感にあふれた演奏は最大の聴きものであった。(岩浪 洋三)

Popular ALBUM Review

「魂 Kon/安富祖貴子」(エムアンドアイカンパニー/MYCJ 30374)
 沖縄出身の新星、安富祖貴子(あふそ たかこ)のデビュー・アルバム。大学でクラシック・ピアノを勉強、後にR&B系の弾き語りをしていた。最近は、ニーナ・シモンやビリー・ホリデイにはまっているという。本アルバムでもニーナが録音したレパートリーを多く取り上げている。低目の声で力強く歌う彼女は、「ワーク・ソング」のようなファンキーでアーシーな歌に味がある。シャーデーの「スムース・オペレーター」も良いが、「マイ・フェイヴァリット・シングス」みたいな歌はあまりむいていてないようだ。曲によって出来不出来があり、まだ荒削りだが、将来が大いに期待できる歌手。伴奏陣には川嶋哲郎、大隅寿男、井上陽介などのべテランが参加している。(高田 敬三)

Popular ALBUM Review

「昭和元禄トーキョー・ガレージ キング編<レッツ・ゴー・ジャンジャン>
(キングレコード/KICS-2467

 去年、ブリッジというところから出た『プログレッシヴ・テリー』というCDを聴いて、ロック・ギタリストとしての寺内タケシをもっと知りたいと思っていたところ、本作が発売されたとの情報を入手し、飛びついて買った。いやー、すさまじい。鬼のピッキングでギターが歪みまくる。そしてユニゾンで展開されるバンカラな男コーラスに強烈なジャブを受ける。「真赤は危険」という曲も入っているが、ボスのギターがいちばん危険だ! 寺内以外のトラックも、UKパンクを10年も先取りしたかのような突っ走りにあふれている。ジョー山中がいた“491”、安岡力也がいた“シャープ・ホークス”のドスの利きぐあいも最高!(原田 和典)

Popular CONCERT Review

Photo by
Mayumi Nashida


「イル・ディーヴォ 2月11日 NYラジオ・シティ・ミュージック・ホール
 セカンド・アルバム「アンコール」がビルボードの全米アルバム・チャートで1位に輝き、今年のワールドカップの公式テーマ・ソング「タイム・オブ・アワ・ライヴズ」を歌うアーティストに抜擢されるなど、快進撃が続いて世界の頂点を極めた観があるイル・ディーヴォ。1月から世界に先駆けて全米ツアーを開始しているが、2月10日と11日にはニューヨークの音楽の殿堂ラジオ・シティ・ミュージック・ホールで公演を行った。その11日のステージを観ることが出来たが、彼らの迫力あるヴォーカル&ハーモニーに圧倒された。ギリシアやイタリアの神殿を思わせるセットにずらり顔を揃えたフル・オーケストラをバックに歌う4人は、それぞれオペラやミュージカルで主役を務めてきただけに、歌の部分だけでなくステージ・マナーも堂々としたパフォーマーぶりで、フレンドリーな和気藹々とした中で次々に歌声を披露。終始徹底的に歌を聴かせるコンセプトだけに、常に4人のうちの一人がソロを歌い、他のメンバーがハーモニーで参加してデュオ形式となり、さらに4人でハーモニーを聴かせるという、変幻自在な歌の競演となった。センシティヴに歌いかける導入部から様々なスタイルを取るメイン・パートを経て、クライマックスはハイパーな熱唱で締めくくるというパターンが既に確立されていたが、これがオペラやポップス、ミュージカルなどで耳が肥えているラジオ・シティのオーディエンスにぴったりの表現ということもあって、後半はスタンディング・オベイジョンの嵐。2度のアンコールで歌われた「マイ・ウェイ」と「ヒーロー」(マライア・キャリーのカヴァー)など、親しみやすい名曲を取り上げている点も、オーディエンスの共感を得たようだ。当夜はアルバムには入っていない『ウェスト・サイド物語』の「サムウェア」も見事に歌いきっていた。彼らのパフォーマンスは、これまでTVやコンベンション、DVD映像などで観ていたが、フル・オーケストラをバックに歌いまくるライヴは、それら以上の臨場感と迫力があった。いわば、空気を通して伝わってくるバイブレーションのような迫力であり、ぜひこの感動のステージを日本でも実現させてほしいと思ったものである。(村岡 裕司)

Popular BOOK Review

「ローリング・ストーンズ ある伝記/フランソワ・ボン著 國分俊宏 中島万紀子・訳」
(現代思潮新社)

 フランスの作家、フランソワ・ボンによるローリング・ストーンズの伝記である本書だが、とにかく、これはすごい内容である。781ページに及ぶ内容はそのヴォリュームもすごいが、この執念のこもった筆致と中身もすごい。基本的にはオリジナル・メンバーの生い立ちから始まって、『ストリップト』前後までの内容となっているのだが、本書のほとんどは75年までのストーンズの姿の描写に費やされているといっていい。これまで数多くのストーンズ本が出版されているし、75年までということなら、これまでにも充分書き尽くされているといっても過言ではない。では、なぜ、ボンはこれにそこまでの紙数を費やしてあえて描こうとするのか。それは、ボンの目からみれば、これまでのストーンズについての描写というのは、イメージや神話や伝説と実際に起きたと思われるようなこととがあまりにもごっちゃに書かれすぎてきているからだ。そこでボンがとった手法は、そうした過去の文献を否定することではなくて、そうした文献をすべて投入して、そこから浮かび上がってくる事実に限りなく近いと思える、物語の筋道を辿るという、実に骨の折れる作業なのだ。月並みな言い方でまとめると、ストーンズの真の姿をここでボンは捉えようとしているのである。たとえば、この本から伝わってくる、ある感慨の一つとして、戦後のイギリス、そしてアメリカがいかに大きな社会的な変動を潜ってきたかという実感があるのだが、ストーンズはこれまでまさに、その変動の象徴として、オーディエンスからさまざまな思いを投影されてきた側面がある。ボンがここでやりたかったのは、これまで書かれてきたさまざま書物のようにそういう存在としてのストーンズの姿を描くことではなく、そういう時代をストーンズ自身がどう生きてきたのかということを、赤裸々に描き出すことなのだ。ただ、『ア・ビガー・バン』を聴いたボンはなにを思ったのか。その辺も気になる、充実の一冊。(高見 展)

Popular BOOK Review

終わりなき闇 チェット・ベイカーのすべて/ジェイムズ・ギャビン著 鈴木玲子・訳
(河出書房新社)

  人気トランペッター、歌手だった亡きチェット・ベイカーの本格的な伝記であり、これ以上の克明な伝記は考えられない決定版だ。チェットが女性と麻薬に溺れながらも、一時はマイルス・デイビスやクリフォード・ブラウンをおさえて、米ジャズ雑誌で50年代に人気投票で一位になった秘密も解き明かされる。美男子で甘く美しいソフトなトランペットと、両性具有的でセクシーなヴォーカルの魅力は、私生活がいかに乱れていようと輝き渡っていた。チェットの天才的な才能がジャンキーだったが故にくそ真面目な評論家たちによって故意に批判され、それがさらに生活の乱れへと追い込まれていく姿は哀しい。500頁近い本を3年の歳月をかけて訳した鈴木玲子の文章は読みやすくて素晴らしい。(岩浪 洋三)

Popular BOOK Review

「レコジャケ・ジャンキー」(CDジャーナルムック/音楽出版社
 ビートルズをはじめロック・グレイツたちのパロディ・ジャケットを集大成したユニークな一冊。パロディの対象となるのは、基本的にシーン全体に大きな影響を与えリスペクトされているジャケット。なので、本書は結果的には、ジャケットを通じてロックの歴史をふりかえることにもなっている。また、著名人、デザイナーらへのインタビューなどを通じて、ジャケットとはなにか、パロディ精神とはなにかなどについても考えさせてくれる。ロックはサウンドだけではなく、ファッションもデザインも含めて、ミュージシャンの生き方を表現する音楽。だとすれば、パッケージも含めたトータル・アートとしてのアルバムの表現手段をいつまでも残してほしいと思わずにはいられない。(広田 寛治)

