2017年5月 

  

Classic CD Review【室内楽曲(弦楽六重奏)】

「ブラームス:弦楽六重奏曲 第1番 変ロ長調 作品18、第2番 ト長調 作品36 / ルノー・カピュソン(Vn1)、クリストフ・コンツ(Vn2)、ジェラール・コセ(Va1)、マリー・シレム(Va2)、ゴーティエ・カピュソン(Vc1=第1番、Vc2=第2番)、クレメンス・ハーゲン(Vc2=第1番)、(Vc1=第2番)」(ワーナーミュージック・ジャパン、WPCS-13662)
 ブラームスの室内楽の中でもトップクラスの人気作品と言える弦楽六重奏曲の新録音盤を久しぶりで聴いてみた。そしてこの収録は昨2016年3月24日、フランスのエクサンプロヴァンス・イースター音楽祭に於ける,ライヴでの録音である。ライヴ・レコーディングは生々しい音なのだが、収録時に余分な音まで入ってしまう事も多い。だから筆者は小編成の室内楽の場合どうしてもスタジオ録音で聴きたいと思う。今回は6人中4人がフランスを中心に活躍中の名手達、残りの2人もオーストリアを始め世界的に名を馳せている名手なのである。そして室内楽に対しても全員が精通しており、この2曲を演奏するには、これ以上望めない力量を持った六重奏団である。先ずは「百聞は一聴(?)に如かず」とばかりに聴いてみた。案の定、第1番、第1楽章、第1チェロ、ゴーティエ・カピュソンの主題からして彼らの音楽の大きさに最初から度肝を抜かれてしまう。こんな経験は久しぶりの事だった。そしてこれこそ超有名な第2楽章の第1ヴィオラ、ジェラール・コセの素晴らしい歌が圧巻、今までに何種類もこの2曲は聴いてみたが、最も新しい今回の演奏、特に第1番は図抜けた名演と言えよう。(廣兼正明)

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ヴァイオリン)】


「アッシャー・フィッシュ 新日本フィルハーモニー交響楽団 サラ・チャン(ヴァイオリン)」(3月25日、オーチャードホール)
 オーチャードホールで新日本フィルを聴くのは初めて。トリフォニーより空間が大きく、音が遠い。サラ・チャンが繊細に弾いたこともあり、シベリウスのヴァイオリン協奏曲冒頭のメゾフォルテがピアニッシモに聞こえる。サラ・チャンは音が滑らかで美しく、音楽性が豊か。天然水のようにピュアなヴァイオリンだ。第1楽章カデンツァの緊張感と音の美しさが印象に残った。第3楽章コーダに向かって熱く盛り上がっていく部分では天性のテンペラメント(性質)が発揮され、音楽にうねりが生まれた。フィッシュと新日本フィルは、柔らかな響きでサラ・チャンを支えた。
 フィッシュは、オペラのような劇的でストーリー性のある音楽を、リストのふたつの交響詩で聞かせた。旋律の歌わせ方がうまく、歌手のアリアを聞いているようだ。「前奏曲(プレリュード)」も「マゼッパ」も、リストが好んだ暗闇から光明の世界へという物語性をフィッシュは巧みに描き分けた。指揮は男性的で、がっしりとした音楽を聞かせる。「マゼッパ」のコーダで勢いが余ったのか、指揮棒が天高く舞い上がり客席に落ちたが、幸い聴衆には当たらなかった。指揮棒なしで振り終えたが、さすがに苦笑。フィッシュは今年9月、バイエルン国立歌劇場日本公演で再来日、モーツァルト「魔笛」を振る予定。(長谷川京介)

