2012年10月 

台頭する中国の若手〈クラシック〉演奏家

「クラシックの世界に開かれた窓」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・青澤 唯夫
 「21世紀はアジアの時代」と言われて久しいが、中国出身のクラシック音楽演奏家の世界舞台への登場が目立っている。それは中国の国際社会への台頭や、国力、経済力が国際環境にもたらす影響の大きさと無縁ではない。マス・メディアや交通機関の高度な発達、富の世界的な拡散とともにクラシック音楽が欧米だけでなく、地球全体のものになってきているからだろう。
 1966年にはフー・ツォンが、79年にはリュウ・シコンが来日してその力量に驚かされたが、その後もラン・ラン、ユンディ・リ、ユジャ・ワンといった国際的なスターが輩出している。優れた教育の成果もあるし、演奏環境も整いつつあり、欧米に出て研鑽を積むための富裕層の支援もある。ユンディのように北京に住んで、ヨーロッパを中心に活動することも無理な時代ではなくなった。
 彼ら中国勢に共通する特質はあるだろうか。私はあると思う。演奏は音楽家の心の出来事を表現するものだから、心を取り巻く状況と深く関わっている。狩猟民族と農耕民族の血筋、食べ物や自然環境、育った風土や教育や価値観の違いが、演奏にも自ずと反映する。中国出身のピアニストの特徴は、音色感覚、繊細さ、間合いの感覚、しなやかな感性などに表れている。それは演奏会や、優れたオーディオ装置で聴くと如実にわかる。
 コンクールの審査体験から言えば、顔つきは日本人と変わらないように見えるのに、表現が巧拙とは別に一味ちがったりする。ヨーロッパで発達したクラシック音楽が本場の諸国で衰退あるいは飽和状態を迎えつつある時代に、新天地からの斬新な感性が新たな息吹をもたらす。クラシック音楽の世界に大きく窓を開け放って、新鮮な大気を取り込む潮流に期待すべきものは多い。日本の音楽家がすべきこともまた、決して少なくはない。

「ユジャ・ワンに聴く繊細で奔放なピアニズム」・・・・・・・・・・・・・・・・貝山 知弘
 来年4月の来日が決まっているユジャ・ワン/Yuja Wang(王 羽佳)の人気が高い。昨年発売されたグラモフォン・レーベルでの第3弾『ラフマニノフ、ピアノ協奏曲第2番/パガニーニの主題による狂詩曲』はアメリカでもヨーロッパでもベストセラーとなり、日本ではレコード芸術誌の「読者が選んだ2011年ベスト・ディスク」の1位に選ばれている。今年発売された小品集『ファンタジア』も上々の売れ行きだと言う。
 人気の秘密は何か? 私がディスクを通して聴いた演奏から感じたのは、彼女の中では曲に入り込み曲想と一体化できるナイーヴで鋭い感性と、ハイレベルのテクニックに支えられた奔放な演奏が矛盾なく共存しているということだった。それが聴く者に奇跡のような演奏の華を感じさせ、興奮に駆り立てる。だから彼女の演奏はつねにスリリングである。感性を全開して聴いているといつしか彼女の感性に合わせ曲に没入していく自分を感じるのだ。
 その好例は小曲集『ファンタジア』で、奔放な表現と緻密でしなやかな表現が混在している。ラフマニノフ「音の絵」イ短調では水が沸き出るような響きが連続して襲いかかり、「エレジー」では一音一音が心の琴線に触れ、スカルラッティのソナタでは澄みきった空間を疾走していく快感を肌で感じ、「メロディ」では清冷な空気の中で形のない精霊の存在が意識の中に入り込む。ユジャの演奏はある意味でボーダレスだ。アルベニスの「トリアナ」やビゼーの「カルメンの主題による変奏曲」では、スペイン風のリズムやアクセントを取り入れたりせず自らが望むリズムで弾ききっている。こうしたユジャのピアニズムを中国的あるいはアジア的と決めつける気はないが、おおらかに純粋培養された才能という意味では、中国的といってもいいのかもしれない。