Classic ALBUM Review

「モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」、第36番「リンツ」&クラリネット協奏曲/ペーター・シュミードル(クラリネット)、アイヴォー・ボルトン指揮、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団」 (BMG JAPAN BVCO-38046~47)
 ボルトンとザルツブルク・モーツァルテウム管の新鮮さに溢れた〈ザルツブルクからのモーツァルト〉シリーズに次いで今回は〈モーツァルトのための家〉(ザルツブルクの祝祭劇場群)への寄付金(2.5ユーロ)付のCDである。 昨年5月に録音されたこのCDでも前回の「40番」と「プラハ」同様ノンビブラートなどのピリオド奏法に徹した溌剌としたモーツァルトを聴かせてくれる。また2枚目に収録されたウィーン・フィルの顔、シュミードルとのクラリネット協奏曲はけだし圧巻。ソロとオーケストラがボルトンのもとで渾然一体、装飾音符の付け方も独特で興味が尽きない。モーツァルトの演奏表現として今の時代には賛同者が多いのではなかろうか。(廣兼 正明)

Classic ALBUM Review


「日本作曲家選輯「日本管弦楽名曲集」(アイヴィ〈ナクソス〉8.555071J)
 邦人作曲家の作品は、オーケストラの定期でも演奏される機会も少なく、アイヴィは日本のクラシックのアンソロジーとして、「日本作曲家選集」のシリーズを決定。実に有意義な企画である。シリーズの第一弾は、外山雄三、近衛秀麿、伊福部昭、芥川也寸志、小山清茂、吉松隆の作品が収められており、日本の於ける民族主義をテーマに、改めて20世紀音楽史の中に於ける日本の存在を問いかける一枚。どの作品もすべて聞き易く、これから邦人作曲家の作品を聞く人にとっては、格好の入門の役割を果たすCDである。
 外山雄三の「ラプソディ」は、日本のオーケストラが外国に行くときにアンコール・ピース曲として演奏される事が多い。ソーラン節、炭坑節などの民謡の旋律が、この作曲家の巧みなオーケストレーションで提示され、最後は八木節の熱狂で結ぶ。芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」(1950)も、聞いていて楽しい音楽であり、第一楽章からして軽妙、第二楽章も躍動感に溢れている。伊福部昭の「日本狂詩曲」(1935)、小山清茂の「管弦楽のための木挽き歌」(1957)も民衆のエネルギーが感じられ、オーケストラの扱いも見事。沼尻竜典が指揮する東京都交響楽団の演奏もよく、激しさと優しさ等,全ての楽想の性格をくっきりと描きわけている。(藤村 貴彦)

Classic ALBUM Review

日本作曲家選輯「黛敏郎:バレエ音楽《舞楽》・曼陀羅交響曲他」
(アイヴィ〈ナクソス〉8.557693J)

 黛敏郎といえば「題名のない音楽会」のメディアでの活躍で知名度が高い。映画音楽も多数作曲したが、黛の有名作を除いては残念ながら充分に紹介されていないのが現状。黛の音楽的要素と言えば、異国趣味、父性原理、モダニズム、新古典主義、原始主義、ジャズ、ラテン音楽、アジアの諸々の民族音楽、オスティナート、ダンディズム、愛国者、プロレマスな響きなどだが、音を聞けば、日本的な美意識が一貫して流れている。「シンフォニック・ムード」(1950)と「ルンバ・ラプソディ」は世界初録音であり、先ずこの二作を紹介しておく。「シンフォニック・ムード」はドビュッシー、ラヴェルの影響の下に、南方の熱気と湿気を注入、速い部分ではインドネシアのガムラン音楽を模している。打楽器の反復は聞いていて興奮を誘い、現代音楽が苦手だと思う人にも純粋に楽しめる。「ルンバ・ラプソディ」は、黛のデビュー策であり、この作品が第一部であれば、「シンフォニック・ムード」は、第二部。第一部は第二部以上に色彩的であり、原始的で黛の音楽の原点はまさにこの作品の中にある。「舞楽」、「曼陀羅交響曲」は岩城宏之のCDもあるが、湯浅卓雄の演奏の方が、響きに日本のオーケストラには見られない底力があり、ひたすら頑丈な音楽を作り出している。表情の細やかさ等も、湯浅卓雄の魅力で、「曼陀羅交響曲」に於ける打楽器と金管の力強い響きもこのCDの聞きどころの一つ。(藤村 貴彦)

Classic ALBUM Review

日本作曲家選輯「別宮貞雄:交響曲第一番・第二番」
(アイヴィ〈ナクソス〉8,557763J)

 別宮貞雄ほど自己の信じる道を歩み続けている作曲家はない。別宮は前衛に対する一貫した戦闘性をとり、彼にとっての音楽はまず”歌”であり、それが時間軸上に展開される音の造型芸術である。交響曲などの大規模な作品でこそ本領を発揮した別宮だが、今までにそれを五曲作曲。「交響曲第一番」は、1961年に「日フィル・シリーズ」第七作として作曲され、四つの楽章から成る。日本情緒的な情感にあふれるロマンティックな第一楽章、熱狂的なスケルツォの第二楽章は躍動感があり力強い。第三楽章がレントで悲しみと懐疑と、慰めのような楽想が提示される。終楽章は運動性と遊戯さが同居しており、全曲を通して聞き易い。
 「交響曲第二番」については別宮の師であるメシアンが次のように記す。「・・・・第一楽章の第一主題はエネルギーにみち、ヴァイオリンのよく歌う旋律、フルートにチェレスタとクラリネットとヴィブラフォンの美しい花飾りが第二主題をつくり、それがとてもうまく展開して再現するのは喜びです。第二楽章は、堂々として威厳があるように思われます。・・・・終曲はさらにまた大変力強い。しかしその極めて輝かしいオーケストレーションのおかげで例外的な力を得て、旋法的二長調に静かに収められる終わりはさらに美しい。・・・・」メシアンが述べている事がすべてであり、このような交響曲が日本人の手によって作曲されているのである。多くの人に聴いてもらいたい。(藤村 貴彦)

Classic ALBUM Review

日本作曲家選輯「伊福部昭:シンフォ二ア・タプカーラ、ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ、SF交響ファンタジー第一番」
(アイヴィ〈ナクソス〉8.557587J)

 伊福部昭といえばゴジラの映画音楽の作曲家として、有名で、誰しもが一度はこの音楽を聞いた事があると思う。伊福部は映画音楽の作曲家だけではなく、彼の作品リストは豊富。演奏会用オーケストラ作品、カンタータ、バレエ曲、室内楽曲、ピアノ曲、ギター曲、日本の伝統楽器のための作品等。伊福部の音楽の特徴は日本ともスラブとも北方少数民族ともつかない多文化的なメロディーやリズム、執拗なオスティナート(何度も同じ旋律を繰り返す)、強烈なビート等である。ナクソスの伊福部のシリーズは、基本中の基本と言える彼の作品を録音しており、「シンフォニア・タプカーラ」はアイヌの踊りに触発されて作曲。第一楽章の勇壮活発な楽想の提示、第二楽章は夜のまどろみ、第三楽章がアイヌの酒宴そのもので舞踏ふうの楽曲が楽しい。「ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ」はまさに反復へのこだわりで、聞いていると魔法にかけられているような錯覚におちいるであろう。「SF交響ファンタジー」題一番については改めて紹介する必要はない。怪獣映画の音楽であり、作曲者が演奏会用にメドレーにしたもの。ロシア・フィルハーモニー管弦楽団の力強く、そして弾力性のある響きもこのCDの魅力を高めている。(藤村 貴彦)
(伊福部昭氏が2月8日に91歳で亡くなられました。謹んでご冥福をお祈りいたします。同氏は昨年度ミュージック・ペンクラブ賞の「コンサート・パフォーマンス賞」を受賞されました。)

Classic ALBUM Review

日本作曲家選輯「矢代秋雄:ピアノ協奏曲、交響曲」
(アイヴィ〈ナクソス〉8.555351J)

 矢代秋雄(1929~1976)ほど、前衛的な音楽が吹き荒れた時期に、ヨーロピアン・スタイルを完璧なまでに自己の作品へ昇華させた作曲家はない。矢代にとって作曲とは「タイの頭の最上の肉でカマボコを作る」ようなものであった。作品の数こそ少なかったが、すべてが一分の隙もなく、類いまれな完成度をもっている。矢代は完璧主義、寡作主義のために、デュカス、リャードフのようにしか演奏会用作品を書かなかった。「ピアノ協奏曲」は、尾高賞を受賞し、以来日本ピアノ協奏曲の名作として、内外で繰り返して演奏されている。初演者、中村紘子のCDもあり、今回の岡田博美の演奏は、転変する楽想の変化を徹底して分析的にとらえ、鋭い切れ味のする音楽を作っている。特に第1楽章や第3楽章の急楽章は、快刀乱麻を断つような胸のすく演奏。
 「交響曲」も今までに何度か録音されているが、今回の湯浅卓雄の演奏は、表情を実に丁寧に描き出しており、一段一段をきちんと造立されてゆく格調の高い指揮。第2楽章のスケルツォ、「テンヤ・テンヤ・テンテンテンヤ・テンヤ」のリズムの処理が見事で、クライマックスの作りも立派である。アルスター管弦楽団は、北アイルランド、ベルファスタで1966年に設立。外国のオーケストラによる邦人作品の演奏も興味深い。(藤村 貴彦)