写真:アッシャー・フィッシュ (c) Chris Gonz
サラ・チャン (c) Cliff Watts

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ピアノ)】


「山田和樹 日本フィルハーモニー交響楽団 福間洸太朗(ピアノ)」(3月30日、東京芸術劇場コンサートホール)
 山田和樹は才気煥発で、他人と違うアプローチを好む個性的な指揮者だと思う。チャイコフスキーの交響曲第4番は、あまり聴いたことのない表現がいくつかあった。例えば第4楽章第3主題が出るたび、冒頭を思い切りルバートをかけテンポを緩め、すぐさまテンポを速め一気に盛り上げる。第1楽章展開部はテンポを落とし、じっくりと旋律を歌わせる。第2楽章後半は遅いテンポで、木管のフレーズをひとつひとつ間を置いて吹かせるなど、新機軸を打ち出していく指揮は面白い。第4楽章コーダでテンポを速め一気にクライマックスに持っていき、会場は大いに沸いた。ただ、聴き終わった後、ではその新しい試みで何を伝えたかったのかという点になると、「これぞ」という核がないように思える。
 今年はチャイコフスキーの交響曲第4番を3回聴いた。ユッカ=ペッカ・サラステ&新日本フィル、高関健&N響、そして山田和樹&日本フィル。それぞれ個性が出た演奏だが、説得力という点では、サラステ、高関があった。山田はスマートで切れ味があるが、何か物足りない。コアな部分がほしい。それは1曲目のグリンカ歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲でも感じた。中低音の厚みが足りないのかもしれない。
 前半は福間洸太朗を迎えたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。福間は、詩情があり繊細で上品。強靭さもあるが、それほどパワフルではなく、オーケストラに埋もれまいと叩く打鍵はやや無理があり、音が濁る。しかし、第2楽章後半は、メランコリックで、よく歌い素晴らしかった。アンコールのチャイコフスキー「トレパークへの招待Op.72-18」は鮮やかだった。なお、山田&日本フィルのアンコールはスヴェンセンの「2つのスウェーデンの旋律より第2曲」だった。(長谷川京介)

写真:山田和樹 (c) Yoshinori Tsuru

Classic CONCERT Review【オペラ】


「東京・春・音楽祭 ワーグナー「ニーベルンクの指輪」第3日《神々の黄昏》」(4月1日、東京文化会館)
 ジークフリート役ロバート・ディーン・スミス、ブリュンヒルデ役クリスティアーネ・リボールの主役二人が、体調不良のため直前に降板。代役二人は29日に来日。恐らくゲネプロ1回で、本番に望んだのではないか? そういう厳しい条件のなかで、ブリュンヒルデのレベッカ・ティームは大健闘だった。第3幕は一人で、長大な終幕部分を引き受けなければならない。ティームは幕を追うごとに集中力を高め、最後は入魂の歌唱だった。聴衆のブラヴァは彼女を号泣させた。それは見ている我々の胸を熱くした。
 ジークフリートのアーノルド・ベズイエンは、譜面を見ながら慎重な歌唱。平板な印象で残念だったが、大きなミスはなく、他の歌手との対話もスムーズで、よく健闘したと言える。
 歌手陣では、ハーゲンのアイン・アンガーが、これこそハーゲンという圧倒的な歌唱と存在感を示した。グンターのマルクス・アイヒェはハーゲンに押され気味だが、よく踏ん張った。グートルーネのレジーネ・ハングラーは潤いのある艶やかな歌声。またヴァルトラウテのエリーザベト・クールマンとアルベリヒのトマス・コニエチュニーも安定していた。
 東京オペラシンガーズは、固定メンバーではない合唱団のアンサンブルの難しさなのか、やや粗く感じた。
 マレク・ヤノフスキ指揮NHK交響楽団(コンサートマスター、ライナー・キュッヒル)は、緻密なアンサンブルを聴かせた。ヤノフスキは歌手を重視した最適なバランスを保ち、やや速めのテンポで音楽を作っていった。「ジークフリートの葬送行進曲」も、粘らず、速めのテンポで進めた。急な歌手の交代というアクシデントのためか、これまでの「指輪」シリーズの勢いのある演奏と較べると、やや慎重な指揮ぶりだったのではないだろうか。キュッヒルのヴァイオリンが際立って聞こえてくるのは、彼がコンサートマスターとして弾く際の定番とも言える。
 スクリーンに映し出される映像(田尾下 哲)は、これまでのシリーズよりも、動きが大きく、画像もより具体的だが、作り物めいた安っぽさがあり、音楽から受け取る自由なイマジネーションを阻害し、著しく感興をそいだ。
 ともあれ、終わりよければすべてよし。終演後の聴衆のスタンディング・オベイションは、主役二人の交代というアクシデントに翻弄された関係者へのなによりのねぎらいになったのではないだろうか。(長谷川京介)