「他のピアニストとの違いを際立たせるのは音圧ではなく、音色」・・・・・・・・・・山之内 正
 ユジャ・ワンの演奏で聴くとおなじみの曲が新鮮に響くのはどこに理由があるのか。ラフマニノフの協奏曲第2番やペトルーシュカでは指の動きが滅法速いことに驚かされたが、それだけなら圧倒されても感動には至らないだろう。
 最新アルバム『ファンタジア』に収められたスクリャービンの前奏曲やエチュードを聴いてすぐに気付くのは、音の立ち上がりが急峻で勢いがあり、切れ味の良さが際立っていることだ。必要とあれば64分音符1つにも最大級のエネルギーを集中させ、強いインパクトを与えることができるが、たんに振幅の大きな音を出すだけではない。他のピアニストとの違いを際立たせるのはむしろ音圧ではなく、音色である。短い音は鋭利な刃物のようにエッジが鋭いので、音符の数が増えても和音が濁らず、余韻までクリアな響きを確保する。その澄んだ音色を実現するうえで、指と身体の動きをコントロールする能力が大きくモノを言うのは間違いない。
 鍵盤の上での指の動きにはまったく無駄がなく、高さ方向だけでなく前後方向にも最小の運動量で効率良い動きを無意識のうちに選んでいる。無駄はないが打鍵の速さは最大級なので、1小節、1拍のなかに鋭い音を立て続けに鳴らしても粒立ちが曖昧にならず、緊張が緩まない。複雑なアクションを介さずハンマーと指が直結したかのようなダイレクトな感触は聴き手にも伝わり、ピアノが活き活きと鳴り切っていることがよくわかるのだ。
 ピアノをダイレクトに鳴らす技術を突き詰めていけば、音色をコントロールする能力にも磨きがかかる。ユジャ・ワンの演奏は柔らかく伸びやかな音にも豊かな階調があり、音色のパレットにはまだまだ余裕がある。陰影に富むスクリャービンの音楽を澄んだ音色で雄弁に弾きこなすのはそこに秘密があるのだ。

「ユジャ・ワンのディスクを再生するオーディオシステムの条件」・・・・・・・・・大橋 伸太郎
 ユジャ・ワンの4枚のCD を再生して第一に気付かされるのは、一音一音の粒立ちと透徹した音色である。ソステヌートペダルの使用が最小限に抑えられ、どの曲でも明晰そのものの響きに満ちている。運動神経の高さ、手首から指先さらに四肢の柔軟さが見えるようだ。早いパッセージを駆け抜ける時に、引き摺るようなもたれや音の混濁が微塵もなく、音の実在を虚空に滲みなく整然と刻印していく。アルバム“Transformation”のスリーヴのポートレート写真を見ると、両手指(特に小指)が尋常でなく長く細い。その掌を手に取ってみたい誘惑に駆られる。鍵盤に指を打ち降ろすスピード、強弱、深さのコントロールにつねに狂いがない。
 それでは、ディスクに記録されたユジャ・ワンの演奏をオーディオ装置が再現していくために何が必要か。音の入り口CDプレーヤーはデジタルフィルターに起因した歪み、ノイズが最小に抑えられていることが求められる。次にアンプはダイナミックレンジが大きく弱音の再生能力に優れるのが必須。高調波歪と混変調歪の発生が抑えられていることも条件に挙げられる。
 しかし、最も能力が問われるのはスピーカーシステムである。音の立ち上がりの一瞬を捉えるレスポンスの鋭敏さ、トランジェントの高さが第一に必要だ。次にワイドレンジであるばかりでなく、低域から最高域まで音色がむらなく洗練され統一感があることが欠かせない。ユジャ・ワンは管弦楽曲を自身の感覚でピアノ曲に編曲しその色彩感豊かな表現には舌を巻く。しかし、スピーカーシステムで音域を受け持つバス、ミッド、ハイといったドライバーの音色が統一されていなかったり、繋がり、バランスが悪いと、演奏の自由奔放さ、闊達さゆえに音色の断層が顕わになり、バラバラな響きの音楽になってしまう。あくまで一人の演奏家が自身の両手(肉体)で一台の楽器と対話し奏でている音楽である。最後に問われるのが、音楽の変化に余裕で追従し統一感を失わないフラットな動特性、といえるだろう。家庭のオーディオシステムがこうした条件をすべてクリアした時、リスニングルームに天衣無縫のピアニズムが目覚め、輝き始める。