Classic ALBUM Review

日本作曲家選輯「山田耕筰:交響曲《かちどきと平和》他」
(アイヴィ〈ナクソス〉8.555350J)

 山田耕筰は近代日本音楽史の巨人であり、「からたちの花」、「この道」、「赤とんぼ」の歌曲作曲家としてあまりにも有名。管弦楽作家としても優れた作品を残しているが、滅多に演奏される機会がなく、このCDに収められている「序曲 ニ長調」(1912)は世界初録音で、日本人初の管弦楽曲。上行する音型は、ベートーヴェンやウェーバーの交響曲を彷彿とさせ、躍動感に溢れている。
 交響曲ヘ長調「かちどきと平和」(1912)は、日本人による初めての交響曲で四楽章から成り、曲は標題通り勝利への喜ばしい賛歌と平和への静かな祈りを対照させ、宥和させる。特に第3楽章のスケルツォが、ヨーロッパの田舎の踊りのような感じで、ベートーヴェンの「田園」を意識したかもしれない。第4楽章も若々しい伸びやかな楽想が支配し、以後この作曲家の特徴づける音楽の原型が垣間見られる。「かちどきと平和」の一年後に書かれた二つの交響詩は、同じ作曲家とは思えないスタイルの変化が見られ、作風はドビュッシー、そしてリヒャルト・シュトラウス的。交響詩「曼陀羅の花」は、4管のオーケストラにテナー・サックスを加えているが、音楽は歌謡的である。片山杜秀の解説も、この作曲家を知る上で役に立つ。山田耕筰自身の伝記「若き日の狂詩曲」も興味深い読み物である。名前だけは誰でもが知っている山田耕筰の世界が、ナクソスのCDでよみがえる。
(藤村 貴彦)

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日本作曲家選輯「早坂文雄 ピアノ協奏曲《左方の舞と右方の舞》、序曲二長調」
(アイヴィ〈ナクソス〉8.557819J)

 早坂文雄が1939年から1955年までに作曲した映画音楽は100本を超え、代表作といえば「七人の侍」や「羅生門」。黛敏郎や武満徹に影響を与え、武満は、「私が最も影響を受けた日本の作曲家は、一時、師と仰いだ清瀬保二ではなく、早坂である」と語っている。純音楽の分野で早坂がいかなる音楽を書いたか、それを知る上で今回のCDは貴重であり、「ピアノ協奏曲」は初録音。この作品は二つの楽章からなり、早坂は、「人間の哀切さ、誠実さを、詩情を通して大きな発想を持って出したかった。風格のない小さいこせこせしたものは自分は嫌いだ。この楽章も自由広大な構想を持たせようとした。ただ一つの主題とその変形で出来ている。」東洋的な無限の世界が感じられる第一楽章のレント。金管の華やかなファンファーレで始まる第二楽章はプロコフィエフやショスタコビッチ的で、軽快な楽想が支配している。「左方の舞と右方の舞」はこれまでの繰り返して演奏されており、CDにもなっているのでここでは紹介する必要ないと思う。ヤブロンスキーの指揮で聞いた感想は、音量の増減のすばらしさである。バランスもよく、テンポを幾分速めにとり、日本人の指揮者のように重苦しくない演奏。序曲二長調の演奏も楽器がよく鳴って、作品の骨格を明確に浮き彫りにしている。(藤村 貴彦)

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日本作曲家選輯「深井史郎 パロディ的な四楽章・バレエ音楽《創造》他」
(アイヴィ〈ナクソス〉8.557688J)

 1907年生まれの深井史郎は、ラヴェルに強い影響を受けた。深井はラヴェルの透徹した響き、大管弦楽に処するにあたっての精巧で完璧な技術、伸びやかに流れて行く旋律法やリズム法、作曲のモデルをウィンナワルツに、シャブリエに、ボロディンに、スペイン音楽に、コスモポリタンに採用する。ラヴェル流を彼の趣味に従って自由に変容させ、作品をしたてた作曲家、それが深井史郎である。「パロディ的な四楽章」は、第一楽章がファリャの「スペインの庭の夜」を模する。第二楽章のストラヴィンスキーは「ぺトルシュカのやりかたで処理。ラヴェルは「マ・メル・ロア」や「ク―プランの墓」が下敷きになり、第四楽章のルーセルでは交響曲第三番と「バッカスとアリアーヌ」を踏まえている。バレエ音楽「創造」(1940)は世界初録音。この作品は、全体が三景から成り、ピアノとハープと種々の打楽器を含む三管編成のオーケストラを用い、ラヴェル的な響きを頻出するが、楽想は個性的であり、他の誰のものではない深井史郎だけの音楽である。皇紀2600年を記念した作品だが、謎を秘めており、今後の研究も課題の一つだと思う。交響的映像「ジャワの唄声」は、まさに、ラヴェルの「ボレロ」のアジア版。日本の古い歌を聴いているような印象を受ける。(藤村 貴彦)

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「シューベルト:交響曲第8番《未完成》・第6番/フランス・ブリュッヘン指揮 18世紀オーケストラ」(ユニバーサル ミュージック UCCP-3314)
 ピリオド楽器によるシューベルトだが、「未完成」の第1楽章はブリュッヘンらしからぬロマンティックで深い味わいに満ちた演奏に終始する。しかし第2楽章に入ると可成り速めのテンポで進み、第1楽章に較べ情熱的な部分も垣間見られるが、コーダでは美しさの余韻がそこはかとなく残る。
 第6番はあまり演奏される機会の多くない曲だが、随所にハイドンとシューベルトがミックスした顔を覗かせる小綺麗な愛すべき曲である。ブリュッヘンは全編まことに歯切れ良くリズミックに表現し、「未完成」とともにシューベルトの新しい魅力を出すことに成功した。(廣兼 正明)

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「ベルリオーズ:幻想交響曲、序曲《海賊》/シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団」 (ユニバーサル ミュージック UCCD-3487))
 言わずと知れたデュトワがモントリオール響時代の代表的な名盤である。この曲は古くからモントゥ、ミュンシュ、マルティノンなどのフランス人指揮者が得意にしているレパートリーだが、演奏、録音等全ての面から「幻想」の決定盤はこのデュトワ、モントリオール響によるものと言っても差し支えないだろう。音の魔術師デュトワの意図するベルリオーズの美しい「幻想」、怪奇的な「幻想」の構図を余すところなく再現したモントリオール響は、今や完全にフランス・オーケストラの音となった。余白の「海賊」でもオケの上手さが光る。(廣兼 正明)

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「リスト:管弦楽作品集・交響詩《前奏曲》、《オルフェウス》、《マゼッパ》、ハンガリー狂詩曲第2(4)番/ジュゼッペ・シノーポリ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」
(ユニバーサル ミュージック UCCG-4128)

  リストの管弦楽曲を4曲、このCDは約10年前、今は亡き人気指揮者シノーポリとウィーン・フィルが録音したものである。今改めて聴いてみるとシノーポリは矢張り素晴らしいオペラ指揮者だったことが良く分かる。普段この両者はウィーン・シュターツオパーでオペラ公演をしていたので気心の知れた仲と言える。シノーポリが振ったリストの交響詩は、どちらかと言えば単なる管弦楽曲というよりオペラ的なドラマティックな要素が強く、まさにオペラのCDを聴いている錯覚に陥る。リストのオーケストラ曲の不思議な再発見がここにある。(廣兼 正明)

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「ベートーヴェン&メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲/ニコライ・スナイダー(ヴァイオリン)、ヅービン・メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団」(BMG JAPAN BVCC-31088)
 1997年のエリザベート王妃国際コンクールに22歳で優勝したスナイダーが8年後に満を持してスタンダードの代表作とも言えるベートーヴェンとメンデルスゾーンの協奏曲を録音した。我国にも何回か訪れファンも多い。このCDを聴いて先ず感じることは、近頃あまり耳にしないとてもオーソドックスな演奏であるということ。最初に収録されているメンデルスゾーンでは不思議な懐かしさが溢れてくる。後のベートーヴェンでもそのムードは変わらない。そして音符の一つ一つを慈しむが如く大切に奏でている。今時あまり見かけない、聴いて心が安らぐ貴重なヴァイオリニストではないだろうか。メータとイスラエル・フィルの裏方に徹したバックアップも見事。(廣兼 正明)