写真:(c) 東京・春・音楽祭実行委員会

Classic CONCERT Review【室内楽】

「シュー・スーラン ヴァイオリン・リサイタル─メニューイン生誕100年記念」(4月2日、ガルバホール)
 台湾生まれで、ユーディ・メニューインスクールに学び、メニューインの薫陶を受け、バッハ「2つのヴァイオリンのための協奏曲」を度々共演したシュー・スーランの日本での初リサイタル。ピアノはファン・ツーハン。
 ルクーのヴァイオリン・ソナタが素晴らしかった。24歳という若さで夭折したルクーの最高傑作。活気に満ち溢れ、いかにも青春の真っ只中という印象を与える。その勢いをシュー・スーランは余すところなく情熱的なヴァイオリンで伝えた。コンサート後の打ち上げでスーラン本人から聞いた話では、この曲は若い時から弾き続けており、さまざまな思い出がいっぱいつまっているという。そのころ分らなかったことが、年齢を重ねるにつれ、見え感じられるようになったと語った。確かにその演奏には、勢いだけではない、成熟した人間が若き日を振り返るような味わいがあった。 
 1曲目のプーランクのヴァイオリン・ソナタの第1、第3楽章は激しく情熱的だった。音の濁りや、微妙な音程のずれは、音楽の奔流のなかに巻き込まれていく。第2楽章はガルシア・ロルカの詩に喚起され作曲されたが、スペイン風情緒と、プーランク独特のハーモニーをシュー・スーランは濃厚に表現した。
 徳岡直樹作曲の「二つの小品」(前奏曲とアリア)は、徳岡のピアノが美しい。二人が長く弾きこみ愛奏した作品と感じられた。ピアノのファン・ツーハンのラフマニノフの前奏曲ニ長調作品23-4はストーリー性が感じられロマンがあった。他にチャイコフスキー「ワルツ・スケルツォ」が演奏された。アンコールはクライスラーの「愛の悲しみ」と、ポンセ「エストレリータ」だった。
(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ・協奏曲(ヴァイオリン)】


「上岡敏之 新日本フィルハーモニー交響楽団 ヴァレリー・ソコロフ」(ヴァイオリン)(4月8日、すみだトリフォニーホール)
 これほど美しいブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴くのは、初めてかもしれない。ソコロフは、激しい重音ですら美しく、濁らない。音は艶やかで音程は完璧。歌いかけるようなヴァイオリンはコロラトゥーラの天国的な歌を聴いているようだ。上岡&新日本フィルは、ブラームスの交響曲第2番のような、ゆったりとしたテンポとおおらかな表情で、細やかにソコロフを盛り立てていく。第2楽章では古部賢一のオーボエのソロが美しかった。ソコロフがあまりに素晴らしいので、第2楽章はどこまで彼のヴァイオリンに酔えるのだろうか、と期待に胸をふくらませたが、第1楽章を上回る驚きはなかった。もちろん充分満足できたのだが。アンコール、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番「バラード」も完璧で美しい。いかにヴァイオリンを美しく鳴らし、説得力を持って聴衆に語りかけるのか。ヴァイオリニストとしての最も大事な素質のひとつを、ソコロフは見事に体現した。
 後半のドヴォルザーク交響曲第7番は、第3楽章スケルツォが、浮揚感があり、一番聴き応えがあった。上岡には他の指揮者にはない洗練されたセンスがある。その音楽はしなやかで、生き生きとしていている。ただ今日の演奏を聴いて、一本の太い柱が貫かれていたら、という思いはある。音楽に張りが欲しい。これまで感動した上岡の演奏会では、ヴッパータール交響楽団とのチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」のように、壮絶でガツンと来るものがあった。あのような演奏を新日本フィルで聴ける日を期待している。(長谷川京介)