「若いアジアのトッププレイヤー達へ」・・・・・・・・・・森本 恭正
 
 ついこの9月、イタリアで行われたリピツァー国際ヴァイオリンコンクールで、審査員を務めた糸井マキ氏からの報告によると、中国のFU YINGが1位。2位を韓国の2人の若い女性演奏家が分けた。いずれもその素晴らしい演奏が予選の段階からYOUTUBEに上がっている。今や欧米のクラシック音楽界にあって、アジア系、殊に中国、韓国のトッププレイヤーを抜きに、西洋音楽の演奏上の行方を語る事はできないように思える。だとしたら、彼らはどのように、そしてどこへ向かってヨーロッパの音楽を運んでゆくのか、彼ら自身が深く考え、自らの立ち位置を決めてゆかなければならない。

 Yuja Wangは数年前リムスキー・コルサコフの「BUMBLE BEE」をあろうことか右手のオクターヴで弾いた生映像をYOUTUBEに載せ、音楽関係者をあっと言わせた。もう誰も、あの曲を単音で弾いて技巧を披歴しようとするピアニストはいないだろう。それは、2回転半の宙返りをやった人の後で、1回転の宙返りをやっても誰も驚かないのと同じである。しかし、では、音楽は体操競技や曲芸と同じなのか?

 確かに、リストは超絶技巧を誇り、BUMBLE BEEを書いたのも中国人ではなく、リムスキー・コルサコフというヨーロッパ人だ。技術、つまりテクニックは、端倪すべからざる重みを持ってヨーロッパ音楽の一領域を占めている。が、しかし、それはあくまで一領域に過ぎず、ちょっと大袈裟にいえば、後には無限の創造の領域が広がっているのだ。そこに思いを馳せなければ、西洋音楽は藝術ではなく一種の曲芸になって固着してしまうだろう。

 同じく中国出身のLANG LANGはサンフランシスコ交響楽団との共演の後で、指揮者のクリストフ・エッシェンバッハを舞台上に立たせたまま、そして全オーケストラを待たせてBUMBLE BEEを弾いた。・・・
ただしIPODで。高尚な事は何も言わなかったが、それだけに、「私の演奏から技術だけを聴きたいのなら、IPODでいいじゃないですか、ほら、どんなテンポでも弾けますよ」といわんばかりに。

 WANG嬢はとても聡明な、そして「他の若い女の子と同じような格好をしただけなのに」と言いながらミニのドレスで舞台に上がるほどの、時代に対する広角で柔軟な視野をもった若者である。近い将来、きっと何かに気づいて、曲芸飛行を止め、今は封印しているかのようなBEETHOVENを弾くようになるだろう。その時、一体彼女の熊ん蜂はどうやって飛ぶのだろうか。

 ところで、2012年TVジャーナリストのALEXIS BLOOM氏によってなされたWANG嬢へのインタヴュー映像がある。それは、欧米で、若く台頭するアジア系演奏家が、否応なく浴びる様々な視線を象徴しているかのようにも見て取れる。その全インタヴューをできるだけ忠実に下に和訳した。藝術家という名の家に、もし彼女が入ろうとしているのなら、実はまだ、その戸口にも立っていない無垢な女の子の姿がそこにある。
                                              
≪インタヴュー≫
ALEXIS BLOOM(以下B):演奏する時、聴衆に「ああ、素晴らしいYUJA WANGの演奏だった」と言ってほしいですか?それとも「素晴らしいPROKOFIEVだった」といって欲しいですか?
YUJA WANG(以下W):どんな曲を弾く時でも、自分の声が必要だし、自分の演奏解釈?・・・っていったらいいかな(笑)、作品を見る自分の視点とかフィーリングがいると思う。だから、お客さんがプロコフィエフを聴きに来てるか、私を聴きに来てるか知らないけど、結局お客さんは私が感じたプロコフィエフを聴く事になるわ(笑)・・・ね。