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「モーツァルト歴史的名盤1200「モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調、クラリネット五重奏曲 イ長調/レジナルド・ケル(クラリネット)、シンプラー・シンフォニエッタ、 ファイン・アーツ弦楽四重奏団」
(ユニバーサル ミュージック UCCG-4116)

 クラリネットの名手、レジナルド・ケルが今生きていれば今年丁度100歳になる。イギリス人ケルの演奏はイギリス人らしく清々しく折り目正しい。そして彼の美しい音とヴィブラートは当時のクラリネット奏者の中でも抜きん出た存在として知られている。このCDは彼がイギリスから第二の故郷となったアメリカに住処を移して3、4年経った全盛期の録音をCD化したものであり、ケルの音楽性を知る格好の遺産である。今活躍しているクラリネット奏者の演奏では味わえないほのぼのとした心のぬくもりが感じられる。1950,51年録音。(廣兼 正明)

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モーツァルト歴史的名盤1200「モーツァルト:セレナーデ第11番、第12番《ナハトムジーク》、クラリネット三重奏曲《ケーゲルシュタット・トリオ》/レジナルド・ケル(クラリネットと指揮)、ケル・チェンバー・プレイヤーズ、 ミエチスラフ・ホルショフスキー(ピアノ)、 リリアン・フックス(ヴィオラ)」
(ユニバーサル ミュージック UCCG-4117)

 モーツァルト・イヤーに再発されたクラリネットの名手、レジナルド・ケルのもう一枚は管楽器のセレナーデ2曲とクラリネット、ヴィオラ、ピアノの変わった組み合わせによるトリオのカプリングである。現在もそうだが、昔からイギリスの演奏家はモーツァルトの演奏に長けていると言われている。そしてこのケルも例外ではない。この3曲とも若々しく、美しく、暖かいモーツァルトが再現されている。そしてすべてケルが主体となっていることは演奏を聴けば明白である。最後に収録されている「ケーケールシュタット・トリオ」で共演しているヴィオラの名手、リリアン・フックスの歌心に富んだ演奏も褒めたい。1950,1951年録音。(廣兼 正明)

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「ドビュッシー:弦楽四重奏曲 ト短調、ラヴェル:弦楽四重奏曲 ヘ長調/エマーソン弦楽四重奏団」(ユニバーサル ミュージック UCCG-4136)
 現在世界で最も活躍しているアメリカを代表するエマーソン弦楽四重奏団によるドビュッシーとラヴェル。メンバーはすべてジュリアードの出身で、1976年結成の今や円熟期を迎えたクヮルテットである。
 ドビュッシーの第1楽章冒頭のしっとりと吸い付くような4つの楽器のアンサンブルにこのクヮルテットの演奏スタイルは象徴されている。一言で言えば密度が濃い精緻な第一級のアンサンブルである。デタシェ奏法の極致をマスターし透明なハーモニーを紡ぎ出すクヮルテットはそれほど多くない。それに加えて自由自在な表現力を駆使出来る実力は今や完全に世界のトップクラスのクヮルテットと言えよう。(廣兼 正明)

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「モーツァルト歴史的名盤1200「モーツァルト:弦楽四重奏曲 第21番、第23番、第3番/ヴェラー弦楽四重奏団」(ユニバーサル ミュージック UCCD-3484)
 ヴェラー弦楽四重奏団はいわゆるウィーンの古きよき時代の流れを汲む最後のクヮルテットであろう。当時のウィーン・フィルの若手、ヴァルター・ヴエラーにより組織され、直ぐに頭角をあらわしウィーンを代表するクヮルテットの一つとして認められるようになった。このクヮルテットはウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団のしなやかさに、洗練された流麗さを加味した上流社会的な品の良い演奏で多くのファンを魅了させたが、主宰者ヴェラーの指揮者への転向により惜しくも10年で解散のやむなきに至った。彼等が録音したディスクは少ないが、このCDに収録されている後期の「プロシャ王セット」1番、3番と初期の「ミラノ四重奏曲」第2番は、すべて馥郁たるウィーンの香りにつつまれた高貴なムードに溢れた演奏である。そして速い楽章は遅めのテンポで進められるが、ここには歌を大切にするヴェラーの気持ちが感じられる。1966,67年録音。(廣兼 正明)

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「神奈川フィルハーモニー管弦楽団 特別演奏会、シュナイト音楽堂シリーズ゛Vol.?」《フィルハーモニーの原点》1月14日 神奈川県立音楽堂
 シュナイトは2002年神奈川フィルの首席客演指揮者に就任、以後、すばらしい音楽を聴かせ、ファンを楽しませてきた。プログラムの後半に置かれたベートーヴェンの「交響曲第7番」がこの指揮者のすべてを語っていたように思われる。シュナイトの音楽はどの楽想を一つとっても、不自然な表現をとらず、第3楽章を除いてはかなり速めのテンポでぐいぐいと進んでゆく。骨っぷしが太く、引きしまってたくましいのがこの指揮者の特色であり、響きは重厚、まさにドイツ的であ
る。第2楽章での旋律の豊かな歌わせ方、対位法的な処理も実に見事であり、弦も管も美しい。シュナイトが指揮すると神奈川フィルは見ちがえるほどよくなり、何かいつものオケとはちがった印象を受ける。神奈川フィルも自発的に音楽を作っており、演奏をさせられている様子は全然感じられない。終楽章のコーダの盛り上げ方も聴いていて胸が熱くなり、リズムを強調し、存分にひびかせながらひた押しに進行する力強い演奏であった。シュナイトと神奈川フィルが一体となったという点で十分高く評価できる。プログラムの前半は、モーツァルト交響曲第32番「イタリア序曲」、バルトーク「ディヴェルティメント」。バルトークは、ブーレーズのような鋭角的な表現ではなく、あのつめたい指揮とは全く違う方向で、シュナイトは伸張性に富んだ独自の芸術を神奈川フィルから引きだす。ベートーヴェンの交響曲同様弦の歌わせ方が美しく、ふくよかである。ソロコンサートマスターの石田泰尚が楽団員を巧みにリードしている姿も印象に残った。豊かな大きなものをきいた喜びを持ち帰ることができたコンサートであった。(藤村 貴彦) 

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「読売日本交響楽団」 第74回東京芸術劇場マチネーシリーズ」 1月15日 東京芸術劇場
 1月の読売日本交響楽団は、フィンランドの巨匠、レイフ・セゲレスタムが指揮。セゲレスタムは歌舞伎の鏡獅子のように、顔は白髪で覆われ、まさに白熊のようであり、大巨人のよう。野性的で力強い音楽作りを想像するのだが、風貌とはまるで正反対の繊細きわまりない音楽を作るのがセゲレスタムである。プログラムの最初にセゲレスタムが作曲した「交響曲第91番」(世界初演)があったので紹介しておく。彼は、交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノ協奏曲、歌曲等、幅広いジャンルで精力的に作曲活動を行っている。セゲレスタムの作品の特徴は、自身が語るように、「自由な拍で進む音楽のスタイル」にあり、「交響曲第91番」は、ベートーヴェンの交響曲第5番の主要主題が、一つのディテールになっているとのこと。二台のピアノをオーケストラの左右に置き、様々な打楽器、大編成のオーケストラを用い、まさい音響絵巻のようで、繊細な響きと、渦を巻いて溢れ出るような響きの対立で構成されていて、リズム的な自由度の高い作品。プログラムの後半は、シベリウスの交響曲第5番。セゲレスタムはマーラー、ニールセン、シベリウスといった作曲家の交響曲で高い評価を得ているが、今回の演奏もレントゲン写真でも撮ったかのように音楽の骨組みがしっかり見えて、色彩とバランスの整った細やかさと美麗な盛り上がりを兼備した、いかにも達人らしい演出であった。 ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」を弾いたのは、アレクサンダー・ガヴリリュク。彼は2000年、浜松国際ピアノ・コンクールに輝き、2002年には交通事故で重傷を負い、奇跡的に回復しカムバックした。生き生きとした感興が伝わって来た演奏で、光輝に溢れており、特に第1楽章が颯爽としていた。(藤村 貴彦)〈写真:浦野俊之〉