写真:ヴァレリー・ソコロフ (c) Simon Fowler
上岡敏之 (c) Naoya Ikegami

Classic CONCERT Review【オーケストラ・ギター(協奏曲)】


「ペドロ・アルフテル 新日本フィルハーモニー交響楽団 鈴木大介(ギター)」(4月14日、すみだトリフォニーホール)
 1971年、スペイン、マドリード生まれのアルフテルは登場したときから雰囲気があり、実際の指揮もオーラが出ている。作曲家でもあり、1曲目は自作の「グラン・カナリア島の鐘」を指揮した。ハープとヴィブラフォン、ピアノが単調だがどこか懐かしいリズムを刻む中、徐々にオーケストラが入ってくるが、常にピアニッシモを保つ。最後はタムタムの音で締めくくる愛らしい作品だ。
 鈴木大介のギターによるロドリーゴ「アランフェス協奏曲」は素晴らしかった。これまで聴いたものは、小さなPAを使うことが多かったが、鈴木はアコースティックで演奏した。大ホールで聴くと、その音は小さい。しかし、鈴木の粒立ちの良い、真珠のような音は、確かなテクニックに支えられて、深い音楽として響いてくる。アルフテルと新日本フィルの柔らかな響きは鈴木のギターと絶妙に溶け合った。アンコールのタレガ「アルハンブラの思い出」のトレモロがまたすっきりと美しい。
 ヒナステラ「エスタンシア」(バレエ全曲版)のノリの良いラテン・リズムと色彩感あふれる音楽は心弾むものがあった。明るい響きと、叙情と哀愁の緩徐部分との対比も鮮やか。歌と語りはバリトンの井上雅人。アンコールでも演奏された終結部「おしまいの踊り(マランボ)」は、シロフォン奏者が幅広い音域で左右に激しく動いたり、別の打楽器奏者が乗りに乗って踊る姿が楽しい。ヒナステラはアルゼンチンの作曲家だが、スペイン文化圏であり、アルフテルの指揮は共感と確信に満ちていた。
(長谷川京介)

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「ピエタリ・インキネン 日本フィルハーモニー交響楽団 ブラームス・ツィクルスI」(4月15日、オーチャードホール)
 インキネン日本フィルによるブラームス・ツィクルスの第1回。バランスの良い内声部の豊かなブラームスで、木管のハーモニーが美しい。テンポはそれほど動かさず、一歩一歩進めていく。交響曲第3番の第2、第3楽章の柔らかく優しい表情がインキネンのアプローチにぴったり。第4楽章は多少激しさを聞かせた。
 交響曲第4番も、基本的には第3番と変わらない方向性で演奏した。ふくよかで奥行きのある響きが維持されたが、第3、第4楽章はそこに重みを加えた。どこまでも癖のない、角のとれたブラームスだ。
 個人的な好みとしては、第3、第4楽章はもっと激しい切り込みがほしいところだが、インキネンは大向こうをうならす方向には行かず、正統的で模範的なブラームスを演奏したいという意向があるようだ。ブラームスらしい管弦楽の響きが出ていたことは確かだ。ただそれが、オーケストラをトレーニングしているように聞こえなくもなく、聴き手としてはもう少し刺激的な演奏を聴きたいところではある。(長谷川京介)

写真:ピエタリ・インキネン (c) 日本フィル

Classic CONCERT Review【オーケストラ・オペラ】

「シルヴァン・カンブルラン 読売日本交響楽団 メシアン、ドビュッシー、バルトーク」(4月15日、東京芸術劇場コンサートホール)
 バルトーク歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式)で、カンブルランは水ももらさぬ統率力を発揮、オペラ指揮者としての真価を聞かせた。読響の力を最大限引き出し、バルトークらしい低弦の分厚い響きとともに、緊張感に満ちた弱奏から、輝かしい総奏までダイナミックに表現した。
青ひげ公に嫁いだユディットは場内の7つの扉を開けるよう懇願、ひとつずつ開けられていく中、第5の扉では“広大な領地”が広がる。オルガン、バンダの金管、オーケストラ総奏が三度繰り返される壮大な響きは、この夜のクライマックスだった。
 第7の扉で3人の前妻を見たユディットが、4人目として真夜中の闇に包まれていく音楽の深みは素晴らしかった。ユディット役はイリス・フェルミリオン。5年前に聴いたインバル&都響とのマーラー「大地の歌」でも好演だったが、今日も安定していた。青ひげ公役はハンガリー出身のバリント・ザボ。この役を得意としており、暗譜で歌った。
前半のカンブルランが得意とするメシアン「忘れられた捧げもの」は、第3部「聖体の秘蹟(ひせき)」の弦が美しかった。
 ドビュッシー「<聖セバスティアンの殉教>交響的断章」では、第2曲「法悦の踊りと第1幕の終曲」と第4曲「良き羊飼いキリスト」を、カンブルランは雄大に描き切った。
 全体にカンブルランと読響の好調ぶりを強く印象づけるコンサートだった。(長谷川京介)

写真:シルヴァン・カンブルラン (c) 読響

Classic CONCERT Review【オペラ】

「東京・春・音楽祭 スペシャル・ガラ・コンサート」(4月16日、東京文化会館)