B:レコーディングと生演奏の違いは何ですか?ライヴで得られるものと録音で得られないものは何ですか?
W:生演奏を楽しまないといけないと思う。というのも録音の時みたいに完璧に弾く事が目的じゃないから、ははは(笑)。生だと、自分がどこまでいけるかなっていう(技術的な)限界をすこし押し広げたりできるかも知れないし、そのことで多分私もエネルギーをもらっている。それと共演者とのコミュニケーションもずっと凝縮したものがあるわね。
 最初のレコーディングは私が11歳のときだったのね、あの時は、自分が生演奏してる事にして弾いたわけ(笑)。結構本気で生演奏しているつもりになっていたわ、始めから終りまで。・・・実際録音っていうのはちょっと難しい・・・はい、ピアノはここで、マイクロフォンはこっちって感じで(笑)。そして、赤いランプが灯ったら弾き始める。ちょっと私には、作りごと過ぎるって感じがする。

B:ステージ上では中国人を意識しますか?それとも自分をもうアメリカ人と感じますか。
W:そーうね・・・そう・・(ちょっと暗い顔で)はい、私は中国人です(笑)。でも、もうアメリカに長い間住んでるから、みんな私をアメリカ人だと思ってるみたい。(ここで多分編集がはいっている)(顔を上げて)考えるに、本質的には、私は中国人よりアメリカ人かもしれない・・・(口ごもりながら)でも私は実際両方を区別したりはしないんだけれど。

B:敢えて類型的な先入観でいわせてもらいますが、中国の演奏スタイルには自由がなくて、より作曲家の僕になっていると思いますか?
W:(小さく)・・いいえ。私の(中国の)先生は詩についていろいろ話してくれた。作品に書かれてない沢山の事のイマジネーションやフィーリングを膨らます為。それは、通常のピアノレッスンじゃしないことでしょ。そして(逆に)アメリカに来て学んだ事は、殊に、ベートーヴェンやモーツァルトやショパンがどういう風にフレーズを書いたとか、もっと譜面上の知的で分析的な事。どちらも良かったと思う。例えば絵を違った角度から見るのと同じ様に。

B:詩は文化大革命を生き残りましたか?
W:全くわかりません(笑)。私いなかったから(大笑)。良かった!いなくって!!(笑)
B:私が唯一知ってるのは、彼らは西洋音楽を禁止したってこと。だから、沢山の若い人たちが西洋音楽に興味を持ったのね。それが、沢山の若い人たちがクラシック音楽を学んでいる理由だと思う。
B:どうして?
W:だって禁止されてたから。だからみんなとても興味があった。手に入らないものって欲しくなるでしょ。

B:あなたはかなり小さい頃に音楽の勉強の為に国外の音楽院(カナダ:訳者注)へおくられましたね。それは大変でしたか?それとも自由にできてよかったですか?
W:中国での学校生活では、7歳から国を出る14歳までついていたピアノの先生ととても近い子弟関係だったの。先生と話したりレッスンを受けたり、それが生活の中心だった。先生の家には、凄いCDがいっぱいあって、いつも私は彼女の家に入り浸っていたわ。
(編集が入る)先生の前で弾くと、先生は凄い激しいのよね(笑)もっともっと仲良くなりたいのと同時にとても怖かったりね。(笑)面白い時期だったわ。(編集が入る)音楽家でいるには、(笑)わかるでしょ、自分と対話したり、内省的になるし。孤独な生活っていう人もいるかもしれないけど、私は昔からそんな風に育ってきたから、もう慣れてる。うん。