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「イツァーク・パールマン・ヴァイオリン・リサイタル」1月15日ザ・シンフォニーホール
 バロック期、ロマン派それに現代と年代順にプログラムを組んだ。バッハ「ヴァイオリン・ソナタ第4番」は透明感に満ちて、とりわけゆったりとしたアダージョは心の吸い込まれそうな美音である。フォーレ「ヴァイオリン・ソナタ」は流麗な旋律で、抒情性豊かに歌い上げた。ドイツに生まれ、米国で活躍する作曲家フォスの「3アメリカン・ピース」は軽快なタッチで弾き、伸び伸びとしている。曲のポイントを的確に把握して自在に弾き分ける。技量の確かさは追随を許さない。(椨 泰幸)

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「関西二期会ガッツァニーガ《ドン・ジョヴァンニ》」 1月21日 アルカイックホール(尼崎市)
 オペラ「ドン・ジョヴァンニ」はモーツァルトの代表作であるばかりか、全てのオペラ作品の中でも高い人気を誇っている。ところが、モーツァルト以外にも「ドン・ジョヴァンニ」をつくった作曲家は10人ほどいるという。それほどドン・ジョヴァンニという稀代の好色家は作曲家にとって魅力的なのであろう。15,6世紀のドン・ファン伝説をもとに、スペインのモリーナが1630年に戯曲化したのが最初といわれ、内容を少し変えながらヨーロッパ各地に広まり、多くの劇作家が腕を競った。
ジョヴァンニ・ガッツァニーガ(1743-1818)はモーツァルトと同時代の人。ヴェローナに生まれ、ナポリ派の作曲家として活躍し、「旅篭」(1771)、「気まぐれ女房」(1780)などの作品を残している。ガッツァニーガのオペラは、モリーナの戯曲をもとにベルターチが台本を書いた。モーツァルトのオペラの台本を書いたダ・ポンテもベルターチを参考にしている。ガッツァニーガとモーツァルトが書いたこの同名の作品は、ともに1787年に作曲されたが、初演はガッツァニーガが8ヶ月早かった。ところが人気はモーツァルトをしのいでいたそうだ。
モーツァルト生誕250年を記念して関西二期会が、かげに隠れていたガッツァニーガを取り上げ、小劇場で公演した。モーツァルトではバリトンが歌うドン・ジョヴァンニが、テノールになっている。喜劇の舞台回しを演じる従者のレポレッロはパスクワリエッロと呼ばれ、他の登場人物も少し異なるなど違いはあるものの、物語の大筋は変わらず、最後にはついに天罰が下ることになる。
2日目の公演を見たが、ドンナ・エルヴィラ(高嶋優羽)、ドンナ・アンナ(王由紀)のソプラノが活躍し、パスクワリエッロ(福嶋勲)も健闘したが、ドン・ジョヴァンニ(安川忠之)はやや低調。新演出ばやりの昨今、中村敬一は正統派で押し、ドン・ジョヴァンニが地獄に転落する様を手際よくまとめた。小ざっぱりとした舞台づくりで、後味のいい仕上げになった。(椨 泰幸)

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「Essential MOZART」1月24日 東京オペラシティ・コンサートホール
 日本経済新聞が読者サービスとして行ったこのコンサートを聴く機会があった。一言で云って若手中堅ソリスト・オン・パレード・ガラ・コンサート、タイトルの如く今年のクラシック界で最も愛されている大スター、モーツァルトの名曲の中からエッセンスの部分だけを集めたお楽しみコンサートである。現在の日本の音楽界で活躍中である出演者は、管では赤坂達三(クラリネット)、高木綾子(フルート)、弦では川田知子(ヴァイオリン)、川本嘉子(ヴィオラ)、その他の楽器では三舩優子(ピアノ)、早川りさこ(ハープ)、声楽は鈴木慶江(ソプラノ)、米良美一(カウンターテナー)、そして医者でありながらピアニストとしても活躍中の上杉春雄、オーケストラは早川正昭指揮の新ヴィヴァルディ合奏団、特別ゲストとしてモーツァルトを題材とした詩を書いている谷川俊太郎、司会は故・武満徹の娘、武満眞樹という多士済々。出演者全員が演奏すること自体を楽しんでいたようで、全体の飾らない雰囲気が来場者にも十分に伝わっていたようだ。普段余り聴く機会のない中堅の演奏家を短時間ではあるが聴くことができたことと、今日は裏方を担当した早川正昭と新ヴィヴァルディ合奏団のよく整ったアンサンブルがこの日の収穫だったと言えよう。(廣兼 正明)

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「東京都交響楽団 第621回定期演奏会 Aシリーズ」1月24日 東京文化会館
 3年前まで都響の1月定期と言えば「都響日本の作曲家シリーズ」であった。再び都響はA、Bシリーズで別宮貞雄と芥川也寸志の作品を置き、Bシリーズは若杉弘、Aシリーズは湯浅卓雄が指揮し、いずれも盛況で、このようなプログラムでは珍しい。Aシリーズを指揮した湯浅卓雄は首都圏のコンサートシーンでは知られざる巨匠だが、ナクソスの日本作曲家選輯のCDでの評価は高く、イギリスと北欧、ポーランドとニュージーランドのオーケストラ関係者はみんな彼のことを知っているとのこと。北アイルランド、ベルファストのアルスター管の首席客演指揮者でもあり、今年はロンドン・フィルの定期に登場。ヨーロッパで活躍している湯浅だが、プログラムの後半にプロコフィエフの「交響曲第6番」を指揮。この作品は日本のオーケストラでは滅多に演奏される機会がない。演奏が非常に難しい曲の一つに思われるが、湯浅はこの曲に生命を与え、十分に管弦楽的色彩・音量を出させており、何よりもリズムが素晴らしい。特に第3楽章のフィナーレの演奏が立体感と、この作曲家特有の鋭さがよく表出されていて、こまかい所まで隙なく磨かれ、全体の構成もよく整っていた。何故、これほどの指揮者が首都圏のオーケストラを指揮してこなかったかが不思議である。湯浅は高校を卒業し、アメリカとウィーンで作曲理論と指揮を学び、日本の音楽学校を卒業していないからであろうか。これからの湯浅の活躍を期待したい。
 プログラムの前半は、芥川也寸志の「弦楽のための三楽章」と「チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート」。チェロを弾いたのは山崎伸子で、演奏はチェロ独特の豊かな美しさを味あわせ、カデンツァの歌の巧みさが印象に残った。(藤村 貴彦)

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「日本フィルハーモニー交響楽団 第577回定期演奏会」1月26日 サントリーホール
 コバケンのマーラー交響曲第3番ニ短調「夏の朝の夢」がこの日のプログラム。コバケンのマーラーはファンとしては聞き逃せないのだろう、この日のサントリーホールもいつもの定期より入りが良かった。先日の第1番「巨人」でもそうだったがコバケンのマーラーとなるとオケも気合いが入るようだ。第3楽章で登場する通常舞台裏のポストホルンは舞台後方の2階客席の後ろで演奏、チェコ・フィルのソロ・トランペット奏者ミロスラフ・ケイマルが流石の音を聴かせ、第4、5楽章のアルト・ソロ、坂本朱も経験豊かな充実した歌を披露した。最終の第6楽章でのオーケストラの美しさも素晴らしかったが、第5楽章で活躍した東京音大の女声合唱と新座少年少女合唱団の児童合唱は暗譜で本番に臨み出来栄えも見事、特に児童合唱は透明感があり、相当に鍛えられている印象を受けた。 (廣兼 正明)