指揮:スペランツァ・スカップッチ
ソプラノ:クリスティナ・パサローユ
テノール:イヴァン・マグリ 
バス:アドリアン・ザンペトレアン
管弦楽:東京春祭特別オーケストラ

 これからヨーロッパの主要歌劇場で主役を演じていく若手実力歌手たちと、ムーティのもとで長年コレペティトゥアとして修業し、オペラの経験も豊かな若手女性指揮者、スカップッチが、がっちりとしたティームワークを組んで、見事なステージを展開した。
 ソプラノのパサローユは、張りのある強い声。音程は正確で高音のコントロールも安定している。ヴェルディ《リゴレット》「慕わしい人の名は」のコロラトゥーラは強靭。ドニゼッティ《ドン・パスクアーレ「騎士はあの眼差しを」のコミカルな歌唱もうまい。
 テノールのマグリは本当に凄い。《リゴレット》「女心の歌」最後のE di pensiero!の鼓膜を破るような強力な声には腰を抜かすほど驚いた。と思えば、ドニゼッティ《愛の妙薬》「人知れぬ涙」の最後の弱音で、繊細な声を披露する。
 ザンペトレアンは、見るからに楽し気なバスだ。モーツァルト《フィガロの結婚》「もう飛ぶまいぞ この喋々」は賢い策略家フィガロの姿が目に浮かぶようだ。ドニゼッティ《愛の妙薬》ネモリーノ(マグリ)とドゥルカマーラの二重唱では、イカサマ薬売りのドゥルカマーラ役がツボにはまっていた。
 スカップッチは、切れ味の良い生き生きとした指揮、的確に歌手につけていく。関東の主要オーケストラの首席クラスや、クァルテット・エクセルシオのメンバーも参加した東京春祭特別オーケストラは素晴らしかった。指揮のスカップッチもずいぶん助けられたのではないだろうか。東京春祭をしめくくるにふさわしい豪華で爽やかなガラ・コンサートだった。
(長谷川京介)

写真:(c) 東京・春・音楽祭実行委員会

Classic CONCERT Review【オーケストラ】

「東京都交響楽団 第828、829回定期演奏会」(4月17日、東京文化会館。18日、東京オペラシティコンサートホール)
 アラン・ギルバートの指揮、リーラ・ジョセフォウィッツのヴァイオリンで、ジョン・アダムズ《「シェヘラザード.2」(ポイント・ツー)-ヴァイオリンと管弦楽のための劇的交響曲》(2014)の日本初演が行われた。前半はラヴェルのバレエ音楽《マ・メール・ロワ》。東京文化会館と東京オペラシティと二度聴く機会があった。
 アダムズの作品は、アラブの男性社会に抑圧されている女性たちを賢明なシェヘラザードにたとえ、彼女らの解放の願いを込めて作曲された。独奏ヴァイオリンがシェヘラザードを表す。ジョセフォウィッツは完全にシェヘラザードになりきり、演奏もさることながら、彼女の表情や仕草が迫真の演技を見ているようにスリリングだった。この作品ではツィンバロンが重要な役割を果たす。独奏は生頼(おうらい)まゆみ。
 ギルバートと都響はジョセフォウィッツと緊密な演奏を繰り広げたが、出来としては2日目のほうが良かった。オペラシティの豊かな残響も寄与した。
 聴衆の反応は2日間とも熱狂的で、場内が明るくなるまで拍手は続いた。ジョセフォウィッツとギルバートは、今回も含めて3年間ですでに50回近くも共演している。世界中からひっぱりだこの人気曲と言える。迫力があり、分りやすいが、ただのエンタテインメントでは終わっていないところが、アダムズ作品の良さだろう。
 前半の《マ・メール・ロワ》は、繊細で温かな演奏だったが、色彩感はそれほど感じなかった。これも2日目のほうが精度は高かった。都響の木管、フルート、ファゴット、オーボエ、クラリネット、イングリッシュ・ホルン、コントラ・ファゴットの各ソロは見事だった。(長谷川京介)