B:コンサートピアニストというのは、大変な仕事だと思うけれど、いつも演奏旅行で家を空けているのは平気?
W:演奏旅行でいる時に生活してるっておもうわね。なんていうか、その、私っていうエネルギーの存在があるっていうか。殊にステージで演奏している時は、それが生活だって(笑)うん。みんな淋しくないかって訊くけど、そんなことないわね。私はブラックベリーも持ってるし、ラップトップもあるし、電子書籍も持ってるし。この電子機器のセットがあれば大丈夫。

B:人々の「まあ、なんてあの子は若いんだろう!」なんていう反応はどう思いますか?
W:とっても変な感じ(笑)だって若いなんてちっとも思ってないから。みんなが、私が若いから興味があったり興奮したりしてるのは知ってるわ、でも今まで私の人生ずっとピアノを弾いてきたわけだし、ピアノがある前の生活なんて考えることもできない。ピアノとの生活は体の一部みたいに自然でオーガニックな存在ね。確かに24歳っていうのは若いんだろうけれど、ピアノを弾く人と言う点では若くは無いと思う。
B:つまり、べテランだってわけね。
W:そう。もう18年もやっているわけだから、法的に大人ってわけ(大笑)。(笑いながら)ライセンスもらって首から下げとこうかな。

B:演奏していない時、どんな音楽を聴きますか?クラシックのレパートリー以外の音楽を聴いたりしますか?
W:RIHANNAが大好き。それに彼女は私よりも若いわよ!レディ・ガガのいくつかの曲は好きだし、キース・ジャレットやRADIO HEADも。でもホントにRIHANNAの声が好き。だからプロコフィエフを弾く前に聴いてる(笑)。全く違う世界だけど、プリミティヴで生なところがあるでしょ。

B:あなたはハリウッド・ボール(L.A.にある夏の野外音楽堂:訳者注)のコンサートでかなり派手なドレスで登場して話題になったわね。その話してくれない?
W:ああ、あれは私にとっても大きなコンサートで、暑い夏の夜だったのね、で、私はオレンジ色のミニのドレスでやったわけ。あの時は友人のL.A.フィルのアシスタントコンダクターが、彼の最後のコンサートで、そう、彼も同じ世代!終わってからそのままの格好でクラブへ直行したかっただけなのよ(笑)。実際いつも大仰なロングドレス着て弾くのはちょっとね。殊に、夏で、暑くて、情熱的な作品弾く時には。それに、ドレスのことはそんなに深く考えてした事じゃないのよ。あの時初めてミニで弾いたわけじゃないし。だから、まあ短いのでもいいんじゃない?って思っただけ。で、後からワシントンポストで、・・・・あ、言わないほうが良かった?(B:構わないわ)セクシストだとか、こんなドレスはクラシックの演奏会に相応しいだろうかとか、わかっますけど露出過多だとか、そういう議論がまきおこって。なーんでー?って頭抱えちゃったのね(笑)最初は、新聞読んで、はははって笑ってたけど、後から考えたら、そんなにやり過ぎだったかしらって。つまらないことでくだらない議論してるだけじゃないかと思う。(真面目な顔で)私にとっては、私がとても愛している作品が弾けた楽しい夜だった。それだけ。・・・でも、実際、中国や韓国やヴェトナムやウィーンでさえも、みんな「今度はどんなドレスで出てくるかしら」って思ってるのね。あららららって感じ(笑)。でね、結論は、前がミニで後ろがロングなドレス(笑)。・・・
でも本当にパッケージで妙な印象を作ろうなんて思ってません。そんなこと馬鹿馬鹿しい。私は私でしかないのに。

B:あなたの両親は一人っ子のあなたを小さい時から外国に出して、大丈夫でした?
W:親はかなり辛かったみたい。まだ外国にいるのかって?(笑)・・・・ええ、いまでも私の演奏旅行についてきたいみたい。だけど、彼らにも仕事があるし、ちょっと難しいでしょ。でもねぇ14歳で外国に出したのも彼らの決断なんだから。ママは私のカーネギーホールのデビューに来てくれたわ。両親は、私の演奏活動を見るのは大好きだけど、
一方で醒めてるところもある。でもね、ははは、結局彼らはわたしの音楽が好きなんだと思うわ。

訳:森本 恭正


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