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地方都市オーケストラ・フェスティバル2006「オーケストラ・アンサンブル金沢 演奏会」1月27日 すみだトリフォニーホール
 すみだトリフォニーホールが主催している「地方都市オーケストラ・フェスティバル」も今年で9回目とのこと。地方の音楽文化を東京のファン対して紹介する機会をこれ程の長きに亘って地道に続けてきたこのホールの努力には頭がさがる。東京や近郊に住むその土地の出身者も自分たちのオーケストラとしての誇りを強く持ったに違いない。
 さて今年のフェスティバルは、地方都市のオーケストラとして独自の歩みを続ける「オーケストラ・アンサンブル金沢」演奏会で幕を開けた。最初は例によってこのオーケストラの委嘱作品、倉知竜也作曲の「八橋検校による《六段》幻想~琴とオーケストラのための」で始まった。曲は三つの琴のグループ30人とオーケストラとの協演で、日本人ならば誰もが知っている「六段」の各段テーマを基に和楽器琴とオーケストラの融合を図った色彩豊かな変奏曲である。控えめなオーケストラに対し、主役の琴の張りつめた音色が印象に残る。そしてトリの「田園」との間、主役を務めたのはソプラノの森麻季である。彼女が歌ったモーツァルトの「エクスルターテ・ユビラーテ」は技術的にはコロラテューラの神髄に迫った見事なものだったが、この年末年始は多忙だったのだろうか、声の張りが今一つと感じられた。本来は技術力に加えて表現力も素晴らしいものを持っている筈なのだが。
 金聖響指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢も今はやり、ノン・ヴィブラートのピリオド奏法、そしてヴァイオリンを左右に分けた古いタイプの楽器配置でベートーヴェンの「田園」をも演奏した。このアンサンブルの全楽員に等しく言える高い技術力、音楽性を土台に、今や若手の実力派指揮者である金の表現しようとした音楽がここにあった。(廣兼 正明)

 小編成ながら繊細・華麗な演奏会だった。東京にあっては、こういう地方都市のオーケストラの演奏を聴く機会が企画されているのはありがたい。40人そこそこの演奏だったが、呼吸の合ったみごとな演奏だった。曲は八橋検校による「六段」幻想で、筝30人とオーケストラのための金沢委嘱作品。モーツアルトの誕生日に当たるため「フィガロの結婚」等小品。と「田園」だった。特にソプラノの森麻季による「モテット」はすばらしい声で熱い音楽を歌った。使用楽器も木製フリュート、ハイFホルン、プティット・トランペット、ソプラノトロンボーン、古楽器のティンパニーといった配慮が生きていた。指揮者の金聖響の音楽も明快だった。(斎藤 好司)


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「第15回ショパン国際ピアノコンクール~入賞者によるコンサート~」 1月27日 フェスティバルホール
 世界最高と目されるピアノ・コンクールで金的を射止めた若者たちは、いつもりりしく、希望に満ち満ちているものである。まぶしく輝くその姿を一目見て、妙技にも接しようと、大阪の会場は若い聴衆であふれて、むせかえっていた。地元大阪出身の関本昌平が第4位入賞を果たしたことも無縁ではなかろう。
コンクールに出演した指揮者のアントニ・ヴィットとワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団も登場した。受賞した奏者の中では、やはり優勝者のラファウ・ブレハッチの冴えた腕が光った。課題曲のショパン「ピアノ協奏曲第1番」を透き通るように歌い上げ、ロマンチシズムの世界へ誘った。テンポやフレージングも適切で、練に練った表現には、東洋的情趣すら漂い、とても20歳の若者とは思えない響きである。入賞者に与えられるポロネーズ賞、マズルカ賞、協奏曲賞の3賞を独占したのも、うなずける。
関本も同じ協奏曲を弾いたが、柔軟な奏法を身につけているようで、素質のよさをうかがわせた。第3楽章のラルゲットでは夢幻境をさまよう心地で、繊細な詩情がにじみ出ていた。第3位のイム・ドンミン、関本と4位を分かち合った山本貴志もショパンの名曲を披露して、会場の喝采を浴びた。若い芽がこれからどのように成長していくのか。行く末を楽しみにしたい。(椨 泰幸)

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「NHK交響楽団 第1559回定期公演 Aプログラム」1月28日 NHKホール
 精神の高揚を愛でる名誉指揮者ブロムシュテットが、十八番を携えて3年ぶりに(2003年2月定期以来)N響の指揮台に立った。ブロムシュテットは、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の名誉指揮者であり、昨年5月のライプツィヒ・バッハ音楽祭では聖トーマス教会で「ミサ曲 ロ短調」を演奏し、この模様をBSで鑑賞したファンも多いと思う。ブロムシュテットのバッハに対するうん蓄は全く見事なもので、それは楽員ならずともテレビで見ていても、確信にみちた棒の振り方ですぐにわかった。今回のブラームスも、ブロムシュテットの誠実な音楽が伝わり、「交響曲第1番」は、広々とした空間に音が湧き出てくるような冒頭から深いドイツ的な気分にあふれ出ている。2年前に、サヴァリッシュで聴いた時の印象とは異なり、あのびしりと音楽をきまってゆく演奏ではなく、ブロムシュテットのそれは重厚といえる音楽構築で曲を再現させ、まさにブラームスはかくあるべしといった腰のすえた音楽であった。
 特に第2楽章が美しく、今回の定期ではコンサートマスターにペーター・ミリングが起用されたが、あの有名なソロの楽想が印象に残り、これほどのふくいくとした香気が立ちのぼるのを聴いたことがなかった。終楽章の巨大な内容は圧倒的なものであり、伝統的な様式感と揺るぎない構成力に支えられたオーセンティックな演奏。ブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」を弾いたのは、クリスティアン・テツラフであり、まずこのヴァイオリニスは弱音が美しい。重い耳の病いが一挙に快ゆしたのではないかと思われるような演奏で、表現も実に落ち着いていた。テッラフは機械的ではなく内面の強い気力を示し、すべての楽章の美しい弾き方に心を奪われてしまった。(藤村 貴彦)

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「大岩千穂ソプラノ・リサイタル」 2月5日 ザ・シンフォニーホール
 歌手のサーヴィス精神は年々良くなっているように見受けられる。舞台でツーンと澄まして歌うだけの人はほとんどいなくなって、会場にアットホームな空気が流れる。大変好ましい傾向で、歌手本人のファンを広げるだけでなく、会場に足を運ぶ人が増えて、音楽の振興にも寄与することになる。
大岩は声量豊かで容姿に恵まれ、表情や身振りも生き生きとして、オペラに向く天性の資質を備えている。そのうえに、観衆に対するサーヴィスも忘れない。それを感じたのは、マイク片手に歌曲の解説を分かりやすく試みたからである。歌詞を要約して、どのような場面で歌うのかを要領よく説明した。もちろん本番ではスイッチを切り、歌ったのは言うまでもない。トークをはさむと集中力が途切れるとして敬遠する向きもあるが、大岩はすんなりと歌に溶け込んでいる。
プログラムも最初のうちは硬さがとれず、不安定であった。ところが、徐々に持ち直して底力を発揮。これもトークの合間をうまく生かして、気分を切り替えた効用であろう。歌劇「椿姫」のアリア“ああ、そはかの人か”が出色のできである。聴かせどころをきっちり決めて、オペラ本番と同じように揺れ動くヴィオレッタの気持ちを鮮やかに再現した。歌劇「蝶々夫人」「トスカ」のアリアもむらがなく、とりわけ高音域での安定感は見事である。(椨 泰幸)

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「東京シティ・フィルハ-モニック管弦楽団 第196回定期演奏会」2月8日東京オペラシティ・コンサートホール
 三年前、神奈川フィルが、「三人の会」を取り上げたが、今回のシティ・フィルは團伊玖磨、管弦楽組曲「シルクロード」、芥川也寸志、「エローラ交響曲」、黛敏郎、「饗宴」を演奏し、改めて1950年代の作曲界を見直す上で貴重なコンサートであった。聴衆も多く、邦人作品も根を下しつつあるように思えた事がうれしい。指揮者の本名徹次は現代音楽に意欲的に取り組んでおり、武満徹、伊福部昭、湯浅譲二の作品で評価が高く、「三人の会」の作曲家の演奏も、邦人作曲家の作品発表会でよく聞かされる投げやりな演奏とは違ってみっちり磨かれており、東京オペラシティ・コンサートホールを埋めた聴衆も心から楽しんでいたようだ。邦人作品のプログラムで固められたコンサートでは珍しい。 久しぶりにシティ・フィルを聞いたが、どの部分も全く見違えるばかりのいい音で、本名徹次とこのオケが非常に相性が良かったのではなかったかと感じた。「シルクロード」では特に第三曲の「舞踊」がよく、弦はよく歌い、木管も柔らかい色調で好演。「エローラ交響曲」や「饗宴」はリズムに鋭い切れがあって、クライマックスにもってゆく本名の腕の確かさに感心。1970年、80年のあの前衛音楽が吹き荒れてから、およそ30年の時がすぎた。「三人の会」の作品は古さを感じさせる事がない。手ごたえのある作品は、今後も多くのオーケストラで取り上げてゆく事であろう。
 新作委嘱初演は、権代敦彦のピアノとオーケストラのためのゼロ。オーケストラのオスティナート的音型の上に、ピアノの連打、アルペジオ、音階がからみ、楽想を発展させる作りだが、着想も表現も陳腐であり、「三人の会」の作曲家と比べて、音楽の内容があまりにも薄い。筆先のワザにおちてしまった感じの作品であった。(藤村 貴彦)