写真は東京文化会館での演奏:(c) 東京都交響楽団

Classic CONCERT Review【声楽】


「ナタリー・デセイ&フィリップ・カサール デュオ・リサイタル」(4月19日、東京オペラシティコンサートホール)
 今回のプログラムは当初『女の肖像』というタイトルがつけられていた。練り上げられた選曲に感心したが、最も感銘を受けたのは、タイトル通りデセイが曲ごとに主人公になり切り、千変万化(せんぺんばんか)の表現を聴かせたことだった。
 シューベルトのリートが、これほど感情むき出しに表現されたのは初めて聴く。「糸を紡ぐグレートヒェン」の「Und ach, sein Kuss! そして ああ、あの口づけ!」のKussが、欲望も露わに叫ばれた時は、たじたじとなってしまった。
 後半はフランス歌曲。デセイにとって母国語なので表現はより自由闊達になった。ショーソン「終わりなき歌」はシャンソンのような洒落た味わい。ドビュッシー「死化粧」は諧謔の効いた表現。ビゼー「別れを告げるアラビアの女主人」の土地の女の表現も素晴らしい。
 歌とピアノはぴったり合い、デセイとカサールは一心同体。カサールはソロでドビュッシー「亜麻色の髪の乙女」「水の精」を弾いたが、伴奏の素晴らしさの方が印象に残った。
 全てのプログラムを終わると大喝采が起きたが、続くアンコールが素晴らしかった。ドリーブ「カディスの娘たち」の最後の高音を決め、R.シュトラウス「僕の頭上に広げておくれ」のしっとりとした歌唱で落ち着かせ、静かなドビュッシー歌劇『ペレアスとメリザンド』第3幕から、で締めた。デセイが一人でカーテンコールに応えていると、カサールが大きな花束を抱えて現れ、デセイにプレゼントした後「ハッピー・バースデイ」を弾き始めた。場内は大合唱となりデセイの誕生日を祝った。
 拍手がなかなか止まない。ドアがもう一度開き、バースデイケーキを持ったカサールとデセイが登場。場内が笑いに包まれた後歌われたドリーブ歌劇歌劇『ラクメ』から「美しい夢をくださったあなた」が感動的だった。何という弱音の素晴らしさ!
 この日のデセイは完全ではなかった。咳を何度かしていたし、声が少しざらつくところもあった。しかし、要所はきちんと決めた。なによりも表現力が歌手という枠を超えているので、いつの間にか彼女の世界に引き寄せられてしまう。歌の世界の奥深さを教えられたリサイタルだった。(長谷川京介)

写真:ナタリー・デセイ (c) Simon Fowler
フィリップ・カサール (c) Vincent Catala

Classic CONCERT Review【声楽】

「駒田敏章 バリトンリサイタル」(4月27日、ゆめりあホール)
 駒田敏章は、第83回日本音楽コンクール第一位に入賞し、セイジオザワ松本フェスティバルでは、2015年から『子供と魔法』に毎年出演しているとのこと。
 今回のプログラムの前半は、シューベルトの歌曲7曲であり、駒田は声を出し惜しみしないで一気に歌い上げた。駒田は力強い声と、よく通る弱音を両方持ち、どの曲でも精一杯表現するところが、彼の特徴ではないだろうか。私は、言葉のひとつひとつ理解することができないので、駒田の言葉に対してのニュアンスの表出までは記すことができない。シューベルトの歌曲では、「水と夜」をテーマにした7曲が選んで歌われた。筆者が考える「水」とは生であり、「夜」は死である。
 駒田は対立概念を通して、シューベルトの歌曲に、新たな光を与えたいと考え、この7曲を選んだことと思う。対立概念の考えは、西洋人の思考様式を長い間支配してきたからである。「暑い、寒い」、「速い、遅い」、「善と悪」、「戦争と平和」そして「生と死」を。歌われた内容とその豊富さは、聴手にも充分に理解はできるのである。
 駒田は前述したように、どの曲もスッキリとした節回しで、形良くまとめて歌を歌う。詩に対して冷たく閉ざされたものではない。時には微妙な明暗や、語るような要素が加われば申し分ないと感じられた。老熟の境に至っては失われてしまう、若さの特権であると言われれば仕方がない。
 プログラムの後半は、シューマンの「リーダークライス」であり、12曲の心の旅。前半よりは後半のシューマンの方が印象に残り、駒田の声の美しさは随所にきめ細かく発揮されていた。この歌曲は、ひと時代前のドイツの歌手がよく歌い、彼らの暗い声に比べると駒田は率直な声の表現を生かし、自覚しての選曲かと思われた。特に第9曲目の「悲しみ」。まさに静かな悲しみの気分が漂い好演であった。ピアノは吉澤美智子。(藤村貴彦)