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「NHK交響楽団 第1561回定期公演 Bプログラム」2月9日 サントリーホール
 今月(1月度)の定期では3年振りに今年79歳を迎える名誉指揮者ブロムシュテットが指揮台に立った。長身痩躯ブロムシュテットの何処にこんな重厚な音楽が潜んでいるのだろうか、初めて彼と彼の音楽に接した人は先ずそう思うだろう。今回のブルックナーの交響曲第3番を聴きながらその思いを新たにした。
 メインプロのブルックナー交響曲第3番では第1稿(1873年)、第2稿(1877年)、第3稿(1889年)の三つの版から、希にしか演奏されない第1稿を聴く機会に恵まれた。因みにCDでは1982年に録音されたインバル、フランクフルト放響盤がこの第1稿を用いている。今回はゲスト・コンマスにブロムシュテットがドレスデン・シュターツカペレの首席指揮者時代から現在まで第1コンサートマスターを務める気心の知れた65歳の大ベテラン、ペーター・ミリングに依頼した。これがブルックナーでの重厚な演奏につながったことは否めない。第1楽章は出だしのヴァイオリンの八分音符から何となく重々しいミステリアスなムードが充満する。第2楽章のこれも重々しい荘厳さが綿々と流れるアダージョではN響の弦が実に美しい響きを聴かせてくれる。そして第3楽章のスケルツォのトリオ部分ではブロムシュテットは一転して救いのある世界への誘いを演出してくれた。最終楽章に入りブロムシュテットは真骨頂を発揮する。最後の稿では大幅に短縮された楽章のオリジナルの姿を重厚にそして念入りに再現した。
尚、ブルックナーに先立ってドイツの中堅ピアニスト、ラルス・フォークトによるモーツァルトのピアノ協奏曲第23番イ長調が演奏された。若手と言っても既に35歳、N響とはヨーロッパ演奏旅行の時を含め数回以上のステージで協演しており、ブロムシュテットもフォークトが持っているメリハリの効いたモーツァルトに暖かい理解をもってサポートした。(廣兼 正明)

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「読売日本交響楽団 第125回東京芸術劇場名曲シリーズ」2月10日 東京芸術劇場
 2月の芸劇名曲シリーズはウィーン・フィルのOBと現役コンサートマスター、それも兄弟が指揮とソロを受け持った。指揮は元ヴィオラ奏者でスウェーデン放響の音楽監督である兄マンフレッド・ホーネック、ヴァイオリンは現役コンサートマスターで3歳違いの弟ライナー・ホーネックである。
 兄弟協演となった最初のブラームスのヴァイオリン協奏曲でライナーは小綺麗に取り繕いすぎて、音は美しいのだが、特に第1、3楽章ではパッショネートなブラームスらしさに欠ける演奏になってしまつた。しかし第2楽章ではさすがに美しい音のブラームスを披露してくれた。
 そしてこの日のメイン、ドヴォルザークの交響曲第8番ではマンフレッドの棒が冴えた。第1楽章導入部でボヘミア的なノスタルジックな主題をチェロが大らかに歌うと、主部では一転して明るく速めのテンポで爽快に押し通す。速めのテンポは曲全体が終わるまで続くが、第2、3楽章ではボヘミアの哀愁溢れる情景を美しく描き出し、圧巻だった第4楽章では、マンフレッドが気迫を指揮棒の先に集中させ、読響の熱演を引き出すことに成功した。(廣兼 正明) 〈写真:浦野俊之〉

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「東京フィルハーモニー交響楽団 第717回定期演奏会」2月11日 オーチャードホール
 「未完成」、「ザ・グレート」で親しまれているシューベルトの名曲を、どこのオーケストラも定期では滅多に取り上げることがない。特に「未完成」は名曲コンサートではよく演奏されるのだが、定期で聴いたのは初めてである。この名曲をチョン・ミョンフンがどのように聴かせるか興味深い定期であった。チョン・ミョンフンは、これまでに東フィルで、ベートーヴェン全交響曲、マーラー、ブルックナー、フランスの近代音楽の演奏で評価が高いが、シューベルトも見事なもので、技・心と円熟しきって、今までの忘れがたい名演の上に更に上をゆく豊かな音楽である。
 「未完成」は幼い頃から、レコードで耳にたこができるぐらいに聴いてきて、もう自分の方から積極的に接することはないと思っていた。改めてこの名曲がこんなに美しい音楽であったかをチョン・ミョンフンは教えてくれたのである。チョン・ミョンフンのシューベルトはワルターやベームのようなロマンティックな表現ではなく、方解石のような明快さと、鋭い輪郭と迫力に特徴づけられ、第1楽章からテンポが速い。バランス構成の完璧さが感じられ、チョン・ミョンフンは一つ一つの音符と記号の要求を吟味し、必然性を辿る。人によっては、もっと旋律を歌わせてもよかったかもしれないと思うであろう。
 「ザ・グレート」も「未完成」と同様な解釈で、ダイナミックスに気を配り、特に第3楽章のスケルツォや終楽章ではリズムがきびきびしていて、力強い表現、積極的な表現を与えながら粗暴な感じを与えないのがチョン・ミョンフンの特徴である。
 東フィルはどの声部にも表現がはち切れんばかりに充実し、確信に満ちた弾き方をしていた。確かにチョン・ミョンフンが指揮する東フィルは素晴らしい音楽を聴かせる。次回の定期を期待したい。(藤村 貴彦)

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「モ-ツァルト生誕記念コンサート 公開ゲネプロ」1月26日、ザルツブルク祝祭大劇場
 周知のように、今年はモーツァルトの生誕250年。母国のオーストリアでは、夏のザルツブルク音楽祭で、モーツァルトの舞台作品全22曲(未完、断片含む)を上演するなど、年間を通じて記念のオペラ、コンサートが予定されている。そのトップを切り、誕生日の1月27日、生地ザルツブルクで、記念のガラ・コンサートが開かれた。出演者は、リッカルド・ムーティ指揮するウィーン・フィルに、内田光子(ピアノ)、ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)、ユーリ・バシュメット(ヴィオラ)、トーマス・ハンプソン(バリトン)、そして出演が予定されていたが直前にキャンセルしたルネ・フレミングに代わって、チェチーリア・バルトリ(メゾ・ソプラノ)という大物ぞろい。当日はEUサミットも開催され、各国の要人をはじめとした招待客が主だったため、前日に行われた公開ゲネプロを聴いた。ゲネプロとはいえテレビ局も入り、出演者の衣装も当日とまったく同じで、熱のこもった演奏が展開された。
プログラムは当然ながら、オール・モーツァルト。交響曲第35番《ハフナー》や、協奏交響曲K.364のようなポピュラーな作品から、高度な技巧を要求するK.505のコンサート・アリア〈どうしてあなたを忘れられようか〉まで、名品が並んだ。
当夜の一番の聴き物は、クレーメルとバシュメットという2大ソリストをそろえた協奏交響曲。とくに有名な第2楽章は、どこまでも曲の深みに降りていくような凝縮度で心を打たれた。「世界のウチダ」、内田光子のモーツァルトも絶品。作曲家と、曲と、指揮者と、オーケストラと「対話」しつづける彼女の姿勢が明確に打ち出され、まさに天上を喜遊するがのごときモーツァルトに出会えた。
 ゲネプロの2日前にキャンセルしたというフレミングのピンチヒッターで登場したバルトリは、さすがに最初の曲であるK.505のアリアでは調子が出ないようだったが、後半のモテット《踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ》では底力を発揮、低音から高音までむらなくまとめあげる超絶技巧を余すところなく見せつけた。《フィガロの結婚》の伯爵のアリアなどを歌ったトーマス・ハンプソンは、さまざまな感情に翻弄される伯爵の感情を、テキストを踏まえながらていねいかつ大胆に描き出していた。
 記念コンサートらしい華やかさと、充実した内容を兼ね備えた、モーツァルト・イヤーの開幕にふさわしい一夜だった。(加藤 浩子)

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「ドレスデン・モーツァルト週間《フィガロの結婚》」1月28日、《コジ・ファン・トウッテ》(1月29日、いずれもドレスデン、ザクセン州立歌劇場
 モーツァルト生誕250年にちなんだ催しは、母国オーストリアだけではない。ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場、ドレスデンのザクセン州立歌劇場など、ドイツ国内の主要な歌劇場でも、「モーツァルト週間」が開催され、モーツァルトのオペラが集中的に上演されている。そのうちのひとつ、ザクセン州立歌劇場の「モーツァルト週間」に足を運び、《フィガロの結婚》《コジ・ファン・トウッテ》を鑑賞した。
 《フィガロの結婚》は、1月22日の「モーツァルト週間」初日を飾ったプロダクションで、今回のための新制作。ドイツ各地で活躍するダヴィット・ムフタール=サモライを演出に起用したところがポイントだといえよう。そのサモライの演出は、登場人物が激しく自己主張しあう、かなり刺激的なもの(ドイツ語圏では普通なのだろうが)。フィガロとスザンナは反逆し(第2幕フィナーレでは、伯爵夫妻のために用意した食卓をひっくり返す)、伯爵夫人も夫の浮気に黙ってはいない。イタリア出身の若手指揮者、マッシモ・ザネッティの指揮も、演出と呼応するかのようにメリハリを激しくつけ、強引な部分も目立ったが、総じて面白く聴けた。線描画のような背景に、木の幹くらいの太さの細長いパネルを何本か置き、場面ごとに照明を変える装置をベースにした舞台美術(ハインツ・ハウザー)もお洒落。歌手では、伯爵夫人を歌ったマリーナ・メシェリアコヴァが、安定感と存在感、そして芯のある声の魅力で頭一つ抜けていた。
 一方《コジ・ファン・トウッテ》は、1998年に制作されたプロダクション(クリストフ・アルブレヒト演出)。こちらは台本の指示を生かした伝統的な雰囲気の演出で、ステージに回転舞台を出し、その中央に透き通ったパネルを置き、パネルを回転させて場面転換を行う。前夜の刺激的な《フィガロ》の後では、やはり8年前のプロダクションだけのことはあるなと感じさせられるステージだった。ライナー・ミュールバッハの指揮は、整ってはいるもののやや退屈で、歌手との呼吸にも時折ずれが生じていたのは残念。歌手陣も、ドン・アルフォンソ役のラインハルト・ドルン、デスピーナ役のアンドレア・イーレに不安定さが目立つなど、今ひとつのできばえ。オーケストラの艶やかな響きが、一番の収穫だったといえようか。この劇場の音響は本当にすばらしい。(加藤 浩子)

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「モーツァルト《イドメネオ》」1月31日、ウィーン、アン・デア・ウィーン劇場
 モーツァルトといえば、ウィーンで催しがないはずがない。1月下旬は、国立歌劇場で「四大オペラ」が集中的に上演された。だがこの期間、国立歌劇場の主催する公演でもっとも力が入っていたのが、アン・デア・ウィーン劇場で誕生日当日の1月27日にプレミエを迎えた《イドメネオ》である。
アン・デア・ウィーン劇場は、これまでおもにミュージカルを上演してきた(ヒット・ミュージカル《エリザベート》は、ここでロングランされていた)。だが今年のモーツァルト・イヤーを期に、国立歌劇場、フォルクスオパーに続く「第3のオペラハウス」として、オペラとクラシックコンサート専用の劇場に趣旨変えをし、《イドメネオ》はその再出発のオープニングを飾ると同時にモーツァルト生誕250年を祝う記念公演として計画されたのである。力が入るのも当然と言えるだろう。
発表されたキャストもこれ以上は考えられないほどの豪華版で、指揮は国立歌劇場芸術監督の小澤征爾、演出は欧米で引っ張りだこのウィリー・デッカー、歌手はタイトルロールにニール・シコフ(テノール)、息子イダマンテにアンジェリカ・キルヒシュラーガー(メゾ・ソプラノ)、その恋人でトロイの王女イリアにゲニア・キューマイアー(ソプラノ)、ミケーネの王女エレットラにバルバラ・フリットリ(ソプラノ)と、今をときめく歌手を揃えた強力な布陣。国立歌劇場のオーケストラがピットに入り、そして合唱はアーノルト・シェーンベルク合唱団という、ドリームチームである。
だが残念なことに、直前になって小澤征爾が体調不良で降板。また演出のデッカーも心臓病とのことで途中で降板し、アシスタントのヴォイコヴィチが、デッカーのプランを引き継ぐ形で最終的な演出を担当した。
小澤の代わりに指揮台に立ったペーター・シュナイダーは、すでに《イドメネオ》は何度も手がけているとあって、ベテランらしい安定感を見せ、歌手との息もぴったり、作品の呼吸を飲み込んだ巧みな指揮で、モーツァルトの若さあふれるスコアの魅力を十分に伝えてくれた。歌手はさすがにみな素晴らしかったが、出色だったのはフリットリ。恋にときめく乙女心から、失恋して一転、復讐と絶望にさらされる苛烈さまでを表現しきれる歌手が、今世界で何人いるだろうか。コロラトゥーラを含め、テクニックが万全なのは言うまでもない。これまでも、そして今後も、注目を集める歌手でありつづけることだろう。
タイトルロールのシコフは、本来レパートリーや声のタイプからいって、モーツァルト・テノールというにはやや違和感を覚える歌手だが、「マクベスのよう」(本人の弁)なこの役にはかなり惹かれたらしく、体当たりの熱演・熱唱で取り組んでいた。歌唱的にはやや歌いすぎの面もあったが、熱意は汲むべきだろう。
合唱も凄絶なまでに素晴らしく、フランス・オペラの影響を受けた《イドメネオ》が合唱のオペラであることを実感させてくれた。
デッカーの演出も見事。舞台全体に古代ギリシャの劇場を思わせる階段を設け、その上で物語が展開する。シンプルだが、古代ギリシャの物語であり、またオペラ・セリアである《イドメネオ》にはうってつけではないだろうか。また合唱団を演技者として活用するのは、音楽からいってもまっとうな処置といえよう。圧巻だったのは、第2幕の晴天から嵐に変わる場面で、青いパネルを手に並んでいた合唱団が、嵐に変わったとたんそのパネルを投げ出し、裏面の灰色があらわになる箇所で、その劇的効果には目を奪われた。他にも目を奪われる箇所が多々あり、音楽と演出とが一体になったダイナミズムを体験した。
すぐれたオペラの上演とは、作品のすばらしさを知らしめる上演だと、私は思う。この夜の《イドメネオ》は、まさにそれを実現していた。オペラの至福を味わった一夜だった。(加藤 浩子)

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写真:塩澤秀樹
「フレディ・ケンプ・ピアノ・リサイタル」4月2日午後2時 ザ・シンフォニーホール
 巨匠ウイルヘルム・ケンプの縁続きという若手ピアニストが登場し、ベートーヴェンを聴かせる。「月光」「情熱」「ハンマークラヴィア」の名曲をそろえ、クラシックフアンの開拓を目指す。お問い合わせは同ホール(06-6453-6000)へ。(T)

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「大阪センチュリー交響楽団」5月14日午後2時 ザ・シンフォニーホール
 同交響楽団の専任指揮者として人気のある金聖響が、オール・モーツァルト・プロを組んで登場。年内に4回行われるモーツァルトシリーズの最初で、ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」(ヴァイオリン矢部達哉)、「交響曲第25番」などを演奏する。お問い合わせは同ホールへ。(T)

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「アトール CD50」(¥136,500/税込み)
(取り扱い:ディーフォース TEL:03-5542-2519)

 日本に始めて輸入されるフランスのブランドだ。価格が実にリーズナブル。輸入品でもこういうコストで製品が作れるし、音が非常にいい。おそらく国産モデルでもこの価格でこれだけの音の製品はなかなか見つからないはずだ。世界遺産モン・サン・ミッシェルに近いノルマンジー地方のブレセーという場所に本拠を置き、ヨーロッパ各地からパーツなどを選りすぐって自社工場で組み立てている。音楽ファンにも嬉しい製品であるはずだ。(井上 千岳)

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「アトール IN50」(¥115,500/税込み)
(取り扱い:ディーフォース TEL:03-542-2519)

 CDプレーヤーと対になる50Wのプリメイン・アンプ。シンプルなデザインと手頃な価格が大きな特徴になっている。普通のスピーカーならこれで十分と思えるほど駆動力もあり、音楽性に富んだ音質が魅力である。10万円前後のアンプというと種類も少なく音質にも大した期待は持てないものだが、この製品は違う。軽量で仰々しい感じがないのも快い。国産モデルにはちょっと見られないセンスを多くの人に味わってもらいたいものである。(井上千岳)